第25話
トラックがマンションの一階ロビーに突っ込んできたのは、アンナの顔に笑顔が浮かんだ瞬間のことだった。
それはあまりに突然の出来事で、ショウゴは反応が遅れた。
そばにいたアナスタシアをかばうだけで精一杯だった。
何が起きたのか、全く理解が追い付かなかった。
「アンナ! ショウゴさん、アンナが!」
アナスタシアの声にショウゴが伏せていた顔を上げると、アンナの身体は笑顔を浮かべたまま、トラックのキャビンに押し出されるようにして、ふたりの目の前をスライドしていった。
こういう時、人は目の前の映像をスローモーションで見るのではなかったか。
だが、そうはならなかった。
一瞬でアンナの身体はトラックのキャビンとロビー内の壁に挟まれ、潰されていた。
「アンナ……アンナ……」
彼女に近づこうとするアナスタシアを、ショウゴは必死で抑えた。
「離してください、ショウゴさん、離して」
「だめだ、アナスタシアさん」
そうしたのは、トラックが爆発する可能性を考えたからだった。
キャビンの後ろには大きな円筒状のものが積まれていた。
それはタンクローリーだった。
塗装がかなり剥がれており、その中身がガスか石油かさえわからなかった。中は空っぽかもしれないが、いつ引火し爆発しないとも限らない。
わずかに見えるキャビンと壁に挟まれたアンナの顔は笑顔のままだったが、血が大量に床に流れ落ちていた。
おそらく即死だろう。
「おや、麗しのアナスタシア様はそちらでしたか。
こちらはいつ死んでもいい影武者の方だったというわけですね」
運転席から男の声が聞こえた。
ドアが開き、運転席から降りた男は壁を利用して三段跳びし、キャビンの上に飛び移った。
だが、その身体はそんな動きが出来る体でも状態でもなかった。
170センチほどの身長に100キロは優に超えているだろうその巨漢は、割れたフロントガラスの大きな破片が顔と腹を貫き、首は折れ、両腕も曲がるはずのない場所で何ヵ所も曲がっていた。その関節が増えた腕はまるでラピュタのロボット兵のようだった。おそらくエアバッグが作動しなかったか、わざと作動させなかったのだろう。
だが、その男は痛みを感じている様子はなかった。
「まぁ、いいでしょう。後々影武者に本物を名乗られると厄介ですからね」
「あなたがアンナを……許さない……」
アナスタシアはその手のひらに再びエーテルの球体を作っていた。
それはテニスボール大だった先ほどとは比べものにならない、球転がしの球ほどの大きさがあった。
テニスボール大の火球にあれだけの威力があったのだ。もしそれが火球になれば、
「アナスタシアさん、だめだ! そんなのを撃てばマンションが倒壊する!」
「大丈夫です。うまくやります」
しかし、それが火球になることはなかった。
アナスタシアの体がめまいを起こしたかのようにぐらりとふらつき、手のひらのエーテルは四散したのだ。
限界を超えた力を使おうとし、脳や体が耐えられなかった。そういうことだろうか。
アナスタシアは体勢をなんとか立て直すと、
「他者の肉体への憑依能力……
あるいは死者への干渉……
シンギュラリティ……
あなたが我が教祖に天啓と称した能力を与えていた人ですね」
何故かアンナの口調で、その男をそう呼んだ。
「アナスタシアさん……?」
先ほどまでの世間知らずでお馬鹿なお嬢様キャラはすべて演技だったということだろうか。こちらが本当の彼女なのだろうか。
「大和さん、エーテルをその身に取り込んだ私たちが、命のやりとりのような経験下で新たな能力に目覚めるというのは、どうやら本当のようですよ」
いや、違う。彼女はアナスタシアじゃない。アンナだ。
アナスタシアにアンナが憑依しているのだ。
だから、アナスタシアが放とうとしていたエーテルが四散したのだ。アンナにはあれを火球に変えることも、エーテルを手のひらに集束・凝縮させることや維持することができなかったからだ。
「アンナさんなんですか?」
「はい、ですが自分の死体を見るというのはあまりいい気分ではありませんね。
全身の骨が折れ、それが筋肉や皮膚を突き破り、内臓にも突き刺さっているというのに、あんな風に笑っている自分はあまりに滑稽です」
おそらく、アンナは死の間際の瞬間に、他者の肉体への憑依能力が覚醒したのだろう。
「素敵な笑顔だと思いますけどね」
「ユワさんに言い付けますよ?
それに、私ばかり褒めていると、アナスタシア様が拗ねてしまいますから」
やはりアンナだ。死して尚アナスタシアを守りたいという彼女の強い意志が、新たな能力を覚醒させたのだろう。
「おや? 影武者が本物に憑依したようですね。
まさか私と同じ力を持つ者が現れるとは意外です」
目の前の男も、シンギュラリティ本人ではなく、シンギュラリティに憑依された人間ということだろう。
「私は天啓などと称したつもりは一度もありませんよ。
至高神の化身を語る愚かな人間が、勝手にそう解釈しただけのこと」
「我が教祖が言っていました。
自分と対になる存在……劣悪で傲慢な神の化身……
それがあなただったというわけですね、シンギュラリティ」
「私に能力の一部を与えられていただけの朝倉現人が至高神の化身であったとは到底思えませんがね……
私もあなたのいう邪神の化身ではありませんし……
まぁ、何を信じるのはあなたの自由ですから、お好きに」
「劣悪で傲慢な神の化身が我が教祖を愚弄するか」
「愚弄しますよ。どこの世界に、簡単に他者の意のままに操られている至高神の化身がいるんです? あぁ、この世界にいましたね。朝倉現人とかいう」
シンギュラリティは、ガラスの破片が刺さった顔で下卑た笑いを浮かべながら、アンナの怒りを逆撫でする。
さっさとこの男を黙らせるか、話題を変えなければ、アンナもまたアナスタシアのように暴走してしまいかねなかった。
「あんた、何者だ?」
ショウゴは、黙らせる前に話題を変えることにした。
「遣田ハオト(やるた はおと)。
もっともそう名乗るようになったのは、100年ほど前からですが。
以後どうぞお見知りおきを。
おふたりともこの場で死んで頂くことになりますが、それまでの短い間だけでも」
「なぜそんな昔から、あんたはその力を持っているんだ?」
とても良い質問ですね、と遣田は嬉しそうに笑った。
「私は、10万年前にアリステラの英雄アンフィスの弟子として、エーテルの扱い方を教えられたネアンデルタール人らのひとりだからです。
アリステラの滅亡後も、私は他者の肉体への憑依を繰り返し、この10万年間を生きながらえ続けてきたのです」
「なるほど、アリステラの末裔じゃなく、生き残りか。
だから4年前、アリステラの仕掛けたトラップに野蛮なホモサピエンスをはめるため、70億人の潜在意識を増幅させたんだな」
誰が犠牲になろうが、知ったことじゃない。
自分と家族や友人さえ助かればいい。
家族や友人さえもどうでもいい。
自分さえ。
自分だけが。
人の潜在意識にはきっとそういった醜い感情がある。
それは本能と言ってもいいものかもしれない。
「アリステラの仕掛けたトラップについては確かにそうです。
ですが、私はアリステラについているわけではありませんよ。
アリステラの再興は、女王や民の子孫たちの悲願のようですが、私はアリステラの滅亡していく様をこの目で見ていた当事者ですから。
アリステラは滅びるべくして滅んだ。
すでに一度滅んだ国の再興に私の興味はありません」
遣田は、衝突事故により関節が増えた腕を曲げ円の形にした。
とはいえ、実際に関節が増えたわけでく、ただ折れただけであり、それはそんな風に曲がるはずのない腕だった。
それはただの憑依ではない、肉体の限界や構造さえ無視した能力だった。
「私は、この世界も新生アリステラも滅ぼして、私だけの国を作りたいのですよ。
そのために、千のコスモの会をカルト教団にしたてあげ、権力者たちに小久保ハルミの研究を闇に葬らせた。
10万年の間に、アリステラの末裔が世界中に築いたいくつもの文明を滅ぼさせのも私です」
やはりこの男がすべての元凶だったということか。
遣田は、もう一方の腕を、腕で作られた円の中に差し込んだ。
すると、腕の先の手首や腕の半分が見えなくなり、円の中から男が腕を取り出したとき、その手にはマシンガンが握られていた。
「その円は、別の場所と繋がるゲートというわけか」
「ええ、この円の先は今は自衛隊駐屯地の武器庫に繋がっています。
もっとお話ししたいところですが、そろそろこの体も限界のようですので」
遣田がわざわざマシンガンをそんな風に召喚し、ショウゴやアンナに向けているのは、野蛮なホモサピエンスが使用する武力兵器を行使することもまったく厭わないという、彼の意思表示に思えた。
あくまで災害や疫病によって人類を滅亡させようとするアリステラとは、彼はまったく異なる思想で動いているのだ。
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