挿話 ケイン先生とベス

 手間のかからなそうな子だな、というのが、魔術師学校入学の日にベスを見たケイン教官の感想だった。結局彼女の卒業まで6年間、その印象は変わらなかった。非常に優秀、優等生。教師としては、育てる面白みのない生徒。これが、ケインの、教え子としてのベスに対する総評だった。



 その印象がわずかに変化したのは、卒業試験の決勝を見返した時だ。下級生たちの教材とするため、精霊に記録させていたリアとベスの対戦の映像を、何度も繰り返し見返しながら、ケイン教官は首をかしげる。


(やっぱり、そうだよな。これ、わざとなのか、確認したいな)



「君さ、卒業試験の決勝の時、最後の技、止めたよね」


 卒業後、王宮魔術師の詰め所で同席した際、興味を抑えきれずにケインは口にした。


「いいえ、そんなつもりは。……どういうことですか」


 ベスは目を見開く。

 やっぱり、無意識か。ケインは得心する。

 自分の手刀が、リアの首に入る直前にスピードが落ちていたこと、そのことで、光獣の使用をリアに許したこと。説明され、彼女はため息をついた。


「……私は、自分の弱さに負けたのですね」

「いや、弱さ、とかじゃないだろ、どう考えても。まともな感覚持ってただけだろ」


 呆れてケインは口をはさむ。彼女は目を伏せ、唇をかんでいる。

 この考え方、少し危うい感じがするな。ケインは思う。しかし、彼女はすでに卒業生だ。ケインにできることは何もない。



 傀儡の王との戦いから戻った時、魔術師たちに囲まれる3人を後ろから眺め、ケインは違和感を感じた。


「君、ちゃんと怪我の治療した?」


 後ろから袖を引きベスに声をかけると、きょとんとした瞳が瞬く。

 そういえば、とナギがつぶやく。


「ちょっと、彼女借りていくよ」


 ケインはベスを引っ張って、人の群れを離れた。



 医務所は無人だった。


「怪我の場所はどこ」

「……背中です」


 ケインは顔をしかめる。しかし、治療を遅らせるのは彼の信条に反する。


「悪いけど、触らせてもらうよ」


 ベッドにうつ伏せにさせ、手をかざしてボタンをはずし、彼女の背中を確認する。あまり鋭くないもので裂かれたような、浅い傷が一条あった。


「……魔術で受けた傷は、何を置いても早期治療。俺の初めの授業で、何度も言っただろ」


 手をかざし治癒魔法をかけながら、低い声でケインは言う。


「毒や時間差で発動する術の危険性。戦闘が終わってから、命取りになることもあるんだぞ」

「……でもこれは、かすり傷です」


 淡々とした声が、なぜか癇に障った。


「君、それ良くないよ」


 常にない硬い声でケインは言う。


「自分の痛みを無いもののように扱うの、不健康だよ」

「……」


 背中を硬くし、ベスは答えない。


(しまった)


 自分らしくなく、ムキになった。途端にケインは反省する。弟子でもない独立した魔術師に、心持の高説を垂れるなど、心得違いも甚だしい。こういうところで、つい教職に就くものの悪い癖が出る。


 しばらくそのまま無言の時が流れたが、やがて静かに起き上がり、ベスの美しい瞳がケインを見つめた。


「……それでは、痛い時にはどうすればよいのですか」


 眉をひそめてケインは答える。


「そりゃ、痛いから治してくれって、周りの人に言えばいいだろ……」


 彼女は、まばたきもせずに彼を見つめる。その眼差しの痛々しさに、ケインはようやく理解する。

 やがて、その目は伏せられた。


「……先生。痛いので、治してください」


 つぶやくように言った後、彼女の目から一条、涙が流れる。

 そのまま声を押し殺し肩を震わせ泣き続ける姿を、ケインは呆然と見つめた。

 息をつくと、シーツにくるんだ彼女の肩を抱き寄せる。その華奢さに、一瞬ケインはぎょっとする。


「エリザベス、君はよくやったよ」


 静かに言い聞かせる。

 あやすようにゆらゆら揺らし、背中の傷を治してやりながら、ケインは心の中でつぶやく。


(……俺は教員失格だな)

(6年間、彼女をもっとしっかり、見ていてやればよかった)



(それにしても)


虚空をにらみ、もう一度ケインは唇をかむ。


(「名門アニサカ家」の大人たちは何やってるんだ。彼女はまだ18だぞ。もっとしっかり支えてやれよ)



 窓からは、暖かい月の光が差し込んでいる。

 彼女の微かな嗚咽が続く。

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