第16話

 どんなに仲良くなっても、タカミにはハルミに聞けないことがあった。


 千年細胞のことだ。


 あれは本当に世紀の大発見ではなく、彼女は希代の詐欺師だったのだろうか。


 タカミには彼女がそんな人間だとはどうしても思えなかった。

 そんな人間であったなら、いくら学生時代からの友人だったとはいえ、一条刑事が彼女が紹介したタカミに捜査協力を依頼するようになっただろうか。


 彼女は詐欺師などではない。

 だから、一条刑事も自分を信じてくれたのだ。


 だからタカミは意を決し、ハルミに尋ねてみることにした。



「あれは、発見してはいけない細胞だったの」


 ハルミは、タカミにそう告げた。


 どうして? と尋ねた彼に、


「世界中の科学者が、誰ひとりあの細胞を再現できなかったというのは嘘。

 あの細胞以上のものを作り出した科学者もいるの。

 ただの不老不死というだけじゃなく、身体的に最も優れた年齢まで肉体を若返らせたり、欠損した体の一部を何度でも再生することができたり、死後数時間以内なら死んでしまった人を蘇生させることも可能な細胞が作られたの。

 けれど、一部の権力者たちが、それらの細胞を独占しようとした結果、わたしや世界中の科学者たちの研究は闇に葬られてしまったの」


 世界中の人間が不老不死になるようなことが起きれば、世界の人口は数十年で200億を超えてしまうようになる。100年後には1000億を超えてしまう。

 地球は100億の人間が目一杯。

 これ以上の人口増加に対応するには、月や火星のテラフォーミングや、起動エレベーターを建造して宇宙空間にスペースコロニーのようなものを作らなければいけない。


 だからハルミの研究は、一部の権力者だけが独占することになったのだという。


 だけどね、とハルミはパソコンのモニターのビデオ通話のウィンドウの中で笑って、


「わたしの体の中に千年細胞は生きているの。

 いつか君にもわたしの千年細胞を分けてあげる。

 、、、、、、、、、、

 かわいい妹さんにもね」



 それから間もなくして、ハルミとは連絡がつかなくなった。


 一条刑事にもこの10年以上その行方はまったくわからないということだった。


 小久保ハルミが千年細胞を発見した14年前、彼女は28歳だった。

 今テレビに映る、42歳になったはずの彼女は、当時よりも若々しく美しく見えた。

 それは、化粧やスキンケア、美容整形に疎いタカミにも、美魔女というレベルのものではないことはすぐにわかった。

 彼女にはそんなものは必要ないのだ。

 より改良された千年細胞によって、身体的に最も優れた年齢まで肉体を若返らせたのだ。


「あの小久保ハルミという科学者は、死後数時間以内の遺体なら蘇生させることが可能な細胞を持っている」


 そして4年前、ユワはその死後数時間以内に遺体を冷凍保存された可能性があった。

 それは一条刑事に確認すれば、すぐにわかることだろう。


 冷凍保存されたユワの遺体は、一年前の輸送中の飛行機がハイジャックされた際に、行方不明になっていた。


 小久保ハルミはきっと、あのときのハイジャックに関与している。

 ユワに瓜二つのアリステラの新たな女王。そのそばに今、彼女がいることがその証拠だ。

 回収した遺体を解凍し、千年細胞によって蘇生措置が施されたのだとしたら。


「あれはユワだ。ユワは生きている」


 タカミがそう告げると、ショウゴの涙が止まった。


 だが、一度死に、何年も冷凍保存され、その体の細胞のすべてが千年細胞に入れ換えられたユワは、タカミやショウゴが知るユワと言えるのだろうか。


 まるでテセウスの船だな、とタカミは思った。


 だが、自分たちの身体もまた、この世界に生まれ落ちたばかりの頃の細胞はひとつも残ってはいない。

 人に限らず、細胞の分裂と増殖によって身体を成長させ維持する生命体は、すべてテセウスの船なのだ。



 新生アリステラ王国の女王、アリステラピノアは、テレビ画面の中で演説を続けていた。


「まずは今、世界中の皆さんが疑問に思っているであろうことを説明させて頂きます」


 冷静に、淡々と話すその様子は、明るい性格だったユワと同一人物であるとは思えなかった。

 やはり、千年細胞はテセウスの船なのか。姿形はそのままでも別人を生み出してしまうのだろうか。彼女はもうユワではないのだろうか。


「なぜ世界中が深刻な電力不足にあえいでいる中、あらゆる映像端末が起動し、この映像が映し出されているのかについてです」


 女王は、彼女の周りにゆっくりと浮かぶ、無数の蛍のような翡翠色の淡い光に視線を向けた。

 ショウゴがその光を知っているかのような反応を見せた。


「知っているのか?」


 タカミは真夜中に街に出ることがなかったため、それを目にしたことがなかったが、


「ユワが死んでから、この街に雨が降り続くようになって、それから真夜中によく見かけるようになったんだ」


 ショウゴはその光をよく知っていた。それから、あっ、という顔をしたので、君が夜中に出かけていることくらい気づいてたよ、とタカミは伝えた。



「アリステラには、電力に代わる物質が大気中に存在します。

 それが、この淡い光です。

 この光は蛍のように見えるかもしれませんが、そうではありません。

 アリステラにのみ存在する『エーテル』と呼ばれている万能物質です。

 エーテルは、アリステラの清き水の流れからのみ生まれ、このように淡い光を放つのは、ほんの少しの間だけ。

 やがて大気に溶け、酸素や二酸化炭素などといった大気中の成分と同様に、人の目には見えなくなります。

 エーテルは大気中に存在するだけで、電子機器に必要な電力を与えます」


 現代以上の科学力を持つ超古代文明というより、まるで異世界の魔法の話を聞かされているようだった。あまりに高度な科学力は魔法のように見えるということだろうか。


「大和ショウゴさんによる雨野ユワの殺害以降、彼女が殺害された雨野市に、一年中雨が降り続けていることは皆さんもご存知のことでしょう」


 ショウゴは、ユワの顔と声で語られるその言葉に、苦悶の表情を浮かべた。

 彼女がユワならば、この放送を見ているだろう彼を傷つけるような表現やユワの死を他人事のように表現することはないはずだった。

 こいつはユワじゃないと言ってやりたかった。

 だが、それは一筋の希望を、光を、ろうそくに灯った灯りを吹き消す言葉だった。そのろうそくは死神が吹き消すショウゴの命のろうそくだった。


「あるいは、この数年の間に、世界各地で記録的な降水量を記録した大雨。

 これらの雨はすべて、アリステラの清き水。

 それが川から海へと流れ出て行き、4年の歳月をかけて、エーテルが満ち満ちた今の世界を作り出したのです」


 彼女がユワなのか、そうではないのか、現時点ではどれだけ考えたところで答えは出ない。憶測の域を出ない。情報があまりにも少なすぎた。

 ユワは洗脳されてしまったのだとも考えられるし、女王はユワの双子の姉妹やクローンという可能性も考えられた。

 どちらにせよタカミもショウゴも彼女がユワ自身であることを何よりも望んでいた。彼女を取り戻したいと考えていた。


「わたしは先ほど、エーテルは万能物質であるとお伝えしました。

 つまり、電力となるだけでなく、他にも様々な活用方法があるということです。

 そのひとつが電波としての活用。

 わたしがこのように世界中の映像端末にリアルタイムで映像を配信できているのもまた、エーテルが電波の役割を果たしているからです」


 だからスマホやパソコンがインターネットに繋がるというわけだ。

 それに電力と電波は決して無関係というわけではない。電波とは電磁波の一種であり、空間を伝わる電気エネルギーの波のことだからだ。


「そして、この放送は、アリステラの言語でお届けしています。

 世界中の皆さんは今、わたしが話すアリステラ語を通訳を必要とせずご理解頂いていらっしゃるはず。

 これもまた、エーテルによる作用です。

 呼吸により体内に取り込まれ、酸素と共に脳内に運ばれたエーテルが一定量に達すると、脳があらゆる言語を自動的に翻訳するようになります。

 アリステラ語だけでなく、皆さんは今、世界中の言語を互いに理解できるのです」


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