2, 誰がヒロインなのかさっぱりです!

(1)

 王都の南側に広がる丘陵に並び立つ、2つの白亜の宮殿――――――

 

 それが、乙女ゲームの舞台である魔法学園こと、レグヌムデウザビット・マギア学園と、同じ敷地内に併設させたマギア大学だ。

 今から約千年前に建てられたという2つの学舎は、“アーラエ アンゲリー”(天使の羽)という別名を持ち、王族たちが住まう宮殿にしか見えないほどに、その佇まいは美しい。

 そして、爵位持ちのご令息とご令嬢のみが入学を許される超エリート校でもある。

 そんな学園の制服は、とても学生服とは思えないほどの華やかさで、王国のロイヤルカラーであるロイヤルブルーを基調とし、男子生徒はブレザーの上衿と下衿と袖口に、女子生徒の場合は、Aラインの膝丈のワンピースの裾部分に、黒のラインを入れることで全体を引き締めている。

 また、その女子生徒のスカートには、光沢のあるサテンと、繊細なオーガンジーレースをふんだんに使った純白のフリルが全体的にあしらわれており、制服というよりもはやドレスそのもの。

 しかし膝丈という点で、淑女としてはどうなの?―――と、思わなくないけれど、これはこれで動きやすいため、私としてはとても気に入っている。


 そんなお気に入りの制服を着て私が通学できるようになったのは、頭を打ってから三日後のこと――――――――

 ようやくお兄様から通学の許可が下りたのだ(医者ではなくお兄様の許可というところがポイント)。

 ところで、早馬を人馬一体となって追いかけたマタルは、領地まであともう少しというところで早馬に追いつき、お父様の前科二犯を未然に防いでくれた。

 早馬が出発してから2日経っても、お父様が王都の屋敷に姿を現さなかったため、もしかしたら…………と、期待はしていたけれど、本当にマタルはやり遂げてくれたらしい。

 そのことを執事のムルジムから報告されたのは、今朝のこと。

 マタルも無事に帰ってきたようで、私はホッと胸を撫でおろし、そのまま馬車へと乗り込んだ。

 久しぶりの学園。前世の記憶を持つ状態での初登校。

 もちろん行き帰りの馬車は、お兄様と一緒だ。

 行きはともかく、学園と大学とでは授業と講義の時間も違うため、お兄様をお待たせする場合もあれば、その逆も当然のことながらある。

 そのため学園に入学したての頃、一度お兄様に提案してみた。

『帰りは別の馬車にいたしましょうか?』――――――と。

 すると、『そんなものはユーフィリナに合わせるだけの話だ。大した問題ではない』と、あっさり一刀両断されてしまった。

 それ以来、晴れの日も、風の日も、雨の日も、私が通学する日は必ずお兄様とご一緒しているのだけれど、なんだか今日のお兄様は様子がおかしい。

 お兄様の醸し出す空気がいつもよりほんの少し重い気がするのだ。

 もしかしてお兄様、ちょっぴり不機嫌?

 いつも心配をさせている側としては、ここぞとばかりにお兄様のことが心配となる。

 お兄様の身に何か大変なことが起こったのだとしたら…………まさか、この私のように前世の記憶が戻り、悪役令嬢ならぬ悪役子息なんて役柄が割り振られたのだとしたら…………まぁ、そんなことはないとは思うけれど、万が一ということもある。

 もしそうであるならば、転生者の先輩として私が相談に乗って差し上げなければいけないわね――――――と、自分のことは丸ッと棚に上げて、私は対面に座るお兄様をひしと見つめた。

 さぁお兄様、私はいつでもお兄様の悩みを聞く準備はできておりますわよ、という意を込めて。

 ちなみに、大学生であるお兄様も制服を着ている。

 しかしその制服は、学園生である私たちとは違って白にロイヤルブルーのラインだ。

 もちろん、なんでも着こなすお兄様のため、その制服もとても似合っているのだけれど、全体的に真っ白だからすぐに汚れて大変そうね…………などと、ついつい途中から余計な心配をしながら眺めてしまう。

 そんな私からの視線に気づいたらしいお兄様は、窓の外へと投げかけていた視線を、麗しき微笑みとともに私へと向けた。

「どうした、ユーフィリナ。お前にこうして見つめられるのは大変嬉しくもあり、面映ゆくもあるが、私に何か言いたいことがあるのなら言ってみなさい。お前の願い事ならばどんな願いでも叶えてやろう」

 まるで太っ腹のランプの精のような台詞を吐いてくるお兄様に、私はそうではないと首を横に振って、口を開いた。

「お兄様はいつだって、私の心配ばかりをしてくださいますが、私だってお兄様のことを心配しているのです。世間知らずの箱入り令嬢である私では、まったく頼りにならないのは百も承知ですが、何か心配事がおありなのでしたら仰ってみてください。少しは気持ちが楽になるかもしれませんよ」

 そう告げて、ふと思い出す。

 あの日――――――夜会があったあの日、王城からお戻りになられたお兄様も、やっぱり少しだけ不機嫌そうに見えた。もしかしたら、私が急に欠席したことで、何か王城でお叱りを受けたのかもしれない。

 それともやっぱりあの袋のことを追及されて……………

 良からぬ想像ばかりが脳内を占領しはじめ、悩み事を聞く態勢から一転、今度は謝罪の態勢へと切り替わる。そのため、お兄様が口を開くと同時に、私は勢いよく頭を下げた。

「すまない、ユフィ」

「お兄様、申し訳ございません!」

 揺れる馬車の中で重なった謝罪の言葉。

 頭を下げたのは私だけだったけれど、すぐに頭を上げてお兄様を見てみれば、珍しく驚きの表情を浮かべていた。

 しかしそれも、忽ち苦笑で掻き消される。

 お兄様はゆるりと立ち上がると、私の横へと座り直し、ポンと私の頭の上に手を乗せた。そして、優しい声音で問いかけてくる。

「どうしてユーフィリナが謝る?」

「お兄様が少し不機嫌でいらっしゃるのは、夜会で何かあったからかと………それも私が急に欠席などしたばかりに。だから…………」

「確かにお前のいない夜会はつまらなかったが、誰かに叱責されるようなことは何もなかったぞ。強いて言えば、面倒な王弟殿下から厄介な頼まれ事をされたくらいなものだ」

「まぁ、王弟殿下から頼まれ事を……………」

 もちろん、どんな?などと聞いたりはしない。そしてやっぱり王弟殿下には“面倒な”という枕詞が付くんですね、などという確認もしたりしない。ただ――――――――

「では何故、お兄様も謝られたのですか?」

 声は重なったが、お兄様の謝罪の言葉は私にもしっかり届いていた。

 意味なく謝るはずはないと問いかけてみれば、お兄様は困ったように眉尻を少し下げて、私の頭で二度手をポンポンと弾ませてから、罰が悪そうに答えた。

「ユーフィリナに心配させしまった自分を、心底情けなく思ったからだ」

「そんな……情けなくなどありませんわ。私だってお兄様が心配なのです。私はお兄様の妹でしょう?ですから今は、お兄様を誰よりも近くで心配できるのです。だから、その特権を奪わないでくださいませ」

 お兄様は私の言葉を嬉しいような、どこか物哀しいような表情で聞いた後、「今は……誰よりも近くで………か」と呟き、一つ息を吐くように笑みを零した。それからいつものように口角を上げ、悪戯な笑みとなる。

「それでは早速、ユーフィリナに私の心配事を聞いてもらうとしようか」

「へっ?」

 何故か私の口から漏れ出た素っ頓狂な声。

 もちろんお兄様の心配事を聞くことはやぶさかではない。まったくもって、やぶさかではないのだけれど……………………

 あ、あのお兄様、これは一体どういうことでしょう?

 急に嫌な予感がし始めたのですが、これは私の気のせいでしょうか?

 私の直感によれば、お兄様の心配事は主に………というより、全面的に私の事であるような気がしてならないのですが、これは単なる自惚れでしょうか?それとも、それはあまりに自分を卑下しすぎでしょうか?

 しかし今更、聞きたくありませんとは言えない。

 そのため「も、もちろんですわ」と引き攣りそうになる顔を、公爵令嬢としての嗜みで微笑みに変える。けれど、こういう時の勘は得てして外れないのが世の常で――――――――

「さてユーフィリナ、私の心配事なのだが、もうしばらく学園を休んではどうだろう?私はお前のことが心配で心配でならないのだ」

 やっぱりと…………と内心で天を仰ぐ。そして即座に「却下です」と容赦なく切り捨てた。

 それでなくとも、口を開けば「心配だ」と嘆くお兄様に付き合い、私は三日間も学園を休んだのだ。さすがにこれ以上は休んでいられない。

 なにしろ私は是が非でも、これから私が全力で引き立てるべきヒロインを探し出さなければならないのだから。

 そんな私の頑なな決意を知る由もないお兄様だけど、「それは残念だ」と全然残念そうには見えない顔で嘯き、肩を竦めた。

 それから窓の向こうの景色をちらりと見やって、もうすぐ学園に到着することを確認したお兄様は、例の如くいつもの台詞を当たり前のように口にした。

「さぁ、ユーフィリナ。おまじないの時間だ。今日も私を安心させてくれ」

 これでお兄様の心配が少しでも解消されるならと私は頷き、自分の額にお兄様の額が重ねられるのを従順に受け止めた。



 頭を打った日もお休みだったので、実質四日ぶりの学園。

 懐かしさなどは当然ないけれど、妙な違和感だけはそれなりにある。

 それはきっと、私が前世を思い出したからだろうな………と、一人納得し、美しいけれど無駄に長い廊下を足早に進んだ。

 迷うことなく自分のクラスに入り、自分の席へと座る。

 途中すれ違った同級生とおぼしき生徒には、「おはようございます」と私の方から声をかけた。

 その理由は簡単明瞭。最も高位である公爵令嬢である私から声をかけなければ、誰からも声をかけられないからだ。

 だからそれがいつもの日常といえば、日常なのだけれど、今日はこの中にヒロインがいるかもしれないと慎重になっていたせいか、ある事に気がついた。

 私が挨拶をすると皆一様に驚いた顔をするのだ。

 そしてその後、必ずと言ってもいいほど顔を赤く染める。

 綺麗に茹で上がったタコのように………

 本当に皆さんどうしたのかしら?

 まるでそこに人がいたことに、今初めて気がついたような顔をされたかと思えば、急に真っ赤になったりして…………

 はっ!もしかしたらこれは、ゲームの強制力か何かで、私のことを悪役令嬢と思い始めているのかもしれないわ!

 そんな悪役令嬢から挨拶をされてしまったから驚かれたのね。

 だとしても、赤くなる理由がまったくわからないわね。

 う〜〜〜ん………………

 自分の席で、ここまでの一連の流れに首を捻る。しかし、どんなに思い悩んだところで、その答えにたどり着けるとは思えない。そのため、この件についての思考は早々に手放すことに決めた。

 いくら考えてもわからないことに費やす時間など、今の私にはないのだ。

 そして今度は、クラスいる女子生徒たちを見回してみる。

 ヒロインは悪役令嬢と同じ学年のはずなので、このクラスの中にいる可能性も十分にある。まぁ、一学年は4クラスあるので、ここにはいない可能性もこれまた十分にあるのだけれど。

 しかしまずは、自分のクラスからだわ……と、注意深く眺めながらさり気なくメモを取る。

 ヒロインの設定を考えれば、おそらく男爵、子爵あたり。

 だとしたら、このクラスで該当するのは六人かしら。

 少なそうでいて、案外それなりに多いわね。

 あぁ、せめてヒロインの名前か、家名がわかればいいのだけれど――――――と、思考と視線を巡らせている途中で、ある事に気がついた。というより、思い出した。

 ファンタジー小説ならば、はじめからヒロインの名前がしっかり文中に出てくるけれど、乙女ゲームは必ずしもそうとは限らない。

 ヒロインの名前を好きなように設定できたり、なんならアバターでヒロインを自分好みに作れてしまうものまである。

 そしてこの“魔法学園で恋と魔法とエトセトラ”も、アバターが用意され、名前も自由に決められた……………ような?

「………………………まじですか」

 前世の記憶が、あの時の私が仕出かしたことを容赦なく突き付けてくる。それを受け、今世の私は放心状態の顔面蒼白となった。

 ポロリと零れ落ちた言葉が、公爵令嬢らしからぬとも、今はそれに構っている余裕はない。

 まさか、まさか、あの時の私が、それはもうふざけているとしか思えないくらい適当に決めた名前と、あのアバターが、この世界に影響しているとしたら、それは間違いなく土下座案件だ!

 

 いやあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…………

 

 本当にそんなことが起こり得ているのだとしたら、ヒロインを引き立てるどころの騒ぎじゃないわ。っていうか、そんな状態のヒロインを引き立てられる人っているのかしら。

 いいえ、今はそんな心配よりも、もしもそんなことが起こっているのだとしたら、私は誠心誠意ヒロインに土下座で謝罪しないと…………

 たとえヒロインにとったら、なんのこっちゃ……な謝罪であろうとも。

 うわぁぁぁ、ごめんなさいッ!と内心で泣きを入れて、私は誰憚ることなく勢いよく机に突っ伏した。


 

 トマトケチャップ――――――

 

 それは前世の私にすれば、至高の調味料。

 ご飯にかけて炒めれば、チキンライス。その上にふんわり玉子をのせればオムライス。

 茹でたパスタにかけて炒めれば、ナポリタン。

 トーストに塗ってチーズをのせて焼けば、ピザトースト。

 トマトケチャップは一人暮らしの味気ない私の食卓に、彩りと満腹感を与えてくれた。

 だから前世の私は、トマトケチャップをリスペクトすらしていたと言ってもいい。これは本当のことで、言い訳でも嘘でもない。

 しかし、ちょっとした好奇心でこの乙女ゲームをやり始めたのはいいけれど、初期設定の段階で多少の面倒くささを感じていたのも事実だ。

 そんな時に、目が合ってしまった。

 食卓の上に鎮座していたトマトケチャップと。

 いや、もちろんトマトケチャップに目はない(あったら怖い)。けれど、前世の私はそんな気がしたのだ。

 そして名付けた。

 ケチャップ家の令嬢、トマトちゃんと………………

 ここまで話せばもうわかるだろう。トマト・ケチャップと名付けられたアバターがどんな姿になるのか。

 頭が痛いことに、大方の予想を裏切ることなく、それはそれは見事な真っ赤な髪に、緑色のリボンを付けた赤い瞳の女の子が誕生した。

 いえ、物事は正しく言いましょう。

 前世の私は、まったく悪気はなかったとはいえ、全方向“Theトマト”ともいえるアバターを誕生させてしまったのだ。乙女ゲームのヒロインとして………

 前世の私!ほんと馬鹿なんですかッ!

 これは④を選んでゲーム終了させてしまうより、よっぽど質が悪いですよ!!

 ヒロインに今すぐ平身低頭で謝りなさい!!

 そう前世の私に悪態を吐いて、いやいやさすがに……と思い直す。

 どんなに悪戯好きな神様だろうと、『これはさすがにない』と却下してくれているはずだと。

 たぶん………おそらく…………きっと……………できれば、そう信じたい。

 しかし、こうも言える。

 もし、前世の私が考えた(ほとんど考えていない)名前とアバターが採用されていたとしたら、とても探しやすいのではないかと。

 というより、探すまでもなく、目に付くというか、噂になるレベルというか、それはもう大変申し訳ないことに。

 これはこれでそう前向きに捉えるべきなのかもしれない…………

 そんなことを思い始めた矢先、今度は机に突っ伏していた顔をガバリと上げた。

 そうよ。そもそもスハイル殿下が、その魔力量と癒やし魔法の威力に惚れ込んで入学させたご令嬢だもの。それだけでも十分に噂になるレベルだわ。

 名前だとか、容姿だとかよりも、ずっとそちらの方が探しやすいはず。

 あぁ……これこそ盲点だったわ。でもそこに気づいた私、お手柄ね。

 普通に考えればまったく盲点でも、お手柄でもないのだけれど、一旦自己嫌悪で沈んだ気持ちを盛り上げるためにも、一先ず自分にそう暗示をかけておく。

 前世の私の失態は今のところは取り敢えず不問だ。

 しかし、ここでまた新たな問題が浮上する。

 私は噂というものに、とんと縁がない。そしてそれを教えてくれる情報通の友人もいない。

 そういえば私、挨拶以外では誰ともちゃんと話をしたことはなかったわね……と、入学してからの日々を思い返す。

 どんなに地味で目立たない存在とはいえ、ここまで話しかけられないというのは、やはり私が高位の公爵令嬢だからなのだろう。

 もし本当に見えていないのであれば、それはもう立派なホラーだ。

 だったらここは自ら動いて情報収集するしかないわね……と心に決め、再び思考と一緒に視線を巡らせる。

 このクラスだけではなく、この学年全体を把握し、尚且つスハイル殿下とも親交がある人…………となると、あぁ彼が一番ね――――と、私はある人物に白羽の矢を立てた。


 そう、我がクラスのクラス代表――――東の公爵家ご令息で言霊の能力者、そしてこの乙女ゲームの攻略対象者でもあるシェアト・オリエンスに。


 

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る