第2話

 声から逃げることにした。お茶をリュックに戻し、立ち上がって路地を歩く。やはり雪は入ってこない。曇天から降り注がれる白い粒はその空間を拒むように消える。

 途中から道幅が広がって車が通れるような幅になった。そこで、体力の限界を迎えて立ち止まった。声は近づいて来る。後ろから声は追ってくるようだ。

 声のする方へ顔を向けた。人が歩いてくる。大きな人でとても線が細い。どんどん近づいて来る。逃げたほうが良いのだろうか。でも逃げたとてあんな家に帰りたくない。私は座り込んでしまった。その人は目の前に来た。

 とても中性的な見た目で性別の判断ができない。身長は180センチメートルくらいで、おかっぱに切り揃えられた髪。大きなこげ茶色のハットを被っていて目は見つけられない。鼻は小さく、唇は薄い。輪郭は整った楕円形だが表情が、分からない。服は黒色のトレーナーと灰色のチノパンという格好でシャープな体をよりクールに魅せているようだ。

 その人は無表情のまま私を品定めするようにしばらく眺めている。

 唇が動いた。

「君、迷ったのか」

 中性的な声だ。まるで、声変りの途中の中学生のような声。震える声で私は返答する。

「ええ。ですがこの雪でしばらくは歩けません。それに、足は凍傷になっているので回復を待ちたいです」

「そうか。でも、一回この道に入ってしまうと、特定のルートを辿らないと帰れなくなるぞ」

 帰れなくても構いませんと言いそうになった。でも、無駄に詮索されたくないので帰りたいふりをする。

「それは困りますね。どのくらいの距離があるのですか?」

 その人は薄く笑った。困っていないのを見透かされたのかもしれない。

「まあ、100キロメートルほどかな」

 数秒の時が流れる。思わず固まってしまった。

「本当ですか」

 どうやら、本当のようだ。時間は現実世界と同期しているとの話なので、私は絶望した。数日は歩かないとならない。さすがに捜索願も出されてしまうだろう。S君に落ち目を感じさせてしまうのではないか。スマホをポケットから取り出して通信状態を確認すると、ネットに繋がっていた。親友のT君にメッセージを送る。「1週間ほどそっちに泊まっていることにしてくれ」すぐに既読が付いた。

「かまへんけど、なんかあったか」

「いつか話すけど、今は説明できん」

「分かった、こっちはうまいこと誤魔化すようにするから」

「ありがとう」

 借りができてしまった。いつか返済しないと。次に母親にメッセージを送る。

「1週間くらいTの家に泊まるから。学校には、風邪で寝込んどるって連絡しといてくれ」

 こちらは既読が付かなかった。まあ明日になったら返信が来るだろう。スマホをポケットにしまって、目の前の人と話を続けようと正面を見たとき、いなくなっていた。焦って、周りを見ると1メートルほど開けて横に座っていた。突然その人は喋り出した。

「私は旅の途中なんだ。ここで君と出会ったのも何かの縁だから、あっちに帰れるまで付き合うよ」

 経路を教えるのもめんどくさいから、付いて来いということか。私は意図を汲み取った。

「ありがとうございます。私は、木崎。木崎修介です。あなたは」

「私は、そうだな。メアリーだ。メアちゃんとでも呼んでくれ」

 絶対、嘘の名前だ。それになんだよメアちゃんて。思わず笑いそうになった。そうか、メアちゃんか。呼びなれるには時間がかかりそう。年齢も気になったが、女性には年齢を訊くなと誰かから教わったのでやめておくことにした。

「これからは、さらに非現実な光景を見ることになる。そして、時たまに悪魔のような天使のような言葉が君に語り掛けてくるだろうが、君は耳を貸すなよ。貸しても絶対にそっちに流れてしまっては駄目だ」

 分かりましたと答えて頷く。どこか懐かしさを感じた。何故だろう、こんなに寒いのに心は踊っている。何かを思い出した。小さい時の記憶だ。

 お爺ちゃんは似たような細い路地に入っていく。死にかけの私を道の入り口に降ろして、そこから息を切らして戻ってきた。真赤な紅葉を見ながら微睡む意識の中、何かを飲まされた。苦い、とんでもなく苦かった。吐きだしそうになるとお爺ちゃんは泣きそうな顔で僕の口を手で塞いだ。ー頼む、頼む。声は聞こえないが、口の動きで分かる。何とか飲み込むと私は気絶したのか、目を覚ますと病院のベッドの上だった。医師はお爺ちゃんと話していた。

「奇跡ですよ、これは」

「よかった」

 お爺ちゃんは私の頭を撫でて泣いていた。

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