005.想い人


「はぁ……」


 自然とため息が溢れ出る。

 まだ暖かさの強い日中。吐かれた息は当然目に見えることなく、空気に混ざって消えていく。

 俺はそんな意味のない行為をしつつ今朝の事を思い出していた。


 様々なことが起こる人生。その状況によって心が乱れた時に出る、生理現象の1つ。

 一説には血中酸素が減ってるからとか諸々の理由があるらしいが、そんなことはどうだっていい。

 問題なのは今朝のことだ。



 何気なく迎えた平日の朝。

 俺は眠い目をこすりながら今日も今日とて学校に向かおうとしていたところ、突然現れたアイドル、水瀬 若葉。

 彼女はアイドルを休止した当日にウチまでやってきたことによって、ウチは大パニック。そしてその正体が毎日ゲームで遊んでいる相棒、アスルときたものだ。


 その結果、当然阿鼻叫喚になる我が家。

 朝の1時間ちょっとだけで5年分のサプライズを喰らった気分だ。そりゃあため息の1つも出るだろう。

 俺は静かな空間の中、下げていた視線を上げて窓から外を見る。


 外から差し込む光がキラキラと舞う埃を照らしながら見えた景色は、なんてことのないただのグラウンドだった。

 エイオーエイオーという掛け声とともにグラウンドを走るユニフォームを着た生徒。あれはきっと野球部だろう。そして対角にはまた別の生徒たちも走っているのは陸上部だろうか。

 そんな青春を汗とともに満喫している人々を横目に所定の席に腰掛け、机に置いてあった本を広げてみせる。


「なんだかすごいため息付いてましたが、どうしたのです?」


 集中できやしない本に無理やり意識を持っていこうとしたところ、声を掛けられた。本当に微かな小声だったものの、確実に俺へと向けられた言葉。

 読もうとしていた本から顔を上げて右を向けば、一人の少女が前かがみになって眼鏡越しに見上げるようこちらを見つめていた。

 見上げる目が不思議そうな雰囲気を醸し出しつつも、その奥にはほんのり好奇心も混じって見える。


「い、いや……ちょっと……。昨日全然眠れなくって」

「眠れないって……何時間寝たのですか?」

「…………30分」

「30分!?」


 俺が昨晩の睡眠時間を告げた途端、彼女の驚きの声が静かな空間中を駆け巡った。

 窓が完全に締め切られた空間。それでもグラウンドからの掛け声が余裕で届くほどの静かな部屋。

 そんな中突然発せられた彼女の声は当然部屋中に響き渡り、室内にいた全員がこちらに視線を送ってくる。


「す、すみません……!」


 彼女もすぐに自らの声の大きさと向けられる視線に気づいたのだろう。

 慌てて謝罪した後、他の者共は何事もなかったように振る舞ってくれつつ、当人はこちらに向かって「アハハ……」と頭をかく。


「やってしまいました……。図書委員が大声出すなんて風上にも置けないですね」

「そう……だね」


 まるで自虐するようにズレたメガネを整えながら笑うのはここ、図書室でカウンターの仕事を任された少女――――名取さんだ。


 名取 麻由加なとり まゆか

 腰まで届く茶色の髪を首後ろで1つに纏めたシンプルな髪型をしており、赤い縁のメガネが特徴的な隣のクラスの女の子。

 俺と同じ図書委員に所属しており、週1回で放課後に、1時間ほどにカウンターの仕事を一緒にしている。


 どちらかというと地味な女の子。

 学校で友達は殆どおらず、休み時間は本を読んで過ごしている物静かな少女だ。

 けれど1度話してみると聞き上手でユーモアもあって……………………そして俺が密かに想いを寄せている女の子だ。


 そんな彼女が笑う姿を直視できずに視線を逸した俺は少しぶっきら棒に見えたかもしれない。


「それで芦刈君、話を戻しますがどうしてそんなことになっちゃったんです? ………またゲームですか?」

「さすが、名取さんはよくわかってるね」


 彼女は俺が『Adrift on Earth』にハマっていることもよく知っている。

 ゲームで寝落ちしたとかボスに苦戦してるとか、毎週図書委員で会う時こうやって話しているからだ。

 私語禁止の図書室でも迷惑にならない程度の会話なら問題ない。そんな緩さからかここで勉強を教え合う生徒も数多くいる。


 俺が観念したように肩を上下させると、彼女は「やっぱり」と言って口元に手を当てながら小さく微笑んだ。


「ダメですよ昼夜逆転生活は。 そんな生活してたら勉強見てあげませんからね?」

「うっ……!ど、努力します……」


 背中に汗を流しながら真摯にその言葉を受け止める。

 そんな事言ってもな……昨日は色々あったんだ。それで今朝はあの子が来るなんて……まぁそんな事言えないけど。


 ちなみに彼女は俺と同い年。それでも敬語なのは癖らしい。


「そういえば先週、そろそろゲームの敵が倒せそうだって話してましたけど、あれからどうなったんです?倒せました?」

「!! そう……!それだよ!ちょうど昨日倒せたんだ!」

「まぁ! 良かったですね!」


 待ってましたと言わんばかりに反応した俺は、小声ながらも精一杯感情を込めてその喜びを伝える。

 きっと彼女にもその喜びが伝わってくれたのだろう。両手を重ね合わせてまるで自分のことのように喜んでくれた。


 あぁ……こうやって知らない、興味ないであろう話でもしっかり聞いてくれるところがいいんだよ……。

 それに話してて喜んでくれるから話す側としては本当に嬉しい。


「もう1年も頑張ったからね……。ホント、頑張ったよ……」

「お疲れ様でした、芦刈君。 そのお祝いか何かで朝までかかったのですね」

「お祝いっていうか……まぁ、うん」

「?」


 その歯切れの悪い返事に彼女の頭に疑問符が浮かぶ。

 果たしてアレはお祝いと言っていいのだろうか。タイミング的にはそうとも取れるが、いかんせん素直に受け止めることもできない。


「なんていうか……その敵を倒した後、結婚してね」

「結婚? どなたがですか?」

「俺」

「芦刈君が……結婚……………。けっ―――――!!」


 またも彼女の口から発せられる、小声ではない完全に大声と分類される驚きの声。

 けれど今回は直前で踏みとどまることができたようだ。最初の一文字だけ発してからはすぐに口元を抑えてそれ以上の言葉が出ないようにしている。

 そのお陰で周りの目もすぐに散開してくれた。


「けっ……結婚ってどういうことですか!?」


 小声にしてはやや大きいくらい。けれど許容範囲で詰め寄る彼女は驚きに満ちていた。

 古典的漫画の表現だと目玉が飛び出て眼鏡が割れてしまっていただろう。それほどまでに驚いている彼女は鼻息を荒くし俺との距離を詰めてくる。


「あ、あくまでゲーム内でだから……!相手は男キャラだから……!」

「ゲーム内……。あぁ、なんだ。そういうことだったんですね」


 慌てたように言い訳する俺の言葉に彼女は納得したようで、スッと詰めていた距離を元に戻す。

 彼女が近くで動くたび仄かに漂ってくる甘い香り。それが離れていくことに少しものさみしさを感じてしまう。


「でも、前に聞いた話だと芦刈君も男性キャラですよね? そういうことってよくあるんですか?」

「……まぁ、無くはない……かな?」


 間違ったことは言っていない。

 俺も男キャラでアスルも男キャラ。その2人が結婚したのは誤魔化しようのない事実だ。

 けれどその中身は……うん、話せるわけないな。


「そうなんですね。でも、ゲーム内で結婚というのは―――――」


 そこまで言って、彼女の言葉が途切れた。

 なに、簡単な話。そこまで言葉を紡いだ途端校内にチャイムが鳴ったからだ。


 放課後1時間経って鳴るチャイム。

 追加授業の生徒や委員会活動をしている生徒たちへ時刻を知らせる音。

 俺たちは図書委員の活動中だから、つまりそれの終わりの合図だ。


 名取さんもこのチャイムがどういうものか把握している。だから「あら」と言葉を漏らしてそれ以上聞いてくるのを諦める。


「もう時間ですか。早いですね」

「そうだね……」


 俺も、早いと思うよ。

 名取さんとの時間は一週間で最大の楽しみだ。もっと長く続いてほしい、ずっと続いてと何度思ったことか。


 後片付けをしながら俺は考える。あぁ……また次話せるのは来週か、と。


「あの……!」

「うん?」


 片付けも佳境に入り、あとは書類を引き出しに入れるだけになったところで、ふと彼女から声がかかった。

 もう名取さんは全て終えているようでその両手に荷物を持っている。


「その……芦刈君、今日一緒に……帰りませんか? さっきの話……もっとよく聞きたいので」

「…………!!」


 まさかの思わぬ提案に、俺は思わず耳を疑ってしまう。

 まさか……まさか彼女からそんな提案をしてくるだなんて!!


 彼女に想いを寄せる俺は、一緒に帰ろうと提案しようとしたことも何度もあった。

 けれど勇気が出せず毎回言い出せず諦めて帰宅。全戦全敗だった。それが名取さんから言ってくれるなんて!


「ダメでしょうか……?」

「い、いいや! うん!いいよ!一緒に帰ろう!」

「よかった……。では、私は先生に一声掛けて来ますね」


 俺から返事がなかったから少し不安げな表情を見せたものの、間髪入れずに告げた返事にその表情がパァ!と明るくなる。

 そうして裏の別室で待機している先生の元へ駆けていく名取さん。俺はその後ろ姿を見送りながら、誰にも見られないようコッソリガッツポーズを作るのであった。

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