(2)

 シェアト・オリエンス――――――

 漆黒の黒髪に、銀粉をまぶしたかようなのパールグレーの瞳を持つ、東の公爵家の三男。

 色香ある大人の男性へと様変わる一歩手前といったところだけれど、端正な顔立ちと、思慮深そうな落ち着きある立ち振る舞いに、学園の同級生の女子生徒のみならず、お姉様方も皆して夢中となっている。

 そう、私と同じ十六歳でありながら、数多の女性を泣かす罪深き男性。

 勝手に惚れられ、告られ、そして泣かれる――――――

 本人とっては有り難いどころか、迷惑な話なのだろうけれど、高爵位を持ち、さらには“言霊”の能力者であり、その見目ならばそれは仕方がないことだと諦めて受け入れるしかない。

 ま、そんなことは私に言われるまでもなく、ご本人様が一番理解していると思われるので、ご愁傷様と内心で告げておく。

 さて、そんなシェアトに声をかけなければならないのだけれど、元喪女の私からすれば、男性に対して自分から声をかけるなんて清水の舞台から飛び降りるくらいの勇気がいる。

 こちらの世界なら…………そうね、かつて神様がお住みになられていたという、天を突き刺すほどに高い天宮の最上階から飛び降りるくらいの勇気がいる――――って感じかしら。

 残念ながらその天宮は、デオテラ神聖国にあるので、実際のところどれほど高いのかはわからない。

 けれど、足が竦むほどの高さは確実にあると思われるので、この喩えはあながち間違いではないと思う。

 しかし、今はそれほどまでの勇気を振り絞ってでも、ヒロインの情報収集のためにシェアトへ声をかけなければならない。

 そのため――――――

 よし、次の休み時間に声をかけるわよ。

 さぁ、シェアトがこちらを向いたら行くわよ。

 このあと、シェアトが一人になったら呼びかけるわよ。

 ――――――と、タイミングを見計らっているうちに、時はすでに放課後となっていた。

 一日って過ぎるのが本当に早いわね………などと遠い目になっている場合ではない。

 クラスメイトに声をかけるだけだというのに、元喪女スキルが極まりすぎていて、声をかけるどこか目すら合わない。というか、私の存在すらシェアトに認識してもらえていないような気さえする。

 元喪女スキルって隠密向きよね―――という感想はともかく、このままではお兄様を馬車で待たせてしまうことになる。

 あのお兄様のことだ。あまりに私が遅いと、学園のこの教室まで乗り込んで来かねない。

 そうなるとどうなるか。

 忽ち女子生徒たちから黄色い悲鳴が上がり、中にはお兄様の類稀なる美しさに卒倒する女子生徒も現れかねない。

 そしてそれらの光景を前に、男子生徒たちは憧憬の念を持って呆然と立ち尽くすか、完全に自信を喪失し、ガックリと膝を折るかのどちらかになるだろう。

 しかし、これらのことを引き起こした当のお兄様は、彼らに一瞥もくれることなく、シスコン丸出しで私の安否確認をし始めるに違いない。

 それはもう頭の先から爪の先のみならず、お兄様が満足するまでじっくりと…………

 もはやその光景しか浮かばない。いや、下手をすれば確実に現実となる。

 これはカオスだわ………………

 私は慌ててその恐ろしい地獄絵図……もとい、回避必須の未来予想図を首を振ることで打ち消し、シェアトに声をかけるべく立ち上がった。


 それにしても、シェアトの様子がおかしい。

 これは今朝から感じていたことだけれど、キョロキョロと落ち着きがなく、誰かを一心に探しているように見える。そして時折盛大にため息を吐いているところからすると、その探し人は未だ見つかっていないらしい。

 教室内で人探し?

 ちょっと範囲が狭すぎやしないかしら?

 なのに見つからないって、その探し人は私以上に隠密向きかもしれないわね。

 そんなことを思いながら、私は1メートルほどの距離をあけてシェアトの前に立った。

 私との身長差は10センチ以上。けれど、お兄様と比べれば首が痛くなるほどの差でもない。

 にもかかわらず、シェアトの視線は私を通り越し、探し人へと向けられているようだった。この場合、シェアトの意識が……というべきかもしれないけれど。

 うん、やっぱり前に立つくらいじゃ駄目みたいね。私の元喪女の隠密スキルもここまでくれば、免許皆伝ものだわ。

 目の前に立てば、シェアトの方から声をかけてくれるのではないかという淡い期待も泡沫と消え、私は自嘲を漏らしつつ、いよいよ覚悟を決めた。

 極め過ぎた隠密スキルの解除方法もわからないままに、取り敢えずシェアトへと声をかけてみる。

「あ、あの……シェアト様?」

「ッ!!」

 シェアトは飛んだ。

 いや、厳密に言えば、その場でピョンと跳ね上がった。

 人間、驚いたら本当に飛び上がるのね―――――と、その事実を目視で十分確かめられるほどに。

 そしてようやく私の姿をその視界におさめたらしいシェアトは、目一杯にそのパールグレーの瞳を見開いた。

 あら?酷く驚かれてしまったわ。

 なんだか悪いことをしてしまったみたいね…………

 少々罰の悪さを感じながらも、おずおずとシェアトを見上げる。

 人探しに集中していたところに突然声をかけられたのだ。しかも、気づかないうちに自分の目の前に立っていた者から。

 シェアトからすれば、いつもの間に!と、まるで不覚にも背後を取られてしまったくらいの衝撃があったに違いない。

 まぁ、私が取ったのは背後ではなく真正面なのだけれど、それを考えると私の隠密スキルは免許皆伝ものどころか、国民栄誉賞、もしくは人間国宝レベルなのかもしれない。

 だとしてもだ。やはりシェアトの様子がおかしい。

 私を驚きの表情でまじまじと凝視していたかと思えば、今度は勢いよくパチパチと瞬きをし始めた。

 それも超高速で。

 その高速すぎる瞬きに、私は瞬時に状況を理解する。

 可哀そうに……目にゴミが入ってしまったのね。

 シェアトにしてみたら、驚かされるわ、目にゴミが入るわで踏んだり蹴ったりもいいところである。

 ここはシェアトのためにも一旦出直すことにいたしましょう――――と、私はあっさりと決断した。

 せっかく清水……もとい、天宮の最上階から決死の思いで飛び降りてはみたけれど、私の用事は今すぐ片づけなければならないようなものでもない。

 今更、一日情報収集が遅れたところで、それほど大差はないだろう。

 なんせ前世の記憶が戻ってから約三日間、私は屋敷の外にも出られず、情報収集どころの騒ぎではなかったのだから。

 偏にシスコンのお兄様のせいで――――

 そのため、シェアトには目を洗うことを優先してもらおうと、私は微笑みとともに口を開いた。

「シェアト様、突然お声をおかけして大変失礼いたしました。私の用事はまた日を改めてで構いませんので、先ずは目を洗ってきてください」

 高速で瞬きをしていたシェアトの瞳が、ピタリと止まる。今度はキョトンと真ん丸く見開いたままで。

 そして、「えっ?目?目を洗う?」と繰り返している。

 シェアトは本当に大丈夫なのだろうか。

 私の中でのシェアトの印象は、どちらかというと喜怒哀楽の振り幅が少なく、無表情な人なのだけれど、今私の目の前にいるシェアトは、かなり表情が豊かだと思う。

 クラスの女子生徒たちが、黄色い声を上げながら騒ぎ始めてしまうほどに。

 本当にシェアトはどうしたのかしら……と私はコテンと首を傾げた。

 正直この反応は想定外すぎて、元喪女の理解の範疇を完全に超えてしまっている。

 どうやら目に入ったゴミは大丈夫そうだけれど、やはりここは出直したほうがいいように思われる。というより、このシェアトの対処法がまるでわからない。

 そもそも普段のシェアトの攻略法ですらわからないのだけれど……………

 仕方がないわね。ここは戦略的一時撤退よ――――――などと適当な言い訳をして、公爵令嬢らしく淑やかに頭を下げた。

「それではシェアト様、私はこれで失礼いたします。また明日………」

 しかし、私の言葉は最後まで言い切れない内に、シェアトの声に遮られた。

「ユ、ユーフィリナ嬢、ちょっと待ってくれないか」

「は、はい」

 待てと言われるならば待つ。

 だいたい最初に声をかけたのは私の方だ。

 シェアトに人探しを中断させている現状を思えば、むしろ待って然るべきだと思う。

 とはいっても、お兄様の来襲が予想されるため、そう長くは待っていられないのだけれど…………

 そんなことを思いつつ、私はシェアトを改めて見つめた。

 一見硬そうに見える漆黒の髪。

 けれど、シェアトが無造作に掻き上げれば、長い指の間を滑らかに流れていく。その様からも、とても手触りがよく軟らかいことが直接触れなくともよくわかる。

 ゴミが入ったせいで僅かに潤んだパールグレーの瞳は、動揺のせいか心許なげに揺れており、元喪女には少々目に毒だ。

 しかし、それ以上に気になったのはシェアトの赤すぎる顔で、今度は体調が優れないのではないかと心配になってくる。

 熱でもあるのかしら?――――――と。

 もしそうだとしたら、さっさと屋敷に帰ってお抱えの医者なり、回復師に診てもらうべきだと思う。

 迎えの馬車がまだ来ていないようなら、お兄様にお願いしてうちの馬車で送っていってもいい。

 そう考えた私だったけれど、次の瞬間まるで神の啓示を受けたかのようにハッと気がついた。

 もしかしたら、朝からずっと体調が優れなくて、癒やし魔法が得意なクラスメイトを探していたのではないかしら………

 おそらくクラス代表としての責任感から、医務室なんかで休んではいられないと、クラスメイトの癒やし魔法で一時的な回復をしようとしたに違いないわ。

 それに私が知らないだけで、クラス代表はクラス全員が帰るまで帰れないという取り決めがあるのかもしれない。

 だからシェアトは必死に我慢をして………って、ちょっと待って。

 そうよ。私はシェアト攻略ルートをしたことがなかったからわからなかったけれど、きっとこれがシェアトとヒロインの最初のイベントになるのだわ。

 だって、ヒロインこそが癒し魔法に特化した特別な生徒なのだから…………

 そう思い至ると、もうそれが正解としか思えない。というか、間違いなく正解だろう。

 あぁ、それなのに私ったら思いっきりお邪魔をしてしまうところだったわ――――――と、内心で猛省する。

 引き立て役になるどころか、これではまさに悪役令嬢そのものだ。

 しかしそれにしても、シェアトがここまで探しても見つからないなんて、ヒロインの隠密スキルもなかなかなものね――――などと少々感心すら覚えながら周りを見渡してみる。

 けれど、やはりこの教室の中には、それらしきご令嬢はいないような気がする。

 う~ん……これはどういうことかしら。

 あくまでも私の勝手なイメージではあるのだけれど、ヒロインはやっぱりヒロインです!っていうオーラみたいなものが全身から漏れ出していると思うのよね。

 でも、こんなことを言っては何だけど、ここにいるご令嬢たちには、少なくともそれらしきオーラが出ているようには感じられない………ような?

 まぁ、私の主観であり、感覚ではあるのだけれど――――――

 つまりこれは、どう受け止めればいいのかしら…………と、すばやく思考を巡らせる。

 今この教室にヒロインがいないということは、ヒロインは別ルートを進んでいるとみるべきなのかもしれない。

 そうなると、シェアトとヒロインのイベントはここでは起こらないということになる。

 正直、ゲームの攻略本があれば今後の展開と、そもそもヒロインが誰なのかがわかるはずなのだろうけれど、それはもはや叶わぬ望みだ。

 しかし、ここでヒロインとのイベントがないとなると、シェアトはただただ体調が悪いのを無理しているだけの状態となってしまう。それはちょっとあんまりだ。

 だいたいシェアトのように思慮深くて真面目なタイプの人間は、周りに気を遣いすぎて、限界まで我慢してしまうところが往々にしてあるのだ。前世の私もどちらというとそのタイプだったのでよくわかる。

 そう、よくわかりはするのだけれど………………

 でも駄目よ。クラス代表だろうと、生徒会長だろうと、辛い時にはちゃんと休まなければね。

 内心でピシッと告げて、今度は自分の鈍感さ加減にガクリと凹む。

 あれだけ朝からシェアトに声をかけようと、その様子を見ていたというに、体調が悪いことにも気づかず、あまつさえ呼び止めてしまうとは完全に自己嫌悪だ。

 ここはお詫びの気持ちも兼ねて、別ルートを進んでいるヒロインの代わりに、今日のところは私がシェアトを医務室に連れて行ってあげましょう。

 そうね、これも立派なヒロインのためのフォローになるはずよね。それからお兄様にシェアトを送り届けるためのお願いをしなければ――――――と、頭の中であれこれと言い訳と段取りをつけていく。

 そうして改めてシェアトを見やれば、顔は依然として赤く、その顔を隠すかように口元を右手で覆い、潤んだ瞳はひたすら宙を彷徨い続けている。

 このシェアトの顔色と気まずそうな態度を見る限り、どうやら本人も無理をしている自覚が大いにありそうだ。

 今思えば、私にちょっと待ってほしい言ったのは、丁度吐き気におそわれたとか、眩暈がしたとかそういう理由からだったのだろう。だとすれば、これはもう呑気に待ってなどいられない。

 私はキッと目を吊り上げて、できるだけ怖い表情を作ると、少し強めの口調でシェアトに告げた。

「シェアト様、私は十分に待ちました。しかしもうこれ以上は待てません。今すぐ医務室に参りましょう」

「………………………はっ?」

 シェアトはまるで異国の言葉を聞いたかのような顔で、またもや目を大きく瞠った。

 おそらくシェアトなりにとぼけて見せているのだろう。

 これだから真面目すぎる人は………と、感心を通り越して、呆れてしまう。

 でもね、シェアト様。私の目は誤魔化されませんわよ。

「失礼いたします。シェアト様」と言い放つや否や、私は一歩距離を詰めてむんずとシェアトの腕を掴んだ。

 背後で上がる女子生徒たちの悲鳴。そして肌で感じる男子生徒たちの息を呑む気配。

 もちろん、私だって慎ましい公爵令嬢がする行為ではないことくらいわかっている。けれど、病人を前にして慎ましやかに遠慮しているほうがどうかしていると思う。

 だってこれは、緊急事態による特別処置の一環なのだから。

「さぁ、参りますわよ。シェアト様」

「えっ、ちょっ……参るってどこに?」

「どこにって、もちろん医務室に決まっていますわ」

 そう返しながらも、シェアトを医務室へと連れて行くため、私の足はすでに動き始めていた。

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