第2章 魔術師学校

初めの試験(1)

 魔術師学校の卒業、および階級授与式は王宮の奥の間で執り行われる。

 年に数回しか開かれることのない、特別な部屋だ。

 この日、生徒たちは独り立ちの証のローブと杖を与えられ、魔術師として歩みだす。


 壇上の魔術師のおさの前に、首席卒業生のリアは進み出た。


「王宮最高位魔術師、シュナギ・ユシュツカの名のもとに、そなたに結願の印を授ける」


 こうべを垂れたまま、ローブと杖を押し頂く。

 ローブの重みが手に乗った瞬間、リアの右手に最高位魔術師の手が触れた。


(リア。頑張ったね)


 頭の中に響く懐かしい声に、リアは湧き上がる涙を何とか抑えて引き下がる。

 自席に戻り顔を上げると、壇上には、次々と卒業生たちに祝福を与えていく、銀髪碧眼の美しい魔術師の姿がある。顔を見たのは、3年ぶりだった。


(ナギ、……先生)


 またぼやけてくる視界を押しとどめようと、リアは精一杯目を見開いた。



 初めて魔術師学校の門をくぐった時、リアはその壮麗さに唖然とした。

 どこぞの離宮と言われてもおかしくない、見事な石造りの校舎や、壮麗なタイル張りの中庭。中庭には噴水まであり象が鼻から水を吹いている。読み書きを習った下町の学校と、家政婦学校しか経験のないリアには、こんなところで勉強をする、という想像もつかない。


(どうしよう)


 明らかに自分に似つかわしくない場所に踏み込んだ、と実感し、リアは唇をかむ。


(でも、やるしかない)


 自分には、絶対に成さなければならないことがある。そのためには、逃げ出すわけにはいかない。息を吐き、胸を張りタイル張りの中庭へ踏み出す。



(どうしよう)


 それから半刻後、リアはすでに初めの意気込みを忘れかけていた。


 初めて登校した新入生たちは全員広間に集められ、一人ずつ教官の面接を受けてもらう、と宣言された。習熟度毎に組分けを行う、との言葉に同級生たちに動揺が走る。

 周りを見回すと、同級生は100人程度のようだ。すでに顔見知りなのか、仲良く話し込んでいる者、何やら書物に熱中している者。身なりも明らかに高貴な身分と分かる質の良い服の者から、下町の町民服の者まで、様々だった。とりあえず一人だけ浮いてしまうことはなさそうだ、リアは胸をなでおろす。

 しかし。

 口頭試問の結果は、リアは断トツの最下位だった。

 覚悟はしていたが、張り出された表の最下欄に自分の名前を見た時、リアは暗澹たる気持ちになる。


*


「リア・アストラ。カイト・ハーンベルク卿ご推薦」


 リアの推薦状が読み上げられ、居並んだ教官達は興味深げにリアを眺める。


「ほう、あの武のお人の。して、君の属性は何だ」

「属性……」


 リアは何のことかわからず口ごもる。


「得意な型種は何かね」

「型……」


 リアの様子に、教官たちは顔を見合わせる。

 一番左に座っていた、美しいはちみつ色の髪をした女性が口を開いた。


「リアさん。魔術の四元素とは、何かわかりますか」

「……わかりません」

「……。なんてことだ。だから推薦の生徒は嫌なんだ。このような不見識な者は、放校にすべきだ」


 左から2番目の、眼鏡をかけたやせぎすの教官が厳しい声を上げる。


「いや、放校もなにもまだ何にもしてないじゃん」


 右から3番目の、赤毛の短髪の若い男が笑いを含んだ声で遮る。


「いいんじゃない、とりあえず様子見で。実技試験、俺がみるよ」

「笑い事じゃないぞ、ケイン」


 九九のできない子供に、幾何を教えろというのか。眼鏡の魔術師が苦々しげにつぶやく。


「本来ここは、九九から教える場所のはずよ」

「きれいごとを言うな」


突然目の前で仲間割れを始めた教官たちに、リアはいたたまれず縮こまった。



「はああ……」


 本当に、とんでもないところに来てしまった。

 午後から実技の振り分けを行う、と再び宣告され、リアは目の前が真っ暗になる。


(実技っていったい何。どうすればいいの……)


 持参した弁当ものどを通らない。


「そのお弁当、おいしそうね」


 ふいに透き通った声がした。リアの机の前に、人影が立つ。


(なんてきれいな人)


 ふわふわの肩までの金髪に、透き通るような緑色の瞳。人形のような美しい少女が、リアの前に立っていた。


「私は、エリザベス。エリザベス・アニサカよ。あなたは」


 その名前は、リアにも見覚えがあった。口頭試問の成績の、一番上にあった名前だ。


「リア。リア・アストラ、……です」


 どぎまぎしながら答えると、突然すい、と美しい指が伸び、リアの首から下がる石に触れた。


「素敵な魔石ね」


 リアは驚いて身を引きながら答える。


「……ありがとう」

「これから、よろしくね」


 にこりと微笑み、美少女は立ち去る。

 焦りで汗をかいた両手で、リアは胸の石を握りこむ。その魔石は、あの夜にナギからもらったものだった。



 あの夜。


「リア、君に話しておくことがある」


 いつもと変わらない柔らかい声音で、ナギは彼女に言葉をかけた。親友が切り裂かれ、自分も傷を負った直後だというのに。


「……おいで」


 いざなわれたのは、これまで足を踏み入れたことのない、彼の書斎だった。


「……ここの書物は、君が自由に使っていい」


 薄暗い書斎の中に、ぽつりとナギの声が落ちる。

 ああ、この人は、ここからいなくなる。リアは理解する。




「座って」


 向かい合って座った瞬間、パチリ、と指が鳴り、ふいに部屋が暗転する。

 そこには、フードとローブに包まれた、魔術師の姿があった。フードの奥に、瑠璃色の双眸が在る。その妖しく輝く瞳に、リアは吸い込まれるように魅入られる。痺れが全身を満たし、視線さえ動かせない。空気は重く、押しつぶされそうに呼吸を圧迫する。

 苦しい。……怖い。ここから、ここから、逃げ出したい。満足に息もできない威圧感に、本能的に抗おうとする。が、何も、動かせない。瑠璃色が、彼女を、覆いつくす。

 瞬間、パチリ、と指の鳴る音が聞こえ、リアは呪縛から解放される。


「……見えたかい」


 静かな、聞きなれた声がする。


「これが、王国最高位魔術師シュナギ・ユシュツカ、私の本来の姿だ」


 我に返り向かい合った机の向こうには、いつものナギの姿があった。


「あの学校へは手ほどきをしてから行かせるつもりだったが、時が足りなくなった」


 ナギの瞳が、気遣わしげに伏せられる。


「君が私のところまで来ることを、願うしかない」


 リアの手をとり、そっと魔石を握らせる。


「リア。君の魔術の才は、天の差配だ。決して楽ではない道だが、君が極めるであろうと、私は信じている。私のいるところまでおいで。そして、私を超えるんだ」


 いつもの、ナギの声。


「いつか、君がその力を得ることができたなら、……私の呪いを、解いてほしい。私が自分にかけた、腐食の呪いを」

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