(2)

 私にしたら救世主。

 レグルスにすれば話の腰を折ってくれた空気の読めない奴ら(彼らもレグルスだけには言われたくないだろうが)。

 そしてセイリオスにとっては、ようやくやって来た待ち焦がれた相手。といっても、セイリオス自身が彼らに用があるわけでも、会いたかったわけでもなく、一刻も早くユーフィリナ嬢が待つ(実際、彼女がセイリオスを待っているかは別として)屋敷へ戻るための必須要員にすぎないのだが…………まぁ、そこはいい。

 とにかく、私が指定した時間ぴったりに、東の公爵家三男で、現“言霊”の能力の継承者であるシェアト・オリエンスと、西の公爵家嫡男、現“忘却”の能力継承者であるサルガス・オッキデンスが控えの間へと来た。

 これで私が呼んだ者たちがすべて揃ったわけだ。

 シェアトは十六歳で、セイリオスの妹であるユーフィリナ嬢と同じ歳だ。確か学園でのクラスも一緒だったと聞いている。

 漆黒の髪にパールグレーの瞳。とても端正な顔立ちをしており、若きご令嬢たちは自分を売り込むためにこぞって彼の視界へと入りたがるそうだ。

 背は十六歳にしてはそれなりに高いが、まだ成長途上といったところだろう。

 そしてその性格は“言霊”の能力者ゆえの気質とでも言うべきか、それともむしろ真逆をいっていると言うべきか、自己主張が少なくとても思慮深い。

 おそらくこの性格の一端は、長男でも次男でもなく、三男である自分が能力を顕現させたことに起因するのだろう。

 まぁ、私に言わせれば、そんな何の足しにもならない後ろめたさなど、それこそそこらの犬にでも食わせておけ――――――となるのだが、そう単純な話ではないのだろうと今は静観することにしている。

 そしてサルガスだが、こちらは私たちより一つ年下の十八歳。ローアンバーの髪にヘーゼルの瞳を持ち、背はここにいる誰よりも高く、その容貌もとても精悍で男らしい。

 そのためやはりご令嬢たちの人気は高いのだが、セイリオスとは違った意味で難攻不落とされている。

 その理由はとにかく実直で真面目な性格。少々融通が利かないほどの堅物のため、どんな秋波にも見向きもしない。

 私は常々レグルスとサルガスを足して2で割れば、丁度いい塩梅の者ができるのではないかと密かに思っているが、生憎まだそんな魔法式が確立されていないため、残念ながら実行には移せていない。

 しかし、この若き二人に共通して言えることは、私への敬意と礼節をクローゼットの隅に放置したり、犬に食わせたりはしていない点だ。彼らの性格を考えると、そんな日は一生来ないだろうと確信が持てる。

 あぁ…………我が御学友たちに爪の垢を煎じて飲ませたいところだな。いや、爪の垢だけで足りるのか?――――――と、もはや手遅れなことを思いつつ、私はシェアトとサルガスに長椅子へ座るように促すと、給仕の者に秘蔵のワインと、人数分のワイングラスを用意させた。

 

 別にめでたいことがあったわけではない。いや、現在自分の帰国祝いの夜会が催されている以上、めでたくないわけではないのだが、これから話す内容がめでたさの欠片もないことなので、これはちょっとした景気づけのつもりだ。

 それを一早く察知したセイリオスが、あからさまに眉を寄せる。

「夜会へと招待され、さらには控えの間にまで招かれ、秘蔵の高級ワインをご馳走になる。これらの事実だけを見てみれば、私たちはとても歓待されているように見えなくもないが…………果たして真実はどうなのか。あぁ、恐ろしくてワイングラスを持つ手が震えそうだ」

 などと言いつつ、ワイングラスを優雅に回しながらワインの芳醇な香りを楽しんでいる。

 ここまで言葉と行動とそれに伴う顔が、まったく合致していないのもまぁ珍しいだろう。というか、器用にもほどがある。

 しかも今度は極上の笑みへとさまを変えて「それで、一体何に対して乾杯をするのかな?」と、私に白々しくも聞いてくるのだから、本当にこの男だけは始末が悪い。

 だいたい乾杯なんて端からする気もないだろうに…………と思いつつも、無難な台詞を返しておく。

「ここはありていに、王家と東西南北の公爵家の揺るがぬ結束に――――でいいだろう」

 すると、何故かレグルスが食いついた。

「いやいや、ここは王弟殿下の帰国祝いと、さらに今夜の夜会で、素敵な婚約者候補が見つかることを祈って――――――じゃないの?」

「レグルス――――――――ッ‼」

 どうしてどうして毎回毎回お前は空気を読まないんだ!っていうか、わざとか! 

 雄叫びにも近い声でレグルスの名を呼びながら、ギョッと目を剥いた私の横顔を、シェアトとサルガスが不思議そうに見つめてくる。

 それはそうだろう。レグルスの言葉は何も間違ってはいない。というよりむしろ、今夜の夜会の趣旨はまさにそれなのだから。

 だた、私にとってはそれが堪らなく苦痛なだけで………………

 そしてそのことに、勘のいいシェアトとサルガスは気が付いたらしい。

 もちろん私の反応と、セイリオスの呆れ顔と、レグルスの悪戯が成功したとでも言いたげなしたり顔を見たせいでもあるのだが。

「なるほど。だから、スハイル殿下は早々に夜会の席を立たれたのですね」

 実直なサルガスの物言いに、少し苦笑を零しながら「まぁ、そんなところだ」と言葉を濁す。が、ここには私がせっかく濁したはずの言葉をわざわざ鮮明にする奴がいた。そう、レグルスだ。

「それもあるけど、一番の理由はあの会場に、お目当てのがいなかったからだろ?」

「な、な、何を言ってッ…………」

?」

 慌てる私を他所に、レグルスの言葉を拾い上げたのはシェアト。それも妙に驚いた表情でこちらを見つめてくる。

 普段あまり表情を崩さないシェアトの様子に少し訝しさを感じたものの、あぁ……王家の、それも王弟ともあろう者が、本来の目的である婚約者探しそっちのけで、たった一人の少女を探していると知ればそんな顔にもなるか―――――――と思い直す。

 しかも、名前も知らない、子供の頃に一度会ったきりの少女を――――――――

 確かに自分でも馬鹿げているとは思う。だが、どうしてもこの瞳は、この心は、彼女を求め探してしまうのだ。

 

 あの光を湛えた白金の髪を――――

 澄んだ空色にも、海の色にも思わせる藍玉の瞳を――――

 私を癒し、救ってくれたあの無邪気な笑顔を――――――

 

 そして私は今日、ある可能性にかけていた。いや、と会い、この目で直接確かめることで、自分の気持ちと折り合いをつける気でいた。しかしは来なかった。

 正確に言うならば、来れなかった…………となるのだが。

 しかしそのことに安堵している自分もいる。

 答えが先送りになったことに、まだこの気持ちを抱えていてもいいのだと言われた気がして………………

 そんな私の諸事情を見抜いているらしいセイリオスは、見るからに不機嫌面となり、レグルスはまたもや締まりのないニヤけ顔となっている。

 それをサルガスは頭に大量の疑問符を突き立てながら眺め、シェアトはいつもの薄い表情からは考えられないくらいの呆然とした顔で私を見つめていた。

 さすがに、ここまで一心に見つめられて放置できるほど、私の神経も図太くはない。

 そこで已む無く、本当に已む無く、この場を取り繕うために敢えてそっけなく返すことにする。

「あぁ子供の頃にな、一度会ったことがあるのだ。名を知らぬため、レグルスが勝手にそう呼んでいるだけだ」

「そうそう、スハイルの初恋なんだよね」

「レッ、レグルス!今すぐお前のそのおしゃべりな口に、封じ魔法を施してやってもいいのだぞ!」

「おやおや、我が王国の王弟殿下は随分と恥ずかしがり屋だな。耳まで真っ赤だ」

「これは恥ずかしさ故ではない!怒り故だ!」

「あぁ~そうだよね。今日、ようやくに会えると思っていたのに会えなくなってさ、それも事情が事情なだけに、その怒りの矛先がわからなくなっているんだよね。そもそもセイリオスは怖いし?だからといって、俺にそれを向けるのは筋違いだと思うんだけどな」

「だからッ………」 

 この怒りの元凶はレグルスであって、決して筋違いではない!と言い募ろうとしたところで、シェアトが未だ呆然としたままで問いかけてきた。

「スハイル殿下は、その……“白金の君”が誰なのかをご存知なのですか?」

「いや、名前も知らないと申したであろう?」

 何を聞いていたのだ、とばかりに私は首を傾げる。

 正直、レグルスの言葉に直接の被害を被っているのは私で、本来シェアトは何一つダメージを受けていないはずだ。

 にもかからわず、さっきから亡霊でも見たかのような顔で私の様子を窺ってくる。

 そうなれば、自然とある一つの可能性が持ち上がってくるわけで………………

「もしかして、シェアトも会ったことがあるのか?その……なんだ…………“白金の君”に?」

 レグルスの口から聞かされる言葉でもかなりのダメージを喰らうものだが、自分で口にするとさらにダメージが倍加するものなのだな…………と、改めて思いながら、シェアトへと尋ねる。

 するとシェアトは、まるで夢から覚めたかのようにハッと目を大きく見開くと、すぐさまパールグレーの瞳をしばたたかせながら俯いた。

 この様子を見る限り、私の予想は外れてはいないらしい。

 しかもシェアトにとっては、心の奥底に留めておきたい記憶――――――大切な思い出だったのだろう。

 だが、残念なことに問いかけた相手は、この国の王弟であるこの私。

 シェアトは重い口を開き答える。

「はい。名前も……住んでいる場所も何もわかりませんので、殿下がお会いになられた同じ少女であるとは断言できませんが、白金の髪で、空色の瞳をした天使のような少女に私も会いました。この能力が顕現した六歳の時に…………一度だけ。その少女の年の頃は当時の私くらいだったように思います」

 なるほどな。顕現した時ならば、おそらく能力が暴走し、まだ制御できていなかった頃だろう。

 そんな時に現れた少女。十中八九私が出会った少女で間違いないはずだ。そしてシェアトもまた彼女に救われた。ならば―――――

「シェアトももう一度その少女に会いたいと思っていたわけか」

 シェアトは観念したように「その通りです」と頷くと、顔を上げ、私の瞳を真っすぐに捉えた。

「スハイル殿下、失礼を承知でお尋ねいたしますが、先程、殿下とレグルス様は、本日の夜会でようやくに会えると思っていた――――と仰られておりました。つまり殿下は、の名前は知らないけれども、この夜会にが来ることだけは知っていたということになります。お差し支えなければ、教えてはいただけませんか?殿下はの何をご存知なのでしょう?」

 私はシェアトを見つめ返しなら、ふと思った。

 これが恋する男の目か……………と。

 そうすると、私のへの想いが初恋だと騒ぐレグルスの口車に乗るならば…………とまで考えて、いや違うな―――――と、一人自嘲する。

 レグルスに言われるまでもなく、知っていた。ただ敢えて名前を付けてこなかっただけだ。

 そしてそれを認めるには、自分の立場が邪魔をする。

 今の私は能力者ではないが、古より継承する“先見”の能力は我が王家を呪うかのように、私の未来をも縛り付けている。

 現能力者である国王陛下――――――兄上の未来を縛るように、等しく………………

 だからこそ内心で目を眇めた。あまりにシェアトの一途な想いが眩しく見えたから。

 だがそれを直接口にするのも、態度で示すのも憚れるため、やはりここも淡々と答えるに留める。

「残念ながら、そうではない。ただ、ある一つの可能性を潰すつもりでいただけだ」

「可能性…………でございますか?」

 さっぱり意味がわからないと僅かに眉を寄せたシェアトに、感情が希薄な奴だと思っていたがこんな顔もできるのだな、と新鮮な驚きを持って先を続ける。

「そうだ。私がに会ったのはこの王城で八歳の時だ。その日、王城では特別な催し事もなく、諸外国からの要人も招き入れてはいなかった。つまりだ。そんな日に登城できる者など限られてくる。東西南北の公爵家の者。それに準ずる爵位を持つ者と城勤めの者たちだけだ。しかも私が出会った少女はおそらく五、六歳だった。その年代の少女ともなればもっと絞られてくる。そして、その一人である西の公爵家ご令嬢、サルガスの妹君であるシャウラ嬢には何度か会ったことがあるので、彼女が“白金の君”ではないことはわかっている。それ以外の高位のご令嬢たちもまた然りだ。ただ一人、高位のご令嬢の中で私が一度も会ったことがないのは…………」

「殿下が、お会いしたことがないご令嬢は…………」

 面白いように食いついてきたシェアトに、私はふんと鼻先でぞんざいに指し示した。

「そこに不機嫌面で座っているセイリオスの妹君、ユーフィリナ嬢だ」

「……………………えっ?」

 どうやらこれにもシェアトは驚いたらしい。それもそうか、シェアトとユーフィリナ嬢は学園で同じクラス。ほぼ毎日顔を突き合わせているのだから、彼女が“白金の君”ではないとシェアトは知っているのだろう。

 あぁこれで間接的に、ユーフィリナ嬢が私の求めていた少女ではないと証明されたということか――――――――と、僅かな望みを絶たれた気分になる。

 そもそも『ユーフィリナの髪色は白金ではない。母譲りの淡紫のライラックだ』とセイリオスから散々言われ続けてきたため、頭では諦めていた。

 しかし人間は、可能性に夢見る生き物だ。たとえそれが僅かな可能性であってもゼロではない限り、心がそれを諦めない限り、縋りつきたいと思うのはもはや本能に近い。

 そして、私が僅かに縋っていた可能性というものが、セイリオスの髪色が白銀から紫銀へと色を変えたように、ユーフィリナ嬢の髪色も白金から淡紫のライラックへと変化したのではないかという儚き望み。

 だがその可能性も、シェアトの反応を見た瞬間、見事に潰えたことを知る。

 が―――――――――さっきから、シェアトの様子を眺めているのだが、どうやらそういうわけでもない……らしい?

「ユーフィリナ嬢………南の公爵令嬢………ユーフィリナ・メリーディエース嬢………」

 先程から馬鹿の一つ覚えのように、ひたすらユーフィリナ嬢の名前を繰り返している。まるで埋もれた記憶の中からユーフィリナ嬢を掘り起こし、そのまま引っ張り出そうとするかのように。

 いやいやちょっと待て!お前はユーフィリナ嬢と学園では同じクラスのはずだ!しかもお前はクラス代表をしているのではなかったか?それでユーフィリナ嬢を思い出せないって、それはちょっとあんまりではないか!っていうか、ユーフィリナ嬢はどれだけ影が薄いんだ!

 サルガスも隣の座るシェアトの様子を怪訝そうに見やり、レグルスもまた面白いものを見つけたとばかりに目を輝かせている。

 私もまた呆れを通り越して、シェアトの記憶力とユーフィリナ嬢の影の薄さに心配が向き始める。

 しかしこの中で、超絶不機嫌な奴が一人いた。もちろんユーフィリナ嬢の実兄であるセイリオスだ。

 セイリオスはこれ見よがしに舌打ちすると、グラスのワインを一気に飲み干した。

 もはや乾杯も何もあったもんじゃない。というか、乾杯なんていつの間にやらすっかり抜け落ちていた。

 まぁそこはいい。祝うことも祈ることも何もない。

 だが、なんで舌打ち?不機嫌なのはわかっているが、そこまで不機嫌になる意味がまるでわからない。

 もしかしたら、同じクラスでありながら、ユーフィリナ嬢に対してほとんど印象を持っていないシェアトに腹を立てているのか?とも考えてみたが、セイリオスの性格――――つまりシスコン具合からいって、むしろ好都合なはずだと考えを改める。

 だとしたら―――――――――……ッ‼

「セイリオス、お前ッ!」

「まったく、余計な話を……」

「そういう問題じゃない!お前ユーフィリナ嬢にまさか“幻…………」

「あぁぁぁぁぁぁぁぁ――――スハイルッ!うん、俺もそのまさかだと思うよ。だけど、それ以上は言わないでおこうか。本気で怖いから」 

 レグルスが咄嗟に私の言葉を遮った。

 空気は読めないが、危機回避能力だけはあるらしい。

 そうだ。これは夜会でのあの袋と同じだ。

 セイリオスによって“幻惑”の能力が解かれるまで、袋の存在が誰の目にも見えなかったあの状況と――――そう、まるで同じ。

 セ、セ、セイリオス、お前!実の妹に対してなんてモノをかけてんだ‼

 これはユーフィリナ嬢が不憫すぎる!

 健全なる学園生活を送るためにも、さっさと解除してやれ‼

 しかしここには、事の真相にまったく気づいていない者たちが約二名。

 乾杯待ちでもするかのように、ワイングラスを片手に、先程よりもさらに疑問符の数を増やして、石の如く固まっているサルガスと、ユーフィリナ嬢の名前をブツブツ繰り返すだけのシェアト。

 これはこれで完全にカオスだ。

 ここにこのメンバーを呼び集めたのは、何もカオスへと突き落とすためではない。大事な要件があったからだ。

 なのにこの状況って…………と、本日もはや何度目になるかもわからない盛大なため息を吐いて、一人頭を抱え込む。

 

 本当にどうするのだ、これ………

 

 果たして、私の儚き望みはまたもや首の皮一枚で繋がったと喜ぶべきか、それともまずはこの状況に嘆くべきか。

 一先ずは現実逃避でもするかと、私はワインを喉に流し込んだ。

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