そして君に出会ったんだ

気がつくと僕は地獄にいた。

薄暗くて気味が悪い。

足元には人骨がまばらに散らばり、血の跡や血だまりがそこかしこに見られる。

そしてなにより亡者が発する怨嗟の声が間断なく響き渡っていた。

ここを地獄と言わずなんという。

僕は岩に手足を鎖で縛られ拘束されていた。

最低限の生活ができるよう拘束にゆとりのあった奴隷の時とは違い、地獄の拘束は手足を動かすわずかな隙間もなく、僕は岩に縛り付けられた状態で身動き一つとれない。

足元から蛇やムカデ、ネズミなんかが僕の体に這い登り、ぐちゅぐちゅと嫌な音を立てて僕の体を食いあさった。

僕は逃げることも追い払うこともできず、生きたまま体を蝕まれる激痛に絶叫しながら自分の体が食い破られるのをただ眺めることしかできない。

そして刃物を手にした父、母、養子の子が僕の目の前に現れ、その刃で僕の体を刺し貫いた。

彼らは何も言葉を発することなく、ただ茫然と刃をふるう。

彼らの目は何もかも包み込んでしまう白い霧のような悲しみの色をたたえていた。

生きたまんま食われては声が枯れるまで泣き叫び、両親に体を引き裂かれてはこの世に生まれてきたことを切に怨む。

時には蜘蛛や蛇の毒で焼かれるような激痛にさいなまれることすらあった。

だが地獄は僕が死ぬことを許されなかった。

心身ボロボロになり僕が意識を手放すと、瞬く間に体は修復され、永遠とも知れない苦痛に満ちた地獄の日々が続いていく。

その悲劇は100年、1000年と繰り返された。

その時には、僕の目は何を見ても何も映らず、何を聞いても何も響かないような状態で、諦めることすらもうすでに諦めていた。

僕の心は確かにあるのにもう存在しない。

そんな時だ。

彼女の声が聞こえたのは。

不意に雲の切れ間から声が聞こえた。

「それで、それで少年はどうなったの?」

それは幼い少女の声で、頬をなでる春風のような柔らかい声音だった。

「地獄におちてしまったのよ」

「かわいそう…。ねえ、もう大丈夫よ、よくがんばったね。もしわたしがきみを見つけたら、わたしがきみをなでてあげる。いいこいいこしてあげる。そして抱きしめてあげる。だから…、こっちにおいで」

乾いた大地が恵みの雨が降り注ぐように、僕は彼女の言葉に包まれる。

少女の綿毛のような柔らかい言葉に、忘れ去られた僕の心は再び脈動した。

ゆっくりと、そして力強く。

瞳から湯玉のような熱い涙がこぼれる。

僕の冷え切った心がまたたくまに癒えていく。

まるでうららかな春の日差しが冬の名残を消し去っていくように。

その言葉だ。

その言葉を聞きたかったんだ。

その言葉を1000年間待っていたんだ。

「もう大丈夫よ、頑張ったね」と言って欲しかったんだ。

刹那、僕の身体は淡い青い光に包まれた。

その光はこの世のなによりも暖かく、なによりも柔らかく、そしてなによりも優しく、暗闇に覆われた地獄の中で燦然と輝く。

青い光に包まれた僕は、光の鳥となり少女のもとへ力強く羽ばたいた。

暗くて重い雲の隙間から一筋の光が差す。

僕はその光を目指して上へ上へと飛んでいく。

彼女が涙を流したらこの翼で優しく拭ってあげよう、彼女がふさぎこんだらこの翼でなでてあげよう。

そう心に決める。

きみのために。

新たに命を吹き込まれた僕は、思いやりに満ちた暖かい光の中へ飛び込んだ。

きみに会うために。

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