1-2 里奈と千夏

「やっぱ寿司は美味しい!」


 可愛いけど可愛くない妹が寿司を頬張る。二つの頬っぺたがまるでリスのように膨れ上がっている。


「おい、千夏。そんなに頬張らなくても寿司は逃げないから」

「もきゅもきゅ」


 コイツ、僕がリスみたいだと思ったのを悟ったのか、リスのような言葉を発する。


「相変わらず、食い意地張ってるなぁ……」

「寮だとお寿司なんてお腹いっぱい食べられないし、学食も美味しいけど量が少ないのよ」


 そういえば千夏は大食いなのだ。この細い身体にも関わらず、ありえないぐらいの量を食べる。現在十皿目。いくら美味しいと言ってもこれだけ食べると普通なら満腹だろう。

 しかし千夏の胃袋は満たされていない。


「次はイカとエンガワ頼んで」

「はいはい……」


 僕は千夏が大食いだと言う事を忘れていた。回転する方だと言え仮にもお寿司だ。今の状態で一体いくらになっているのか。


「後十皿はイケる」

「やめろ、僕を破産させる気か」

「にひひ」

「その笑い方、可愛くない」

「おほほ」

「それもダメ」

「もう、何ならいいわけ」

「普通に笑え、普通に」

「わがままだなー」


 全く、本当に可愛い妹だ。

 しばらくして千夏が頼んだ寿司が来た。追加で八皿頼んだのは言うまでもない。


「あー、食った食った」

「くっそ……僕のバイト代が……」


 寿司を一人で二十皿も食べるやつがあるか。どれだけ寿司に飢えていたんだコイツ。これだけ食べれば胸も成長するはずなの、相変わらず真っ平。このまな板め。


「さ、お腹も膨れたし、映画見に行こうよ」

「はいはい……」


 千夏は恋愛映画が好きで家にいた頃も良く映画に誘われた。殆どの場合僕が支払うのだが、どうやら僕の財布、それが目当てらしい。

 たまには自分で支払えってくれれば、僕も少しはお金が溜まるのだろうけど。

 可愛くも可愛くない妹にせがまれて断れる程、僕は非情じゃない。

 僕がアルバイトをしているのも、千夏の為だと言っても過言じゃないのかもしれない。


 僕らは寿司屋から少し歩き映画館へ辿り着く。


「これこれ、これが見たかったのよ」

「『愛のマリーゴールド』」

「そう、有名歌手が主演をつとめる今年一押しの恋愛映画!」

「僕はこっちの『狂気の宴』が見たいな」

「ダメ! それハリウッドのホラー映画じゃん! 怖いのヤダ!」


 僕は渋々『愛のマリーゴールド』のチケット買おうと券売機にまで進む。


「織部……くん?」


 すると後ろから声をかけられた。


「ん?」


 僕と千夏は同時に振り返る。それもそうだ。僕らの苗字はどちらも『織部』なのだから。

 僕らの目の前には、一人の女の子が立っていた。


 セミロングの黒い髪の毛、白のお洒落なシャツに黒のワンピース。黒のショートブーツ。それがとても似合っていて、僕には地上に舞い降りた天使のように見えた。

 細身の体つきに千夏には無い膨らみ、スラリと伸びた細い手足、白い首筋には控えめなアクセサリー。清楚、それ以外の言葉が見つからない。


「ど、どちらサマー……」

「さ、沢口先輩……」


 驚く僕と沢口先輩を千夏がキョロキョロと交互に見る。


「お、織部くん……こんなところで会うなんて……」

「そ、それは僕のセリフです。まさかこんな場所で先輩と出会うなんて」

「おりべくん……? さわぐちせんぱい……?」

「で、デート……中……? ごめんなさい……つい声をかけちゃって……」


 沢口先輩が俯き申し訳なさそうに謝る。


「ち、違います! コイツは千夏といって」

「千夏……さん」

「どもども千夏です」


 沢口先輩がまた俯き明らかに雰囲気が重くなる。そんなとき千夏が少し声をあげた。


「お兄ちゃんがいつもお世話になっています! アタシ織部直斗の妹で織部千夏です」

「え、え、妹さん……?」

「はい、どうしようもない兄と優秀な妹です」

「どうしようもないって何だよ! それに優秀って自分でいうな!」


 僕はついつい妹のペースにハマってツッコミを入れる。すると沢口先輩の頬が少し緩み、いつもの笑顔になった。


「あはは、可愛い妹さんね」

「そうなんです」

「だからお前がいうな!」

「私は沢口里奈。織部くんと同じ天文部の二年生よ」

「不束な兄ですがよろしくお願いします」


 ダメだ、これでは妹のペースだ。


「さ、沢口先輩も映画……ですか?」

「え、ええ」


 当たり前だろ、ここは映画館だ。ここまで来て買い物や食事をする人間は居ないだろう。自分の会話の下手さに少し落ち込む。


「沢口先輩は、何の映画見るんですか?」


 千夏が食い気味で僕と先輩の会話に入り込んできた。


「え、えと……」


 沢口先輩は俯き頬を少し赤らめ、髪を耳元までかき上げた。明らかに照れている。


「『愛のマリーゴールド』……」


 やば、めちゃ可愛い仕草。千夏がこれをしても全然可愛くないだろう。しかしこの仕草、女の子が一人で恋愛映画を見るなんて恥ずかしいと言う事か。


「おー、アタシたちもそれを見ようと思っていたんですよ。良かったら一緒に観ませんか?」

「お、おい千夏⁉」

「え、え、え……」

「兄と一緒に観ても映画の感想とか殆ど語ってくれないんですよー。この人ホント鈍感で」


 言ってくれる、無理矢理観させられているこっちの身にもなれって。

 しかしこれは絶好の機会かもしれない。憧れの沢口先輩と一緒に映画を観られるなんて。


「良かったら一緒に観て、語りませんか?」

「え、え、ええ……」

「やった! じゃあお兄ちゃん、チケット買って、三枚ね!」


 沢口先輩の分も僕に払わせる気か。いやそれは全然かまわないんだけど。


「あ、私、自分の分は払うよ」

「いえ、僕が払います。バイトしてるんで気にしないでください!」


 むしろ沢口先輩と一緒に観られるなら何度でも払う。

 それから何度か沢口先輩と支払いのやり取りが続いたが、後ろの人たちから舌打ちが聞こえ僕らは早々と券売機前から脱出した。

 勿論、僕が三人分のチケットを支払ったが。


「ありがとう織部くん」

「と、とんでもないです!」

「じゃ、じゃあ……今度なにかで埋め合わせするね」

「え」


 つまりまた今度、沢口先輩と何か一緒に出来ると言う事か。


「にひひ」


 後ろから千夏の卑猥な笑い声が聞こえる。まさか千夏は僕の気持ちに気が付いて、これを狙っていたと言う事か。

 我が妹ながら何たる策士。陽キャお化けかコイツは。


 しかし僕一人でこのお膳立ては出来なかっただろう、ありがとう千夏。けれどその笑い方はやめてくれないか。

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