傀儡の王
魔術師学校を卒業して半年。リアは、王宮魔術師として修練に励む傍ら、あの元質屋のキッチンで菓子作りを続けている。時々、まねごとで売ってみたりもする。評判は上々だ。
リアの作る料理がナギにもたらす回復の効果は絶大なもので、最悪の状態の時には一日の半分は眠っていたナギが、今では質屋をたたむ直前の体調程度にまでは回復していた。
(何でもっと早く、リアの作る料理が食べたいって言わなかったんだよ)
変なところで慎み深いナギに、友人のカイトは呆れていた。
*
慎みと言えば、ケインを筆頭として、部下の魔術師たちが精神力を削り取られていたナギの甘いオーラは、最近は少なくとも王宮内ではなりをひそめている。
「お兄様、見苦しくてよ」
ある日彼の執務室を訪れたふわふわの金髪の美女が、バッサリと切って捨ててくれたおかげだ。
ナギの元婚約者、エリザベス・アニサカは、名門アニサカ家の後継者として実家で修練を続ける傍ら、王宮魔術師の幹部候補生として王宮へも日参している。
リアとの婚約についてきちんと説明したい、とナギに呼び出された席で、ひとこと
「私を見くびらないで下さい」
とだけ答えたという、わだかまりが全くない様子の彼女は、かなりの女傑だとケインは思う。
*
体力が回復してからのナギは、魔術師学校の実習室に日々籠っている。学校の1年目で習う基本技術から繰り返す最高位魔術師の姿には、鬼気迫るものがあった。
「私の魔術の構成力低下は、単純に怠慢によるものだ」
初めに教官控室に実習室の使用許可を求めに現れた時、ナギは一言言い切った。
(やっぱり、かなわないな)
ナギの後姿を見ながら、ケインは思う。
受け継いでいる素質は最高のものであろうが、ナギの魔術を支えているのは、想像を絶する緻密な構成力だ。それは、知識と修練によって作り上げられる。
ナギの属性は火、専門は防御魔術。高位の魔術師の中でも、ゴリゴリの理論派である。
呪いを受ける前のナギの防御魔術は、芸術作品のように美しかった。彼の卒業試験を、下級生たちは夢中になって見つめたものだった。
平穏に見える日々。ただ、彼のあの美しい魔術の根源は失われたままだ。
*
「『
ある冬の夜、彼の自室に集められた面々、ベス、リア、ケイン、カイトに、ナギは静かに切り出した。
『
『
いずれにせよ、前ユシュツカ家当主が王宮最高魔術師に在位していた30年前、その者は突如として現れた。その者とユシュツカ家およびアニサカ家の魔術師により、5回に渡る激しい戦闘が繰り広げられた。両家の精鋭の魔術師の多くはその戦いで斃れ、今なおその者の力を押さえるために、現ユシュツカ家当主シュナギ・ユシュツカの命は日々削られている。
「10年前、最後の戦いでの奴の狙いは当初から、当時すでに王国最強の魔力を有していた、私だった」
ナギは淡々と語り始める。
『傀儡の王』の呼び名の由来は、その異能にある。その者に自分の姿を完全に模した人形、
最後の戦闘の時、父と婚約者の背骨と四肢を捩じられたナギは、一瞬の隙を突かれ傀儡の王に自らの傀儡の作成を許した。父が最期に放った転移魔術により、ナギと彼の婚約者、マーガレット・アニサカは傀儡の王の支配領域より逃れたが、マーガレットはまもなく命を落とした。ナギは、自らの魔力を傀儡の王に奪われることを避けるため、「腐食の呪い」を自らにかけ自分の魔力を封じた。
傀儡の王は、これまで自分と自らが作り出した傀儡の在りかである亜空間、「支配領域」より出てきたことはない。しかし、怨霊や精霊を使い、繰り返しユシュツカ家およびアニサカ家の当主および血縁の魔術師に攻撃を仕掛け続けている。
これが、ナギの話のあらましだった。
重苦しい沈黙が場に落ちる。
「先の戦闘より10年。私が奴の差し向けた怨霊と交戦し、不可侵領域へ居を移してから6年余りになる。皆の力を借りて、今私ができる準備はすべて整えた」
ナギの声は淡々としていたが、その瑠璃色の目は燃えていた。
「私も、お供いたします」
申し出るケインに向かい、彼は静かに言い放つ。
「傀儡の王の支配領域に足を踏み入れられるのは、ユシュツカ家およびアニサカ家の血縁の者のみ。私とエリザベスが、奴との交戦に臨むことになる。……リア、ケイン、カイト。あとを頼みたい。今日の会合は、それを頼むためだった」
*
「お前、どうしてリアに告白したんだ」
麦の蒸留酒を一口含んでから、低い声でカイトはナギに尋ねた。
ナギの書斎には、月あかりが斜めに差し込んでいる。口を引き結んだナギの硬質な横顔を、まだらな銀の光が照らしだす。
「黙って去るのとどちらが良かったというんだ」
いつもの静かな声で、ナギは答える。
「私が彼女に与えられるものは、すべて与えた」
カイトの目に、どこか必死にリアに愛をささやくナギの姿が浮かんだ。
「勝手だな」
カイトは息をつく。
「さっきの話、嘘なんだろ」
ナギの眉がピクリと震えた。
「どうせ勝手を言うなら、ついて来てくれって言ってやれよ。分かってるんだろ。あの子が、どうして魔術師になったのか」
「……それは、できない」
「それならどうして、あの夜、あの子に呪いを解いてくれと言ったんだ」
初めの日、あの子を、無理やりにでも追い返せばよかった。カイトはつぶやく。
「あの時は、それが私の希望のすべてだった。彼女の浄化の炎は、特別なものだ。呪いを解いても、侵された体はそのまま残る。だが、彼女の炎は違う。再生の炎だ。あの夜怨霊に侵されたお前が今こうして無事でいるのも、そのためだ」
ナギの瞳が閉じられる。
「……だが、そう、勝手だな。私は今、彼女に、何としても生きてほしい」
再び開いた瞳には、強い光があった。
「私の体の中では、今も腐食の呪いは進んでいる。傀儡の王を倒さなければ、私はもう長くない。宿願を果たすのは次代に託すつもりだったが、今の私は、万に一つの可能性に賭ける」
瑠璃色の燃え上がる瞳が、カイトをまっすぐに見据える。
「カイト。君に今日の会合に加わってもらったのは、彼女を支えてほしいからだ。もし私が死ねば、ユシュツカ家で
「まさか」
カイトの目が見開いた。
「彼女と、……彼女の子供を、支えてほしい」
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