(11)
ゴロゴロ……ゴロゴロ…………
絨毯の上で、『ねぇねぇ遊んで』とお腹を見せてアピールをしてくるニクス。
なんとも抗いがたい誘惑だけど、なんなら今すぐその雪だるまなお腹を全力でモフりたいところだけど、ここは心を鬼にして「あとでね」と声をかける。
そして、ユーフィリナである私がしたいこととは何かしら――――――と、思考の海原へと帆を張った。
悪役令嬢ではなく、ただのユーフィリナがしたいこと。
ヒロインだとか、ここが乙女ゲームの世界であるとか一切関係なく、ユーフィリナ・メリーディエースという公爵令嬢がただしたいと心から願うこと。
行儀悪くも机の上に頬杖をつきながら、う〜ん……と暫し考えて、やっぱりこれしかないわよね、と私が思ったことは―――――――
「そうねぇ………なんの面白味もない模範回答かもしれないけれど、とにかく皆を笑顔にしたいわね。そして私はただ毎日を平穏に過ごしたいかしら。今日みたいな日なんて、本当に心臓に悪いし、できるだけ御免被りたいわね。そもそも、この世界の中でも人一倍魔力が少なくて、前世が完璧な喪女だった私としては、毎日が平穏だなんて、とてもぴったりな生き方だと思うのだけれど………どうかしら」
どこかの御隠居さんのような台詞だけれど、これが紛れもない私の気持ちだ。
とはいえ、お兄様あたりに話せば、すぐさまどこかの田舎に離宮なり別荘なりを建ててしまいそうなので、一先ずこの願望は胸に留めておくことにする。
そのことに「ふふふ……本当に困ったお兄様ね」と少し笑って、今度は一旦横に置いていた悪役令嬢を取り出し考える。と同時に、視界に端に映った紙屑をひょいと摘み上げた。
今や完全にゴミと化した“攻略対象者名簿不完全版”である。
それを持て余すかのように掌の上でコロコロと転がしながら、もう一度思考の海を彷徨い始める。
だったら、悪役令嬢のユーフィリナとしては?―――――――と。
ここが乙女ゲームの世界であるならば、ヒロインは別にいて、ユーフィリナは悪役令嬢という立場になることは間違いない。
それは“江野実加子”の話からも確実だ。
そしてヒロインと私は同じ人を好きになる。
それはもう逃れられぬ運命であるかのように―――――――
これがこのゲームの主軸であり、たとえヒロインがどのルートを選んだとしても変わらない。
いくらほとんどゲームをしたことがないとはいっても、たとえ④を選んじゃうような、乙女ゲームに不向きな人間であったとしても、それくらいのことは理解している。
それでも今の私は、自分が誰かに恋をするなんて想像だにできないでいた。
けれど、悪役令嬢への性格改変は失敗したとはいえ、ゲームの強制力と言われるものが働けば、いつか私はヒロインの恋を邪魔したくなるほどに、ヒロインが選択したルートの攻略対象者を好きになってしまうのだろうか。
嫉妬のあまり、時に傲慢な態度でヒロインを見下し、蔑み、虐め…………それが自分では醜さと気づけなくなるくらいの狂おしい恋を――――――――
「まぁ恋は盲目というくらいだし………ね」
そう知ったふうな口を利いてはみたけれど、どうしても自分が醜悪に染まってまで手に入れたいほどの、激しい恋をするとは思えない。
いいえ、違うわね。
この感覚は――――――――
ワタシハ“恋”ヲシテハイケナイ
誰かが心の深淵でそう囁いている――――そんな気がした。
“ユーフィリナ”でもなく“白井優里”でもない、他の誰かが………………
そしてそれに対して、さも当然とでもいうように“えぇ、ちゃんとわかっているわ”と、返す自分がいる。
そう、私は“恋”をしないのではなく、してはいけないのだと。
抗えない感覚。それはかつて“白井優里”が、自分がこの世界の異分子だと感じた
つまり、それが意味するところは――――――――
「そうか、わかったわ。これこそがこのゲーム……というより、この世界の強制力……いえ、警告なのね」
掌から紙屑が落ち、それが机の上をコロコロと転がっていくのを目で追いながら、私は一人確信した。
“白井優里”は、自分はこの世界の異分子だという感覚から、自分の居場所を作ることをなるべく避けた。
実際、“白井優里”は若くして死に(最期を覚えていないので、たぶん若かったとしか言えないけれど)、居場所を少なくしていたおかげで、そこまで悲しむ人たちはいなかったに違いない(養父母たちを除いては)。
そしてこの世界では、恋愛御法度とでもいうべき警告。
「うふふふ。完全に悟ったわ。私はあくまでもこの世界の悪役令嬢であって、恋する乙女にはなるなということなのね」
恋する女の子は可愛くなる――――――
それは全(異)世界共通の女の子マジックだ。
そんなものを悪役令嬢に発動されてしまったら、攻略対象者がヒロインではなく、悪役令嬢に本気で惚れてしまいかねない。
だってそれは絵にかいたようなツンデレ状態。ギャップ萌えなんてことも大いに考えられる。
まぁ、私に限ってはそんなビックリ現象が起こり得るはずもないのだけれど、念には念をとこの世界が私に警告を与え、わざわざ予防線を張っているのだろう。
「まったくこの世界の神様も慎重というか、お兄様並みの心配性なのね」
自分勝手に気難しそうな神様の顔を想像して、あぁこんな顔じゃないわね――――と、イケメンだけれども、人を食ったかのような顔をした神様へと修正する。
そしてそのことに妙な満足感を覚えながら、「とはいってもねぇ…………」とぼやきつつ、机の端へと転がっていった紙屑を無造作に指先で引き寄せ、つれなくもまた指でピンと弾き飛ばした。
たとえこの世界が、私に悪役令嬢であることを望んでいるのだとしても、それが私のこの世界での役割だとしても、やっぱり私は誰も傷つけたくはないのだ。
もちろん断罪などされたくもない。
もし、そんなものを有難がって望む人がいるのなら、是非ともお会いしてみたい。
そして、その境地に達するための特訓だか、修行だかをすぐさまお願いする。
けれど、この先の未来で、もし私が断罪という結末を迎えてしまうのだとしたら、それはやっぱり私の行為によって引き起こされた原因結果であり、因果報応だと思うのだ。
つまりそれは――――――――
断罪されるだけのことを――――――
それだけの人を――――――
それだけの心を――――――
私は傷つけてしまったということ。
「私は、皆を笑顔にしたいのに…………よりにもよって悪役令嬢だなんて、あんまりな役どころよね」
性格改変できなかった以上、もはやこれは立派なキャスティングミスだと言っても差し支えはないはずだ。
許されるのであれば、今すぐにでも役の降板を願い出たい。
誰に?って、そりゃもちろん質の悪い悪戯好きな神様にだ!
「まったく……それができるならどれだけ楽か…………でも、この乙女ゲームの幕はもう開いているのよね」
私はとうとう机に突っ伏し、そのままコテンと横を向いた。
その視線の先にはあの紙屑。
今度はそれをふぅ~っと息で吹き飛ばす。
もちろん完全なる八つ当たり。でも、それくらいの行為は許されるはずだ。
今に思えば、おそらく馬に蹴られそうになったあれこそが、この乙女ゲーム開幕の合図だったのだろう。
この私にとっての――――――
しかしだ。こうも考えられる。
幕が開いてしまえばこっちのもの。
その演技が大根だろうが、アドリブしかなかろうが、この舞台は私の好き放題にできるはず。
なんせ、脚本家だろうが、舞台監督だろうが、一度始まった舞台を止めることなど、もう誰にもできやしないのだから。
たとえ悲劇が喜劇に転じようとも――――――――
「ふふ……ふふふふふ……そうね。私は自分の道を突き進めばいいのよね。それがどんな悪役令嬢になろうとも…………」
深窓の公爵令嬢に似つかわしくない悪い笑みを漏らしながら、一時間程前にも考えていたふざけた思考を改めて引っ張り出す。
「そうね。やっぱりここは、毎回歌って現れるだけのオリジナリティ溢れる悪役令嬢を目指してみようかしら。ただただうるさくて、うっとおしいだけだし、誰も傷つけていないし、なんならヒロインの応援ソングを歌ってもいいし、ついでに周りも笑顔にもできるし……って、あら?一石二鳥どころか、一石三鳥、四鳥くらいあるのではないかしら。まぁ笑顔にしているって言うより、笑われているって言ったほうが正しいけれど、それでも怒らせたり悲しませたりするよりかは、ずっといいわよね」
そこでふと思う。乙女ゲームにおける悪役令嬢の存在意義とは何なのかと。
端的に言うと、それは最終的にヒロインの可憐さや愛らしさを際立たせるため存在。
言うまでもなく、ヒロインが善ならば悪役令嬢は悪。
ヒロインが光なら悪役令嬢は影。
それは比較の対象であって、片方が酷く醜くあればあるほど、片方がより輝き美しく見えるのだ。
だからこそ、傲慢で鼻持ちならない悪役令嬢が必要なわけで――――――――――
ん?
私は巡らせていた思考を一旦ここで止めた。まるで深く潜っていた思考の海から顔を上げ、息継ぎでもするかのように。
それからもう一度自分の中で浮かんだ考えを咀嚼してから呑み込み、今度はそれを慎重に掬い上げて、ようやく手にしたその答えを口にする。
「――――――――と………いうわけでもない?」
瞬間、私は跳ね起きるかのように突っ伏していた顔を上げた。
その勢いで紙屑は机の上から落ちてしまったけれど、今はそんなものは放置だ。
むしろここはニクスに、新しいおもちゃとして快く進呈してあげるとしよう。
それよりも今は、掴んだばかりの光明とも思える妙案を、嬉々として並べることに専念する。
「そうよ。最終的にヒロインが、誰よりも際立って美しく、それでいてとても愛らしくて、性格も素晴らしく見えればいいんだわ。つまり、私がヒロインの引き立て役になればいいのよ!」
ぱぁ――――――っと私の前に光が差す。それはまさに暗黒の海原で道を示す灯台。
前世で喪女をやってきた(別に好き好んでやっていたわけではないけれど)私にピッタリな役どころ。これこそ適材適所。まさにはまり役。
そして、都合のいいことにもう幕は開いている。
悪役令嬢が引き立て役令嬢に成り代わっていたとしても、もう誰にも止められない。
終幕に悪役令嬢の断罪シーンが用意されていなくとも、ヒロインさえハッピーエンドになりさえすれば問題はないはずだ。
それどころか、これは皆を笑顔にする喜劇にだってできるかもしれない。
どう?質の悪い悪戯好きな神様。恐れ入った?
突如として見えてきた一筋の希望の光に、私はご機嫌となりながら、いそいそと姿見の前に立ってみる。自分の引き立て役としての力量をチェックするためだ。
しかし、自分の顔を見て驚いた。いや、今まで散々見てきた顔のはずなのに、正直心底驚いた。
「………………私って……あれ?こんなに…………」
その後に続く言葉を、音へ変換することはできなかった。それほどまでに美しい少女が目の前に立っていたからだ。
ずっとベッドに寝ていたために、今の私が着ているものは上等な生地で作られた白い夜着。シンプルだけれど、とても繊細に付けられたフリルがなんとも可愛らしい。
しかし所詮、寝るために着るものだ。特別に飾り立ているわけでもない。
髪も結い上げておらず、腰までの長い髪は癖もなく僅かな動きにもさらさらと揺れる。
当然、化粧などもしていない。
なのに、上向きにクルンと自然と立ち上がった長いまつげは、少しでも目を伏せれば頬に影を落とす程だ。
もちろん、あのお兄様の妹ならそれなりの美貌を持っていてもおかしくはない。
けれど、まさか自分の顔を見てここまで驚くことになるとは夢にも思わなかった。
それも生まれて初めて見たわけでもない自分の顔を見て――――――――
「これは一体、どういうことかしら。やっぱり前世の記憶が戻ったことで、少し記憶に混乱があるのかしら。でもそうよね、私はこんな顔だったわよね。ずっと……ずっと……確かにそうだったわ。けれど、この髪色と瞳の色は……………いいえ、合っているわ………そうよ、これが私の髪色と瞳の色よ」
鏡に映る少女の髪色は、柔らかい淡紫のライラック。それはお母様の髪色と同じ。
そして瞳の色は鮮やかな緑のエメラルド。それはお父様の瞳と同じ色だ。
私は動揺する心を押さえるように、そっと鏡の中の自分へと手を伸ばした。
「……どうして色が違うだなんて思ってしまったのかしら…………」
問いかけた相手は鏡の中の自分。
もちろん返答はない。
だけど、私は無理矢理一つの結論を導き出した。
「そっか……私は前世の記憶が戻ってからずっと、前世の記憶ばかりを探っていたから、黒髪の黒い瞳の少女が鏡に映ると思い込んでいたのね。きっと容姿の造形にしたってそういうことだわ」
多少腑に落ちなくとも、これが一番しっくりくる答えだった。
実際私は、前世での記憶をあれやこれやと引っ張り出していたわけだし、その時には確かに黒髪で黒い瞳の少女――――――ではなく、女性の姿を脳裏に思い浮かべていた。
その直後にこの姿を見れば、それは誰だって驚くわよね…………と、伸ばしていた手を引っ込め肩を竦める。
しかし、ここで新たに浮上する問題。
それは、この私でヒロインの引き立て役が可能かということだ。
自画自賛でもなく、自惚れでもなく、欲目でも贔屓目でもなく、この自分を眺めて、引き立て役には不向きだわ、と純粋に思う。
だったら、悪役令嬢だったら?と思うけれど、これまたそのイメージからも随分と遠いところにいるような気がする。
美しいけれど圧倒的な強さはない。清楚な可憐さはあるけれど、鮮烈な華やかさはない。
色で言うなら、そう……鏡の中の少女は無色透明すぎた。
「自分で言うのもなんだけど、これではどちらかというとヒロイン側の人間の顔よね」
それは前世で読んだ数々のファンタジー小説で描写されているヒロイン像を私なりに想像し、分析した結果だ。
確かに、十六歳という年齢のせいもあるのかもしれない。けれど鏡の向こう側にいる少女は、明らかに悪役令嬢とは真逆の位置にいるように思われた。
「う~ん…………だったらやっぱり引き立て役が無難よね」
せっかく見えたはずの光明が、心なしか淡く儚くなってきているけれども、こうなれば行けるところまで突き進むまでよ、と腹を括る。
それに相手は押しも押されもせぬヒロイン様だ。
全攻略対象者が恋に落ちてしまうほどの少女。そんな少女の引き立て役が私に務まるのかと悩むこと自体、まったくもって烏滸がましい話なのだ。
「決めたわ。私は元喪女のスキルを活かして完璧にヒロインを引き立ててみせるわ。だからヒロインのあなたは、大船に乗ったつもりで、攻略対象者としっかり恋と魔法とエトセトラを楽しんでちょうだい!」
まだ見ぬヒロインに向かって、私はむんっと拳を作り、熱く決意を述べる。
しかし、この時の私はまだ肝心なことに気がついていなかった。
それはある意味、初歩的とも、致命的とも言えることで―――――――
そしてそのことに気づき、再び前世の私に悪態を吐くことになるのは、もう少し先の話。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます