第12話
災厄の時代が訪れると、電力や電波をはじめ様々なものが次々と失われていった。
SNSを使う者がいなくなり、雑誌やテレビからのインタビューの依頼もなくなった。
破魔矢リサは断筆し、雨野市に引っ越すことを決めた。
彼女は元々雨野市の出身であり、大学進学の際に上京しただけであったから、雨野市に移り住むというよりは、ただ実家に戻っただけだったが。
大学はもはや大学として機能していなかったし、どの出版社ももう本を出版できる状態ではなかったから、東京にいる意味がなかった。
東京と雨野市では、その人口差から暴徒化する人々の数が桁違いだった。年子の姉や妹と三人でルームシェアをしていたとはいえ、両親に心配をかけたくなかったことも大きく、三人で実家に帰ることにした。
断筆を宣言こそしたが、リサは書くことをやめられなかった。
一度書くことの楽しみを覚えた者は、そう簡単にはやめられないものだ。
パソコンもスマホも使えなくなり、原稿用紙に手書きで書くしかなかったが、不便に感じたのは最初だけですぐに慣れた。原稿用紙が手に入らなくなると、プリンター用紙やルーズリーフ、それから大学ノートや方眼紙、チラシの裏にも書いた。
出版されることも、誰にも読まれることもない小説を、彼女はひたすら書き続けた。
この数年で、30作は書いていた。大体月に1作のペースだった。
書き終えた小説をリサは金庫にすべてしまっていた。
今すぐには無理でも、何年後でも何十年後でも何百年後でもいい。
竹取物語が作者不明であり、源氏物語において「物語の出で来はじめの祖(おや)なる竹取の翁」とあるように日本最古の物語であるのなら、リサがこうやって遺す小説が日本最後の物語や人類最後の物語になってくれても良かった。
いつか誰かが読んでくれれば、それで良かった。
終末を迎えようとしている世界を舞台にした小説は、通常SFやファンタジーに分類され、エンターテインメント性が必要とされていた。したがって純文学にはなりえなかった。
災厄の時代が訪れる前の21世紀を舞台にした純文学であっても、芥川賞が創立された時代にはエンターテインメント性のないSF作品であるとされ、候補に上がらないだろう。
しかし、実際に世界が終末を迎えようとしている今の時代は、この時代に生きる人々のありのままの姿を描くだけで純文学になりえる。
そのことに気づいたリサは、雨野市に生きる人々をモデルに小説に書くことにした。
それは今の時代にしか書けない純文学だった。
ただ、それを発表する場もなければ、読者もいなかった。だが、そんなことはリサにとっては些末なことだった。
家から一歩でも外に出れば、いつ暴徒に襲われるかわからない。疫病に感染するかもしれない。
かつては社会問題とされていた引きこもりが、今では逆に推奨されている。
リサも、彼女の家族も皆決して家から出ようとせず、引きこもっている。
時代の変化によって、常識が簡単に覆るのが人間の社会だ。それだけのことで、小説が一作書けてしまう。
あの書いてはいけなかった小説から、スーパーコンピュータや技術的特異点などの要素を削り、続編を書いてみるのも悪くないような気がした。自分以外誰も読まない小説なら、書いてはいけない小説などはない。
完璧な続編ではなくなってしまうし、どちらかと言えば現実世界でほとんど同じ経験をした少年のその後になってしまいそうだが、あくまで前作と同じ主人公が少女を手にかけた後、この災厄の時代をどう生きているのかを書くのだ。
あの主人公はきっと、世界を憎み、人を憎み、そして自分を一番憎みながら生きているに違いなかった。
純文学にこだわる必要もなかった。
一年中雨が降り続ける同じ雨野市を舞台とした群像劇を書いてもいい。
夜の街にだけ現れる、暴徒を狩る青年の話はどうだろうか。
その青年は雨合羽を着ていて「雨合羽の男」と呼ばれているとか。
カルト教団の教祖の娘として生まれた女性が、教団から離れこの街に流れ着いているのはどうだろうか。
教祖の娘としてではなく、ひとりの女性として生きようともがく話も悪くない。
自室の勉強机に向かって、リサは溢れてくるアイディアを次々と箇条書きにしていた。
そんなことを夢想していたからか、背後の気配に気づくと、リサの後ろに雨合羽を着た男が立っていた。
男の両手にはそれぞれダガーナイフが1本ずつ握られていた。
雨合羽は血しぶきを受けており、ナイフの刃は血に染まっていて、誰かを殺害した後だとわかった。
誰の血か、なぜ背後の気配に気づいたのかは、すぐにわかった。自分の背中にだんだんと広がる鈍い痛みが教えてくれた。
自分が刺されたのは、おそらく一度だけだ。
だが、雨合羽の男のナイフは2本とも血に染まっていた。
リビングにいた父や母はすでに殺されてしまっているのだろう。姉のジュリやアミも殺されてしまったに違いない。
家族の悲鳴すら聞こえないほどに、リサは集中していた。
何かひとつの物事に集中すると周りの音がシャットアウトされるのは、いけない癖だと幼い頃からよく言われていた。だからこそ彼女は小説家になれたとも言えるが、結局最期まで治らなかった。
家の中なら安全だと思い込んでいた。雨戸を閉めきっていれば、暴徒が家に上がり込んでくるわけがないと思い込んでいた。
浅はかだった。
よくよく考えれば安全な場所など、もはやこの世界のどこにもなかったのだ。
リサを含めた5人の死体で、目の前の男の空腹は何日満たされるのだろうか。
意識が遠退いていく中で、そんなことを考えていると、部屋にもうひとり雨合羽を着た男が入ってくるのが見えた。
仲間がいたのか。仲間はひとりとは限らない。仲間がいたら5人分の人肉などあっという間になくなってしまうだろう。
もうひとりの雨合羽の男は、拳銃を手にしていた。
最初に現れた雨合羽の男に一瞬で距離を詰め、ダガーナイフで応戦されそうになると、右手首につけていた腕時計でそれを弾き、もう1本のナイフが刺さる直前に体を屈めて避けた。
その一瞬のうちに、二人目の雨合羽は、最初の雨合羽のナイフを2本とも手刀で叩き落としており、さらに顎に銃口を突き付けてもいた。
「悪かったよ……こいつを着ていれば、暴徒じゃないって思われるだろ……?」
最初の雨合羽は両手を上げ、もう自分には敵意はないと命乞いを始めた。
「だから、ついな……まさか、本物に出くわすなんて……思いもよら」
ゼロ距離から顎に発砲された拳銃は、命乞いを聞く必要はない、そんな時間は与えない、という二人目の雨合羽の強い意思を感じた。
雨合羽を着ていれば暴徒じゃないと思われる。
まさか本物に出くわすなんて。
最初の雨合羽は、二人目の雨合羽の偽物であり、二人目の雨合羽は暴徒ではなく暴徒狩りをしている。
つまりは、そういうことなのだろう。
言葉にならない声を上げ、リサに駆けよった「雨合羽の男」の顔は、まだ幼く、まるで少年のようで……
リサはその顔に見覚えがあることに気づいた。
少年の名前も知っていた。
「そっか……君が『雨合羽の男』になっていたんだね……」
少年は口を開こうとするのだがやはり言葉にならず、リサの言葉には答えられないようだった。
世界を憎み、人を憎み、そして自分を一番憎みながら生きる彼は、復讐の鬼と化した代償なのか、言葉を失っていた。
「さすがにそこまでは思いつかなかったな……
でも、もしかしたらわたしは本当に……」
わたしは本当に預言者だったのかもしれない。
リサは最期にそう思い、少年の腕の中で息を引き取った。
少年の手には、リサに駆け寄った際だろうか、いつの間にか何かを握らされていた。
それは何かの暗証番号のようだった。
少年は、リサの部屋にあった金庫を見つけ、暗証番号を入力して開けた。
その中には手書きで書かれた小説が何十冊もあった。
作者名は「破魔矢リサ」とあり、小説を読むことなど滅多にない少年でも名前くらいは知っているような有名な小説家だった。
彼女が2018年に書いた小説を少年は読んだことはなかったが、その内容は4年後の2022年に少年と彼の恋人の身に起きた出来事そのものだったと聞いたことがあった。
預言の書だったのではないかとか、彼女自身も預言者なのではないかと噂されていた人だった。
少年に金庫を開けさせたのは、ここにある小説を読めということだろうか。
それとも後世に残るようにしてほしかったのだろうか。
彼女の真意はわからなかったが、どちらにせよここにそのままにしておくわけにはいかないと少年は考えた。
少年は彼女を含めた家族5人の遺体を庭に埋めると、金庫をタカミのマンションに移すことにした。
預言の書と呼ばれる小説を書いた、預言者と呼ばれた彼女がこの街に住んでいることを知っていたら、もっと早く出会いたかった。話してみたかった。
だが、リンやマヨリ、橋良らのようにまた守れなかった。
いつかすべての災厄が終わり、すべて元通りとはいかないまでも、彼女が遺した小説を出版できる日は来るのだろうか。
その日が来ることを願って、少年は金庫の中の小説をまだ読まないと決めた。
今、自分に出来るのは、ちゃんと人を守れる「雨合羽の男」になることだけだ。
それ以外に自分に出来ることなど何もないのだ。
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