004.回復の意味


「ごめんね。朝早くに押しかけて長居しちゃった上に送ってもらっちゃって。 昨晩の興奮が冷めなくってさっ」

「…………いえ」


 朝8時。太陽はとっくに天辺へ向けての上昇を始め、人々もチラホラと家から出て学校に、会社に向かう人が多くなっていく頃。

 俺は駅から逆走するように、通学出勤する人々とすれ違うように、住宅街を歩いていた。


 昨夜のうちに準備は完了していたおかげで荷物の詰まったバッグは迅速に持ち出すことができた俺は、隣に一人の少女を伴って道を進んでいる。

 どこが目的地かなんてわからない。しかし彼女の足取りはやけに重かった。一歩一歩丁寧に。まるで帰るのを惜しむようなその短い歩幅に疑問が浮かぶものの、何も聞くことなく静かな時が流れる。


 色々なことを聞きたい。

 なんで俺の家を知っていたとか、なんで結婚なんて話に出したとか、あのニュースはなんなのかとか。様々な疑問がとめどなく溢れ出る。

 しかしここまで怒涛の展開だったことに加えて寝不足なものだから、どう言葉にしようにも上手く纏まらず口に出すことが叶わない。


 チラリと隣を歩く少女を横目で見れば、初秋の朝にピッタリな薄手の長袖を羽織ったアイドル、水瀬 若葉の姿が。

 今朝からテレビで散々取り上げられていた少女。そんな彼女がいま隣にいるなんて未だに信じられない。


 そして通行人たちもそんな彼女に気を払う素振りなど一切ない。

 東京や大阪など人口密集地から程遠い県の住宅街なのはもちろん、彼女が帽子を深く深く被っているからだ。

 金青の髪も上着の下に隠すような形で歩いているから、その正体に気づく者はいなかった。


 ――そんな折、まっすぐ前向いて歩いている彼女に動きがあった。

 最初は横目で見ていたもののあまりにも見すぎていたせいか、視線を向けられていることに気づいた彼女はふと俺と目を合わせるた後にニッコリと微笑まれる。


「っ……!」


 雪によって散々見せられてきた顔。

 画面越しに見ていた彼女の笑みがいま目の前にある。

 その可愛さと驚きと嬉しさがなんとも複雑に絡み合って、俺は大きくたじろいでしまう。


 これがあのアスルなのか!?信じられない!

 口調も雰囲気も違う!なにより一人称からしてギャップが過ぎる!!


 しかしそんな俺の心情を全く気にしない彼女は「あっ!」となにかを見つけたように小走りで数歩走り出して、眼の前の景色にピッと指を指した。


「ねぇ、時間大丈夫? ちょっとここでお話しない!?」


 それはウチから徒歩5分手前で来れる小さな公園。

 小学校を卒業してからはご無沙汰だったが、それ以前は何度も太陽が沈むまで遊び呆けた公園だ。

 遊具も滑り台にブランコ、そして砂場とベンチくらいしかない小さなものだが、幼い思い出は大量に詰まっている。


「あ、あぁ……」


 そんな公園を楽しそうにキラキラ目を輝かせて聞いてくる彼女に俺はノーと言うこともできず、後を追うように入っていった。

 あぁ、これは遅刻確定だな。まぁ家を出る際に母さんが連絡を入れてくれるって言ってたから、さして問題ではない。雪を連れて来なくてよかった。遅刻かつ2人で会話とか勉強したものが全て吹っ飛んでしまうだろう。




 2人して向かうは公園隅に置かれたベンチ。

 目立った汚れなどはないけれど、秋だからか頭上の木から舞い降りてきたであろう落ち葉がそこかしこに山積されていた。

 それを彼女は軽く払って腰を下ろすと同時に、隣に座れと言わんばかりにすぐ横をポンポンと手で叩くので、恐る恐る少し距離を空けて座る。


「――さてっ! セリアは何話したい?」

「えっ? 俺が話すの!?……ですか?」


 まさか向こうから公園に入ろうと提案されたから何か話すことがあると思っていたけれど、いつのまにか俺が話す流れになっていて思わず声を上げてしまう。

 ダメだ。話してる相手が水瀬さんかアスルかわからなくなってる。俺の口調もグチャグチャだ。


「だって色々と聞きたそうな顔してたし? だから私を送ってくれるって言ってくれたんでしょ?」


 まぁ……そうだ。

 きっかけこそ母さんの指示だったが、遅刻を押してまで一緒にいるのは俺自身聞きたいことがあったから。

 ちょうど今は二人きりだし雪のツッコミも入らない。さて、何から聞くべきか……


「じゃあまずは……なんで俺の家を知ってたんです?」

「えっ? ちょっと前に自分から言ってなかった?」

「!?」


 へぇ!?

 真っ先に考えつくであろう質問を投げかけた所、帰ってきたのはまさかの俺起因ということ。

 いやいやいや……そんな事言った覚えないし……。でもたしかに、俺が言わないと説明が……


「あ~……もしかして……。それ以外ありえないし……そういうことかも……?」


 どういうことか全くわからないものの、確かに確率的には一番ありうる。むしろゲーム関係で来たのならそれ以外考えられない。

 自分の中で結論をだして隣に目をやれば、一方の水瀬さんは口元に手を当ててそっちはそっちで考える素振りを見せていた。ところどころ漏れ出る言葉からはなにやら納得した様子?


「多分だけど、もしかしたらセリア、寝ぼけてたままボイチャしちゃってたかも。あの時体育で走らされて攻略もボロボロだって言ってたし」

「寝ぼけてた?」

「うん。私と話した後すぐ寝息聞こえちゃってたから。おぼえてないでしょ?」


 ふむ……確かに記憶の片隅すら残っていない。

 けれど寝落ちした記憶なら何度かある。特に体育などで運動したあとお風呂で身体を温めて、そしてボス攻略に入るともう大変だ。

 身体が眠りモードに入ってヒールワークがグチャグチャになったことさえある。その時なら確かに記憶が曖昧になるかも。


「その時の記憶を頼りにやってきたら表札がまさに!で、ホッとしたよもぅ~。個人情報なんだからペラペラ話すのは気をつけなよ~!」


 からかうような笑みを浮かべながら告げてくるのはまさしく正論。

 いや、でも聞き出したのはアスルじゃ…………ううん、気をつけよ。


「でも……やってくるって言っても、なんで顔も知らない俺のところまで来ようと?仕事休止にしても今向こうは大変でしょうに……」


 気を取り直してまた別の質問だ。

 続いて湧き上がるのがもう一つの疑問。なんでこんなところまでやってきたかだ。

 ニュースになっていた件。アイドル業を休止するところは……まぁ個人の事情だから良いとしても、その後何故こんな片田舎の家まで来たかが疑問に残る。

 それを思い切って口に出したところ、彼女は「うん……」と小さく呟いて天を見上げた。


「アイドル……大好きな仕事だったんだけどね……疲れちゃったんだ」


 呟くようなか細い声で、雲ひとつない秋空を見上げる水瀬さん。

 後手で身体を支え、すこし寂しそうにする姿はいつも元気に先導してみんなを守るアスルと違い、とても小さく見えた。


「疲れた……?」

「うん。それで休止しよっかな~、どうしよっかな~って考えてたところでセリアの顔が浮かんじゃったの。そうだ、キミのところに行ってみようってね」


 そうして見上げていた顔をおろしこちらに向けられる顔は笑顔だった。

 目的を達成したような晴れやかな笑顔。なんの曇り気のない表情には、さっきまで感じていた小ささなどどこにもない。

 その表情は自分の行動に間違いなど一切なかったと言っているようだ。


「ホントは私もこんな朝早くからくるつもりはなかったんだよ!迷惑だし!!」


 続いて間髪入れずに、慌てたように補足してくる彼女。

 手をブンブン振って言い訳するさまはおよそアスルの面影などない。


「でも……。……でも、セリアがいつ帰ってくるかなんて知らないし、それに昨日アフリマンを倒せて、結婚できた喜びと勢いで始発の新幹線に乗って……それで……」


 段々と言葉尻が弱くなり、か細い声になっていくアスル。

 最後には顔をも伏せてボソボソと喋ってしまったから聞き取るにも一苦労だが、心なしか横顔が紅くなっているような気がした。


「――――それでもっ!」

「っ……!」


 地から天へ。

 180度勢いが変化して思い切り顔を上げた彼女は今度こそまっすぐ俺を捉え大きく口を開いた。

 身体をひねり、ベンチに両手をついて前のめりになる彼女。座る時にあえて空けていた空白は今に無く、目の前にその可愛い顔が迫ってきていた。


「それでも私の判断に間違いはなかったよ! セリアもやっぱりいい人だしご家族のみんな優しかったもん!」

「いい人って……そんな簡単に決めちゃっていいの?」


 そんな百面相ばりにコロコロと表情の変わる彼女に戸惑いつつ、なんとか返事をする。

 彼女はそんな疑問など予測していたのか、「チッチッチ」と人差し指を立てるとともに音を鳴らして揺れ動かす。


「だって、優しくなかったら遅刻してまで私の話聞いてないでしょ? それに、もう1年以上一緒に遊んでるからわかってるよ。セリアはいい人だって」

「っ――――。そ、それはどうも……」


 真っ直ぐな、ひたすらに真っ直ぐな褒め言葉。

 あまり真っ直ぐな褒め言葉になれていない俺にとってはそれ自体がむず痒く、思わず顔を背けてぶっきらぼうになってしまう。


「うん!……あっ。そういえば私もセリアに1つ聞きたいことがったんだ」

「聞きたいこと?」

「そう。昨日のアフリマン戦のことなんだけどさ……」


 聞きたいことと聞いて更に何か恐ろしい事を問われるかと思ったが、ゲームのことと聞いて内心ホッとする。

 そっちなら何でも聞いてくれ。立ち回りでも報酬の使い道でも、何でも答えられる。


「昨日デバフ受け渡して爆発した後、私にヒールしてくれたよね? あの後攻撃来ないから攻撃に集中すればよかったのに、なんでヒールしたの?」

「あ~…………」


 何を聞くかと思えば、昨日のヒールワークについてだった。

 俺たちがやっているゲーム、特にボスは完全に敵の行動がタイムラインによって決められている。

 最前線の最速攻略組はタイムラインを知らないから行動にも保険が必要になってくるが、俺たちみたいに1年経っての攻略組だと敵の行動は完全に判明されていてどこで攻撃が来るかというのも周知されているのだ。

 そしてデバフ受け渡しの後は時間切れの全滅攻撃だけ。つまりいくら仲間が死にかけようがヒールする必要がなかったのだ。


「それは……」

「それは?」


 綺麗な翠の瞳がジッと、真剣な表情で俺を覗き込む。


 昨日の件についてはもちろん俺も把握していた。あの行動に意味なんてないことは知っている。

 それでもヒールを1つ挟んで相棒のHPを回復させた。いくら火力に影響のないスキルによる回復でも、手元が狂って火力が落ちるリスクを承知でだ。

 つまり一歩間違えれば昨日のバトルで全滅する可能性があったということ。それを承知で何故余計な行動をしたのか、という意味だろう。


「……………」


 その理由を答えるのも簡単だ。もう自身の脳内では言語化できている。

 しかし口に出せない。言葉にすることができなかった。


 シンとした静かな時間が流れる。眼の前の彼女は何時間でも待ってやるという意気込みでずっと俺を見続けていた。

 これが……これが昨日の状態だったら簡単だ。アスルの男声……ボイチェン使ってるんだっけ。その声で聞かれれば冗談交じりに答えることができる。

 しかし今となってはそれを口にするのが難しい。


 だが、このままだったら絶対彼女は俺を逃しちゃくれないだろう。

 遅刻どころか放課後まで、下手すりゃ一晩かけてでも聞き出す。そんな事を確信していた。

 少なくとも俺の知るアスルはそうなのだ。こと戦闘に関しては真面目で、しっかりと意見を取り入れたがる。そういうヤツなのだ。


「――――だから」

「……えっ?」

「その……いくら大丈夫ってわかってても、大事な相棒が死にかけなのは嫌だったから………」


 少しイジケたように。けれどしっかりと。

 諦めた俺はその理由を口にする。


 結局のところ、俺は相棒が瀕死になっている姿を見るのが嫌なのだ。

 確かに敵の攻撃を一手に引き受ける役として散々殴られるのがアスルだ。一発でHP満タンからゼロになったことだって何度もある。

 しかしできることなら、そんな相棒を支えたい。回復したい。それがヒーラーとしての俺のささやかな願いだった。それが例え火力を落とすリスクを背負おうとも。


「たったそれだけの……理由で……?」

「そうだよ……! あ~恥ずかしい! 何王子様気取ってるんだ俺!!」


 まさかそんな答えが帰ってくると思ってなかった彼女はポカンとし、一方で俺は恥ずかしさが限界に達し頭をガシガシとかきむしる。

 昨日までの男同士の関係だったら冗談交じりに「馬鹿だなぁ」で終わっただろう。しかしまさか相手が水瀬さんだなんて誰が思うか!!

 完全に思い込みで偏見だが、気があるみたいじゃないか!!


「…………なんだよ?」

「ふぅ~ん。なぁんだ。そっか~」

「うぅぅ……。 笑いたきゃ笑えよぉ……」


 顔が火を吹くほど真っ赤にして横目で彼女を見れば、ニヤニヤと笑っている姿が見て取れた。

 クッ……!だから嫌だったんだ話すのがっ!!しかも表情がわかるリアルでとか罰ゲームかよ!


 ベンチの上で膝を抱えて丸くなる。

 きっと傍から見れば奇妙な格好だろう。でも今は……丸くなりたい。


「――――ありがとね」

「…………えっ」


 ―――しかし、そんな俺に投げかけられたのはまさかのお礼だった。

 思わず顔を上げて見てみればさっきまでのニヤニヤはどこへやら、柔和に微笑むアスルの姿が。


「私のことそんなに大切に思ってたんだ。 やっぱりセリアと……ううん、陽紀さんと結婚してよかったよ」

「アスル……?」


 軽く触れるだけ。

 ほんの一瞬だけ励ますように俺の頭に手を乗せた彼女はそのまま飛ぶようにベンチから降りて一直線に走り出す。


「……セリア!」


 走り出した先は公園の出口。あと一歩で道路に出るというところでクルンと一回転した彼女は帽子を外して俺の名を大声で呼んだ。


「ありがとね! 私、やっぱりここに来てよかった! また、すぐに会えるよ!!」


 まさに満面の笑顔。

 アイドルの不特定多数に投げかけるような営業スマイルとは違う、ただ俺一人だけに向けたその笑顔は輝かしいものだった。

 感情を全面に押し出した彼女はそのまま手を大きく振ったあと、「またね!」と言って帽子を深く被って外へと駆け出していく。



 誰も居なくなった公園に一人取り残され……いや、笑顔にやられる俺。

 そうして目が覚めて学校へ着く頃には、ギリギリ2時間目の授業が始まる直前であった。

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