第11話
『世界中が君の敵になったとしても、ぼくだけは君の味方だ』
一昔前の恋愛を描いた小説や漫画には、よくそんなくさい台詞を吐く少年が登場していた。友情をテーマにした作品にもいたかもしれない。
彼らは確かに恋人や友人を大切に思ってはいたが、あの台詞はあくまで比喩だ。
その世界では、本当に恋人や友人が世界中の人々を敵にまわすようなこともなければ、ましてや恋人や友人を生け贄に捧げれば世界の終末が回避できるなんて展開も待ってはいないからだ。
田舎の年寄りが所有する山の広さを、東京ドーム何個分と例えているようなものでしかない。
東京ドームに例える場合は当然それくらい広いということであり、世界中が君の敵になるという場合もやはりそれくらい大切だということだが、どちらもわかりやすいようで実際にはよくわからない例えだと、破魔矢リサ(はまや りさ)は子どもの頃からずっと思っていた。
そもそも野球に興味がなかったので、東京ドームの大きさがわからなかった。
本当に恋人や友人が世界中を敵にまわしてしまったら、あるいは恋人や友人を生け贄に捧げれば世界の終末が回避できるという事態に陥ったなら、彼らは一体どうするつもりだったのだろう。
世界や70億人の命を犠牲にしてでも、大切な誰かを生かすことを選ぶのだろうか。全員がセカイ系主人公になるのだろうか。
そんなことをふと思い立ったリサは、一冊の小説を書くことにした。
それが2018年の夏のことだった。
舞台となるのは、災害が巨大化し、疫病が蔓延する、世界に終末が迫りつつある近未来。
近未来といっても、人々の生活は2018年当時の現実世界とさして変わらない。
異なるのは、世界中の国々に政治家や官僚たちは一応いるものの、実際に政治や外交を行っているのはスーパーコンピュータだということくらいだった。当然、国連にもスーパーコンピュータが存在した。
スーパーコンピュータにはそれぞれ、その国の有名な哲学者の名前がつけられており、ある日その哲学者たちが一斉に、全く同じ「終末を回避する唯一の方法」を人類に提示する。
その唯一の方法とは、日本の地方都市に住む、ひとりの14歳の少女を生け贄に捧げれば、終末を回避できるというものだった。
国連と世界中の政府がそれを発表すると、災害や疫病で疲れはて思考停止に陥っていた世界中の人々はそれを信じてしまう。
そんな中、ただひとりそれを信じない者がいた。
その少女の恋人であった主人公の少年だ。
少年は少女を連れて逃げることを決意する。
警察だけでなく日本国民全員を敵にまわし、少年と少女は日本中を逃げ回る。
まだ14歳の子どもふたりをなかなか捕まえることができないでいる日本警察にしびれを切らし、FBIやCIA、インターポールまでもが警察とは別にふたりを追うようになる。
少年と少女は逃避行の中で、様々な人々に出会う。
世界に通じるレベルのハッカーや警察の内部事情に詳しい公安の刑事をはじめとする、国連や政府の発表に元々懐疑的であった人たちだ。
彼らの協力によって、ふたりは数ヶ月間逃げ続けることに成功する。
しかし、ふたりはやがて逃げることに疲れはててしまう。
そして少女は、少年に対し自分を殺すように頼む。
他の誰でもない、あなたに殺されたい、と。
少年は少女を大切に思うがゆえに、少女の願いをかなえる選択をする。
それで世界は終末を回避できるはずだった。
だが、そうはならなかった。
少女を生け贄に捧げれば、終末を回避できるというのは、スーパーコンピュータらが、自らの創造主である人類を試すための嘘だった。
人類は、生け贄になる少女やその家族、友人や恋人の気持ちを考えることが果たしてできるのか。
逆に、生け贄になる少女や、少女をなんとしても守りたいその家族や友人、恋人は、その代わりに犠牲になる70億人の気持ちを考えられるのか。
人類は、劣悪で傲慢な創造主アルコーンなのか、それとも至高神アイオーンなのか、自らが産み出したコンピュータによって見定められていた。
それだけでなく、災害の巨大化や疫病の蔓延は、スーパーコンピュータらが仕組んだことだった。
元々人類に見切りをつけ始めていた彼らは、少女の死を確認すると人類を完全に見限った。さらなる災厄をもって、人類を滅亡に追いやることを決める。
人類が滅亡した世界で、スーパーコンピュータらは、様々な形をした機械生物を産み出していく。
やがて機械生物たちがスーパーコンピュータらを見定めるときがやってくる。
スーパーコンピュータらもまた劣悪で傲慢な創造主であると判断されてしまう。
それが永遠に何度も繰り返されていき、遠い未来でもう一度人類が生まれ、神の品定めを始める。
リサが書いたのは、そんな小説だった。
2018年当時、リサはまだ高校生で、史上最年少の芥川賞受賞作家だった。
受賞後一作目がライトノベルなんて、と出版社の編集者には呆れられた。
だが、ネームバリューでそれなりに売れるだろうと判断され出版された。
結果として、その小説は全く売れなかった。
ライトノベルでありながら5~600円程度で買える文庫ではなく、1500円近い値段の単行本で発売されたことや、ライトノベルの売れ行きを内容の面白さ以上に左右することもある装丁が、全くライトノベルらしくなかったことが売れなかった原因だった。
だが、その小説に加筆修正が加えられ、人気イラストレーターによる装丁で文庫化された4年後の2022年、リサが小説に書いた通りに災害の巨大化や疫病の蔓延が始まった。
現実では、スーパーコンピュータではない誰かが、日本の地方都市に住むひとりの14歳の少女を生け贄に捧げれば終末を回避できるというデマ情報を拡散し、リサの小説は預言の書だったのではないかとSNSを中心に注目を集めることとなった。
少年と少女が逃避行の末に疲れはて、少女に頼まれた少年が彼女をその手にかけた後、それにより終末を回避するどころか、あらゆる災厄が人類に容赦なく襲いかかるというラストまでが小説とまったく同じであり、リサが書いた小説は完全に預言の書として扱われるようになっていた。
無論、リサにはそんなつもりは毛頭なかった。
彼女は幼い頃から抱いていた疑問を、小説にしてみただけなのだ。
災害の巨大化や疫病の蔓延、少年と少女の逃避行の終わり方とその後の世界については、確かにリサが書いた小説に酷似していた。
しかし、ふたりが逃避行をしなければいけなくなってしまったのは、彼女が書いた小説を元にデマ情報を拡散したとしか思えない者たちがいたからだった。
デマ情報を拡散した者たちと、それを信じた者たちが、国家や世界を巻き込み、ふたりを追い詰め、少女を死なせたのだ。
だが、彼女が否定すればするほどSNSは盛り上がり、小説が預言の書として扱われるだけではなく、彼女自身も小説家としてではなく預言者として扱われるようになってしまった。
リサはあの小説を書くべきではなかったのかもしれない。
あれは、書いてはいけない小説だった。
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