第10話:王子妃教育の教科書




 小説を読み終わったフローレスは、閉じた本を机の上に置いた。

 今回の小説は、ヒロインである平民が王子を始めとする、高位貴族の子息数人を侍らせる話だった。

 前回の悪役令嬢の異母妹である庶子を王子妃にするよりは、現実味があるだろうか。


 学園の卒業パーティーで悪役令嬢に婚約破棄をして、その後は郊外の屋敷で皆で幸せに暮らすというものだった。

 それは、誰も爵位を継がないという事よね?

 子供が誰の子かも判らなくなるから、絶対に産む事は無いだろう。

 若い頃は良いけど、ある程度の年齢になったらどうするのだろう?

 架空の物語なのに、フローレスは真剣に考えてしまった。



「フローレス様。何か難しい所でもありました?」

 伯爵夫人に問われ、フローレスは笑顔を返す。

「いえ。予想通りでしたが、その後が気になりまして」

 フローレスは本の表紙を捲り、題名の書かれた中表紙を見せる。

 伯爵夫人の趣味も読書である。

 いつも新しい本を読む時は、お互いに報告しあっていた。


「そちらは、あくまでも平民の夢を注ぎ込んだ物ですからね。何もしなくても、貴族は遊んで暮らせると思っているのでしょう」

「なるほど。そういう事でしたのね」

 フローレスは納得した。

 その後など無いのだ。

『皆で幸せに暮らしましたとさ、チャンチャン』で、お花畑で抱き合って終わりなのだ。


「フローレス様、次の教科書を持っていらしたらいかがかしら?」

 伯爵夫人に言われ、フローレスは喜びを隠しきれずに立ち上がる。

 先生がこう言う時は、新しい本を侍女に渡してくれているのだ。

 部屋には王子妃教育用の教科書カバーが掛けられた、新しい小説が置いてある事だろう。

「それでは、教科書を取って参ります」

 フローレスはお辞儀をして、部屋を出た。



 フローレスが廊下に出ると、母親が向かいから歩いて来るのが見えた。

 この先には王子妃教育に使っている応接室の他は、使っていない客室しかない。

 ルロローズの様子でも見に来たのだろう。


「あら、どこへ行くの?」

 まだ終了時間でも無いのに応接室を出て来たフローレスを見て、母親は不機嫌な表情を隠してもせず聞いてくる。

「先生にこの範囲は大丈夫なので、次の範囲の教科書を持って来るように言われました」

 手に持った教科書のカバーを母親に見せる。


「教科書くらい、最初から全部持ってくれば良いものを」

 溜め息と共に吐き出された言葉に、フローレスは無言を返した。

 分厚いハードカバーの小説と同じ厚さの教科書を、毎回全部持って移動しろと言うのは、現実的では無い。

 実際、本当の王子妃教育の時も、その時に使う教科書だけを持って行っていた。


 そもそも教科書も、全部で10冊も有るのだ。

 本当に自分の事に興味が無く、何も知らないのだとフローレスは内心で盛大な溜め息をく。

「では、明日から使用人が野菜を運ぶ台車と同じ物を使う許可をください」

 フローレスの言葉に、母親は首を傾げる。

 眉間の皺が深い。


「もう一度言いましょうか?お母様。教科書を運ぶのに、台車使用の許可をください。これと同じか更に分厚い教科書が、後9冊有るのです。まさか私に抱えて運べとはおっしゃいませんよね?」

 自分の嫌味が見当違いな事に気が付いたのだろう。母親は顔を真っ赤に染めて、ワナワナと震えている。


「そんなもの、使用人に運ばせなさい!」

 母親がフローレスを怒鳴りつけた。



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