第3話 Trick or Kiss

「塾行くくらいなら、太陽くんに教えてもらいたいっ!」


 小学校まではかなり良い成績を残していたはずの月菜が、中学になってから次第に成績が下がってきたようで、高校受験を心配した月菜の両親が塾に通うように勧めたところ、返ってきたのがこの答え。

 家から少し離れた大学に通っていた太陽は、大学2年になってすぐに、月菜の両親から家庭教師を頼まれた。


「月菜はあの通り頑固でしょう?一度言い出したら聞かなくて。太陽くんも色々忙しいとは思うんだけど、バイト代ももちろん払うし、夜ご飯もうちで食べてくれて構わないから、お願いっ!おばさん達を助けると思って、月菜の家庭教師、引き受けてくれないかな?」


 学費と一部家賃は親に出して貰っているものの、大学進学を機にひとり暮らしを始めた太陽は、生活費はバイト代で賄っていた。

 月菜の家庭教師をするとなれば、バイトのシフトを減らす必要は出てくるが、月菜の両親から提示された家庭教師のバイト料はアルバイトの時給よりも遥かに高い。加えて夜ご飯付きとなれば、その分の食費も浮く。


「はい。わかりました」


 太陽は早速、週に1日、月菜の勉強を見始めた。

 ひとり暮らしを始めるようになってから、月菜が太陽を訪ねて来ることはパタリと無くなった。

 アパートの場所は教えていたし、メッセージのやりとりはたまにしていたものの、やはり月菜もお年頃の女の子。男のひとり暮らしの部屋に足繁く通うのは、さすがの月菜もはばかられたのだろうか。

 久しぶりに顔を合わせた月菜は、いつの間にかすっかり『小さな女の子』からは卒業してしまったようで、太陽は少しだけ寂しい気持ちになったものの、数年前のハロウィンの日の出来事を思い出さずにはいられなかった。

 小学校6年の月菜が一瞬だけ見せた、仄かな色気。

 中学3年になった今の月菜からは、その仄かな色気が度々発せられている気がして、太陽は腹の底がむず痒いような居心地の悪さを感じていた。


 もともと月菜は勉強が出来ないわけではない。また、それほど勉強が嫌いな様子でもない。

 おまけに、太陽が噛み砕いて教えるまでもなく、ただ隣に座って見ているだけで、月菜は自ら問題集と向き合い、答えを導き出していく。

 太陽の仕事と言えば、ごくたまに月菜の質問に答えるのみ。

 特段【家庭教師】としての仕事をした気はしなかったが、太陽が月菜の勉強を見始めてからというもの、月菜の成績は驚くほどに上がり、太陽は恐縮してしまうくらいに月菜の両親から感謝をされる始末。


「月菜さぁ」

「なに?」


 秋の気配も深まり始めた頃。

 短めのキュロットスカートを履き、組んだ足をブラブラとさせながらも真面目に受験勉強に取り組む月菜に、太陽は当初から感じていた疑問をぶつけた。


「もしかしてわざと、できないフリしてたんじゃない?」

「・・・・さっすが、太陽くん!」


 悪びれもせずに、参考書から顔をあげると、組んだ足を組み替えながら月菜は笑顔を見せた。

 その笑顔は、子供の頃から何度も太陽に向けてくれた無垢な笑顔ではなく、狡猾ささえ垣間見える、ある意味大人な笑顔。

 思わずドキリとしてしまったのは、ちらつく月菜の太腿の白さではなく、きっと大人びた笑顔のせいだと自分に言い聞かせ、ざわつく胸を落ち着かせながら、太陽は尋ねた。


「なんで?なんでそんなことしたの?」


 月菜の実力であれば、塾に行かなくたって家庭教師を付けなくたって、十分に学校推薦を狙える成績がキープできたはず。それをわざと成績を落としてまで、一体何がしたいのか。

 太陽には理解ができなかったし、腹も立っていた。

 両親に要らぬ心配をかけて、余計な出費までさせている月菜に。

 そのため、口調が少しだけキツめになってしまったのだろう。

 月菜は笑顔を消し、頬を膨らませて口を尖らせる。


「だって」

「だって、なに?」

「太陽くん、次のお休みに遊園地連れてって」

「・・・・は?」

「そしたら、教えてあげる」

「月菜、僕は今真剣な話を」

「私だって、真剣だもんっ!」


 そう言う月菜は、確かに冗談を言っているようには見えない。

 おまけに。

 月菜の母親も言っていたとおり、月菜は一度言い出したらきかないのだ。

 折れる気配の全くない月菜に、太陽は仕方なく頷いた。


「分かった」

「ほんとっ?!絶対だよっ!」


 椅子に座ったまま嬉しそうに飛び跳ねて上体を揺らす月菜の胸が、上下に揺れる。

 そのことに気づいた太陽は、慌てて視線を月菜から外すと、窓の外へと逃がした。



 約束の日曜日。10月31日。

 月菜の希望どおり、太陽は遊園地へとやって来ていた。

 そこは、昔よく月菜を連れて一緒にやってきていた遊園地。

 遊園地、と言えば聞こえはいいが、そこにあるのはどこにでもあるようなメリーゴーラウンドやゴーカート、回転系のあまり激しくない乗り物に、それほど猛スピードでもないジェットコースター。

 そして。

 子供だましもいいところの、お化け屋敷のみ。

 いわゆる、子供向けの遊園地。

 けれども、月菜との約束で半ば仕方なく訪れたはずのその遊園地は、久しぶりの懐かしさも相まってか、瞬く間に時間は過ぎていった。


「そろそろ、帰ろう」

「最後にあそこに行く」

「え?やめときなよ。月菜は昔からあれ、苦手でしょ?」


 月菜が『行く』と顔をこわばらせながら宣言したのは、お化け屋敷。

 和風のお化け屋敷で、よくある日本古来の『お化け』『幽霊』の類が、朽ちてボロボロになった家屋の中のそこここに居るという設定で、入口から出口まで歩いていくタイプのもの。

 どこかからお化けが飛び出してくるようなドッキリ系の仕掛けも無く、それほど怖いものではないと、太陽などは小学生の頃から思っていたものだった。

 だが、月菜は幼い頃から、オバケの類には滅法弱い。特に、和風のお化けや幽霊、怪談話などは、中学生になった今だって、冗談でも話し始めるとマジ切れするほどに弱いのだ。

 まだ月菜が小学生の頃、初めてこのお化け屋敷に入った時には、入口そばで既に恐怖で足が進まなくなり、一緒に入った太陽にしがみついて泣くばかりの月菜を、最後には負ぶって出口まで向かった。

 さすがにもう、太陽に出口まで負ぶわれるほどではないとは思うが、それでも、あからさまに顔を強張らせている月菜に、太陽は苦笑を浮かべて他の乗り物を提案する。


「最後に乗るなら、ゴーカートの方が気分爽快になれるんじゃ・・・・」

「やだ。最後はあそこって、決めてたんだから」

「・・・・なんで?」


 これはきっと、折れる気が無いやつだ。

 月菜の言葉にそう察した太陽は、純粋な疑問を口にした。

 すると。


「太陽くんと一緒なら、行ける気がするから」


 強張った顔のまま、月菜が真剣な眼差しを太陽へと向ける。

 その目に、仄かな色気を滲ませて。


「前も一緒に入ったけど、入口で止まっちゃったでしょ。それで僕がおんぶして」


 一瞬跳ねた心臓をごまかすように、太陽は冗談めかしてそう口にしたが、


「私はもう、子供じゃないよ。あの時とは違う」


 静かな言葉に遮られ、太陽は口を閉じた。


 あの時とは違う。


 その言葉が、何故だか太陽の頭の中に何度も繰り返し響く。


「ねぇ、太陽くん。最後までちゃんと歩いて出られたら、ご褒美ちょうだい!ねっ?」


 腕を組まれる形で、太陽は月菜と共に、お化け屋敷へと足を踏み入れた。

 一応立ち止まる事は無かったものの、そのうち苦情が来るのではないかと思うほどにギャーギャー喚く月菜の柔らかな胸が、太陽の腕に何度も触れる。


(相変わらず怖くないお化け屋敷だ・・・・月菜の声の方がよっぽど怖い)


 最後は逃げるように走り出した月菜に引きずられるようにして、太陽はお化け屋敷から抜け出した。


「ね?大丈夫だったでしょ?」


 得意そうなドヤ顔を見せる月菜に、太陽は呆れて、組まれたままの月菜の腕を解く。


「どこが?もう、月菜、うるさ過ぎ・・・・」

「でも、ちゃんと歩いて出られたよ?」

「最後は走ってたけどね?」

「そうだっけ?速足だよ、速足!」

「はいはい」


 すっかり西に傾いた日が、太陽と月菜の細長い影を地面に写し出している。

 もう帰るよ、と西日を背に先に歩き始めた太陽に、月菜が言った。


「ねぇ、太陽くん。今日は、ハロウィンだよ?」

「あぁ、そうだったね」

「だからね」


 小走りに追いかけてきて、タンッ、と小さくジャンプをした月菜が着地をしたのは、太陽のすぐ目の前。


「トリック・オア・キス?」


 太陽自身の影にすっぽりと入ってしまっている月菜の顔は、お化け屋敷に入る前よりも更に強張っているように見えた。

 そしてそのまっすぐな目から溢れ出していたのは、紛れもなく-


(月菜・・・・)


 太陽が顔を近づけると、顔を少し上向けて月菜は目を閉じる。

 太陽はずり落ちた眼鏡を元の位置に戻すと、そっと、触れるだけのキスをした。

 月菜の、額に。


「えっ・・・・」


 困惑顔で目を開ける月菜に、太陽は言った。


「そういうのはね、ちゃんと、いつか出会う大事な人のために取っておかないとダメだよ?」


 太陽にとって、月菜は大切な存在だ。

 おそらく、月菜にとってもそれは、同じなのだろう。

 太陽が、本当の妹のように大切に思っているのと同じように、月菜も本当の兄のように、太陽を大切に思っている。

 そして、思春期真っただ中の月菜は、その気持ちをきっと、違う感情と勘違いしてしまっているに違いない。

 そう考えた末の、太陽の行動は。


「・・・・太陽のバカ」


 どうやら月菜の怒りを買ってしまったらしい。


(えっ?!ていうか、僕に遂に、呼び捨て?!)


 足早に遊園地の出口へと向かう月菜の背中を、太陽は呆然としたまま暫くの間ぼんやりと眺めていた。

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