シルバークロニクル

 ここ(この世界)とはちがう、別の世界――アレーネ・デーネ。

 そこは魔法という奇跡とも呼べるものが存在し、この地に着く生命体すべてにその力を宿していた。

 古い記憶…だったのだろうか。ふと思うことがある。

 その記憶がいつであり誰のものだったのか記憶の中には残されてはいない。ただ断片的だが覚えている…ということだ。電車から見た風景のようなものだ。一瞬でしか見ていないのに脳では鮮明に覚えている。そして少しずつ妄想と想像を重ねて記憶が改変していく。昔の記憶を覚えているとよくいうが、実際は妄想と想像がいまの風景と重ね合わせて作られたにすぎない。

 いま、青い宮殿の前にたどり着いた。脳の中に眠る記憶の糸を少しずつ引っ張ってようやくここにたどり着いた。ずいぶんと昔のようにも思える。青く星空のように夜でも輝いていた塗装ははがれてしまい、青とサビだけが苦々しく刻んでいる。

 中も殺風景だ。無理もない。記憶の糸を引いて何年になる? 覚えている限り…かなり経ってしまった。思いでの場所を探して歩き続けた。数えきれないほど宿を通して次の目的地である風景にたどり着くまで野宿したか。これもいい思い出になる? 私は、思い出にはならないと思う。なぜなら、本当に思い出したいものがあるのに、思い出せない状態で、いい思い出を作れると思うのだろうか。

 一冊の本を目に、私は歩むのやめた。台座だったらしいものはとうの昔に朽ち果て、席を失くした本はどこにいこうというのだろうか。誰しも踏み続ける地面へと落ちたのだ。本はかなり圧縮されている。重圧なほどかなりのページでひとくくりされていたであろうものが雑誌のように薄く凝縮されてしまっている。

 幾度と長い年月の中、この本を上から何千人以上の人が踏み続けていたのだろうと思うと、悲しくなる。この本は、この世界にはなくてはならないもののはずなのに。それを何も知らずにただそこらへんに落ちる葉のようにただ、目も当てることなく踏み抜いていったのだろうな。

 開かなくなった本の価値はないに等しい、これはゴミだという人もいるのかもしれない。歴史的な価値があると言ってくれる人もいるかもしれない。けど、私はこの本が手に入れて満足だ。

 ようやく念願の目的を果たせることができるのだから。


「ツ・トゥの書」…遥か昔、偉大なる魔女が書き残したとされる世界にしていまも探しているという財宝のひとつ。その本はありとあらゆるものが記憶し、そしてその本を見た人にその記憶を共通して与えるという。その本を手にしたものは一夜にして億万長者になった者から、知識を揃えた賢者になった者もいるという、また今まで治癒する術もなかった不治の病も治せる特効薬を生み出したともいわれている。

 その本の行方を知るものは――如何なるものでも願いが叶うであろうと信じられている。

 オカルトの世界ではよくある話だ。そんなものこの世にあるはずもない。そんなものがあれば努力したり勉強したり、学校へ行く必要もない。やりたくないことをやらないために想像豊かな人が作ったでっちあげなのだろうな。本を図書室の棚の中に収め、教室へ戻る。ちょうど掃除も終わり、友達と一緒に放課後何をするか相談するためだ。

「よう、集音(しゅうおん)」

「松部(まつべ)…」

 嫌な奴に出会っちまった。松部は放課後部に所属する同じメンバーなのだが、どういうわけかよくぼくに絡んでくる面倒くさい奴だ。なにかしらと先生の悪口をいったり女子の辛口を言ったりとネチネチと告げ口してくる。こんな人は軽く話してわかればいい。

「谷川(たにかわ)先生、また野球部のマネージャーのスカートを覗き込んでいたって」

「へー悪い奴だなー。それで校長先生とか相談したんかよー」

「言えるわけねーだろ。もし、校長先生が洩らしたら俺だってばれんだぞ! 命を張ってできるかよ」

「なら、岩子(いわこ)先生ならいいんじゃねーか。保険の先生だし、少なからず味方になってくれんだろ」

「言えるわけねーだろ。岩子先生は谷川先生と恋仲だって女子の中の噂だ。もし、本当だったら筒抜けだし、なによりも俺の居場所がなくなる」

「あー…お前にとってオアシスだもんなー」

 他の学校と違い、不登校とか学校に不満がある人、家庭の問題とか抱えている人は何かしらと安全となる教室が備えられているケースがある。この学校では保健室がそうだ。松部が言ったわけじゃないが、オアシスと呼ばれている。岩子先生はオアシスの女神だと松部が言いふらしていたのは別の話。

「集音! 松部! 放課後部がはじまるぞー」

「やべっ垣根(かきね)だ。急ぐぞ!」

 松部と一緒に放課後部へと走った。廊下を走っていると、ふと違和感を覚えた。廊下がなんだか長いと感じた。先頭を走っていた垣根も違和感を覚えたのか、立ち止る。

「なあ、長くないか廊下?」

 松部は息を切らしながら「そうか? こんなもんじゃないのか?」と言っていた。

 後ろを見やる長い廊下の先には図書室がある。教室の数はざっと三つだ。それほど長いわけじゃない。

「あと二つほどだ、急ごう」

 垣根ほど深く考えることはやめた。五つ教室があってたった三つの教室しか走っていないのに弱音を吐くなんて、鈍くなっている証拠だ。ぼくは先にいくよと声をかけ、先頭を走った。

 そして違和感なく、目的地である五つ目の教室にたどり着いた。

「着いたな」

「長かったー」

「そんなに長いか? 最近運動しているのか?」

 息を切らしている松部が聞いて、垣根が「お前に言われたくねーよ」とツッコミを入れていた。なんだかんだ仲がいいんだなーと思いつつ、放課後部の戸を開けた。

 一瞬何かが横切ったような気がした。

「松部…いま……――」

 振り返るとそこに松部がいなかった。垣根もいない。むしろ廊下や教室もない。どこまでも続く草が一面の生い茂っていた。見渡す限り山や海がない。まるで異世界にいるみたいに青々とした空に時々吹き込む風が草を波打たせる。ここは、草原だ。なぜそう思ったのかわからない。ただ、言える。ここは来たことがある。なぜそう思うのか、ぼくにもわからない。だけど来たことがある。そう思えて仕方がなかった。

 風が吹き上げ草が波打つたびに、どこへ行こうとしているのかただ歩いていた。教室もなければ学校もない。どこまでも続く丘の上をただ歩き続ける。風が吹く度に音は正常なんだと知覚する。それでも不安が少しずつ上ってくる。ここはどこで何でここにいるのかわからないからだ。

 しばらく歩いていると草むらの間に台座があった。その台座の上に一冊の本が置いてある。長い間放置されていたのか台座は半壊しており、元はなにか紋章が描かれていたのだろうが、雨風にさらされその跡を見るのは無残にも遠い昔に失われてしまっている。ただ砕けたものを視て、想像し妄想を重ねる事しかその姿を見ることができない。そして、台座の亡骸の上に置かれた一冊の本は、綺麗に整っておいてあった。誰かが大事にしていたのだろうか、傷一つ埃ひとつもない。蟲に食べられた痕もない。なぜこの本だけがきれいにここにあるのかわからない。だけど、この本がとても大切なものだったということだけは鮮明に覚えている。遠い昔、誰かに読ませてもらったことがあるような奇妙な感覚だ。

 本を開き、そしてすべてを思い出す――。


 ここ(この世)とはちがう、別の世界――アレーネ・デーネ。

 そこは魔法という奇跡とも呼べるものが存在し、大地に育んだ生命体すべてに与えられた力。その力は自らの命を代償に自然界の力を借りて奇跡を生み出すことができる。この本は、その世界のことが記されており、そしてなによりもぼく自身がその世界にいたことが綴られていた。

 誰が何のためにこれに書き残したのかはこの本を通して、ある人物を思い浮かべた。

「トワ・テーセ」…ぼくの前世だった人だ。

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