第49話 どっちも大好き

「「ただいま」」


 玄関を開けて二人で声を揃えてただいまを言うと、リビングから出てきた千紗乃が僕たちを出迎えてくれた。


「おかえり。夏目前とはいえ多少雨も降ってたし肌寒かったでしょ。暖かいココア入れたから。一緒に飲みましょ」


 千紗乃の言葉に、僕の後ろにしがみつくようにして隠れていた有亜はコクっと頷いた。


 リビングに入ると千紗乃と百華ちゃんがテーブルの前に置かれた椅子に並んで座っており、ココアの他に甘いお菓子類も準備されていた。


 この前千紗乃と一緒に行ったスーパーでは今机の上に置かれたお菓子類は購入していなかったので、僕が飛び出していった後でわざわざスーパーまで買いに行ってくれたのだろう。


 百華ちゃんが僕たちの関係が嘘の関係であることを知っていると発言したことについて言及したかったが、結局有亜には僕たちの本当の関係については話していないので、今この場面で百華ちゃんに訊くわけにはいかない。


「千紗乃、もう知ってるだろうけどちゃんと紹介してなかったと思うから僕から改めて紹介させてくれ。妹の有亜だ。ちょっとだけブラコンの気があるが、大切な妹だ。僕と付きあうならやっぱり有亜のことも大切ににてほしいと思ってる。これから頻繁にこの家に出入りすることになるかもしれないけどよろしく頼む」


 僕の言葉と同じタイミングで有亜は再びペコっと頭を下げた。


 有亜が頭を下げたタイミングで、僕は千紗乃に『有亜には本当のことをまだ話してないよ‼︎』とアイコンタクトを送る。


 僕が話した内容から、それについては理解してくれたようだった。


 そして急に借りてきた猫の様に静かになってしまった有亜からは先程までの暴走機関車具合は見て取れない。


「有亜ちゃん。これからよろしくね。お兄ちゃんを奪っちゃう形になってしまってごめんなさい。でも私、本当にお兄ちゃんのことが大好きだから。女の私が言うのも変かもしれないけど、絶対に幸せにするから安心してほしいな。それに、急にお兄ちゃんと離れ離れになったら寂しいだろうし、いつでも遊びに来ていいからね」

「神凪先輩……」


 千紗乃が優しいお姉さんだと分かった有亜は涙目になっている。


 それにしても、有亜に納得してもらうための演技とはいえ『お兄ちゃんのことが大好きだから』という言葉には破壊力がありすぎるだろ。


 思わず顔を紅潮させてしまいそうになるが、有亜にバレないようグッと堪える。


 しばらくしてから涙を拭った有亜は急に何か思い立ったように勢いよく席を立った。


「分かった‼︎ これから神凪先輩のこと、お姉ちゃんって呼ぶ‼︎」

「「……へ?」」


 千紗乃と百華ちゃんは呆気に取られたような表情を見せる。


 僕はというと、なんとなく有亜が吹っ切れてこの結論に辿り着く様な気がしていたので、驚きはなかった。


 なんというか、逞しい妹である。


「大好きなお兄ちゃんに加えてもう一人、大好きなお姉ちゃんができたって考えたらめちゃくちゃ最高じゃん……。だからこれから神凪先輩のこと、お姉ちゃんって呼ばせてもらうね‼︎ もうお姉ちゃんになったんだから敬語もいらないよね〜」

「ぷっ、ははははっ‼︎ そうきたかーっ。流石有亜、ただでは転ばないね」

「私、お兄ちゃんだけじゃなくてお姉ちゃんもほしいなって思ってたから急にこんな素敵なお姉ちゃんができて本当に嬉しい」

「ちょ、ちょっと待って⁉︎ わ、私まだ有亜ちゃんのお姉ちゃんになるとは一言も……」

「千紗乃」


 僕は慌てる千紗乃に左手をパーにして突き出した。

 そうして何か喋るでもなく、僕は静かに首を縦に振る。


「っ……も、もうっ。どうなっても知らないんだからねっ」


 喜ぶ有亜の表情を見た千紗乃はそれ以上反論することができず、晴れて千紗乃は有亜のお姉ちゃんとなった。


「それなら私も灯織先輩のこと、お兄ちゃんって呼ぶね。お兄ちゃん‼︎」


 有亜が千紗乃をお姉ちゃんと呼ぶところまでは予想できていたが、まさか百華ちゃんが僕のことをお兄ちゃんと呼び出すとは思っていなかった。


「え、ちょ、それは……」


 僕が慌てふためいていると、今度は仕返しとばかりに千紗乃は僕に左手を突き出してきた。


「はぁ……。どうなっても知らないからな」


 こうして僕たちは実際付き合ってすらいないのに、周囲も巻き込みながら家族としての道を歩み出したのだ。






 お父さんからお姉ちゃんが同級生の男子と許嫁になったと聞いた時は空いた口が塞がらなかった。


 有亜のようにお姉ちゃんのことが大好きというわけではないものの、急にお姉ちゃんが遠い存在になってしまったような気がした私は寂しさを感じていた。

 お姉ちゃんにイタズラをした時の、あの可愛い顔を見るのが大好きだったのに、それがもう頻繁には見られなくなってしまうのかと考えるとその寂しさは増幅してしまう。


 一体お姉ちゃんの婚約相手というのはどんな人なのかと疑問に思いながら登校すると、高校に入学して席が隣同士だったことですぐに仲良くなった有亜が腹を立てながら話しかけてきた。


「百華ぁ〜もう本当にわけわかんないんだけど‼︎」

「どうかしたの?」

「今朝お父さんが急に、お兄ちゃんがこの学校に通ってる女の人と許嫁になったとか言い出してさ……。悲しさと怒りで感情がグチャグチャになっちゃってるの」

「え? 許嫁?」


 その話を聞いた瞬間、私はお姉ちゃんが許嫁となった相手が有亜のお兄さんだと確信した。


 私自身かなりショックを受けてはいたけど、有亜のお兄ちゃんなら悪い人ではなさそうだし安心できるかもしれない。


 そう楽観的に考えてしまったが、私の目の前であまりにもショックを受けている有亜の姿を見て、このままお姉ちゃん達を許嫁のままにしていてはいけないと考え、有亜ために私がしてあげられることはないかとしばらくの間考え続けていた。


 その答えが、有亜と私の二人でお姉ちゃんたちが住むアパートに突撃するというものだったのだ。


 どうしようかと考えている間にまさか同棲まで始めてしまうとは驚きだったが、早く何か手を打たなければと焦ったおかげで早めに行動に移すことができた。


 お姉ちゃんと有亜のお兄さんが許嫁になってからの有亜は見ていられない程に弱っていた。

 最初に出会った頃よりも明らかに痩せていたし、声には覇気もない。


 そんな有亜のために、絶対お姉ちゃん達を別れさせようと思ってアパートに突撃したは良いけど……。

 二人の様子を見て、私はすぐにこの二人が本当は付き合っていないことを確信した。


 付き合っているのであれば、もっとこう、家族の様な感じではなくイチャイチャした甘い雰囲気が漂うはずなのに、この二人にはそれが全く無いのだ。


 とはいえ、二人からは恋人以上の家族の様な雰囲気を感じる。

 有亜のために二人を別れさせようと思っていたが、仲良さげにしているところを見てそんな気は起こらなくなってしまった。


 灯織先輩が優しい人だというのは妹を大切にしている様子からも痛い程伝わってくる。


 きっとお姉ちゃんはこの人といれば絶対に幸せになれる。

 だからこのまま、灯織先輩が本当にお姉ちゃんの旦那さんになれば良いと思ってしまったのだ。


 それに、お姉ちゃんが灯織先輩と結婚すれば灯織先輩みたいな優しくて面白くて扱いやすい人が私のお義兄ちゃんにもなる。


 有亜には本当に申し訳ないけど、お姉ちゃんみたいな可愛い人がお姉ちゃんになるのだから、お兄ちゃんをとられてしまうことは我慢してほしい。

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