第2話 怪物

「人喰いモンスターとは、何の冗談だ?」


 ヒースがスキンヘッドに青筋を浮かべて唸った。

 目が覚めたらわけのわからない部屋の中。ろくに説明もないまま、アトラクションみたいなタイトルコールをされては、彼でなくとも苛立ちを覚えるだろう。

 しかし、相手はそんな気持ちを慮る素振りすらなかった。


『やっぱり気になっちゃう? なっちゃうよね! じゃあさっそく紹介しちゃおうかなー。ドロドロドロドロドロ……タァダーーン! こいつこそ血に飢えた最恐最悪のプレデター、ブラッディトゥースだー!!』

「「ッ!?」」


 口頭ドラムロールでモニターが切り替わると、ヒースと木内は顔色を失なった。

 画面に現れたのは、ドス紅い鎧に身を包んだ怪物だった。映っているのはどこかの廊下らしいが、上下左右の幅いっぱいを埋め尽くすほどの巨体の持ち主だ。形はヒグマに似ているものの、鎧のせいで正体ははっきりしない。鋭い牙の並んだ顎と頑強そうな前足ばかりが、やけに大きく発達しているように見える。


 だが、男たちから声を奪ったのは、怪物の恐ろしげな姿ではない。画面の端にただの人間が映っていたからだ。

 不健康そうな顔をした、チンピラ風の男である。チンピラは金網一枚の隔たりもなしに怪物の眼前に立たされ、恐怖で縮み上がっていた。


『や、やめろ。来るんじゃねえ!』


 チンピラは腰が抜けたのか、その場に尻餅を着いて逃げることもできない。

 せめてもの抵抗として手足を振り回しているが、蹴っても殴っても怪物は蚊に刺されたほどの反応も示すことなく、のそのそとチンピラに歩み寄ると、耳まで裂けた顎を開いて――


『いやだ! やめろやめろやめろやめたすけいぎぃやあああああああ!!!?』


 悲鳴、泣き声、呻き声。

 潰れる音、裂かれる音、千切れる音、折れる音、砕ける音。

 啜り、頬張り、咀嚼し、嚥下する音。


 とても現実とは思えなかった。

 しかし、それはCGや特殊メイクとは一線を画した鮮烈な生々しさを有している。その肉感たるや、画面越しにニオイや温もりが伝わってくる気さえして、耐えかねた木内が口に手を当てベッドの陰にうずくまってしまった。


『どうだい、いい具合に仕上がってますでしょ~。これは本日のゲームも期待できそうだね!』


 スピーカーからの声はあくまでも愉しくて仕方ないといった様子だった。

 グロテスクな映像は最後の最後まで(ご丁寧にも画面右下に再生時間が表示されている)続き、それが終わると戦慄く二人を嘲笑うかのようにポップなイラストに切り替わる。


『キミたち二人には今から、ご覧になった怪物ちゃんと鬼ごっこしながら迷路に挑戦してもらいま~す!』

「ふざけるな! 俺はこんな……」

『はいはい。「聞いてないよ~」とか「やりたくな~い」とかいう下りはカットね。みんな見飽きてるでしょ、そんなありきたりなやつ』


 ヒースの抗議は『やっぱヤダは許可しないって契約書にも書いてるしね~』と黙殺。モニターに新たな文章が表示される。


『ルールを説明するね。

 キミたちのいる部屋は、迷宮の一番奥にあります。生きたまま迷宮の出口にたどり着くことができた人はゲームクリア。約束の賞金500万円を一人ひとりにプレゼントしま~す。どう、簡単でしょ?

 ちなみに、迷宮にはお腹を空かせたブラッディトゥースくんが徘徊している上に、凶悪トラップまで仕掛けられてるから、気をつけてね~』

「……なるほど、わかりやすいや」


 木内が口元をぬぐいながら悪態をついた。


「500万もくれるなんて一体どんなイカレ野郎かと思ってたら……あんなバケモンを出してくるとはな」

『直接バトれって言わないだけマシだと思うんだけどなぁ』と声は悪びれもせず、モニターをさらに更新する。


『ブラッディトゥースくんについて教えておけるのは3つ。

 ①、主に目と耳に頼っているため、嗅覚はそこまで良くないってこと。だから注意してれば見つからずにやり過ごせるかもね。

 ②、メチャクチャ強い! 銃で撃たれたって、ちょっとビックリするくらいでヘッチャラなんだ!

 そして③なんだけどぉ…………』


 妙なタメが生まれた。

 それまで立て板に水だった語り口が、もったいぶるように閉ざされる。不気味な沈黙に、ヒースと木内はいやな予感を覚えて、それはすぐに現実となった。


『ブラッディトゥースは


「……なに?」

「へぇ」

 提示された情報の意味を、二人は同時に相手の顔を盗み見て、互いに理解したのだと悟った。

 先ほどの動画では、怪物が成人男性一人を食べきるのにピッタリ1分かかっていた。それだけの時間を足止めすることができれば、逃げ延びられる確率は大きく上昇することだろう。

 問題は、どうやってエサを用意するのか、という点だ。


「……殺し合いは、しなくていいんじゃなかったのか?」

『もちろんさ。ボクが期待するのは、がんばってゴールを目指してもらうことだけで、プレイスタイルまで注文をつけたりはしないよ。殺るも殺らないもキミたち次第ってね』


 スピーカーの向こうにいる人物は、当然こちらの内心をわかっているのだろう。おくびにも出さずにとぼけているが、裏では悪魔のようにほくそえんでいるに違いないのだ。


『ああそうだ。ベッドの右隣に置いてある箱には、それぞれアイテムが入ってるから、迷宮攻略に役立ててちょうだいね~。他に質問がないならさっさと出発してもらうけど、別にいいよね? そんじゃ、グッドラ~ク!』


 ブツッ。

 それっきりスピーカーは停止して、代わりにベッド脇の小箱の蓋と、部屋の鉄扉からロックの外れる音がした。

 男たちは警戒心の滲んだ目で互いを窺いながら、小箱へと手を伸ばした。

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