卒業(2)
魔術師学校の卒業式は、厳かな中にも浮き立つ晴れ晴れしさがある。
卒業のしるしに与えられたローブを身にまとい、卒業生たちは抑えきれない喜びに沸き立っている。
「おめでとう、リア。お前、すごいよ」
リアの親族代理として参列したカイトは満面の笑みで彼女を迎えた。何ならちょっと涙ぐんでいる。近衛隊士の正装に身を包んだ彼は、ひときわ凛々しく際立って見える。
付き添いの華やかさの上に、首席卒業生として答辞に立ったリアには、殊更耳目が集まっている。リアは居心地の悪さに首をすくめた。
「お祝いは、店でしましょう。もう、仕込みはしてあります」
リアとカイト、カイトの妻のネレアは、懐かしい店へと向かった。
*
「エリザベス」
授与式を終え、奥の間を出ようとしたベスに、静かな声がかかった。
卒業生たちは、横目で二人を見ながら退室していく。
ベスは振り返らずに返事をする。
「お兄様、こんなところで」
「少しの時間、人払いしてもらった」
ナギの声は沈んでいる。
「君が、私との結婚を選ばないのであれば、その意志は尊重する」
静かな声。
「しかし、君が、もしも――マーガレットのことで今回の決断をしたならば、誤解は解いておきたい」
「私は、君を、愛している」
振り返り、ベスはナギの瞳の奥を見る。彼は、心から言ってくれているのだろう。チリチリと胸の奥が焦げる感覚がする。
「……知っています」
この人が、誠実であることは知っている。姉のことも、自分のことも、この人はきちんと、心から愛そうとしてくれていた。
「君のことを、誰かの代わりだと思ったことはないよ」
「お兄様」
耐えきれずにベスは遮った。
「あの時、どうして腐食の呪いを選んだのですか」
ナギの表情が凍り付く。
「魔力を封じるなら、ほかにいくらでも術はあります。どうして、だんだんに身の内が腐ってゆく、いずれ死ぬ運命の呪いを選んだのですか」
ナギは言葉を失っていた。
「あなたは、姉を、私を愛してくれていた。それでも、あなたは腐食の呪いを選んだ。あなたは、私ではなく、自分の誇りを選んだのです」
ベスはまっすぐにナギの目を見据える。
「一度出て行った王宮に、また戻ってこられたのはなぜですか。今、呪いに侵されながら、自由もない不可侵領域で、人に魔力をもらってまで生きることを選ばれているのはなぜですか」
涙声にならないよう、ベスは精一杯声を振り絞る。
「そうしてでも、生きたい理由ができたからでしょう。誇りを捨ててでも、あなたが共にありたいのは、誰なのですか」
そのまま、立ち尽くすナギを一人残し、ベスは部屋を後にした。
*
「卒業試験の話は、王宮内でも評判だよ」
カイトは目を細める。
「大体、卒業試験の決勝戦は、模範演技として記録されて教科書に載るんだけど、今年は決着の速さと技が規格外すぎて、参考にさせられないってケインがぼやいてたよ」
ケイン教官とカイトも、幼馴染である。はじめて聞いたとき、リアは気が合いそうな二人だなと思ったものだ。
「……恥ずかしいです。ベスの技がすごすぎて、上手に加減ができなくて。もう少しで彼女に怪我させてしまうところでした」
そこでふいに店の扉が開いた。
振り向くと、そこに立っている銀髪碧眼の魔術師の姿に、店にいた全員が驚愕する。
「おまえ、出てきていいのかよ」
「……特別休暇を交換条件に30人から魔力をもらった」
淡々とした声に、カイトが焦った声を上げる。
「いや、すぐ消えちゃうだろ、そんなの……」
ナギの目を見ると、カイトはふいに黙り込んだ。
「……ネレア、俺たちは、帰ろう」
何も言わずに頷く妻と、近衛隊長は静かに部屋を出る。
*
「リア、すまないが、不可侵結界を張ってくれないか」
静かな声に、リアは我に返り、両手を合わせる。その間から、シャボン玉のような膜が湧き出し、二人を包み込んだ。
「……いい結界だ」
内側から膜に軽く触れ、ナギがつぶやく。
「卒業、おめでとう」
瑠璃色の瞳が輝く。リアはどう答えてよいのか口ごもる。
「こんな、危ないこと……」
店に着くまでに彼を覆っていた結界が破れていたら、何が起きていたか分からない。
「どうしても、君に言わなければいけないことがあって」
ナギがひざまずき、リアの目をのぞき込む。事態が呑み込めず、リアは突っ立ったままだ。
「リア。私は、君を、愛している」
頭が真っ白になる。
「……ご冗談ですか」
ついていけずにリアはつぶやいた。ナギのユーモアのセンスは良くはない。
そうきたか。ナギはうつむいてつぶやく。
「私は、君を、愛している。一人の女性として」
リアの右手を両手でとり、瑠璃色の瞳がもう一度、リアの目をのぞき込んだ。
「君は、特別な人だ」
ゆっくりとナギの手の熱が右手に伝わり、リアの顔には朱がのぼる。
「不可侵領域での日々で、私の身体が死ななかったのは、君が私に与えてくれた焼き菓子のおかげだ。そして、私の心が死ななかったのは、君がここでひとり、孤独に耐えて学び続けてくれていることを知っていたからだ。ずっと、気付かなかった。……私は、君を残して死ねない」
ナギの瑠璃色の瞳の奥に、魔力とは違う炎が燃えている。
「今の私は、君から与えられた食べ物で命をつなぎ、君が張った結界に守られている、……世界一みじめな男だ。それでも、私は、君の傍らにいたい」
美しい瑠璃色の瞳。初めて見た時から、ずっとリアの心は捕らわれていた。
「私を、受け入れて、くれるかい」
あの日からずっと、リアの心は彼の物だった。
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