第5話 Trick or Heart

 "話したいことがある。何時でも構わないから、僕のところへ来てくれないか"


 そう月菜にメッセージを送り、太陽は部屋で月菜を待っていた。

 10月31日。ハロウィン。

 いったいいつから、この国はハロウィン祭りが定着したんだろうかと、そんな事を思いながらも、冷蔵庫にあるのは、ハロウィン仕様の可愛らしいケーキ。

 月菜をハロウィンに呼び出したのには、理由があった。

 ひとつは、月菜とハロウィンに交わした約束を守るため。

 そしてもうひとつは。

 月菜がどちらを選ぶかが、分からなかったためだ。


(トリックを選ぶなら、それでもいい。一生忘れられないくらい、怖がらせてあげるだけだ・・・・なんて、ね)


 一応、クローゼットの中には、ハロウィン用のコスプレ衣装も仕込んである。

 太陽がチョイスしたのはピエロの衣装。可愛らしいコミカルな衣装ではなく、血のりのベットリとついた衣装に、狂気を感じさせるマスクのセットだ。

 お化けやホラーの類が何より苦手な月菜には十分怖く見えるはずだと、太陽は思っていた。



「太陽の方から呼んでくれるなんて、珍しいね?どうしたの?何かあったの?」


 午後7時を少し回った頃。

 予想に反し、月菜は普段着姿で太陽のアパートへとやってきた。

 そして、やってくるなり、トイレへと足を向ける。


「ちょっと、トイレ・・・・」

「歯ブラシは一本しか無いよ」


 トイレへと向かいかけた月菜の足が一瞬止まる。だがもう一歩を踏み出しかけた月菜に、さらに太陽が言葉を掛ける。


「長い髪の毛も落ちてないし」

「短い髪の毛の女の子だっているでしょ」

「この部屋に落ちている髪は、僕の髪だけだよ。それ以外の髪がもしあるっていうなら、それは間違いなく幽霊の仕業だ」

「・・・・別に、疑ってるわけじゃないし。そもそも、疑うとか、無いしね。私別に、太陽の彼女でもなんでもないし」


 そう言うと、月菜は結局トイレには入らず、そのままテーブルを挟んで太陽の前に腰をおろす。


「今日6限まであってね。就活相談会もあったから。遅くなっちゃってごめんね」

「いや、大丈夫。こっちこそ、急に呼び出したりして、ごめん」

「・・・・なに、どうしたの?私なにか、変?」


 知らず知らずのうちに、マジマジと月菜を見てしまっていたのだろうか。

 月菜は太陽に不安そうな顔を向ける。

 まさか、『ハロウィンにコスプレしてないなんて思わなかったから』などと言えるはずもなく。


「いや・・・・ところで」


 太陽はさっそく本題に入ることにした。


「実は、年明けに転勤することが決まったんだ」

「転勤?」


 太陽の言葉に、月菜が目を見開く。


「どこに?遠いところ?」

「そうだね。日帰りだと、ちょっと厳しいかな」

「・・・・そっか」


 見開いた目を伏せた月菜は、左手首に付けた時計に視線を落とす。

 太陽が月菜へと送った腕時計。

 今、盤面に現れているのは、月だ。

 思えばこの時計をプレゼントとして選んだ時から既に、太陽は月菜と共にいることを望んでいたのだろう。心の奥底では。

 そしてそれは、プレゼントを受け取った月菜も同じ。

 同じ盤上で共に時を刻んでいる太陽と月のように、自分たちも同じ時を共に歩みたいと。そう願っていたのだ。


 少し間を置いたのち、月菜は首を傾げて太陽に尋ねた。


「なんでそれ、私に教えてくれたの?」

「約束、したから」

「約束?」

「そう。あの、ハロウィンの日に。もう絶対に、月菜をおいていかないって」


 ずり落ちてきた眼鏡を元の位置に戻し、太陽は続ける。


「忘れちゃった、かな?」

「・・・・ない」

「えっ?」

「そんな訳、ないっ」


 何故か怒ったような顔で、月菜は頬を膨らませる。


「でも結局は、私を置いて行くってことでしょ?遠くに行っちゃうんだから。もう、決まっちゃってるんだから」

「体は、ね」


 小さく頷き、不貞腐れる月菜に一瞬苦笑を浮かべたが、直後に真っすぐな目を月菜へと向け、太陽は言った。


「でも、心は。もし月菜が望んでくれるのなら、心は月菜に預けて行こうと思ってる」

「・・・・心?」

「そう。僕の、心。でもそれだと僕の体は空っぽになってしまうでしょ。だから、ね」


 穏やかに微笑み、太陽は月菜へ尋ねる。


「トリック・オア・ハート?」


 ポカンとした顔で、月菜は太陽を見た。

 それは、太陽が今まで見た中で一番、月菜の間抜けな顔だったかもしれない。

 けれども、太陽にはその顔さえ、愛おしく思えた。笑う事なんて、とてもできない。

 月菜の口から答えを聞くまでの時間が、ひどく長い時間に、太陽には感じられた。


「・・・・ハート」


 まだボウッとした顔のまま、月菜が小さく呟く。


「ありがとう、月菜」


 そっと抱きしめると、腕の中から月菜の呟きが聞こえた。


「ねぇ、本当?これ、夢じゃないよね?ウソじゃ、ないよね?」

「うん。本当だよ。夢でもウソでもない」

「ありがと、太陽。大好き・・・・」

「うん」

「でも、ちょっと遅い」

「それは、ごめん」

「せっかくヘビ持ってきたのに、今日は出せないね」

「・・・・ぜひ、そのまましまっておいて」


 腕を解くと、そこに見えたのは、泣き笑いの月菜の顔。


「私ね」


 照れ臭そうに頬を染めながら、月菜は言った。


「ちゃんと、とっておいたよ。大事な人のために。だから」


 トリック・オア・キス?


 囁きを遮るように、太陽は月菜に口づけた。

 あの時、どうしてもすることが躊躇われた、月菜へのキス。

 何年か分の、想いを込めて。



「っていうか、太陽が着ても全然怖くない~!むしろ笑える?!きゃははっ!」


『もし私が【トリック】の方を選んでたら、どうするつもりだったの?』の月菜の問いに正直に答えてしまった太陽は、結局準備していたピエロコスプレの衣装を着用する羽目になった。

 挙句、怖がるかとばかり思っていた月菜には、大笑いされる始末。


「なんで怖がってくれないかな・・・・」

「だって、太陽だもん」


 太陽が買ってきたハロウィン仕様の可愛らしいケーキを頬張りながら、月菜はニンマリと笑う。


「どんな格好したって、太陽なら怖くないもん」

「なんだよ、それ」

「じゃあさ、もし私がヘビ女コスしたら、太陽は怖い?」

「・・・・絶対しないでくれると有り難い」

「仕方ないなぁ。でも大丈夫。ヘビ女コスなんて可愛くないから、絶対しないし」

「・・・・良かった」

「でも、もし浮気なんかしたら」


 真顔になって、月菜は言い放った。


「部屋中、ヘビだらけにしてやるから」


(・・・・月菜、怖い・・・・もしかしたら、ヘビより怖いかも・・・・)


 ヘビだらけの部屋を想像し、恐怖に慄く太陽の姿に、月菜は再びキャハハと笑い声をあげる。


「浮気なんて、するわけないでしょ」

「うん。知ってる。はい、太陽、アーンして」

「えっ・・・・」


 思わず言われるがまま開けた太陽の口の中。

 月菜がそっと入れたハロウィンケーキは甘くほどけて、太陽の顔を綻ばせた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る