04 この契約は無しだから


 

「どうも、先ほどお伺いしたクリア・アソシエーションの高田です」


 トントンとノックをしてドアを開けたあと挨拶をすると、「あ、はい」と立ち上がった事務員が返事をしてくれ、そして後ろにいる社長を見た。


 事務員の視線に合わせて同じく社長を見ると、これでもかという笑顔を浮かべた社長が再び応接室へと僕を招く。


「まぁまぁ、呼び戻してごめんなさいね。さ、どうぞ奥へ」



 ・

 ・

 ・



「実はね。さっきの契約で気になるところがあって」

「え、そうなんですか」


「そうなのごめんなさい。もう会社にFAXとか、送ってしまったかしら」

「いえ、まだですが」


「あらそう。じゃ、もう一度書類を確認させてもらいたいんだけど」

「なんで、でしょうか」

「いいから、早く」


「あ、はい…ですが……」



 応接室のソファーに再び向かい合わせに座り、穏やかに僕に喋り掛けてくる社長を見ながら、嫌な予感しかしないこの場面で契約書なんて出したくない、そう思いつつも、


 まだ社長のことを舐めて掛かっていた僕は、とりあえずはとクリアファイルに挟んだ契約書原本をカバンから取り出す。



「失礼いたします」


 契約書を出したのと同時に事務員がお茶を運んできたので、お茶に対してのお礼を言わなくては、と事務員の方へと顔を向けた瞬間、僕の手からそれがサッとかすめ取られた。


「社長?!」


「この契約、破棄するから!」


「いや、無理ですって!」



 社長は契約書一式を挟んでいるクリアファイルを胸に抱え込み、何度も「これ無しだから」と言い張っていた。





 *******





「いや、だからこれは法人の契約になるので、クーリングオフは出来ないんです」


「でもまだ、会社に提出してないじゃない」

「そうですけど、普通に考えたら印押して相手に渡した時点で完了ですから」


「高田さんが破棄すれば、なかったことにできるんじゃないかしら」

「いや、だから」


「なんなら私が今破ったり、シュレッターしちゃえば証拠はゼロよね」

「………」


「コピーもまだ無いだろうし」

「………」

「だから諦めて帰ってくれないかしら」

「無理です…」




 さっきから不毛な言い合いを繰り返してばかりで疲れてきた僕は、少し落ち着こうかと何気なく横を向く。


 すると何時間か前と同じようにこちらを見ていた事務員と目が合った。


 ただ何時間か前と違うのは、社長と僕は大きめな声で言い合いしているので話の内容が筒抜けだということだ。


 そのせいか事務員は心配ではなく楽しそうな顔をしていて、ちょっとザマーミロ的な雰囲気も出してきている。



 なんか辛い……

 そして凄くムカツク……

 契約書奪われました、なんて会社に相談も出来ないし……



 そう考えていた時、ふと思った。


 この社長、契約した時には僕のことをウットリと見つめていたから、きっとこの顔はかなりタイプのはず。


 最初に簡単に契約してくれたのも、確実に僕の顔のせいだ(と思う)

 だから僕に好かれたいし会いたいはずだ、って。



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