卒業(1)
『応用』の2年の過程を終えた魔術師学校の新5年生たちは、ここから『実践』という名の、長い卒業試験に臨むことになる。
『実践』の授業内容は単純だ。100名弱の5年生たちは、ひたすら指定された同級生と手合わせを行う。2年にわたる、総当たり戦だ。試合の勝ち負けは関係なく、生徒の戦闘内容を審査する教官たちが認めれば、その時点で、卒業試験は合格となる。合格となった時点で、総当たり戦の参加を辞退し、卒業式まで自由に過ごすこともできる。
また、辞退せず最後まで参加する生徒たちの中から、その学年の優勝者を決定する。卒業試験での優勝は非常な名誉となるため、それを目指して最後まで参加する生徒も多い。
*
「リアも、決勝トーナメントまで参加するのね」
5年生の半年足らずで早々に合格となったリアとベスだったが、二人とも優勝を目指し、試合に参加し続ける選択をしていた。
「ええ。なるべく実戦経験を、積んでおきたいから」
魔術師学校に入学する前に特定の師についていた生徒は、合格後は師のもとに戻り経験を積む者が多い。しかし、リアには師匠がいないため、学校での訓練継続を選択していた。
「ベスは、お家で修業しないの」
ベスの家は魔術の名家のため、腕のある親族も多い。学校での生徒同士の模擬戦よりも、効果的な修行ができるように思われる。
「私は、ちょっとした賭けをしたの」
いたずらっぽい笑顔でベスは答える。
「卒業試験で優勝出来たら、欲しいものが手に入るのよ」
負けないわよ、リア。
二人は顔を見合わせて笑いあう。
*
運動場に二人が対峙したとき、そこには異様な緊迫感が漂っていた。
校長以下教官全員に加え、王宮の高位魔術師の姿も見える。魔術師学校の下級生たちも、鈴なりになり固唾を飲んで見守っている。
ふわふわの金髪、人形のように美しいエリザベス・アニサカの周りには、水の壁がぐるぐると球状に動いている。一見穏やかに見えるその水が、恐るべきスピードと殺傷能力を備えていることを、会場の誰もがもう知っていた。
ベスの属性は水。防御型を得意とするものが多い属性だが、彼女は完全な攻撃型だ。四方八方に瞬速で飛び散る飛び道具としての水も脅威だが、彼女の最も得意とするものは、近接戦である。彼女の間合いに入って、無事であった者はいない。
対するリア・アストラの後ろには、黒い犬と黒煙が控えている。いつもはご機嫌で愛嬌を振りまく黒犬だが、今は牙をむき威嚇している。この犬の力を知らない者はいない。ボウ、とふいに炎が産まれ、火トカゲが姿を現した。
『リアさんが、火トカゲをはっきり出したの、初めてじゃないか。恐ろしい温度と質量のある炎だな』
『でも、リアさんの炎獣と雷獣に対して、エリザベスさんは水と土系の攻撃だろ。火は水、雷は土で相殺される。圧倒的に、属性ではエリザベスさんが有利だな』
同級生たちのひそひそ声。
す、とベスの水の壁が揺れ、恐ろしいスピードで水の刃が火トカゲを貫いた。
観衆の視線が戻った瞬間、すでにリアの目の前に、蹴りを出すベスの姿がある。
「……!」
飛んでくるベスの左脚を、炎で覆った右腕で受けながら、リアの視線がちらりと動く。
その瞬間、ベスの軸足を黒犬が襲う。黒犬の牙に捕らえられる直前、ベスの身体は初めの位置まで飛びのいている。
ベスの身体が戻り切る前に、背後から炎の塊が襲う。しかしそれは、ベスの背中の水壁によって相殺される。
間髪入れず喉元を狙う黒犬の脇腹に、ベスのこぶしが入る。土の魔力をまとわせたそれに、黒犬の姿は霧散する。
ベスの足が地面についた瞬間、土の鎖が伸び、リアの両足が捕らえられる。わずかに動きが鈍ったリアの首に、炎の防御壁を突き抜けたベスの手刀が叩き込まれる。
ギイン、と耳をつんざく振動が響いた。
ベスの手刀は、リアの首に入る直前で止まっている。
寸止めか、と誰もが思ったが、ベスの表情は歪んでいた。
突然リアの頭上に、不気味な黒い球体が現れる。
それはゆっくりと、動かない二人を覆い隠していく。
リアの目はがふと動くと、ベスの身体がのけぞり、水の壁と土の鎖が四散する。ベスは仰向けに倒れ、動かない。
「それまで」
校長の声が響く。
何が起こったのかわからず、見物人たちは息を飲む。
「リア・アストラの勝利」
会場は静まり返っている。リアは、地面に倒れこんだベスを助け起こす。ゆっくりとベスの目の焦点が、親友に向けられる。
「ベス、ごめんね、大丈夫」
ふいに瞬きをして、ベスはつぶやく。
「……すごいわ、今のは何」
「光の精霊……光獣だ」
ケイン教官がつぶやく。これまで、授業でも模擬戦でも一度も、リアはこの式獣を出したことはなかった。
「……光を曲げて、時間を止めていた」
鳥肌が止まらず、思わず立ち上がり拍手をする。
続いて、会場は拍手と歓声に包まれた。
卒業試験の決勝戦は、リア・アストラの勝利で幕を閉じた。
「賭けに、負けちゃったわ」
ベスはぽつりとつぶやく。
*
王国最高位魔術師シュナギ・ユシュツカと、名門アニサカ家の後継者エリザベス・アニサカの婚約の解消が発表されたのは、卒業式を間近に控えたある日のことだった。
「どういう風の吹き回しだよ」
カイトは呆れた顔で、クッキーをつまむ友人を眺める。
3年ほど前の自分の結婚式の後から、カイトはリアに頼まれてたびたびナギに焼き菓子を届けていた。腐っても王族なので、不可侵領域への入場が許されているのだ。「元」婚約者のエリザベスも、同じようにたびたび届けていたらしい。
そのおかげもあるのか、ここ最近、明らかにナギの体調は回復したように見える。
エリザベスの卒業を待って結婚式を挙げるだろう、誰もがそう思っていた。
「婚約破棄を申し出たのは、エリザベスの方だ」
ナギは沈んだ声で答える。
「何か誤解があるのかもしれない。私は、置いてけぼりだよ」
*
ナギの書斎に入ることを許されているものはごく少数だ。書物に打ち込む彼の横顔を間近で見られるものは限られている。
ベスは、ナギの横顔を眺めながら両手を握りしめた。
「お兄様」
何だい、振り向きながら美しい瑠璃色の瞳が微笑む。読書を邪魔されて、彼が微笑む相手はもっと限られている。たぶん、自分は、愛されているのだろうと思う。
「その呼び方、やめなさいと言ったろう」
姉が亡くなり自分が婚約者となった後も、ベスはナギをそう呼ぶことをやめられなかった。
身代わりだと思ったことはない。ベスにとって、いつでも自分は自分だった。それでも。
「私、卒業試験で、優勝します」
ひどく真剣な面持ちの婚約者の言葉に、ナギはもう一度微笑む。
「良い心がけだ」
「もし、私が優勝したら、……私は、あなたをナギと呼びます」
ナギの美しい眉が怪訝な形をとる。
「もし、もし私が負けたら……その時は、あなたは一生、私のお兄様です」
「ベス?」
問い返される前に、ベスは最高魔術師の書斎から飛び出した。
*
隣にいて、いつもベスは感じていた。姉が死んだ戦いの後、あの人は、ゆるやかに死のうとしていたのだと思う。生き続けていたのは、秘伝の術を伝えきる義務ゆえだ。彼の呪いが進んでいく様を見るのは、身が裂かれるほどに辛かった。
魔術師が魔力を使おうとすれば、自分が自分であろうとすれば、世界が滅びる。そんな呪縛のもと、人の力をもらい受けながら生きていくのは、誇り高いあの人には難しい。ベスには、彼の絶望、彼の死に向かう心を止められなかった。
でも、ある時から彼は変わった。彼をそうさせたのが何か、じきにベスには分かった。
一度訪れた町の外れの彼の店で、彼は店員の女の子と黒い犬の前で、ベスが見たこともない
彼にリアの作った焼き菓子を持って行ったとき、ためらいながらも彼の顔にははっきりとした喜色があった。彼が菓子を口にした瞬間、みるみる彼に生気と魔力が満ちていくのを、ベスは目の前で見ていた。
敵わない。その時、ベスには分かった。
それでも、もし、彼女に勝つことができたなら、私は堂々と、彼の妻になろう。子供のころから憧れだった、ただ一人愛した人の。それが、ベスの賭けだった。
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