009.カイロ


「いやー!歌った歌ったぁ! あんなに気持ちよく歌えたのは久しぶりだよぉ!」

「そうだね。俺も久しぶりに歌ったかも」


 街から離れた住宅街のとある一画。

 闇を街頭が照らして僅かな暗がりとなった道を、俺は少女とともに歩いて帰路につく。


 季節は夏の終わり。秋の始まり。

 まだまだ日中は残暑が目立つるとはいえ、陽が陰ってくると昼の暑さが嘘かのように急激に寒くなる。

 指定の制服も半袖から長袖に変わったばかり。寒くなっても余裕で耐えられるとはいえ、寒暖差の激しくなったこの季節の寒さによって無意識に手をポケットに突っ込んでしまう。


「…………」

「……? どうした?」


 さっきまで鼻歌交じりに機嫌よく隣を歩いていたアスルだったが、急に静かになったかと思ってチラリと目を向ければ、彼女はジッと俺の方向を向いていた。

 正確には俺の顔付近ではなく、身体周り。もしかして反対側に変なものがあるかと思ったけれどただの壁で特筆すべきものはない。


 じゃあなにか…………ハッ!もしかして腹回りを見てるとか!?

 いやいや。自分で言うのもなんだが俺は太ってなどいない。至って平均的な体型だ。

 さすがに腹筋割れてるかと聞かれたら否定せざるをえないが、決して変と言われるような体型ではない……と思う。


 無意識なのだろうか。彼女の口は僅かだが開き、俺が気づいているにも関わらずそこから視線を外そうとしない。

 何となく恥ずかしくなってきた俺はポケットに入れていた手を取り出してそっとカバンで身体を隠す。


「――――あっ! ご、ごめんね!もしかして私、ずっと見てた!?」

「……うん」


 彼女はどこを見ていたのだろうか。

 俺が身体を隠すことによってようやく無意識から抜け出したようで、堰を切ったかのように慌てだす。


 太って……ないよね?でも最近ゲームばっかりで運動は体育に任せきりだからなぁ。

 プニプニと空いた手で腹回りを触ってみても変わったようには思えない。多分大丈夫!


「ち、違うの! セリアを見てたっていうか寒そうだなって思ったっていうかなんていうか……とにかくなんでもないの!!」

「そ、そう……?ならいいけど……」


 まさに、誰がどう見ても慌てていると言えるレベルの狼狽っぷり。

 その手は自らの顔の前で四方八方に揺れ動いていて見るからに慌ただしい。


 俺が寒い?もしかしてアスルが寒いのだろうか。

 バッグの中にカイロ忍ばせてるから使う?―――そう聞こうとも思ったが、その剣幕に思わず言葉を失ってしまう。


「そうだよ! ……うん!そうなの!」


 何故2回言ったし。


「だからセリアは何も気にしなくたって…………っ!!」


 ―――重ねて彼女が問題ないと告げようと……そんな折、一陣の強い風が俺たちの間を通り抜けた。

 秋に相応しい突風。夏の終わり。冬の接近を告げるサイン。そんな冬の風を彷彿とさせる風が彼女の身体を震わせた。


 薄い、風通しの良さそうな上着を着た彼女。

 今朝方は風も少なくそれで十分だっただろうが今は少し風が強い。まだ若干日が出ているとはいえ体感温度は朝よりも低いものになっているだろう。

 俺はそんな彼女の身を縮こまる姿を見て、バッグから1つの袋を開封する。


「いやぁ、一気に寒くなってきたねぇ。 それとも東京が暑かっただけかな? セリアは大丈――――」

「アスル、ホレ」

「わっ! これって…………」


 彼女の問いかけを無視するように俺がアスルに放り投げたのは、さっきまでバッグに忍ばせていたカイロだった。

 空を舞うカイロを見事キャッチしてみせた彼女はまだ熱を持つには早いそれを見て目をパチクリさせている。


「寒そうだったから。少し待てば暖かくなると思うよ」

「い、いいよ! 私なんかじゃなくこれはセリアが使いなよ!」

「俺は大丈夫。 ほら、あそこ」

「ぁっ……。セリアの、家」


 彼女はまだ来たばかりで土地勘が無いから仕方ない。

 もうここらへんは俺の家のすぐ近くなのだ。その証拠として指さした先には彼女が今日訪れて見覚えがあるだろう我が家が見えている。

 このペースならあと1分もしない内に家にたどり着いてしまうだろう。そう考えつつ足を動かしていると、不意に今まで目の端で捉えていた彼女の姿がフッと消え去ってしまう。


「もう着いちゃったんだ……」


 もう。

 というのは惜しむ気持ちがあるのだろうか。

 その言葉の真意はわからない。けれど足を止めてしまった彼女に続いて俺も振り返り、アスルと向かい合う。


「今日はありがとな。カラオケ」

「ううん。私こそありがとね。 無茶を聞いてくれたし、カラオケを選んだのも私のこと考えてくれたからだよね?」

「まぁ…………」


 完全に見透かされていたことに、恥ずかしくなって頬をかく。

 無茶というのはきっと突然やって来て遊びに行こうと言ったことだ。そして場所の選定理由もわかっていたと。


 さっきまでとは違い元気さが鳴りを潜めた彼女。

 けれどそれは落ち込んでいるというものではない。きっと楽しい時間が過ぎ去ることの…………寂しさだ。


「……今日もインするんだろ?」

「えっ?」

「ゲーム。これまで毎日インしてたんだし、今日もこれからするんだろ?」


 楽しい時間が終わっても、また新たな楽しい時間が訪れる。

 今日アイドルを休止した彼女。きっとそれまで休みなんてなかったのかもしれない。

 だから今日こうして遊んだのは随分久しぶりだと。俺はそう予感している。


 だから寂しさがこうして全面に表れているのかも知らない。

 だったら俺はこの1年毎日一緒に居続けた相棒として、こうして遊び終わっても次の楽しいことが待っていると、そう告げなきゃならないような気がした。


「うん……」

「だったらまた遊べる。だからそんな寂しそうな顔するな。相棒」


 その表情はきっと、アスルにとって自覚がなかったのだ。

 俺の指摘によって驚いたように少しだけ目を丸くするも、すぐになんのことか理解したようで段々と笑みに変わっていく。


「なにそれ、私が寂しいって、そう思ってたの?」

「おう。……違ったか?」


 ここまで自信満々に言っていたが、彼女のその笑みを見て猛烈に不安に駆られてしまう。

 もしかしてさっきまで寂しいって思ってたのは俺の勘違い!?


「ううん、正解。 さすが相棒だなぁ。私のこと何でもわかっちゃう」

「そんなわけない。ボイチェン使ってるとはいえ聞き慣れた声色と……表情の予想だよ」


 よかったぁ!あってた!

 これで違ってたら赤っ恥どころじゃない!恥ずかしすぎてインできなくなっちゃうレベル!!

 虚勢を張りつつ内心ホッとしていると、彼女は満足したように頷いて、唐突にバッグから一枚の紙切れを手渡してきた。


「そっか。 じゃあ私の心を言い当てられた相棒にこれをあげようかな」

「なにこれ? 紙?住所?」


 中に書かれていたのは住所だった。

 表記的にここらへんのもの、家からすぐ近くだ。部屋番号あるってことは……集合住宅?


「うん。私のお家の住所」

「!! なんで!?」

「なんでってそりゃあ、事故とはいえ君の住所知っちゃったし、あまつさえそれを利用しちゃったからね」


 まさかの。

 俺の手に握られたそれは、まさかの彼女の住所だった。

 なんという情報。売れに売れたアイドルの住所だなんて取り扱いが怖すぎる!!


「こ、これをどうしろと!?」

「好きに使っていいよ!遊びに来てもいいし大事に保管しても。……あ、流出だけはやめてね!」


 そりゃあしないけど。

 でも遊びにって、そんな異性相手に悠長な。


「それじゃ、私こっちだから! また会おうね、相棒!」

「あ、おいっ!!」


 まさに言い逃げ……この場合は渡し逃げだろうか。

 俺に重要過ぎる紙切れを握らせた彼女はそのまま逃げるように曲がり角へ。


 そうして取り残されるは俺一人。

 しばらくポツンと突っ立っていたが、もう一陣の風に身を震わせ、逃げるように家へと帰っていった。



 ―――――――――――――――――

 ―――――――――――

 ―――――――



「はぁ……はぁ……はぁ……」


 バタンと閉めた扉の内側で、少女の息が上がる音がする。


 そこは新しい住まい。新しい住所。

 未だ室内はダンボールでいっぱいだが、それでも人が住むのに適した場所。

 玄関にうずくまった少女は小さく呟く。今日の感想を。


「渡しちゃった……」


 渡した。

 少女の言うそれは今日の大目的。自らの住所を相手に手渡すこと。

 あのときの理由は本心。彼の住所を知って、なおアポ無しで訪問したことに彼女は罪悪感を覚えていた。

 迷惑だったかな、怒ってないかな、勢いで行った行動が故にそんな思いが日中ずっと駆け巡っていた。

 だから罪滅ぼしにもならないが、せめてものということで渡した自らの住所。 

 そこそこ有名な自分にとってそれはかなり高リスクのものだが、彼女自身が信頼し結婚までした相手。そこに不安の気持ちなど一切なかった。


「でも、失敗……しちゃった」


 そしてもう一つ、失敗したこと。

 それは少女のいくじなしが原因で、達成できなかったこと。

 帰り際彼女が見ていたもの、それは相手の手であった。


 彼女は彼と手を繋ぎたかった。

 若葉はアイドルとして、握手会などのイベントで何度も不特定多数の人の手を繋いできた。それはもちろん男の人も含む。

 けれどそれはあくまで仕事として。仕事にずっと打ち込んできた彼女にとしては、プライベートで異性と接触することは小学生を卒業して以来一度もなかった。


 仕事とプライベートは違う。そう実感したのは彼に初めて会った時だった。

 最初は寒いのを口実に手でも繋ごう。そう軽い気持ちで考えていたのだ。

 けれどいざ蓋を空けてみれば思い通り事が進まない。自らの心はこんなに弱かったのかと日中何度思ったことか。

 できることなら自然にお姉さんとしてリードしたかったが、自らの弱さのせいで行動に移すことができず、カイロまでもらうハメになってしまった。


「次は……次こそは……」


 それは小さな小さな決意。

 きっと小中学生が聞いたら嘲笑するような決意だろう。

 けれど彼女は本気で意気込む。アイドルとしてではなく、一人の女の子として。


 1勝1敗。次は全勝する。

 少女はそう心に決めた。

 彼女は本能的に負けず嫌いなのだ。少年と同じ図書委員の少女と出会った時、得も知れぬ対抗心から無意識に親戚と名乗ったように。

 そう自らを鼓舞し、暖かくなったカイロを手にダンボールだらけの部屋に向かっていった。

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