第4話 あれを倒したら

 ルゥナは兵士を連れ、森の中へ入った。

『大狼』を追いかけて仕留める――そのための判断としては、間違ってはいないのだろう。

 問題は――勝てる人間がいるかどうか、という点だ。

 大きな身体だったというのに、すでにその姿や気配は感じられない――ルゥナは数名の兵士と共に、足を止めた。


「……まだ遠くに入っていないはずです。ここで仕留めなければ――」


 瞬間、視界に入ったのは大きな前足だった。


「領主様!」


 兵士の一人が、ルゥナを庇うように盾を構えた。

 だが、その力は凄まじく――呆気なく吹き飛ばされる。


「くっ」


 兵士と共に吹き飛ばされたルゥナは、自身の身体が赤く染まっていることに気付いた。


「あ……」


 呆気なく、ルゥナを庇った兵士は命を落とした――他の兵士達もまた、武器を構えて応戦しようとする。

 だが、わずか数秒の間に――全滅させられてしまった。

 ルゥナは震える手で、剣を握った。

 呆気なく、兵士達は殺されてしまった。

 仮に、ここで逃げ出したとしても、誰もルゥナを責めはしないだろう。

『大狼』はそれほどまでに脅威なのだ――無論、逃げられればの話であり、ルゥナはそもそも、逃げる選択をするためにここに来たのではない。


「……っ」


 だが、身体の震えが止まらない。

『大狼』が一歩近づき、ルゥナはまた、ビクリと大きく身体を震えさせた。

 人は呆気なく死ぬ――目の前の怪物は、人間が手出ししていい相手ではなかったのだ。


『……』


 さらに一歩、足を踏み出そうとした『大狼』は動きを止めた。

 飛び掛かれば、ルゥナを殺すのは一瞬のことだろう――それなのに、どうしてそこから動かなくなったのか。

 魔物の多くは、人間に比べると高い危機察知能力を持っていると言われている。

 ――とはいえ、自身よりも遥かに小さい少女から、自らの命の危機を感じ取るのは簡単なことではないはずだ。


「良かった、まだ無事だったんだね」

「……?」


 ルゥナはゆっくりと振り返る。

 ――そこには、先ほど出会ったばかりの少女、エルがいた。


「……!? エルさん、どうしてここに……!?」

「どうしてって、追いかけてきたんだよ?」

「追いかけてって……な、何を言っているんですか!?」


 ルゥナはすぐに立ち上がり、エルを守るように剣を構えた。


「す、すぐにここから逃げてください! あ、あれは、私が食い止めます!」

「さっきも言ったでしょ? そんな震える手じゃ、戦えないよ」


 そう言って、エルはルゥナの手に触れた。

 ――エルの手は、『大狼』を前にしても全く震えていない。

 どころか、彼女の表情はとても落ち着いて見えた。


「ね、ルゥナ」


 不意に、エルが笑顔を見せて、ルゥナに言い放つ。


「あれを倒したらさ。ルゥナ、私に美味しい料理、食べさせてくれる?」

「え、あ……倒せたらって、戦うつもりですか!? そんなこと――」

「作ってくれるのかくれないか、それだけ答えてくれたらいいよ」


 有無を言わさない、エルの言葉。

 ――彼女は通りすがりで、この領地とは何も関わり合いのない人間だ。

 縋ってはならないと思ったのに、あまりにも自信に満ちて、『大狼』にも臆さぬ彼女に、ルゥナは希望を抱いてしまった。

 ――もしかしたら、彼女は強いのではないのか、と。

 森で迷子になったということは、そもそも森を抜けようとしてきたのだ。

 魔物にも勝てる実力があるから、ここにいるのではないか、と。


「作ると、約束したら、あの化物を……『大狼』を、倒してくれますか?」

「わたしはそう言ってるよ?」

「なら――作り、ます。だから、あれを、倒してください……っ」


 そんなこと、無理に決まっている――そう思っていたのに、ルゥナはエルに願ってしまった。


「えへへ、じゃあ、約束ね?」

「あ、待って――」


 止めようとしたが、エルは剣を構えると、『大狼』の前に立つ。

 真っ黒な刀身――その中心部は赤く光るような線が入った直剣だ。


『……グルゥ』


『大狼』は低く唸った。

 ――兵士達と戦った時とは違う。

 否、兵士達とは戦いにすらならなかったというのに、エルを目の前にすると、警戒するような仕草を見せるのだ。

 そして、わずかに後ろに下がったところで、


「逃がさないよ」

『!』


 エルが駆け出した。

 瞬時に距離を詰め、『大狼』に斬り込んでいく。

『大狼』もまた、エルの動きに反応した。

 ――反応はしたが、後ろ足を斬られたようだ。

 大きく出血している――エルの剣から、赤色の血が流れた。

『大狼』も臨戦態勢に入る――理解したのだろう、彼女からは逃げられない、と。

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