(9)

 ―――――さて

 何故私がこのいきさつをここまで詳細に知っているのか――――――

 それは前国王陛下並びに東西北の公爵のおじさま方に、臨場感たっぷりに教えていただいたからだ。

 お父様は東西北の公爵の魔力を借りて転移魔法陣を発動させ、領地へと戻ってきた。もちろん自分の魔力を一切使うことなく、五体満足でだ。

 そして、私の落下事故のいきさつをすべて聞き、安堵の息を吐いたお父様は、私を抱きしめ言った。

『やはり心配で、ユーフィリナを領地に置いておくわけにはいかないな。このまま私と一緒に王都へ戻ろう。セイリオス、お前も支度をしなさい。他の者たちは身の回りの物をまとめて、すぐに馬車で追ってくるように』

 当時十歳だった私には、ただただお父様と一緒に王都へ戻るというだけの認識だった。

 けれど、実際はそんな単純な話ではなく――――――

「お、言葉ですが、旦那様。それはあまりにも危険でございます!お考え直しください!」

 ――――と、家令のアルファードを筆頭に家の者総動員で反対した。

 お父様の考える王都へと戻るための手段が、転移魔法陣を使用することだったからだ。

 当然のことながら、ここまで魔力を温存して戻ってきたお父様には、十分すぎるくらいの魔力が残っている。

 お兄様の魔力量は語るまでもなくたっぷりとある。

 しかし、私の魔力量は微少も微少。常に枯渇一歩手前といった感じだ。そんな私が転移魔法陣を使えるわけがない。

 けれど、ここでお父様は皆の心配をよそに、『セイリオスがいるから問題ない』と言い切った。

 また絶大なる信頼を向けられたお兄様も、『ユフィの足りない分は僕がカバーするから問題ない』と自信満々に請け負った。

 当主と、その嫡男にそこまで言われてしまえば、もう誰も反対できない。

 こうして私は、その時はまだ名前も付いていなかった仔猫を胸に抱き、転移魔法陣を使い王都――――――皆が待ち構える王城の転移の間に、お父様とお兄様と一緒に戻ることになった。

 そして、例の定期点検のくだりを聞くことになる。



「お嬢様、どういたしましょう?」

 侍女長のアダーラの声に、私の意識はあの日の記憶から現実へと一気に引き戻された。

 このまま放置し、領地にいるお父様が早馬からの知らせを聞けば、今度はお母様と一緒に「抜き打ちの緊急点検を行いました。やはり定期点検だけでは心許ないと思いまして」などと宣い、転移魔法陣を使って王城の転移の間に現れてしまうかもしれない。

 早馬の到着後となれば、おそらく今から約二日後に――――――――

 かといって、二時間も前に出立した早馬に追いつく方法などおいそれとはない。

 こんな時、万能に思える魔法も決して万能ではないのだと思い知らされる。

 前世なら電話なり、メールなりと連絡手段があったのに、この世界の連絡手段は精々手紙か、伝書鳩だ。

 魔法があると、逆に人はそこまで利便性を求めなくなるのだろうか。

 何なら私がこの世界で電話を発明して……………などと考えてみるけれど、すぐに無理だという結論に辿り着く。

 そもそも電話の仕組みなんて知るはずもない。それ以前に、理系は前世の私にとってまさに天敵だった。今さら仲良くなれるとはとても思えない。

 それに、今すぐ発明に取りかかったところで、やっぱり早馬のほうが先に着く。当たり前だ。

「本当にどうしよう…………」

 心の声がそのまま声となって漏れ出した。

 しかし今は呑気に、こういうのを八方塞がりというのね、と身を持って学んでいる場合ではない。

 まるで悪夢に魘されているかのように、うんうんと唸りながら打開策を探っていた私に、専属侍女であるミラが「そうだわ、お嬢様。いいことを思いつきました」と声をかけてきた。

 何一つ打開策が浮かばない私としては、「じゃあ、もうそれでいきましょう」と話を聞く前に言ってしまいそうになる。

 けれど、ここはぐっと我慢して、ミラへと視線を向けた。

「ミラ、どんなことを思いついたのかしら?」

「マタルを使うのです」

「えっ?マタルを?」

 私が前世の記憶を取り戻すきっかけとなった馬の暴走の際に、直前までその馬の世話をしていたうちの厩番だ。

 彼をどう使うつもりなのかしら――――と首を捻る。

 すると今度は同じ専属侍女であるラナがぎゅっと胸元で手を組み、懇願の様相で訴えてきた。

「ミラの言う通りですわ。マタルは今回のお嬢様の怪我に対してとても責任を感じております。実際に、公爵家の厩番を辞すつもりでした。しかしセイリオス様が、『お前が責任を取って辞めたとしても、ユーフィリナは決して喜ばないよ。それどころかきっと悲しむ』とお止めになられて、マタルは感涙に咽びながら残る決意をしたのです。そして、少しでもお嬢様のお役に立つことで、セイリオス様の寛大なるご処置に報いようと考えているのです」

「まぁ、私の怪我はマタルのせいじゃないのに」

「えぇ、お嬢様ならそう言うはずだとセイリオス様も仰られて、マタルを説得されたのです。ですからお嬢様、マタルを使ってやってください。マタルほど馬を慈しみ、馬から懐かれている者もそうはおりません。乗馬の腕前もたとえ旦那様やセイリオス様の足元に及ばなくとも、それ以外の者には勝るとも劣りません」

 さすがにお父様やお兄様より勝るとは言い難く、ラナは言葉を選んでくれたようだけど、おそらくお父様やお兄様に匹敵するほどの腕前なのだろうと推察する。

 しかし、相手は二時間も前に出立してしまった早馬だ。どんなに乗馬の技術に長けていても、とても二日以内に追いつくとは思えない。それにマタルは酷く責任を感じているようだから、必要以上に無理をしてしまうかもしれない。

 それは嫌だわ…………と、返事を渋っていると、ミラがラナの言葉を引き継ぐように口を開いた。

「お嬢様、マタルなら大丈夫です。マタルは決してお嬢様の想いを裏切ったりはいたしません。それは怪我を含めてです。私からもお願いいたします。マタルを信じて任せてやってください」

「そうですわ。マタルは人馬一体となれるのです」

 人馬一体と聞いて、ケンタウロスを想像してしまった自分を内心で蹴り飛ばす。

 そんな私の内心での渾身の蹴り……いや、突っ込みを知らない侍女長のアダーラもまたミラとラナに同調する。

「私からもお願いいたします。マタルを行かせてやってください。マタルなら必ずや人馬一体となって、お嬢様のご期待にお応えするでしょう」

 そこまで言われてしまえば否とは言えない。もう、マタルには人馬一体となってもらうしかない。もちろんケンタウロスになるという意味ではなく、馬を巧みに乗りこなすという意味でだ。

「わかったわ。マタルに任せるわ。でもこれだけはマタルに伝えてちょうだい。早馬に追いつこうと追いつけなかろうと、必ず無事に戻ってくること。万が一早馬に追いつけなくて、お父様たちが転移魔法陣を使ったとしても、それはマタルのせいではないわ。そしてその後のことは、お父様ご自身とお兄様にお任せしましょう」

 それを聞いたアダーラは、一瞬嬉しそうに顔を綻ばせた。

 しかしすぐに、侍女長としての風格でその笑みを消し去ると、「それではお嬢様、私は失礼してマタルにその旨を急ぎ伝えて参ります。ミラ、ラナ、後はよろしくお願いしますね」と告げ、一礼してから足早に部屋を出ていった。

 その背中を見送ってから、ふぅ〜と身体中の空気を吐き出す勢いで息を吐く。

 さすがにもうこれ以上の面倒事はないわよね、と。

 目覚めてから既に二度目となる脱力感からくるため息。

 一度目はお兄様の犯罪阻止。

 二度目はお父様の緊急点検の阻止。

 普通、目覚めたばかりの人って、もう少し穏やかに過ごせるものじゃないかしら?

 ――――という恨み言のような台詞が浮かんでくる。

 けれど、どう考えてみても、やはりすべての発端は私のため、早々ににその台詞に重しを付けて心の奥底へと沈めておく。

 ここで悪態なんて吐いたらそれこそ悪役令嬢降臨だ。

 ようやく目覚めたお嬢様が、悪役令嬢に豹変していたなんて、ほんと目も当てられない――――――とまで考えて、私は「あれ?」と、首を傾げた。

 むしろそうあるべきだったのではないだろうかと。

 私は本来、馬蹴りされて、目覚めた時には悪役令嬢へと華麗にモデルチェンジを果たすことになっていたのではないかと。

 なのに……それなのに……私は前世を思い出しただけで、しかもその前世の性格も私寄りで、ほとんど何も変わっていないいつもの私として目覚めてしまったのではないかと。

 だ、だ、だとしたらそれって、も、もしかしなくてもやっちゃったパターン?

「……………………………………ッ!!」


 うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!


 最初に目覚めてから、もはや三度目となる絶叫。しかしいい加減私も、内心で留めるということを学習した。

 これもまた立派な成長だ。

 とはいえ、表情だけはどうにもならなかったらしく、すぐさまミラとラナが駆け寄ってくる。

「お嬢様、いかがなされましたか⁉」

「お嬢様、大丈夫でございますか⁉」

 いかがなされたのか?と問われれば、とんでもないことを仕出かしたかもしれないとなるし、大丈夫か?と問われれば、まったく大丈夫ではないとなる。

 でも、それを告げたところでおそらくまた有り難くない方向へと、事態が流れていくことはわかっているので、ここは「大丈夫よ。問題ないわ」と微笑み付きで返しておく。

 公爵令嬢ともなれば、これくらいのポーカーフェイスはいつだって装着可能なのだ。

 あぁ、でも……これですべて合点がいったわ――――――と、一人内心で遠い目となった。

 ファンタジー小説を読み漁っていたせいで、悪役令嬢もののお約束パターンが自分の身にも降りかかったきたのだと、いとも簡単に信じ込んでしまったけれど、そこからして私は既に間違っていたのだ。

 そう、私は正真正銘の悪役令嬢としてこの世界に降臨するだけでよかった――――――馬に蹴られたことによる性格改変によって。

 道理でおかしいと思った。

 この乙女ゲームをろくにしたことがない私が、ヒロインと攻略対象者を出し抜き、断罪回避を目指すなんて、無理ゲーにも程がある。

 神様も鬼や悪魔ではないのだから、そこまでの無茶振りはさすがにしてこないだろう。

 キャステングミスだと思われたこの配役も、私の性格がもとより改変される予定だったというのであれば、なんらミスでもなんでもない。

 えぇ、わかったわ。

 私は完全にわかってしまったわ。

 キランと瞳を輝かせて、ぐっと拳を作る。もちろん内心でだ。

 しかし今の私は、前世の記憶が戻ったおかげで、自分が悪役令嬢であるという余計な知識はあるのに、中身がまったく伴っていない残念な状態。

 これは素面で宴会芸をしろと言われているのと同義だわ…………と、泣きたくなってくる。

 だとしてもだ。いくら悪役と名が付くとはいえ、誰かを虐めたり、貶めたりなんてやはりしたくない。

 それが悪役だと言われてしまえばそれまでだけれど、私の性格が今の私である限り、断罪よりもまずそこを是非とも回避したい。

 うん、そうよ。こうしてなんの因果か悪役令嬢として転生してしまったとはいえ、必ずしも鉄板の悪役令嬢である必要はないのよ。

 こうなればいっそのこと、私独自の悪役令嬢を目指してみてもいいんじゃないかしら…………という気になってくる。

 しかしそうなってくると、今度は私独自の悪役令嬢なるものが曖昧過ぎてよくわからない。

 そうね……私独自って何かしら?私らしく、オリジナリティ溢れた悪役令嬢。なんだかとっても地味に思えるのは気のせいかしら。

 そこでさらに掘り下げて考えてみる。

 悪役令嬢といえば、高飛車な態度と高笑い…………でも、いかにもって感じでオリジナリティの欠片もないわね。そもそも面白くもないのに高らかに笑えるって、実はものすごいスキル持ちなのではないかしら。

 ま、そんなスキルあまり欲しくはないけれど。

 だったら、決めポーズや決め台詞を作るとか?それとも毎回、ヒロインと攻略対象者の逢瀬の邪魔をするために、歌いながら登場するとか?

 駄目だわ。完全にキャラが崩壊して、もはや悪役令嬢の影さえ見えなくなってきたわね…………うん、詰みだわ、詰み。

 暗中模索。掘り下げすぎて、何が正解なのかわからなくなってきた。

 なんならこのまま迷宮入りして、目指す悪役令嬢へと行き着く前にミイラ化してしまいそうだ。

 これは早急に何かしらの対策を立てなければやっぱり駄目ね―――――と、改めてそう理解した私は、心配そうに私の様子を窺っている家の者たちへと微笑みを投げかけた。

 もう私は大丈夫よ、という意を込めて。

 その理由は言わずもがな、今すぐ一人になるためだ。

 今後のこと――――悪役令嬢に転生した自分の身の振り方について、今度こそ落ち着いてじっくりと考えるために。

 しかし、世の中そうは問屋が卸さないらしい。

「さぁ、お嬢様。随分と百面相をされておりましたが、ようやく落ち着かれたご様子。今からお医者様に診察してもらいますよ」

「えっ?ミラ、私はもう大丈夫だから、百面相とかもしていないから、だから今は診察よりも一人に…………」

 私の微笑みの意図するところがまったく通じていなかっただけでなく、ずっと百面相をしていたという羞恥な事実までもが判明し、慌てて言葉にしてみるけれど、あっさりラナに先んじられる。

「駄目ですよ、お嬢様。二度もお倒れになったのですから、しっかり診ていただかないと。だいたい半日の間に二度も気を失われるなんて、何かとんでもない呪いがかけられているのかもしれませんわ」

「え、えっと、ラナ?一度目は馬が原因だし、決して呪いとかそういう………」

 まぁ、強いて言うなら、悪役令嬢の呪いってところかしら…………

「あぁ、もう!うちのお嬢様を呪うだなんて、なんて不届き者でしょう!そんな輩は見つけ次第、このミラが懲らしめてやりますわ」

「いや、だから…………」

 たぶんその不届き者は神様のはずだから、見つけ出して懲らしめるのは無理だと思うわよ。

「お嬢様、大丈夫ですよ。こう見えてこのラナ、お嬢様をお守りするくらいの護身術は学んでおります」

「そ、そういうことじゃなくってね………」

 神様相手に護身術は通用しないかと…………

「「さぁ先生、お嬢様をしっかり診て差し上げてくださいませ!」」

 最後は綺麗にミラとラナの声がハモった。差し出した腕の角度まで一緒だ。

 双子でもないのに恐るべき共鳴率。

 こうなると私の専属侍女たちは最強だ。

 もしかしたら、たとえ私が性格改変され、正真正銘の悪役令嬢として降臨したとしても、この二人には敵わないのかもしれない。

 間違いなく、性格改変にさらなる性格改変をされそうだと思う。


 一周回って元に戻るみたいな?


 まぁ、それはそれで有りかもしれないわね、と苦笑しながらバタバタと忙しく動き出したミラとラナを眺め、内心で独り言ちる。


 どうやら私が一人になれる時間はもう少し先になりそうだ………と。

 

 

 

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