第2話 ミラの真意

 洗礼式から1年が経った。

 水と緑に恵まれた大地、グリューネルデ大陸。その中でも最も大きな力を持つと言われるノルトハイム王国にある地方の町、ヴァイルブルクの片隅にある小さな店。その飾りのない小部屋で黒いフードを被ったローブ姿でセリアが、30歳前後の大きな男の前に座っていた。


「ペーターさんが呼びたい人のお名前は?」


 鈴の鳴るような美しい声でセリアがたずねた。

 少し緊張気味な面持ちで、ペーターが答える。


「ミラだ」

「何年前に亡くなられた方ですか?」

「15年前だ。いや、16年前だったか。俺が16歳だったときだから、16年前だな」

「そこを間違うとお呼びできないかも知れませんよ?」

「あ、うん。大丈夫だ。16年前に間違いない」


 セリアは手元に置いたベージュ色をした亜麻紙に木炭でメモをとり、ペーターの目を見ることなく質問を続ける。


「ミラさんのご両親の名前はわかりますか?」

「母親はエミルだ。父親は、知らん。いや、思い出せないんだ。怖い人だったってことは覚えているのだが」

「ペーターさんから見たらそうかもしれません。でも、ミラさんにとっては優しいお父様だったかもしれない。余計な返事は要りません」


 セリアが紙面から目線を上げ、上目遣いに、しかし睨むように言った。

 その凄みのある視線にペーターは少し気圧されたのか、ゴクリと唾を飲み込んだ。


「うん、わかった」

「ミラさんが住んでいたのはどこですか?」

「東居住区の二番街だ」

「ありがとうございます。代金は金貨1枚、銀貨6枚ですがよろしいですか?」

「金貨1枚と銀貨5枚じゃないのか?」

「お呼びする方が亡くなって16年なら金貨1枚、銀貨6枚。こちらに置かれた蝋燭が消えるまでの時間だけ、ミラさんをお呼びすることができます。価格交渉、時間延長は受け付けておりません」


 テーブルには5㎝ほどの獣脂蝋燭が1つ立てられている。時間にして10分ていどで燃え尽きる大きさだ。


「チッ、仕様がないな……」


 ペーターはポケットから革袋を取り出し、そこから金貨1枚、銀貨6枚をテーブルの上に並べた。

 セリアはそれを確認し、肩から掛けている鞄の中から革袋を取り出して仕舞う。


「それで、今日はどのような要件で呼びするのです?」

「し、真実を知りたい。16年前のあの日の言葉の真実が」


 ペーターの声が震えた。セリアが再び目線をペーターへと向ける。

 ペーターは左右の手を膝の上に置いて、俯いたまま震えていた。ぽたりぽたりと薄汚れたズボンの上にシミが広がっていく。

 セリアは小さくため息を吐くと、すすり泣くペーターをただじっと見つめていた。


「泣いているだけではお呼びすることができませんよ」


 セリアはペーターが少し落ち着くのを待って声を掛けた。


「ん、ああ、すまん」

「16年前に何があったのです?」

「聞いてくれるか?」

「それが仕事ですから」


 セリアはテーブルの上に両肘をつき、組んだ手の甲の上に顎をのせた。その視線は先ほどとは打って変わり、どこか慈愛の籠った優しい目に変わっていた。


「俺が15歳でこの町に出てきたとき、乗合馬車の中でミラと出会った。とても美しく、可愛らしい女の子だった。他にも乗客はいたというのに、ミラの後ろから光が差しているように見えたんだ。女神様が本当にいるなら、この子のような顔をしているんだろうと思ったのを覚えているよ」

「そうですか、それで?」

「なんとかお近づきになりたいと思っていたら、偶然にもミラは東居住区の2番街、俺の家は12番街だった」

「ちょっと待って、東2番街と東12番街!?」

「そうだ」

「それって、北東の端から南東の端くらいあるわよね」

「同じ東居住区じゃないか」

「いやいやいや、歩くと20分くらいあるわよ」


 地球の距離にして1㎞ほど離れているということらしい。

 でもペーターは何も気にせず話をすすめていく。


「また会えないかと思って毎日のように2番街を通って仕事に通ったんだ。そして2週間くらいした頃かな、ミラが買い物にでかけるところに出くわしてさ、初めて声を掛けたんだ……」


 ペーターの勤め先がどのあたりにあるのか……それがとても気になるセリアだが、ペーターは家の場所についてもう話すことはない、とばかりに話を続けた。

 そこからペーターの話は10分くらい続いた。何日おきに買い物に出るのか、買物に出るのは何時くらいか、どこに買い物に行くのか……あとをつけてミラのことを調べ上げたと自慢気にペーターは話した。

 ストーカーまがいのことをしていたように聞こえるが、他の連絡手段がない以上、これがペーターにできる精一杯だった。

 ペーターの話はまだ続く。


「何度も誘って、何度も断られて、でも諦めずにデートに誘ったんだ。半年くらいかけてね」

「どんな誘い方をしたの?」


 ただ聞いているだけだと眠くなりそうなのか、セリアはたまにこうして質問を投げかける。ペーターは余計に調子にのって話をした。


「お祭りがあれば一緒に行こうと誘い、その時期の花を見つけたら一緒に見に行こうと誘ったかな」

「意外に普通なのね」

「ミラは俺よりも1歳下でね、ちょうどミラの誕生月がきたときに『一緒にプレゼントを買いに行こう』と誘ったんだ。そしたら、『もう、しようがないわね』と言って、初めてデートすることになったんだよ。あのときの笑顔は忘れられないなあ」


 セリアにはペーターが完全に貢がされているように聞こえたのだが、そこを突っ込む間もなくペーターは話し続ける。

 ペーターは完全に自分の世界に入ってしまったようで、そこからまた10分ほど昔話を続けた。どのようなデートコースで何を食べ、どんな話でミラが笑ったかまで事細かく話した。

 少しペーターの話に飽きてきたセリアは、焦れたように言った。


「それで本題だけど、『16年前のあの日の言葉』っていうのは?」

「そうだな。2回目のデートのときにパルムスの丘まで行ったんだ。そこで告白したんだけどさ」

「うん、細かいお話はいいわ。結局お付き合いすることになったの?」

「そうなんだよ。2つ返事で付き合うことになったんだ。それからは……」

「待って! 待って、待って」


 ペーターが延々と話を続けようとするので、慌てて両手を広げたセリアが静止した。


「それで『16年前のあの日』はいつなの?」

「ミラが亡くなる2日前のことだ」

「ミラさんは何て言ったの?」


 セリアが質問すると、ペーターは天を仰いだ。


「……デートの帰り、ミラの家に近づくにつれて彼女は口数が減っていった。そして家の前に着いたとき、ミラは『別れよう』と言ったんだ」

「それだけ?」

「それだけだ」


 天を仰いだまま、ペーターは目頭を摘まんでいた。

 セリアは口を開けたままその様子を見ていたが、ハッと我に返ってもう一度たずねる。


「ほんとうにそれだけ?」

「そうだ。『別れよう』と言ってそのまま家の中に入り、出てこなくなった。翌日、彼女は熱を出して倒れ、その次の日に亡くなった。俺は彼女が、ミラが自分の死期を知って別れ話を切り出したようにしか思えなくてね。恋人同士のまま自分が死んでしまったら『俺がずっと引きずるんじゃないか』と心配してくれたのだろう、そう思っているんだ」

「なるほど、ペーターさんが嫌われたからではなく?」

「実は俺がミラの死を知ったのは10日後のことなんだ。嫌われたことに絶望して、自暴自棄になって何もできなくなっていたんだ」


 セリアはまた溜息を吐いた。ペーターがまたすすり泣きを始めたからだ。もう30分以上も話を聞いているが、もしかすると外に客が並んでいるかもしれない――そう思うと、セリアは気が気ではなくなってきた。


「それで?」

「ああ、すまない。俺はミラと一緒になれないのなら、死のうと思った。でもその前に、最後にミラと話をしたくて彼女の家に行ったんだよ。そこでミラが亡くなったことを聞いた」

「そうなのね。それでどうしてミラさんがペーターさんのことを心配していたことになったのかしら?」

「彼女が亡くなる直前まで恋人同士だったら――俺はすぐに彼女を追いかけて命を断っていたと思う。でも、彼女が死ぬ前にたったひと言『別れよう』と言うだけで、俺が彼女の自宅に来ることを10日も遅らせることができた」

「確かにそうね。まあいいわ、ミラさんを呼んであげる」

「頼む」


 セリアがテーブルの上に大きめの亜麻紙を広げると、中央に皿に乗った獣脂蝋燭を置いた。続いて、木炭を使って亜麻紙に魔法陣を書き始める。最初に三角形を1つ、続いて上下逆になった三角形を描いて六芒星をつくる。その外側に円を描き、更に外側に円を描くと、文字のようなもの、絵柄のようなものをいくつも書き込んでいく。


「お呼びします」


 木炭の動きが止まり、セリアが言った。

 ペーターはこれから出てくるだろうミラに会うため、期待を込めた目をしつつ居住まいを正した。


《サモン》


 つぶやくと同時にセリアが指先で六芒星の頂点に触れると、木炭に火が着いた。火は亜麻紙全体に一気に広がると、蝋燭を灯して燃え尽きる。直後に黒い煙と煤が舞い上がり、亜麻紙があった場所からプラチナブロンドの髪に、碧い瞳を持つうら若く美しいゴーストが現れた。


「おおっ!」


 現れたゴーストを見て、ペーターが驚きの声を上げた。

 全裸ではあるが、半透明のゴーストはミラに向かってお辞儀をする。


「お呼びいただき、ありがとうございます」

「あなたは、16年前にこの町の東2番街に住んでいたミラさんでいいかしら?」

「はい、ワルドとエミルの娘、ミラです」

「後ろに、ペーターっていう人がいるの。ご存知?」

「はい、元恋人です」

「お話ししたいことがあるそうよ。まずは挨拶してあげて」

「はい」


 ミラは一礼してセリアに背を向けた。その正面にはペーターが滂沱のごとく涙を流し、ミラを見つめていた。


「久しぶりね」

「ああ、久しぶりだね」

「老けたわね」

「ああ、そうだな」

「いい人、できた?」

「いや、縁が無くてね」


 ゆっくりと、そして淡々と二人の会話が続いていく。


「ほんとうに?」

「ああ、君以上に魅力的な女性に出会うことがなくてね。最初に君に出会ったことを後悔した日もあったくらいだよ。君は俺の中でもあの頃のまま、俺だけこんなにも年をとってしまった」

「何を言ってるのよ、私が止まっただけ。あなたは生きているんだから年を重ねるのは当たり前じゃない」

「そ、そうだな」


 ペーターが天使のようだと言っていたもの理解できるほど、ミラは美しい女性だった。どこかあどけないところが残っているのは、15歳という若さで亡くなっているからだろう。

 セリアはそろそろ本題に入るべきだと思ったのか、2人の会話に割って入る。


「ではそろそろ本題に入ります。ゴーストとはいえ、人に嘘をつくことができます。ミラさんは私を主人として現世に呼び出された召使のようなもので、私の質問に対しては嘘をつくことができません。だから、私からミラさんに質問します。いいですね?」

「はい、わかりました」


 事前にペーターさんには一度説明を済ませているので返事も早い。

 本音で言うと、もっといろんなことを聞き出したいと思っているだろうが、セリアが嘘偽りのない返事を求めるのは1つだけと決めている。理由はゴーストに対して負担が大きいから。2つ、3つと質問をすると、ゴーストの力が弱まってすぐに輪廻の渦に巻き込まれてしまう。

 もっと話をしたいというなら、日を改めてゆっくりとたずねてもらえばいい。


「はい。では、ミラさん。亡くなる2日前にペーターさんに『別れよう』と言ってそのまま自宅に入られたとか。その真意をペーターさんは知りたいそうです。教えてあげてください」

「はい、畏まりました」

 ミラは丁寧にも私のほうへと居住まいを正して返事をし、またペーターの方へと向きを変えた。


「私がペーターに別れようと言ったのは、死期を察知していたわけでもなく、嫌いだったわけでもありません。ただ、ペーターはデートのたびに借金を作っていたことを知ったのです。借金が嵩むと結婚なんて夢のまた夢。だから、生活を立て直して欲しいと思って『別れよう』と言いました」


 この世界は身売りなんて当たり前に行われる、弱者には厳しい世界だ。借金して結婚しても、その借金のカタにミラを取られたら意味がない。

 ペーターは驚いた顔で、そのまま椅子の上から動けなくなっていた。


「借金はどこから情報が入ったの?」


 セリアは更に返答を求めた。


「いつも私が欲しいものを買ってくれるので怪しいと思っていたら、ペーターの勤め先で給料の前借などしていることがわかったの。お金の問題は、夫婦の中も一番大事だから、きちんと整理しておかないといけない。そう思って『別れよう』という言葉がでました」

貢先みつぎさきが無くなれば借金が返済できる、そう思ったのね」

「そのとおりです」


 セリアはペーターの方へと視線を向けた。ペーターはあまりに意外な返事で目をぱちくりとさせて驚いていた。


「ペーターさん、今、借金はどうなりました?」


 ミラがたずねた。


「とっくに返済完了しましたよ。でも確かに当時は首が回らなくなる寸前だったかもしれません」

「ダメ人間ね」


 ペーターの言葉に、セリアは辛らつな言葉を浴びせかける。


「やっぱりそう思いますよね?」


 ミラが同意を促すように言った。


「自分に自信がないから、お金の力にものを言わせて流行りのものやブランド品を使いたくなるのはわかるね。でも最初は上手くいくけど、後々は地獄しか残らないわ」

「摘んだお花にゃ水やらぬ、ってやつね。でも、借金を完済してくれたら、よりを戻すことも考えていたの。結果的に私が死んでしまって、それもできなくなってしまったけれど」


 どこか遠くを見るようにして、ミラはとても残念そうに話した。


「そろそろ時間になりそうだわ。まとめると、ミラさんが亡くなる2日前に別れを切り出したのはペーターさんの借金が理由。以上ね?」

「そうよ」

「…………」

「ペーターさん、納得したかしら?」

「あ、う、うん」

「じゃあ、残りの時間は好きなお話をするといいわ。思い出話をするもよし、ミラさんが亡くなったあとに起こったことを報告するもよし。すべてペーターさんにお任せします」


 セリアがペーターに話の主導権を渡した。ペーターは思いつめたような顔で話した。


「お、俺は……今からでも後を追いたい、と思ってる」

「何馬鹿なこと言ってるのよ。16年も遅れて追いかけてきたところで、私の方が先に輪廻の環に入ってしまうじゃない。更に16年後になってペーターが輪廻の環に入ったところで、運よく私の子どもで生まれるかどうか……ってところじゃないの。私はそんなの嫌よ」

「じゃあ、何だったらいいんだ?」

「そうね、女神様に二人一緒に転生できるようにお願いしてからにしてちょうだい」

「ミラ……俺を待っていてくれるっていうのか?」

「待つもなにも、幽世かくりよでは時間が止まるみたいなの。こうして呼び出されたときだけ、現世うつしよの時間というものを感じることができるのよ」

「じゃあ、俺が女神様にお願いするよ」


 蝋燭の長さが残り5㎜ほどになり、炎が明滅を始めた。


「そろそろ時間です。お別れの言葉を」

「ミラ、今日はありがとう。胸の中に残ったモヤモヤがすべて吹き飛んだような気がするよ。でもまだ君が好きだ。愛してる」

「私もよ、あなたを……」


 無情にも蝋燭の炎が芯に燃え移り、一気に燃え上がると何の未練もなく消え去った。

 同時にミラの姿が消え、テーブルには蝋燭の燃えカスが載った小さな皿だけが残った。


「……ミラ」


 つい数秒前までそこにいたミラを探すようにペーターは手を伸ばした。その手は空気を掻くばかりで、何かを掴むことはできなかった。

 やがてペーターはまた両手で左右の膝を押さえ、俯いて泣き始めた。

 セリアは再び溜息を吐き、優しく声を掛ける。


「ペーターさん、満足できましたか?」

「……はい、ありがとうございました」


 頼りない、呟くような声だが、その返事には迷いは感じられなかった。


「では、これにてご依頼は完了ということで」

「はい、ありがとうございました」


 服の袖で涙を拭きながらペーターが立ち上がった。椅子を元の位置に戻すと、ペーターがセリアの方へと視線を向けた。

 セリアは泣きつかれたような表情をしているペーターに向けて言った。


「女神様は、先に逝った人を追うような方の願いは聞き入れません。あと何年かかるかはわかりませんが、ペーターさんは残りの人生を全うしてください。それが今のペーターさんに与えられた女神様からの使命です」


 扉を開いて出て行くペーターに向かい、セリアは言った。


「そ、そうですね」

「ゆめゆめ、忘れることなきようにお願いします」


 男の背中はどこか寂しそうだが、足取りはしっかりとしていた。


「さて、出てきていいわよ」


 店に戻ったセリアは、扉を閉めて誰もいない部屋の中で声を掛けた。

 すると、さきほど姿を消したはずのミラがテーブルの上に浮かび上がるように現れた。


「いえ、依頼とはいえ、私の大切な人に会わせてくださり、ありがとうございました」

「いいのよ、お仕事なんだし。でもさ、本当にあれでいいの?」

「ええ、他に男を知りませんし」

「でも、どうして『別れよう』としか言わなかったの?」


 セリアは不思議に思っていたことをミラにたずねた。普通は理由のひとつくらい告げるのではないかと思っていたからだ。

 その質問にミラはフッと強張った表情を緩めた。


「自分の意思が揺らぎそうだから、かな」

「なるほど」


 例えペーターが借金まみれであっても、話をすればするほど、別れづらくなってしまう。でもそれではペーターの借金は増える一方だ。

 セリアは納得したようで、ゆっくりと数回頷いた。


「それに、女神様も約束してくれるとは限らないでしょう?」

「ああ……」


 セリアはミラが追加した言葉を聞き、どこか遠いものを見るような目で、視線を宙に泳がせた。


「そうね、あの女神様は気まぐれですから」

「なんだかお友だちのような口ぶりですね」


 ミラはセリアの様子を見てウフフと笑いながら言った。


「まあね、私もいろいろあったってこと。さあ、そろそろ帰ってもらうわね」

「はい、ありがとうございました」

《リリース》


 セリアが契約からの解放を宣言すると、ミラはその姿を消した。


「恋かあ……」


 セリアはそう呟くと、ミラが消えた後のテーブルの片づけを始めるのだった。







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