水雨ラプソディ

第50話 仲の悪い幼馴染

 教室に入ると今日も今日とて俺の方を睨みつけているのは幼馴染の雨森音夢。


 自分の席に向かうまでの間に神凪と会話をしている音夢の横を通った僕は、他の人には聞こえない程度の大きさで挨拶をした。


「おはよ」


 神凪と会話をしているので返事は返ってこないが、恐らく何かしらの返事があったとしてもそれは俺を貶すための言葉なのだろう。


 そんなことを考えながら自分の席に着き音夢の方を確認すると、鬼の形相で俺を睨みつけている。


 いや、いくらお前その顔神凪に気付かれたらどうするつもりなんだよ。お前らの関係に亀裂が入りかねないぞその顔は。


 今となっては見るからに悪化してしまっている僕たちの関係だが、昔は近所でも噂になるほど仲が良かったのだ。

 音夢とは十年来の付き合いで、高校に入学するまでは本当に仲が良かった。


 しかし、高校に入り、あの一件があって以来僕たちの関係は悪化の一途を辿っている。


 音夢の俺に対する態度を見ると音夢が悪いように見えてしまうかもしれないが、俺たちの関係が悪化してしまった原因は全て俺にある。


「おはよ。今日はいつもより早いな」

「そ、そうか? いつもこんなもんだけど」


 自分の席につき、珍しく僕より先に着席していた灯織に声をかける。


「それはないだろ。俺より早くきてることなんてほとんどないじゃないか」

「ま、まあそうだな。あれ、なんか珍しく顔色悪くないか?」

「珍しくねぇよ。割といつもこんな感じだ」

「そうか?  なら良いけど」


 俺の顔色が悪い原因は恐らく音夢の僕に対する態度が原因ではあるが、それが原因だとするならばきっと僕の顔色は毎日悪い。


「……ん? なんか良い匂いするな」

「え⁉︎ そ、そうか⁉︎ 良い匂いなんてどこからもしてこないけど⁉︎」


 普段は漂ってこないような良い匂いが灯織から漂ってくる。

 それをそのまま言葉にしただけなのに、なぜ灯織はこんなに焦ってるんだ?


 良い匂いがすると言っただけで、別に焦るようなことは何も言っていないはずだが。


「シャンプーとか変えた?」

「あーそういえばそうだった気がする‼︎ 母さんが勝手に良い匂いの女性用のやつ買ってきてさ」


 母親が良い匂いのシャンプーを買ってきたことくらいで焦る必要なんて無い。


 それなのにこれだけ焦っているとなると、何か隠しているのではないかと疑ってしまうが、灯織から良い匂いがするってだけで何か重要なことを灯織が隠しているなんてことはないだろう。


 いいとこ、許嫁の神凪からシャンプーをもらったとかだろうか。

 そうではなくて、もし神凪の家にお邪魔して神凪の家のお風呂に入ったとかだったら流石に腹抱えて笑うけど。


「良いんじゃないか。男臭いより、良い匂いがした方が神凪も喜ぶだろ」

「な、何でそこで千紗乃が出てくるんだよ」

「何でも何も許嫁何だから当たり前だろ?」

「ま、まあそりゃそうだけど……」

「またとにかく仲良くやれよ。お前らは」

「お前らは?」

「……なんでもない」


 灯織が神凪からシャンプーをもらったという確証はないが、間違いなく灯織と神凪の関係は進展している。


 灯織から直接話を聞いたわけではないが、最近の灯織の雰囲気を見ていれば容易に察することができた。


 俺の知らないところで今まで引っ込み思案だった親友がS級美少女と仲を深めていることを、親の様な気持ちになりながら心の底から喜んでいた。






「おはよ」


 私がチサと会話をしていると、気だるそうな表情を見せながら小声で挨拶をしてきたのは水野くんだ。


 私は挨拶をしてきた水野くんに対して出来る限り怪訝な表情を浮かべて見せる。


 私と水野くん……、いや、翔太は子供の頃から兄妹のように同じ時間を過ごし、近所でも噂になるほど仲の良い幼馴染だった。


 思春期になっても私たちの関係が変わることはなく、中学時代もずっと一緒に行動を共にしていた。


 そんな翔太のことを好きになるのは必然的で、私は小学生の頃から翔太に恋をしているという自覚があった。


 とはいえ、あまりにも仲が良かっただけに、告白をすることで今の関係が崩れてしまう可能性があることを考えると告白をしようという考えには中々至らなかった。


 しかし、高校に入学してすぐ私は翔太に告白をしようと決心していた。


 私たちももう子供ではない。


 ただの仲良しから、それ以上の関係になりたいと考えるには十分に相応しい年齢になった。


 時代は一年半ほど前へと遡る。






nemu『来週さ、一緒に映画でも見に行こうよ』


 そう翔太にRineを送ったのは、本当に映画が見たかったからではない。


 むしろ見たい映画なんて一つもなかった。


 映画を見るというのはただの口実で、その日の夜に私は翔太に告白をしようと考えていた。


 ただの幼馴染からそれ以上の関係になりたい。そうして手を繋いだり、抱きついたり、キスをしたり……。

 そんな甘い時間を過ごしたいと考えた私はついに勇気を出して告白することにしたのだ。


 以前はもしかしたら振られるかもとか、振られてしまったら今の関係が崩れさってしまうとか、ネガティブなことばかりかんがえていたけど、もう私たちは十年来の付き合いだ。

 今告白をすれば、翔太は絶対に私と付き合ってくれるという根拠の無い自信があった。


水野『おっけい』


 翔太からの返事はいつもそっけないし、私に対する対応も雑ではあるが、だからと言って仲が悪いわけではなく、むしろ仲が良いからこそ雑な反応になっているのだろう。


 翔太から了承をもらった私はその日のために新しい服を買いに行ったり美容院に行ったりと準備に取り掛かった。






 デート当日、髪型も服装も全てを完璧に決めてきた私は自信満々で集合場所に到着し、翔太がやってくるのを待っていた。


 普段は絶対にしないけど、今日は手を繋ぎにいったり、腕にギュッとしがみついてみたり、翔太の食べているパフェを一口もらってみたり、そんな大胆な行動に出ようと考えていた。


 普段とは違うそんな行動を取れば、翔太も今日は何かが違うと気付いてくれるだろう。


 そんなことを考えながら翔太の到着を待っていると集合時間の三十分前に駅に着いていたというのに、一瞬で集合予定時刻になった。


 翔太の姿は見えないが、普段からそこまで時間を守るタイプの人間ではないので、それから五分、十分と翔太の到着を待つが、中々やってこない。


 まあ十分程度なら遅れることもあるだろうし、まだ集合時間から十分しか経過していないのにRineをしてしまっては細かい奴だと思われるかもしれない。

 そんな風に考えた私は連絡をすることなく集合場所に立ちながらスマホを触っていた。


 しかし、時間はみるみるうちに過ぎて集合時間から三十分が経過してしまう。

 流石に集合時間から三十分が経過しても集合場所に来ないのはおかしいと思った私は、翔太にRineを送った。


nemu『まだ到着しなさそう?』


 私が送ったRineにはすぐ既読がつき、返信もすぐに返ってきた。


水野『あ、ごめん。忘れてた』


 ……は? 忘れてた?


 あまりにも予想外の返信に、私は自分の目がおかしいのではないかと一度スマホから視線を外し、もう一度スマホの画面を確認する。


 しかし、やはり翔太からの回答は今日の私とのデートを忘れていたというものだった。


 翔太から返ってきた内容に私は頭が真っ白になる。


 ちゃんとRineで約束を取り付けたというのに何で忘れてるの?

 こんなに楽しみにして、準備までバッチリしてきたのは私だけだったの?


 ……いや、誰にだって何かしら忘れる時くらいある。


 気を取りなおして、私は翔太に質問を返した。


 nemu『今から来れそう?』


 翔太『今日アニメのイベントがあるから無理そうだわ』


 ……は? アニメのイベント?


 翔太が最近になってなぜか急にアニメにハマっていたのは知っている。

 ついでに言うと、私に名前も聞いたことないアニメのキャラクターや声優の話をして来るようになったのも最近の話だ。


 それにしたってだよ?


 幼馴染との約束をすっぽかしてアニメのイベントに行くってどうかしてるんじゃないの?


 私は今日のために今までで一番可愛くなれるようにって服装も髪型も、慣れないメイクだってしてきたって言うのに、翔太は私との約束なんて忘れてて、アニメのイベントのことしか考えてなかったってこと?


 そんなの……そんなのって……。


 私は衝動的に翔太に電話をかけた。


「……もしもし」

『ごめんごめん、今日約束したってことすっかり忘れてて……』

「--っ。もうあなたとは幼馴染でもなんでもないから。水野君」

『……え?』


 衝動的に、翔太に汚い言葉を吐いてやろうかと思ったが、心の底から腹が立ち憎いと思った相手に対しては、どうやら怒声ではなく冷え切った言葉しかかけられないようだ。


 ただタイミングが悪かっただけなのかもしれない。

 せめて翔太が約束を忘れてしまったのが、私が告白しようとした今日という日でなければジュースを一本奢ってもらうくらいで許せたのかもしれない。


 それなら許してあげても良いのではないかとも考えたが、私の怒りは治らなかった。


 こうして私たちの関係は、悪化の一途を辿るようになったのである。

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