第14話

 タカミには、彼女がまるで自分に話しかけているように見えた。


 彼女は、自分がユワの、アリステラの王族の最後の末裔の、血の繋がらない兄だということを、最初から知っていたに違いなかった。

 だから、かつて自分に近づいてきたのだ。


 だとしたら。


 ユワの存在を知っており、その居場所も把握していたであろう彼女が、自分に近づいてきた理由は何だ?

 そんなことをあえてする必要が一体どこにあったのか、タカミにはわからなかった。


 彼女が自分に教えてくれたことや、自分に語ったことの中に、もしかしたらこれから起きるさらなる災厄を回避するためのヒントがあるのかもしれない。

 いや、自分ならそんな風に考えるだろうという、彼女の仕掛けたトラップのひとつに過ぎないのかもしれない。



「俺が、ユワを殺してしまったから……?

 だから……世界が……終わる……?」


 ショウゴは、虚ろな目をしてタカミを見ていた。

 だが、その瞳にタカミの姿は映ってはいなかった。

 何も見えていないように見えた。


 逃げることに疲れ果てていたふたりが、いつまでも逃げ続けることが出来たとは思えなかった。


 ショウゴが殺さなくとも、タカミの両親が暴徒化した人々にされたように、別の誰かがユワを殺していただろう。


 絞殺が楽な死に方だとは決して言えないが、相手がショウゴでなければ、ユワはどんな目に遭い、どんな殺され方をすることになかったかわからない。


 だが、それを彼に告げたとして、彼がユワを殺したという事実が変わることはない。どんな言葉をかけたとしても慰めの言葉になりはしない。


 この数年間、ショウゴは何度自ら命を絶とうとしたかわからなかった。


 ユワを殺したことで、世界があらゆる災厄から免れられたなら、彼のしたことには意味があり、彼は救世主や英雄と呼ばれていたかもしれない。

 だが、そうはならなかった。

 災厄は収まるどころか、悪化し続け、たった数年で人が人を喰らわなければ生きていけないような世界になってしまった。


 今になって、アリステラの仕掛けたトラップのカラクリを知らされることが、ショウゴにどれだけの絶望を与えたか、タカミには想像もつかなかった。


 ユワを守ってあげられなかったタカミと、ユワを直接手にかけたショウゴとでは、背負っているものがあまりにも違いすぎた。


 ショウゴは、ユワと一緒に死なせてやるべきだったのかもしれない。

 それは、この数年ずっと考えてきたことだった。

 そして、それはきっと今からでも遅くはない。

 ショウゴのこの先の人生に待っているのは、更なる絶望だけだ。


 タカミの考えが正しければ、一筋の希望もないわけではない。

 だが、もしそれが希望でもなんでもないものであったとしたら。


 タカミはもう一度部屋に戻ることにした。

 護身用に念のため手に入れていたそれを、本当に使うときが来ることになるとはタカミは想像もしていなかった。

 いや、少しは想像していた。

 だが、それは自分ではなく、ショウゴを守るための想像だった。

 ショウゴを殺すために使うことこそ全く想像したことがなかった。


「今、楽にしてあげるよ」


 部屋から戻ってきたタカミは、その手に握った拳銃をショウゴに向けた。

 乾いた銃声が響いた瞬間、



「今日この時、わたくし、アリステラピノアの名において、アリステラ王国の再興を宣言致します」



 アリステラピノアは、ユワの顔と声で、そう高らかに宣言した。



 タカミが撃った銃弾は、ショウゴの頬をかすめただけだった。

 はじめて拳銃を撃った彼は、そのあまりの反動の大きさに驚かされ、気がつくと床に尻餅をついていた。


 ショウゴの頬をかすめた銃弾は、壁にめり込んでいた。

 タカミは呆然とその壁を眺めることしかできなかった。

 拳銃はまだその手にあり、彼は慌てて手を放した。


 自分は今一体何をしようとした?

 ショウゴを殺そうとしたのか?

 自分が感情的・突発的にしたことが、信じられなかった。


 たとえ、もしそれが希望でもなんでもないものであったとしたとしても、彼が見いだした一筋の希望を、彼はショウゴと共に追いかけるべきだった。


 ショウゴの頬には3センチほどの擦り傷があり、赤い血が滲んでいた。

 彼は撃たれたことにも気づかず泣きじゃくっていた。


「すまない……」


 謝って済む問題ではなかったが、タカミは泣きじゃくるショウゴを抱き締め謝罪した。


「ぼくの話を聞いてくれるか?」


 テレビに映る女性を指差し、


「彼女について話しておかなければいけないことがある。

 それはたぶん、ユワにも、あのアリステラピノアという女王にも関係していることなんだ」


 そう言った。




 14年前、美しい女性科学者が不老不死を実現する細胞を発見した。


 ショウゴは当時まだ4歳だったから、その科学者のことも、彼女の世紀の大発見やその後のことを知りはしないだろう。


 タカミは当時すでに13歳であり中学1年だったから、その頃のことは鮮明に覚えていた。

 彼が引きこもりをはじめ、ハッカーとして活動を始めるのはその2年後のことになる。


 科学者の名前は小久保ハルミ。

 今、テレビの画面の中で、ユワと同じ顔と同じ声をした新生アリステラ王国の女王・アリステラピノアを名乗る少女の隣にいる女性がその人だ。


 彼女が発見した細胞は、千年細胞と名付けられた。テロメアメビウス細胞とも呼ばれている。

 その名の通り、細胞自体が千年の時を生きることが可能であり、半永久的に分裂・増殖を繰り返すことにより、不老不死を可能にする細胞である。


 人体を構成する60兆個の細胞は、毎日その1%程度、6000億個の細胞が死に至る。

 そのため、細胞分裂を行い、減った細胞を補う必要があり、細胞の設計図であるDNAを毎日数千億回、コピーしている。

 しかし、細胞は限られた回数しか分裂・増殖することができず、コピーミスを起こすことがあり、遺伝子の突然変異が起きる。

 ある遺伝子に突然変異が起こると、細胞は死ぬことができなくなり、止めどもなく分裂を繰り返すことになる。

 この死なない細胞がガン細胞だ。


 ガン細胞は、コントロールを失った暴走機関車のようなものだ。

 猛烈な速さで分裂・増殖を繰り返し、生まれた臓器から勝手に離れ、他の場所に転移する。

 正常な細胞の何倍も栄養が必要であり、人体から栄養を奪い取ってしまう。


 小久保ハルミは、ガン細胞が持つ不死性や無限に分裂し増殖するといった利点のみを残し、転移や人体から栄養を奪い取るといった不利益な点を排除することに成功した。

 そのガン細胞は、通常の細胞と同様の働きをするようになり、秦の始皇帝の時代から人類が求め続けた不老不死の実現に成功した。


 世紀の大発見をした小久保ハルミは、一躍時の人となり、連日テレビや新聞で彼女の顔や名前を見ない日はなかった。


 しかし、千年細胞は彼女の論文でその存在が主張されたものの、その後否定されてしまうことになった。


 世界中の科学者が、彼女の論文の通りに千年細胞を作ろうとしたが、誰も再現することができなかった。


 世紀の大発見をしたはずの彼女は、希代の詐欺師と呼ばれるようになり、そして彼女はメディアからも学会からも姿を消した。


 姿を消した彼女とタカミが知り合ったのは、その一年後、ルーミーという招待制の会員制SNSだった。

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