決戦(2)

 ナギが最後の形代を探った瞬間、稲妻が領域を駆け抜けた。


「ぐっ」 男のうめき声。

 霧が薄まり、傀儡の王の喉元に黒犬が食らいついているのが見えた。

 途端に犬の脚に絡みつく黒い糸を、ナギがとっさに口元からに放った形代が切り裂く。犬は飛びのき姿を消す。


(まさか)

 恐ろしい質量の炎の球が傀儡の王を襲う。王の姿が床へ向かい、溶けるように同化するのが見て取れた。

 炎が掻き消え霧の晴れた領域内には、ナギ以外の人間の姿はない。

(まさか)


 正面に傀儡の王の影が浮かび上がってくる。その足元を、不意に現れた黒犬が襲う。


(……光獣だ)


 ナギは絶望感に唇をかむ。光を操り、彼女が自分と式獣、そしてベスの姿を隠している。


「リア、だめだ、逃げるんだ」

「嘘つき。私を置いて死ねないのではなかったのですか」


 ここにはいないはずの声に、ナギは呻く。形代は一枚しか残っていない。



 その時。

 領域結界のすべての壁から無数の黒い棘が空間を刺し貫いた。

 視線を巡らす。

 黒犬の背が刺し貫かれている。


「いい魔力だ」


 ふいに男の声がした。

 傀儡の王の手元に、黒犬の傀儡がある。

 ナギは思わず目を閉じる。

 そのまま無数の棘は膨らみ始め、領域内の空間を埋めていく。視界の左上に、血しぶきが上がるのが見えた。棘に押しつぶされ歪んだ光の球から、血にまみれたリアの姿がぼんやりと現れ始める。

 ナギの視界がぐらりとかしぎ、その手から形代が滑り落ちる。



 瞬間。

 無数の水の槍が棘を切り裂いた。

 傀儡の王がにやりと頬をゆがめ、傀儡を空へ放つ。しかし、水の槍はそのまま、傀儡の王を貫いた。


(なぜベスの魔力が奪われない) ぼんやりとナギは考える。


「あきらめてはだめよ、お兄様!!」


 遠くで叫ぶ声が聞こえ、水をまとい回転しながら蹴りを放つベスの姿が見える。


「リア、お兄様の呪いを解いて!!」


 そのまま彼女の左脚は、ナギの傀儡を蹴り砕いた。

 

 

 機銃掃射のように水の矢が傀儡の王に降り注ぐ。

 目を開けたリアとナギの視線が絡んだ。

 瞬間、ナギの身体を炎獣の浄化の炎が包む。

 ナギは目を見開きわずかにかがみこみ、やがてゆっくりと顔を上げた。




 亜空間内に炎が吹きすさび、支配領域の壁は籠のように炎の糸で覆われていく。

 すべての棘が霧消する。

 ナギの右手は開かれ、頭上に突き上げられている。

 彼の瞳のような瑠璃色の輝きが、徐々に赤い炎を染めていく。

 圧迫感に、傀儡の王も、リアもベスも縫い留められ身じろぎすらできない。


(これが、ナギの魔力)

 

 ふいにナギの右手が握られ、瑠璃色の炎の籠は、傀儡の王ごと押し潰れた。



「リア」


 ぼんやりとリアは目を開いた。焦点が合うと、そこには瑠璃色の瞳がある。その瞳は、痛々しいほどに歪んでいる。


「ナギ」


 微かな声に、ナギの震える手が頬に触れた。


「もう、置いていかないで」

「……すまない」


 ナギの涙が、リアの頬を濡らす。


「お兄様。触ってはだめよ」


 静かにベスが引き留める。


「力が戻ったばかりで加減ができないでしょう。大丈夫、リアに深い傷はないわ」


 リアは静かに目を閉じた。



「それにしても本当に、男の人っていうのは」


 リアの傷にゆっくりと治癒魔法をかけながら、ベスはプンスカ怒っている。


「すまない。君たちは、……よく似ているものだから」


 傀儡の王の手元にあったのは、ベスの姉、マーガレットの傀儡だった。

 ナギから見ると、アニサカ家の姉妹はほとんど生き写しだ。傀儡の王が間違えるのも無理はない。


「こんな屈辱はないわ。全く、あのまま結婚しなくてよかった」


 まんざら冗談でもなさそうな響きに、思わずナギは首をすくめた。

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