第21話

 エレベーターを待ちながら、真夜中以外に部屋から出るのはいつ以来だろうとショウゴは考えていた。

 記憶にないくらいに、昼間部屋の外に出たことがなかった。ここに住むようになってから、はじめてのことだったかもしれない。


 一条の手当てを終えるとショウゴはひとり部屋をあとにした。

 色々あったが数年振りの再会だ。タカミと一条をふたりきりにしてあげようと考えたのだ。


 両脚を撃ち抜いたとはいえ、一条の左腕は無傷であったし、右手は二度と使いものにならないだろうが一応腕は動く。

 一条ならば両腕だけでタカミを殺すことができるだろうが、もう殺そうとは考えないだろう。


 タカミを殺せば、自分に殺される。そんなことは小学生でもわかる理屈だ。


 ショウゴが殺さなくとも、あの脚ではこれから先、彼は車椅子なしでは移動もままならないだろう。両腕だけで水や食糧がある場所にたどり着くことができても、手を伸ばして届くかどうかはわからなかった。

 彼はもう誰かの力を借りなければ生きてはいけない身体になっていた。


 彼に勝てたのは正直なところ運が良かったとしか言いようがなかった。

 たまたま彼が拳銃のセーフティーロックを解除していなかった。

 たまたま雨合羽を使った目眩ましに効果があった。

 たまたま彼が悪役らしく饒舌で、ショウゴにどうすればタカミを救えるか考える時間をくれた。

 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

 まるで彼がわざと勝たせてくれたかのようだった。


 ショウゴは小久保ハルミという人をよく知らない。タカミや一条から聞いた彼らの主観に基づく彼女しか知らない。彼女と千年細胞というものが世間を騒がせたとき、ショウゴはまだ4歳だったからその記憶は全くなかった。


 だが、ふたりにとってその女性は、きっと自分にとっての雨野ユワのような存在だったのだろうということは理解できた。その日テレビで見た彼女はとても綺麗な人だった。見た目だけでなく、ユワのように内面もきっと素敵な女性だったのだろう。


 エレベーターに乗ると、いつもなら1階まで直通のエレベーターは、ショウゴが暮らす最上階の真下の階で止まった。最上階はワンフロアすべてタカミの持ち物であったから直通だと思っていた。あれは真夜中だったからか、直通ではなかったのか、という新鮮な驚きがあった。


 ドアが開くと、


「アナスタシア様、お先にどうぞ」


「ありがとう、アンナ。失礼するわ」


 一卵性双生児だろうか、同じ顔をしたふたりの女性がエレベーターに乗ってきた。

 外国人の名前だったが、ふたりの顔はどう見ても日本人のものだった。ハーフというわけではなさそうだ。クォーターだろうか。


 そんなことを言い始めたら、ユワに瓜二つのアリステラの女王が名乗ったアリステラピノアという名前も、外国人に笑われていそうだなと思った。


 ふたりは着物のようでもありドレスのようでもある、新進気鋭のデザイナーが作りそうな不思議な服を着ていた。

 これから一年中雨が降り続け、暴徒が暴れる街に向かう姿には見えなかった。

 ふたりとも姫カットの同じ髪型で、靴はハイヒールを履いていた。かぐや姫が月から帰ってきたらこんな感じだろうか、とショウゴはふと思った。


「あら。あらあら」


 と、アナスタシアと呼ばれていた女性がショウゴの顔を見て驚いた顔をした。

 かぐや姫ではないだろうが、やはりどこかのお嬢様か何かなのだろうか。品のある佇まいと口調から育ちの良さが伺い知れた。年は自分よりは上だろう。二十代前半くらいだった。


「上の階の方かしら? はじめまして」


 そんな風にタカミ以外の他人と普通の挨拶を交わすことすらショウゴはもう何年もしていなかったことに気づかされた。


 社交的なその女性に対し、もうひとりのアンナと呼ばれていた女性は、怪訝そうな顔でショウゴを見た。


「大和ショウゴさん、ですね」


 名前を呼ばれただけなのに、ぎくり、とさせられた。

 かつて指名手配されていた頃に戻ったような感覚だった。


「アンナ、この方をご存知なの? あなたのお知り合い?」


「アナスタシア様、先ほどお部屋でおかしな映像をご覧になられたばかりでしょう?

 だからこうしてお出かけになられることになったのではありませんか」


 最初は双子に見えたが、アンナという女性の方がアナスタシアよりも少し年上に見えた。

 双子にしても、それくらいよく似た姉妹にしても、一方が相手を様と敬称し、もう一方が相手を呼び捨てで、その言動に明らかに上下関係があるのはどうにも不自然だった。


「あのよくわからない映像がどうかしたの?」


 アナスタシアの言葉に、


「やはり、よく理解してらっしゃらなかったのですね」


 アンナは呆れた様子だった。


 彼女からあの映像や4年前の出来事についての説明を簡単に受けたアナスタシアは、


「まぁ!まぁ!!まぁ!!!まぁ!!!!」


 と、感嘆の声を漏らした。


 どうやらふたりは本当に良い家柄の人達のようだ。

 テレビやスマホなどを電力なしで一斉に起動させたエーテルの存在を知り、同じ県内の神喰村にある実家が所有するヘリコプターの迎えを近くの公園で待つつもりだということだった。

 空に逃げ、空に留まり続けることで、アリステラが起こす災厄から逃れようと考えているようだった。



 エレベーターが1階に着いたとき、


「世界を敵にまわしてでも愛する女性を守ろうとしただなんて、なんて素敵なお話ですの!!」


 開くドアを前にアナスタシアは大きな瞳に涙をためて、ショウゴの手を取った。


「あの、着きました、よ? アナ……アナスタシア……さん?」


「アンナ! わたくし、こんな殿方とお付き合いしたいですわ!!」


「アナスタシア様、エレベーターが到着しましたよ」


「あ、あら、そう……残念ね」


 アンナは一度開いたドアが閉じてしまわないように、開こうとするドアにもたれかかり、腕を組んでいた。怒っているように見えた。


「そ、それじゃあ、アナスタシアさん、アンナさん、失礼しますね」


 ショウゴはいそいそとその場をあとにしようとした。同じマンションの階下の住人とはいえ、あまり関わってはいけない気がした。一言で言えば、変な人だった。

 だが彼はその腕を、


「大和ショウゴさん」


 再びアンナに名前を呼ばれ捕まれてしまった。


「どちらに行かれるおつもりか存じませんが、あなたを行かせるつもりは私はありません」


 彼女は彼の腕に爪が食い込むほど強く掴んでいた。


「どうして? アンナ? どうして?

 ショウゴさんはそのユワさんという方に瓜二つの女性の元へ向かうに違いありませんわ!

 急いでらっしゃるのよ!! その手を離しなさい!!!」


 アンナはアナスタシアに「できません」ときっぱりと断った。


「わたしの言うことが聞けないの!?」


「聞けません」


 そして、「大和ショウゴさん」と三度、彼の名を呼んだ。


「あなたは、千のコスモの会をご存知ですね?」


 それは、13年前に首相暗殺を企て、一条とタカミがそれを阻止したカルト教団の名前だったはずだ。

 つい先ほど、その当時の首相が一体どんな人物であったのか、ショウゴとタカミは一条から聞かされたばかりだった。

 随分タイムリーな話題だなと思った。


「ちょっと! アンナ!!

 せっかくこんな素敵な殿方とお知り合いになれたのに、あなた一体何を言うつもり!?」


「こちらのお方は、戸籍上のご本名は朝倉麗音様。麗しい音と書いてレイン様とお読みします」


 麗しい音、レイン、一年中雨が降り続けるこの街に、なんて相応しい名前だろうか。

 だが、その苗字と名前にショウゴは聞き覚えがあった。つい先ほど聞いたばかりのような気さえした。


「アナスタシア様というお名前は、この世界を創造した劣悪で傲慢な神とは異なり、正しき千の宇宙(コスモ)を創造された善なる至高神(アイコーン)の化身であるレイン様のお父上、朝倉現人(あさくら あらひと)様から頂かれたコスモネーム」


 やはりそうか、とショウゴは思った。


「あぁ、なんてこと! ひどいわ、アンナ!! ひどい! ひどい! ひどいひどい!!」


 悲痛な声を上げて泣くアナスタシア=朝倉レインは、千のコスモの会の教祖にして、当時の首相暗殺を指示した死刑囚、朝倉現人の四女だった。


「それが、俺と何か関係があるんですか?」


 ショウゴが平静を装おい答えると、レインの顔がぱぁっと開けた。


 彼がそうしたのは、千のコスモの会についてもまた、小久保ハルミや千年細胞についてと同じで、首相暗殺テロ未遂事件が起きた当時、彼はまだ幼く、よくは知らなかったからだ。

 それに、彼と共に暮らすタカミが、一条と共に千のコスモの会による首相暗殺テロを未然に防いだことを知っているのは警察でもごく一部の人間だけだと聞いていたからだった。


 だが、レインの表情を見る限り、彼女は何か勘違いをしてい……


「わたくしが、あの父の娘と知っても尚、変わらずわたくしに接してくださるなんて……」


 やはり勘違いしていた。

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