第68話 私だけ

「ただいま」

「お、おかえり」


 私が突然部屋を出ていったことに狼狽えていた様子の灯織君は、部屋に戻ってきた私を見て気まずそうな空気を流している。

 別れを切り出そうとして、その言葉を途中で遮り部屋を出て行かれたのだから気まずくなるのも当然だ。


 そんな灯織君を見兼ねた私はこちらから声をかけた。


「灯織君はもうお風呂入りに行かないの?」

「あ、ああ。父さんたちと鉢合わせても気まずいし」 

「そっ。ならもう寝る?」

「そうするか」

 

 同じ部屋で寝るのは初めてのことだが、不思議と緊張や焦りはない。

 先程百華からアドバイスをもらい今後どうしていくべきかを決心することができたからだろうか。


 平常心のまま電気を消し、布団に入った。


「……ねぇ灯織君。ちょっとこのまま話してもいい?」

「お、おう。僕も丁度話したいことがあったし」


 灯織君はめげずに私に別れ話を持ちかけるつもりらしい。

 そんな話を持ちかけられるよりも先に、灯織君の気持ちを訊いてしまおう。


「じゃあ私から話すね。単刀直入に聞くけど、灯織君ってこの私たちの関係を今後も続けたいと思う?」


 灯織君に、私のことが本当に好きで本物の恋人になりたいかと問いかける勇気は無かったが、先程決心した通りこの関係を続けていきたいかどうかを率直に尋ねてみた。


「今の関係っていうのはこの嘘の恋人っていう関係をか?」

「うん」

「千紗乃はこの関係を続けられても迷惑だろ? 元々迷惑をかけない様にってこの関係を始めたんだから。千紗乃のためにも終わらせたほうがいいと思ってる」


 灯織君は相変わらず自分ではなく私のことを考えて発言をしてくれる。

 何度も優しさに触れられるのは嬉しいことだが、今私が聞きたいのは私に気を遣った発言ではなく、灯織君自身の気持ちである。


「灯織君自身はどう思ってるの?」

「僕自身?」

「私が灯織君と今の関係を続けたくないだろうから別れた方がいいって言ってるんでしょ?」

「ま、まあそうだけど」

「そうじゃなくて灯織君自身はどうなの? 今の関係を続けなくないのか続けたくないのか」

「……」


 返答に悩んでしまった灯織君はそこからしばらく言葉を詰まらせ、黙り込んでしまう。


 そんな灯織君を、私は急かすでもなくただ話し始めてくれるのを待った。


 できればこの関係を続けたいと言ってほしい。更に欲を言えば嘘の関係ではなく本物の関係になりたいと、そう言ってほしい。


 この沈黙が私の中の欲望を全てさらけ出してきた。


「……千紗乃に訊かれて僕自身この関係を続けたいのかどうか考えてみたけど、千紗乃のためだけじゃなくて、僕自身のためにもこの関係を終わらせたいと思ってる」


 その発言を聞いた私は理解した。


 この関係を続けたい、そしてそれ以上の関係になりたいと思っているのは私だけなのだと。

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