1-3 マリーゴールド

「織部くんにこんな可愛い妹さんがいたなんて知らなかった」


 僕らは映画の時間まで近くのカフェで過ごす事となり四人掛けのテーブル席に座る。勿論、僕と千夏は並び、千夏の向かいに沢口先輩が座った。


「そうですよねー。可愛いですよねアタシ」

「おい、そこじゃないだろ」

「うふふ……あはは」


 沢口先輩が少し大きく口を開けて笑い出した。高校では少し冷たい印象の彼女がこんなにも笑うなんて。笑顔が本当に可愛い。彼女の知らない一面が僕の心を鷲掴みにさせる。


「お兄ちゃん、良かったね。笑ってくれて」

「バカ、笑われているんだよ」

「どう違うの?」

「わかってるくせに……」


 千夏は確かに陽キャだ。けれどここまで積極的に話をするのは珍しい。元々千夏は千葉でも有数のお嬢様学校に通える程頭が良く、相手の見下す癖がある。

 そんな千夏がこんなにも沢口先輩と話をするなんて。やはり僕と一緒に居させるためか。

 ここまでされると要らぬお節介というより、その手際の良さを褒めたくなる。


 それからも千夏は沢口先輩と楽しげに会話を続け、合間に僕を絡ませた。しばらくして映画の時間となり受付まで行きチケットを三枚渡しスクリーンの前にまで来た。


 他のお客は疎らで僕らは真ん中あたりの席を選んだ。僕は外側に座り沢口先輩、千夏の順で座るものと思っていた。


「アタシ、トイレが近いから外側に座らせて!」


 いやトイレが近いなんて事はなかったはずだ。むしろ映画がはじまるとテコでも動かない奴が一体どういう風の吹き回しだ。

 その理由はすぐに気が付いた。


 沢口先輩が一番奥、そして僕、千夏の順に座った。正直、僕と沢口先輩の順番は大して問題ではない。千夏が端を押さえた事により、僕と沢口先輩が隣同士になったという事実。

 これが千夏の策なのだろう。

 確かに沢口先輩に気はあるが、これはさすがにやりすぎじゃないでしょうか。


「アタシ、ちょっとトイレいくついでにポップコーン買って来るね!」


 僕らが座ったと見るや妹はそう言い残し、嵐のように消えていった。さすがにお膳立てが過ぎないか。あからさまに僕らを二人にさせる気か。

 まさか、このまま僕らを残して帰らないよね。


「面白い妹さん」

「あ、あはは。ちょっと変わってますけどね……」

「ちょっと? ふふ。まぁでも一緒に住んでいたら飽きなかったでしょ?」

「う、うんまあ。いつも喧しいけど楽しかったです。今はお嬢様学校に行っちゃって実家は静かなものです」

「ふふふ、じゃあ今は両親と三人で暮らしているんだ?」


 ほほ笑んだ沢口先輩が可愛すぎる。正直美少女だとは思うが万人が万人認める可愛さでは無く、どちらかと言えば好みの問題で意見が分かれるのが沢口先輩だ。

 学校では殆ど笑わないし、何人もの男子生徒に告白されたらしいがどの人も玉砕。風の噂では百合なのではないかと言われるほど男子生徒を寄せ付けない。

 しかし僕らが所属する天文部では、そういった一面は殆ど見せない。たまに笑いたまに冷たい表情を浮かべるが後輩の僕にはとても優しい頼れる憧れの先輩だ。


「はい、子供の頃は祖母が居たんですけど僕が小学校の頃亡くなりました」

「お祖父さんは?」

「僕が生まれる頃に亡くなっています。どちらも老衰だとか。両親の話ではとっても優しい人だったと」

「そっかー。ごめんなさい……それは残念ね……」

「い、いや! 記憶も薄いですし、気にしてません」


 祖母の話をするとき僕は必ず嘘をつく。祖母の記憶はまだまだ色濃い。祖母は僕の初めてのカウントダウンの当事者と言ってもいい。僕に他人の寿命が見えると言うトラウマと精神病院通いを余儀なくさせた人だ。

 とはいっても恨んでいる訳ではない。今でも祖母との思い出は心に残っている。楽しい毎日だった。いつもニコニコ笑顔を絶やさない祖母は本当に大好きだった。


 こんなにも沢口先輩と話をするのは初めてかもしれない。

 何も映し出されていないスクリーンを見てたまに僕に視線を送る先輩。


「ねえ、映画館ってプラネタリウムに似ていると思わない?」



 さすが天文部、映画館をプラネタリウムに似ていると表現する辺りが実に先輩らしい。

 

「真っ暗になるし、椅子に座って見上げるあたりが似ていると思う。先月に部活でプラネタリウム作ったじゃない? あれ綺麗だったなー。前の合宿も綺麗だったし、星って本当に綺麗だよね」


 楽しそうに天文部の話をする先輩。その横顔、時折僕に視線を向ける表情。どれもが本当に可愛らしい。

 僕は沢口先輩が好きなんだと改めて感じる。


 他愛のない会話を続けていると、館内に炊くブザーが鳴った。そろそろ映画が始まるようだ。パンフレットを購入しそれをみていた沢口先輩が言った。


「千夏ちゃん、遅いわね」

「た、確かに……映画始まっちゃうよ」


 僕は身を乗り出し後方にある扉に視線を送る。

 すると両手に三人分のポップコーンとドリンクを抱えた千夏がそろりそろりと入って来た。


「千夏……」


 自分の席に辿り着いた千夏が静かに座る、そして僕と沢口先輩にドリングを手渡してきた。


「えっ。私の分まで買ってきてくれたの?」

「一人で食べるのもなんか申し訳ないなーと思いまして。にひ」

「ありがとう、千夏。なんだよ、言ってくれれば一緒に行ったのに……」

「良いの良いの。トイレに行くついでよ、ついで」

「ありがとう、千夏ちゃん」

「にひひ」


 これは後で請求されるだろうな。

 千夏が戻って来た事が合図になったのだろうか、次第に映画館の館内がうす暗くなる。この暗転から始まる高揚感が僕は好きだ。

 正直、恋愛映画も千夏の影響で何作も観ているし、アクションやSF映画も良く観る。どれも千夏の影響と言っても過言ではない。

 小学校の頃、精神病院へ通った日々は辛く苦しいものだったけれど、こうして映画を観ている時間だけはそれを忘れさせてくれた。

 スクリーンには俳優、女優が見える。けれどもそこの人たちのカウントダウンは見えない。映画や写真などでは見えず、恐らく僕の能力は直接目でみなければわからないのだろう。

 なんてリアルで残酷な能力なのだろうかと、僕は呪った。けれど映画やドラマはそれを忘れさせてくれる。


 予告編が始まる。

 いきなり大きな音が館内に響く。


「きゃ!」


 スクリーンには巨大な異形の獣が映し出された。今度始まるホラー映画の予告のようだ。

 目の前には黒く毛むくじゃらの獣が女優を食べだした。血しぶきが飛び手足が捥がれる。なんて気味の悪い表現なのだろう。

 と思っていたけれど、そんな事では僕は動じない。全く別の動揺が僕を襲ったからだ。


 僕がひじ掛けに置いていた腕を沢口先輩が握りしめていた。

 こうなってしまうと予告編の内容など頭に入って来る訳もない。柔らかな指の触感、きめの細かい肌、ほんのりと感じる暖かさ。僕は全神経を左腕に集中させる。腕を微動だにさせない。一ミリだって動かすものか。

 僕は自分の心臓が高鳴るのを感じる、ありえない程の鼓動。この鼓動、沢口先輩に聞こえていたらどうしようなどと雑念が僕を襲う。


「あ……ご、ごめん!」

「い、いえ……」


 沢口先輩が僕の腕から手を離す。悔しい、もっと触れてほしかった。


「きゃ!」


 再びスクリーンの中の俳優が毛むくじゃらの獣に襲われる。また僕の腕を掴む沢口先輩。いいぞ、もっとやってくれと僕は思った。

 それから合計三回、沢口先輩の手が僕に触れた。

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