ナギの告白
「結婚前夜の告白を行いたい」
ナギからカイトにその申し出があったのは、彼の結婚式も押し迫った春の終わりのことだった。
王宮最高位魔術師シュナギ・ユシュツカと、王宮魔術師リア・アストラの婚礼は、本人たちの希望と花嫁の体調により、ごく簡素に行われる予定だった。
「今時、そんなのまじめにやる奴いないだろ」
カイトは顔をしかめる。独身最後の夜に、これまでの異性関係の懺悔と花嫁への想いを友人に告白する、という古めかしい儀式は、今はほとんど形骸化している。4年前のカイトの婚礼でも、省略していた。正直、聞く側が照れくさすぎる。勘弁してほしい。
「……私の中の、けじめなんだ。協力してほしい」
ナギの瞳には思い詰めた光がある。死の呪いに侵され、切迫した中でリアを身ごもらせてしまったことを、ナギが痛切に後悔しているようなのは分かっていた。
「……分かったよ」
こいつ、クソまじめだからな。カイトは嘆息する。
*
「悪いが
ナギの書斎。カイトは麦の蒸留酒片手に向かいに座ったナギの固い顔を眺める。もうちょっと浮かれた顔したらどうなんだよ、と心の中でつぶやく。明日はお前の、結婚式だろ。
渡されていた、手元の手順書に目を落とす。
「ええと……『初めに問う。他の者とのかかわりで、花嫁への懺悔はあるか』」
「……特にないな」
即答かよ。やる意味あんのか、これ。
カイトは呆れてナギの顔を見直す。生まれる前から婚約者がいたせいか、ナギは昔から、異性にほぼ無関心だった。彼の家柄や素質、外見から、勇気あるご婦人方から散々粉もかけられたと思うが、多分本人は、彼女らの顔も認識していないだろう。
リアとの婚約を交わす前に、彼には2人婚約者がいた。今から考えれば、恋愛感情というものではなかっただろうが、彼は2人とそれなりにきちんと付き合っていた。しかし、ナギにとって、そのことは懺悔に値することではないらしい。確かに、家の決めた婚約者に彼の意図は含まれていない。さすがの割り切り。魔術師筆頭二家の一角、ユシュツカ家当主としての、ナギの一面を再認識する。
*
『花嫁と汝の、出会いを述べよ』
あの頃。ナギは目を伏せて思い出す。
腐食の呪いを受け、自分の魔力を使えなくなり3年。ナギの世界は灰色だった。どうしても、王宮で部下から魔力をもらい受け魔術を行うことに耐え切れず、ナギは王宮を出ていた。
下町で質屋を営み、そこで物についた精霊を祓っては、その魔力を掌にため、王宮に出向いて秘術を行う。力を使い果たし、空っぽの身体を引きずって、店へ戻る。その繰り返しの日々。
物心ついたころには自由に使っていた使い魔たちに使役を拒否された時、ナギは初めて死を意識した。自分の中の、魔術を行う力が、壊されていく。その恐怖に耐え切れず、ナギは寝食を忘れて書物に没頭した。みるみる自分の力が落ちていくことからは、目を背けていた。
背中に精霊を連れてやってきた少女に、得難い才能があることは、すぐに分かった。彼女が作った料理を初めて食べた時、ふいに自分の右掌に戻った魔力に、ナギは仰天した。精霊の力で同等の魔力を得ようとすると、1週間はかかる。
本当は、すぐにでも彼女を魔術師学校に行かせなければいけないことは、分かっていた。しかし、ナギはどうしても、それを彼女に告げられなかった。彼女と黒い犬との午後の時間は、ゆっくりと彼の世界に色を取り戻させて行った。
「でもまさか、その時から彼女に惚れてたってわけじゃないだろ。確かあの時、リアは14歳だ」
カイトはこの際だから聞いてしまおう、と、前から気になっていたことを口にした。
「そうだな、少なくとも一人の女性としては、私は彼女を見てはいなかった。当時の彼女は、私が初めて得た『家族』だった」
ナギの生まれたユシュツカ家は、魔術の名門中の名門である。その嫡子として、自分をも超える才能を持ち生まれてきたナギに、父は力を持つ者の矜持を示し、厳しく接した。母は、ナギを恐れていた。幼いころからナギにとって、家族とはぼんやり遠いものだった。
いつも毒見の後の冷めたスープをすすっていたナギにとって、リアの温かいスープは何にも代えがたいものだった。あの温かい生活を、ナギは手放すことができなかった。しかし、ナギのそのためらいが、あの夜の出来事を引き起こしてしまったのだ。店の結界は破られた。
*
「お前が、リアを女性として意識したのは、いつなんだ」
ナギは遠い目をする。
王宮の不可侵領域で過ごした初めの2年間を、ナギははっきりとは覚えていない。リアの料理を口にしなくなり、ナギの体力は恐ろしい勢いで落ちて行った。夢うつつの中、必死に秘術を行っていたことは、覚えている。
店での別れの日、リアに渡した魔石には、かつてのナギの魔力が込められていた。魔石からナギには、彼女の想いが微かに伝わってくる。本当に彼女が苦しんでいるとき、助けに行きたいと渡したものだったが、すでに彼には、不可侵領域を出て彼女の前へ姿を現せる力は残っていなかった。彼女は学校生活で、度々悩んだり苦しんだりしていた。ただ、一度もやめたいと願ったことはない。ナギを苦しめたのは、繰り返し聞こえてくる彼女の願いだった。
(ナギに会いたい)
あの店の書斎で、静かに涙を流す彼女の気配は、ナギの胸を抉った。
別れから2年たったあの日の託宣の相手は、リアだった。目を開いて、目の前に座る彼女の少し大人びた顔を見た時生まれた衝動を、ナギは今でもはっきりと覚えている。この子が魔術師になるのを見届けるまで、生き延びたい。彼女の姿を見た時、ナギは決意した。翌日から彼は、拒否していた弟子の魔力をもらい受け始めた。
「女性として、か。その時は気づいてはいなかったが、お前の結婚式だろうな」
ナギは静かに答える。
「お前が私を立会人に指名したのは、リアに会わせるためだったんだろう」
「当たり前だろ。それ以外に、お前を危険に引っ張り出す意味、あるわけない」
ひと月前から集めた弟子の大量の魔力を護符に込め、自身に不可侵結界を張って臨んだカイトの結婚式だったが、ナギの身体は重かった。
親族席の端に一人で座っているリアは、ナギにはそこだけ輝いて見えた。彼女に渡されたメレンゲを口にした瞬間、ナギの視界の霧は2年ぶりに晴れた。
私と一緒に、来てほしい。
思わず口から出かかった言葉を、ようやくナギは飲み込んだ。彼女の手を離すのは、身が裂かれるように辛かった。
*
「そこからあとはまあ、俺にも分かるよ。リアの焼き菓子は、言ってみりゃ、あの子の恋文だったもんな……」
せっせと運んでた俺やエリザベスは、いい面の皮だったけどな。つい皮肉を口にして、カイトは蒸留酒を含む。
3年間、届けられた焼き菓子を、一つ一つ大事に食べて、その度に息を吹き返す。その度にあの子を思い出す。それは、卒業式の日に暴走もするわけだ。
「あの日のことは、今思い出しても背筋が寒くなる」
王宮最高位魔術師が、軽率すぎたな。ナギはつぶやく。
「あのお前の血相見たら、お前の部下も思わず魔力あげちまうよな……」
カイトはしみじみつぶやく。
「軽率だったのは、そこだけではないがな」
ナギが苦々しくつぶやいた。カイトは思わず待ったをかける。
「そっから先は、さすがに聞きたくないわ」
「……まあそうだな」
ナギは自分の胸へ懺悔する。
秋の午後、リアの店の寝台でナギは仮眠を取っていた。魔術師学校の実習室から帰りしな、久しぶりに立ち寄った店だったが、書斎で形代に精霊の魔力を込める作業につい集中しすぎて、立ち上がれなくなったのだ。
リアの料理で外側の魔力をどれだけ補充しても、自分の中で腐食の呪いは進んでいる。ナギは改めて思い知った。どうあがいても、自分はもう、近いうちに死ぬだろう。
背後に、人の気配がした。リアが、扉に背を向けて寝ていたナギの隣にそっと滑り込んでくる。
「……リア」
彼女は、泣いていた。
彼女の涙と、くぐもった吐息がナギの背を濡らす。
ナギはこぶしを握り締める。
「ナギ。……愛してる」
初めて彼女の口からきいたその言葉に、ナギの目の前は真っ赤になり、背筋を甘い痺れが突き抜けた。
気が付くと、リアは彼の腕の中にいた。
*
「まあもういいだろ、結局お前もリアも、リアのお腹の子も無事だったんだから」
カイトはグラスに残った最後の一口をあおる。
「もうこれで、のろけ話はおしまいだ。明日は思い切り、楽しめよ」
さっさと立ち上がり背を向ける。
部屋には、微笑んだナギだけが残される。
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