第57話 家族になる
神凪宅に到着した僕は百華ちゃんから鍵を受け取っているとはいえ、一応インターホンを鳴らした。
急に自宅に押しかけられれば気持ち悪いと思われるかもしれないが、Rineも返事がない、電話も出ないとなればもう直接家に来るしか方法はなかった。
しかし、十秒程待っても反応はない。
一度インターホンを押しただけでは気付いてない可能性もあるだろうと、僕は何度もインターホンを押す。
両親がいるかもしれないと思うと何度もインターホンを押すことはできないが、両親がいないという情報も百華ちゃんから入手済みなので、僕は強気でインターホンを鳴らしていた。
しかし、やはり返答はない。
僕はこれが最後通告だと、千紗乃にRineで電話をかける。
しかし、千紗乃は相変わらず電話に出ない。
そして僕はついに百華ちゃんから受け取っていた鍵をポケットから取り出し、神凪家へと侵入した。
千紗乃の家に入るのはこれで二回目だ。
女子の家に入るというのは普通であれば緊張するシチュエーションなのかもしれないが、すでに同棲をしてしまっている僕からすればそれくらいなんてことはない。
僕が玄関に入ると、慌ただしく二階の部屋の扉が開く音が聞こえてくる。
「ちょ、ちょっと⁉︎ なんで入って来れるのよ⁉︎」
千紗乃は階段の上で息を切らしながら僕の方へと視線を向けている。
僕は一週間ぶりにみる千紗乃の姿に、思わず安心してしまっていた。
「なんでもいいだろ。それをいうなら僕だって、なんで怒ってるのか訊かせてもらおうか」
そう言いながら、僕はゆっくりと階段を登る。
「ちょ、ちょっと⁉︎ こないでよ‼︎」
僕が二階へ上がろうとすると千紗乃は急いで自分の部屋へと逃げ込もうとする。
僕が二階に登り切ったタイミングで千紗乃は自分の部屋へと逃げ込み部屋の扉は閉められた。
千紗乃の部屋の扉には鍵がついておらず、いくら千紗乃が力いっぱい扉を閉めたとしても、僕が本気を出せばすぐに扉は開けられるだろう。
しかし、力づくで扉を開けてしまってはなんの意味もない。
僕は一旦扉の前で立ち止まり、扉に背を向けて、持たれるようにして座った。
「このシチュエーション、前にもあったよな。まああの時は千紗乃が裸だったけど」
「な、何想像してんのよ馬鹿‼︎」
最初から真剣な話をするのではなく、あえて冗談を言うことで千紗乃の気を落ち着けようとした。
「ごめんごめん。……千紗乃。僕たちが嘘の恋人として付き合い始めてもうしばらく経つよな」
「つ、付き合うって言ったって嘘の恋人だけどねっ……それがどうかしたの?」
「こんなこと言ったら気持ち悪いって思われてさ、この関係が破綻してしまう可能性があるっていうのは分かってる。それでもさ、僕は千紗乃と一緒にいたい」
「い、一緒⁉︎ それはどういう……」
「千紗乃といるとさ、居心地がいいんだよ。嘘の恋人だっていうのは理解してるのに、それでも本物の恋人なんじゃないかって思うこともあってさ」
こんなことを言えば本当に千紗乃から気持ち悪い奴だと思われてしまうかもしれない。
それでも、今は自分の本心を真正面からぶつけなければ以前のような関係には戻れない。
「ちょ、ちょっと、何言ってるの」
「千紗乃がどう思ってるかは知らないけどさ、本物になるためにはやっぱりお互いが優しさを持ってせっするべきだと思う」
「ほ、本物になるため……?」
「だからさ、おそくなっちまったけど、誕生日おめでとう」
「……へ?」
僕の言葉に千紗乃は、なぜそれを知っているのかと疑問符を浮かべていた。
まあそんなことよりも先に、なんで両親がいないことを知ってるのかとか、なんで家の鍵を持ってるのかとか、訊くべきことはたくさんあると思うけど。
「7月22日、千紗乃の誕生日だったんだろ?」
「そ、そうだけど……」
「だからだよ。おめでとう」
遅くなってはしまったが、僕は千紗乃にお祝いの言葉をかけた。
今更お祝いの言葉をかけられたところで千紗乃が機嫌を直してくれるかどうかは分からないが、まずはお祝いの言葉をかけなければ僕の気が治らなかった。
「……遅いのよ」
「ごめん。同居人の誕生日を知らないだなんて、同居人失格だよな」
「……ふんっ。今更おめでとうって言われたって許さないんだから」
多少声色が穏やかにはなったものの、依然として千紗乃の機嫌は元に戻っていない。
「許されようなんて思ってないよ。ただ本当に千紗乃の誕生日を祝いたいから、おめでとうって言っただけだ」
「あ、ありがと……。それより、その……さっきの、本物になるためにっていうのは……」
勢いでそんなことを言ってはしまったが、ここで僕が千紗乃に告白をして、振られでもしたら今度こそ僕たちの関係は破綻してしまう。
「そりゃ勿論、本物になるために努力しないと、周りから疑われるだろ?」
「……はぁ。灯織君らしいわね」
「そうか?」
「ええそうよ。でも本当にショックだったんだから」
千紗乃にやり返したいわけでもないし、僕自身が千紗乃にそれを知ってほしいわけでもないが、僕は今、千紗乃がこうして僕に対して向けてくる刃を収めるための、とっておきの質問を繰り出した。
「じゃあ絶対僕を許すしかなくなる言葉、言ってやろうか?」
「そ、そんな言葉あるわけ……」
「僕の誕生日、いつかわかるか?」
「……」
僕は千紗乃に自分の誕生日を聞かれた覚えはない。
まさか千紗乃が翔太から聞いているとも思えなかったので、満を辞してこの質問を繰り出したのだ。
僕の予想は見事に的中したようで、千紗乃はすっかり黙り込んでしまっている。
「そういうことだ」
「……」
少し卑怯な気もしたが、なりふり構っていられる状況ではなかった。
あまりにも効果は抜群すぎて千紗乃からの反応が全くなくなってしまったので、これならいけるだろうと千紗乃の部屋の扉に手をかける。
そしてゆっくりと扉を開いた。
扉の向こうには、床に座って丸くなり、頬を膨らませて若干涙目になっている千紗乃がいた。
「……いじわる」
「いじわるしてでも千紗乃と仲直りがしたかったってことだよ」
「その言い方も卑怯だわ」
床に座り込んで丸くなっている千紗乃の前で僕は膝を曲げ、千紗乃より少し高いくらいの目線の位置に座り、千紗乃の頭を撫でた。
こうして千紗乃の頭を撫でていると、昔よく泣いていた有亜の頭をこうして撫でてやっていたことを思い出す。
「卑怯じゃないだろ。正々堂々、正面から向き合った結果出た言葉だよ」
「よくもまあそんな恥ずかしいことを堂々と言えるわね」
「本心だからな。恥ずかしさなんてどこにも無いよ」
「……それで、灯織君はいつなの? 誕生日」
「僕は12月24日。クリスマスの日だよ」
「ふふっ……。何よそれ。灯織君に一番似合わない誕生日じゃない」
「そう思われるからあんまり公言はしてないんだよ」
これまでも幾度となく似合わないと言われてきたので、できるだけ親しくなった人にしか話さないようにはしているのだが、千紗乃になら、似合わないと言われても構わない。
そう言われることを気にする程浅い関係では無いのだから。
「嘘嘘。私は似合ってると思うわよ。その誕生日。私に明るい人生を運んできてくれたのは灯織君なんだから」
僕にそう伝える千紗乃の表情が、一番明るいということに本人は気付いていないのだろう。
「そ、そんなことないと思うけど」
「そんなことあるのよ。…‥クリスマスイブは灯織君の誕生日、祝わないといけないわね」
「別に祝ってくれなくても構わないけど」
「祝うなって言われたって祝うわよ。灯織君が生まれてきてくれた、大切な日なんだから」
どういう意味で言っているのかは分からないが、少なくとも僕という人間が千紗乃の人生において欠かせないピースとなっていることは間違いなさそうだ。
「あ、ありがとう……」
「まだ何もやってないけどね」
「……なぁ。今から家に戻ってやろうぜ。千紗乃の誕生日パーティー」
「そ、そんな今更……」
「僕が祝いたいんだよ。だから素直に祝われてくれないか?」
「……しょうがないわね」
「ほら、じゃあ荷物まとめて帰ろうぜ。今アパートに百華ちゃんいるし」
「……へ? なんで百華が⁉︎」
「なんだっていいだろ。ほら急いで荷物まとめろよ。今からケーキ買いに行ったり部屋飾りつけたり色々忙しいんだから」
そして千紗乃がキャリーケースへと荷物をまとめ終えてから僕たちはアパートへと向かって歩き出した。
僕らは嘘の恋人だ。
本来は今こうして一緒にいることだって、同棲することだって絶対にあり得なかった。
そんな僕らが今、こうして手を繋いで歩いているこの時間だけは、これまでの嘘の生活の中で唯一嘘ではないのではないかと、そんな風に感じながら歩みを進めた。
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