第4話 Trick or Love

 ドンドンドンッ!

 ドアを叩く音で、太陽は目を覚ました。

 手元のスマホを見れば、時間は午前1時を過ぎている。


“た~いよ~!あ~け~て~”


(えっ?月菜っ?!)


 誰だよこんな時間に迷惑な・・・・

 などと呟いていた太陽の眠たそうな目が、バチリと開く。

 枕もとに置いてあった眼鏡を掛け、慌てて玄関に駆け寄りドアを開けると、そこには明らかに酒に酔って上機嫌の月菜が、フラフラしながらフニャリとした笑顔を浮かべて立っていた。


「あ~、やっぱりいたっ!ねー、たいよ~、私・・・・うぐっ」


 玄関の外で大声で話し始める月菜の口を慌てて片手で塞ぎ、もう片方の手で月菜の腕を掴んで、部屋の中へと引きずり込む。

 ドアにカギをかけて一息つき、振り返った太陽の後ろで、月菜は玄関にペタリと座り込んで、フニャフニャと笑っていた。


「ハロパしてたら、終電逃しちゃったんだよ~、えへっ」

「何やってるの、いい年して・・・・わっ、酒くさっ!」

「ひど~い、傷つくそれー!たいよーのバカっ!キャハハッ」


 既に季節は秋も終盤。

 それでなくても気温の下がる夜には寒いだろうに、踝近くまである黒いローブを纏っているとはいえ、腿も露わなミニのスカートの月菜は、レースアップのロングブーツを履いたまま、子供のように足をバタつかせて燥いでいる。


「家には連絡したの?もうっ、いつまでそんなところに座ってるのっ、早くブーツ脱いで」

「脱げな~いっ!脱がして、たいよー!」

「・・・・しょうがないなぁ」


 ”あ、お母さん?今ね、太陽にぃのところ。電車無くなっちゃったから、泊めてもらうー!え?だいじょうぶだいじょうぶ、太陽にぃだから。じゃーねー!”


 ブーツを脱がしながら、母親へ連絡をしている月菜の声を聞くともなしに聞いていた太陽だが、何が『大丈夫』なのかが少しだけ気にはなったものの、それ以上に久しぶりに月菜の口から出た『太陽にぃ』という言葉が、胸の中に複雑な感情を巻き起こしていた。


 懐かしいような、切ないような・・・・苦しいような。


 月菜とは、暫くぶりの再会だった。

 直近で会ったのは2年前。月菜の大学合格祝いを渡した時。

 太陽としては奮発して買った腕時計を、月菜はとても喜んでくれていた。

 盤面に細工が施されていて、昼間の時間には太陽が、夜の時間になると月が現れるようになっている時計。


「大学生活、楽しんで。勉強ももちろんだけど、いろんな人との出会いもね。友達とか、恋人とか」


 月菜に贈った太陽の言葉。

 月菜は口元に笑みを浮かべてはいたものの、太陽から目を逸らせ、黙って頷いただけだった。

 それ以来、月菜とは会っていなかった。

 ごくたまに、他愛のないメッセージのやり取りをするくらいで。


「ちょっとトイレ」

「あ、そこ。左」


 ブーツを脱がせると、月菜はすぐにトイレに入った。

 太陽の住むアパートは、バストイレ一体型のユニットバスだ。

 もし飲み過ぎてリバースし、服を汚してしまうようなことがあれば、そのままシャワーでも浴びさせればいいかと考えていると、思いのほか早く月菜がトイレから出てきて、満面の笑顔を太陽に向ける。


「太陽は、まだひとり暮らしなんだね~?」

「え?そうだけど?なんで?」


 月菜の不気味なほどの笑顔の意味が、太陽には理解が出来ず。

 身構えていると、玄関に放り出したままの鞄を回収した月菜が、太陽の目の前に来てその場で正座をする。

 あまりに姿勢よく正座しているために、月菜の短いスカートが隠しているのは、白い腿の半分ほど。

 目のやり場に困った太陽は、ずり落ちてきた眼鏡を元の位置へ戻しつつ、視線を上へと上げて月菜と目を合わせた。


「歯ブラシ、1本しか無かった」

「それは当たり前でしょ。僕ひとりしかいないんだから」

「長い髪の毛も落ちてなかった」

「そんなもの落ちてる訳ないでしょ。それこそ、落ちてたら月菜の嫌いなホラーだよ?お化けだよ?僕の髪は見てのとおり短髪だからね?」

「うんっ」


 太陽の呆れ顔と反比例するように、月菜の笑みは嬉しさを増してゆく。


「月菜?何が言いたいの?」

「あのね~、実はハロパは早めに終わってたの」

「は?」

「わざと終電逃したの」

「え?」

「友達と恋バナしてたら、太陽に会いたくなって」


 傍らに鞄を置くと、月菜は膝の前に両手を付き、四つん這いのような形で体重を両腕に乗せ、太陽との距離を詰めた。


「ねぇ、太陽」


 アルコール交じりの甘い吐息が、太陽の鼻孔を擽る。

 大きく開いた胸元からは、胸の谷間が覗いていて、太陽は思わず息と共に唾を飲み込んだ。


「ホントは気づいてたよね、ずっと。私の気持ち」


 色気の滲む潤んだ月菜の瞳が、太陽の体をホールドする。

 月菜の質問に答えるなら、答えはYESだろうと、太陽は思った。


 いつだっただろうか、月菜の気持ちに気づいたのは。

 そして、いつだっただろうか。

 月菜への気持ちに、気づいたのは。


 ぼんやりとする太陽の頭を、月菜の言葉がフワリと包む。


「トリック・オア・・・・ラブ?」


(これは夢、なのか?)


 ゆっくりと近づく月菜の胸に、ボウッとなる頭。

 けれども。

 次第に強くなるアルコールの匂いに、太陽はスクッと立ち上がると、冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトル取り出し、戻って月菜の前に置いた。


「飲みすぎだよ、月菜」


 とたん。

 傍らの鞄から何かを取り出し、月菜は太陽に向かって投げつけた。

 太陽の胸に命中し、ボトリと足元に落ちたものは-


「ぎゃああぁっ!」


 思わず叫び声をあげ、必死の形相で勢いよく壁際まで後ずさる太陽の姿に、月菜は腹を抱えて笑っている。


「ヘビ嫌いも、相変わらずなんだね、あーおかしいっ!笑い過ぎて涙出る」


 目元を指で拭うと、月菜は投げたモノを回収した。

 それは、ゴム製のヘビのおもちゃ。


「なんか眠くなってきちゃった。へへっ、ベッド借りるねー」


 そう言うと、月菜は太陽を見ることなく、そのままベッドの中に潜り込んだ。



 なかなか収まらない動悸と冷や汗に、太陽は壁伝いにずるずると体を落とし、そのまま座り込む。


(まったく、子供か?なんてことしてくれるんだよ、月菜・・・・)


 ようやく動悸が収まった頃、聞こえてきたのは月菜の小さな寝息。

 気づけばカラカラに乾いていた喉を、月菜にと持ってきたペットボトルのミネラルウォーターで潤し、太陽はそっと、月菜の眠るベッドに近づいた。


「ごめん、月菜。でもね。イヤなんだよ、僕。酔った勢いとか、そんなのは絶対に」


 小さく呟いた太陽の視線の先では。

 掛け布団から出た月菜の左手首で、太陽が贈った腕時計が静かに時を刻んでいた。

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