回復だんご

第1話

 ※当作品はフィクションです。作中に出てくる人物、団体は現実のものとは関係がありません。




 1998年 10月某日


「おう、早くやれよ。」


 事務所の中、グレースーツの男は目の前の青年に言い放つ。青年の前には、まな板とそれに突き立てられた出刃包丁。青年の後ろには一人の黒服の男が居た。


「親父ぃ!指だけは…指だけは許してください!」


 青年はソファから身を投げ出し、事務所の床へと顔を擦り付ける。親父と呼ばれたグレースーツの男はタバコを取り出し、口に咥える。すかさず火をつける黒服の男。

 火が付いたタバコを深く吸い込み、長く息を吐くと男は問いかけた。

「てめぇ、まだシノギがしくじったから呼ばれたと思ってんのか?」

「…へっ?」


 瞬間、男は這いつくばる青年の首を鷲掴みにして吊し上げた。そして心底どうでも良さそうに細めた目で青年を眺める。


「高峰ぇ…こいつ、入って何年だ?」

「へい、3年です。」


 高峰とよばれた黒服の男は姿勢よく立ったまま、しかしリラックスした面持ちで己の組長の後ろ姿を見た。彼の痩躯のどこから成人男性一人釣り上げる力があるのかと益体もないことを考えながら。


「3年かぁ…じゃあ、気が抜けても仕方ねぇやなぁ…なぁ、田中よ。」


 呼びかけられた青年、田中は肯定も否定もできず、そもそも首が締められているために赤くなった顔でかろうじて呼吸をしている状況であるために声を出せるはずもなかった。


「しかし、おかしいよなぁ。気ぃ抜けたガキがおめぇ、最近随分羽振りがいいらしいじゃねぇか。あぁ?」


 眉間の彫りを更に深めつつ、だんまりを続ける田中から手を離した。当然、咳をしながらへたり込む。暫く沈黙の時間が続き、田中が呼吸をやや整えた時分に男は青年の顔面を革靴で蹴り飛ばした。鼻血を吹きながら倒れ込む田中の首を再度手で持ち上げ立たせると、男は優男風の顔を般若へと変える。


「てめぇがアガリ上げずにせこい商売してるこたぁ割れてんだゴラァ!」


 そう怒鳴ると、咥えたタバコを片手に持つ男。田中はこれ以上の暴力が襲い来ることを察して身を捩るも、男の腕は鋼のようにびくともしない。


「そいつぁ立派な裏切りだよなァ。田中。」


 静かに言いながらも手の中で燃えるタバコを田中の顔面の前へとゆっくり移動させる。根性焼きをされると踏んだ田中は血まみれの顔を汗で濡らし、必死に自らの喉へと伸びる手を振りほどこうとする。


「盃交わすときに言わなかったか?俺はなぁ、田中。裏切られるのがこの世で一番…嫌いなんだよ!」


 瞬間、田中の左目を800度の炎が焼いた。自らの眼球が焼ける音と苦痛に金切り声を上げ、男が手を離したことで田中は崩れ落ちた。半分になった視界で見上げると、目の前には黒服の高峰の靴がある。


「じゃあ高峰、そいつの指落とせ。」

「へい、親父。」


 襟元を後ろから掴まれ、再びソファに座らされる田中にはもう抵抗する力はなく、朦朧とする意識の中でゴキュッっという音を聞いた。






 数時間後、高峰とグレースーツの男は路上に居た。事務所の片付けと田中の処理を下のものに押し付け、その間に日が暮れつつある歌舞伎町に遊びにという腹である。


「親父、お疲れ様でした。」


「フッ、まだ若いの一人シメるぐらいで疲れる歳じゃねぇ。」


 そう言いつつ肩を回し、ハットをかぶると男は歩き出した。

「そうだ、高峰。前言ってたよな。寿司が食いてぇって。」

「え、はい…言いましたね。」

「なんでぇ、歯切れが悪ぃな。もうくっちまったのか?」

「へい、実は3日前に食っちまったばっかでして。」

「なんだよタイミング悪ぃな。……じゃあ、あれだ。お好み焼きにしよう。」

「お好み焼きっすか。」

「まだなんか文句あんのか?」

 冗談めかして言う男に、高峰は好物なんでと返す。ハハと笑いながら、二人は夜の街へと歩き始めた。


 歌舞伎町は夜になるとより輝きを増す。客引きのボーイが風俗やキャバクラへと男を誘い《いざない》、相手の居るものはホテルへと集まる。ネオンは爛々と輝き、まるで街全体が誘蛾灯のようであった。

 中心部から少し外れた場所にある組の事務所から中心部へと進めば無料案内所やキャバクラが並ぶエリアに入る。


「親分さん、また来てくださいね!」

「あぁ、そのうちな」


 なんてやり取りをはさみつつ、二人は飲食店が並ぶ太い道路へと出る。男はふぅーっと息を吐き、ハットを被り直した。


「どうしたんです親父。いつもなら後で寄るって返すじゃないですか。」

 眉をやや寄せて心配そうに問いかける高峰に、そうだなとだけ返して、男は歩を進めた。すぐ傍にあったお好み焼き店に入り、席に案内されると男はやっと休めるといったふうにハットを脱ぎ、鼻から大きく息を吐いた。


 高峰は渡世の親の疲れた様子を見て、店員に2人前の豚玉と日本酒、そしてお猪口を2つ頼む。男が水を飲んだのを見て自身も口を湿らせた後に口を開いた。


「親父はよくここ来られるんですか?」


「ん?あぁ…時々な。」


 あまり見たことのない組長の姿に高峰はやや戸惑いつつ、しかし気の利いた言葉など出てくることはなかった。

 高瀬は先に運ばれてきた日本酒を注ぎ、そして注がれ、ゆっくりと酔いを深めているうちにタネが運ばれてきたので2枚分を鉄板に広げる。男は、自分でやるよと高峰から自分のヘラを奪い取り、黙々と生地とにらみ合い始めた。その姿に、つい先刻まで下っ端をシゴき上げていた威圧感はなく、30後半相応の寂しさを感じさせた。


 やがて生地も焼き上がると男は熱いのも気にせずに口にお好み焼きを次から次へと放り込み、すぐに平らげてしまう。


「親父…熱くないんです?」

「冷たいわけねぇだろバカヤロー。」

「はぁ…?」


 などと高峰が言っているうちにぺろりと平らげてしまった。満足気に食ったななどと言いつつナプキンで口を拭き、お猪口を傾け始めた頃には覇気も戻ってきており、さっきまでのさみしげな双肩が嘘のように生気に溢れている。


「そういやぁ、親父。」

 そして高峰も食べ終わろうという頃、一つ問いを投げかけた。

「うちの組が裏切りに厳しいってのはここいらじゃ評判ですけど、なんか理由とかあるんですかぃ?」


 男は飲んでいたお猪口を机に置き、タバコを咥える。すかさず火をつける高峰。そのまま一吸いして煙を吐いた後に、まだ煙が漏れる息で口を開いた。


「これは誰にも話したことのねぇ話だ。なんせ情けねぇ話だからよ。」


 そう言って、男は昔を懐かしむように話を始めた。



 あれは10ほど昔の話だ。俺の親父が生きてた頃の。

 あんとき、俺は清水組ってチンケな組にいてな。組ん中でも出世頭だった。若頭補佐まで登ってよ。バブルも有って、上手いこと土地転がしてりゃいくらでも稼げる時代だった。其れも有って、俺は随分なカネを組に収めてたんだ。

 単純に言えば、稼いでた。そりゃ誰の目から見ても明らかだったろうよ。高ぇ服、靴、時計、車…。そんな暮らしをしてりゃ、自然と女も寄ってきた。毎日女とディスコに行き、毎日女とホテルへいったさ。思えば、あん時が一番幸せだったんだ。




「随分いい暮らしじゃないっすか。夢のようですよ。」

 男はお猪口を片手にふふっと笑い、天井を仰いだ後にお猪口の中へと視線を落とし、噛みしめるように夢のようだったさと言う。




 そんな暮らしをしていたある日、俺は或る女に声をかけられた。忘れやしねぇ。名前はマキつった。いい女だった。当時にしちゃ珍しく、髪は肩口で切ってさっぱりした印象だった。そいつは…行きつけだったキャバの嬢でな。……ヘビみてぇだと思った。最初見たときにな。まだなんでそう思ったのか分からねぇが、そいつのはっきりした目を見たときにそう思ったんだ。話すと頭の回転も早かったし、何より彼女自身が俺に迫ってきたのも有って、俺らはすぐにそういう関係に落ち着いた。


 借りてるマンションに彼女を住まわせて、キャバの仕事もしなくて良いようにカネも随分渡したさ。俺は本気で惚れ込んでた。マキを俺意外に渡したくなかったんだ。青臭い独占欲ってやつだ。ずいぶん長くそのままの暮らしを続けた。俺は彼女を疑いもせずに日中一人にして稼ぎ続けた。


 3年ほど経ったある日の夜のことだ。ちょうどマキから妊娠の報告を受けた日のことでな。親父からの呼び出しに渋々向かった俺はレンコン2丁とドスを渡された。そして親父は俺にある仕事を頼んだ。鈴木会…当時仲が悪かった組の若頭を取ってこいってなもんだった。秘密裏に計画を進めていたが、ちょうど其の日に外食をするから其の隙に殺せと。俺は渡された道具握りしめてそいつのもとへ行った。護衛はほぼ居ないはずだった。だが、俺を何人もの筋モンが取り押さえた。

 バレてたのさ。いや、情報が渡されていた…と言ったほうが良いかもしれねぇ。鈴木会の若頭と会長は、殴られ蹴られ、ボロ雑巾見てぇになった俺の前で、親父から俺を消してくれと頼まれたと言いやがった。俺は信じられなかったさ。渡世の親に裏切られたんだ。だが、丁寧に書面でやり取りしてやがったよ。俺を消すのに1億。親父は1億出して俺を消そうとした。




「ひでぇ話じゃねぇっすか。親父はそれで?」

「まぁ待て。これで終わりじゃねぇんだ。」

 男は燃えつきかけているタバコを灰皿へと押し付け、手酌で日本酒を注いだ。




 俺がなんで生きてるかって話にも関わってくるが、俺はそん時もう頭に血が登っちまってな。だが、そんときはもう体もズタボロでどうしようもなかった。そんなとき、鈴木会会長は俺に言ったのさ。親父のタマを取ってくればナシにしてやるってな。


 ……俺に選択肢なんざなかった。愛した女に一人で子供を産ませるわけにはいかねぇ。所詮はヤクザ。ろくな死に方をしねぇのは承知でも、其の時ばかりは死ぬわけにはいかなかったさ。親に逆らうことになってもな……。だから俺は…俺の親父を裏切った。




 店内の喧騒の中にあって、男と高峰のテーブルだけは異様に静かだった。男はお猪口の中に揺れる自分の顔をぼぅッと眺め、高峰は口を開けずに居た。




 ボロボロの体引きずって、組に帰ったさ。なぜか夜番は居なかった。ビルの外からは、親父の部屋にだけ明かりが付いてるのが見えた。レンコン二丁は鈴木会に取り上げられちまったが、取り上げられなかった懐のドス握りしめて、俺は組事務所の階段駆け上がった。組長室には行けなかった。俺が事務所に入ると、親父の部屋からマキが出てきた。家にいるはずのマキが。


 俺は目を疑ったさ。こういう仕事長くしてると、そういうことをやった後の女なんて見りゃ分かっちまう。手触りの良い髪は汗を吸って湿ってるし、シャワーもない事務所なんかでその匂いはごまかせやしねぇ。

 俺はその日、二重の意味で親父から裏切られたんだ。マキに気遣う余裕なんかなかった。こめかみとみぞおちが溶けた鉄みてぇに熱くって、俺は…親父を刺した。腹に、手足に、胸に、首に、ドスを何度も突き刺したさ。

 何分経ったかも分からねぇぐらい、俺は狂ったようにドスを振り下ろし続けてた。気がつけば、血の海だ。立ち上がると、マキが腰を抜かしてた。いつもは俺に笑いかける顔が、そん時は真っ青になって震えてやがった。俺は聞いたさ。なんでだって。マキは口を開いたが、俺はその前にマキを床へ倒し、胸にドスを突き立てた。キスをしながらな。くぐもった声で叫ぶもんだから、2回、3回と突き立ててるうちに静かになりやがった。マキの血が混じった唾液を吐き捨てると…なんだか馬鹿みたいに思えてきてな。




「その後は…どうしたんですかい?」


「鈴木会の連中に落ち着くまで暫く預かられたよ。今は、鈴木の会長から独立して組持たせてもらってるってわけだ。」

 お猪口の酒をぐいっと飲み干し、徳利が空になったことを確認すると男は席を立った。財布から10万円ほど取り出し、高峰に渡す。

「くだらねぇ話聞いてくれた礼だ。今日はこれで遊んでこい。」

「へい、ありがとうございます。」

 そして立ち去りかけた男だったが、ふと足を止める。


「お前は俺みたいになんじゃねぇぞ。」


 そう言って今度こそ男は立ち去った。残された高峰は会計をしようとすると先に払われていたために一人で店を出た。ドアをくぐった瞬間、店内とは違った夜の喧騒が身体を包み込む。呼び込みの声、女の騒ぐ声、借金の取り立てであろう怒鳴り声。

 高峰は懐からタバコを取り出し火を付け、電話をかけた。半年ほど前から足繁く通い、私的にも付き合っているキャバ嬢へと。たしか今日は出勤日じゃなかったはずだから、親父からもらったカネで遊ぼうと考えながら。


 果たして、電話はつながらなかった。

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