(8)
かつて神は魔力で世界をあまねく満たし、人にそれを宿す器を与えた――――――――(
これは後に知ったことだけれど、当時私の部屋には外部からの侵入に備えて、公爵家お抱えの呪術師による秘伝の結界魔法陣が張られていたらしい。
まさか両親もお兄様も、そして家の者たちも、私自らその魔法陣を突破するなんて夢にも思わなかったのだろう。
それもそのはず。
当時から、私の魔力量は胸を張って誇れるほど然程多くはなかった。
いえ、すみません。ちょっぴり見栄を張りました。
赤裸々に申しましょう。私の魔力量は公爵令嬢としてあるまじき極貧。ランクで言えば、最低ランクのさらに底辺というか、地べた。
つまり完全に公爵家の権威と財力と私の魔力は反比例しており、箱入りやら深窓やらと聞けば箔も付くけれど、実際は一人で表にも出せないほどの超出来損ないのか弱き低級魔法使い。それも現在進行形で。まったくもって嘆かわしいことに。
それに比べお兄様はというと、当時十三歳という年齢で、既に2種類以上の属性の違う魔法を融合させる、超上級魔法を駆使できるほどの魔法使い。魔力量も底なし。
そう……お兄様と私は、すべてにおいて違っていた。
この世界に伝わる古の書、“天地始開文書”―――――通称“始まりの書”とも呼ばれる、この世界の始まりを記した書によれば、神様はこの世界を創造した時、まるで世界を空気で満たすが如く、魔力で満たした。
そしてそれは自然エネルギーとも呼ばれ、光、闇、水、風、火、地という6つの属性に分類される。
さらにその後、戯れに人を創造した神様は、期限付きの命とともに魔力を宿すための大小形の異なる器を与えた。
器の大きさはそのまま魔力量へと直結し、その形は魔力属性の相性へと繋がる。
すなわち人によっては、魔力はとても多いけれども、水属性しか宿せないという偏りがあったり、魔力は少ないけれども、あらゆる属性を宿すことができる万能型の器を持っていたりと、人それぞれ顔貌や寿命が違うように与えられた器もまた千差万別だった。
これをお兄様と私に当てはめると、お兄様は底なしの万能型の器を与えられ、私はどの属性に特化しているのかもわからないほど小さく、底が非常に浅い器を与えられたということだ。おそらく豆粒くらいの。
そのためお兄様と私の出来は、月とスッポン。提灯に釣鐘。雲泥の差…………と、自分で言ってて悲しくなるけれども、これが現実というものだと、もうとっくの昔に諦めている。
だから天に向かって『こんなの不公平だぁぁぁぁぁ!』なんて叫んだりしない。うん、もう叫ばない…………うん…………
そして大抵そのような場合、さっさと見切りをつけられるか、超過保護に育てられるかのどちらかになるのだろうけれど、うちの場合は超過保護の方へと針が振り切れた。
そう、傾いたのではなく、完全に振り切れたのだ。
その結果、妹のためなら犯罪すら厭わない超絶シスコンお兄様と、親馬鹿ならぬ馬鹿親が出来上がってしまった。
それはもう周りがドン引きするほどの。
にもかかわらず、頑丈な鍵付きの箱に入っていたはずの私は、そこに張られていた結界魔法陣を無自覚にも破り、窓から落ちるという事態を引き起こしてしまった。
言い訳をするわけではないけれど、鍵なんかかかってましたっけ?とこちらが確認したくなるくらい、窓はあっさりと開いたし、結界らしきものもまったくといっていいほど感じなかったのだけれど、実際にはとても強力な結界魔法陣が私の部屋には敷かれていたらしい。
それを仔猫を助けるためとはいえ、私は難なく突破してしまったのだ。
バリバリと電気ショック的なものを喰らうことも、透明の壁のようなものに弾き返されることもなく……(あれ?ある意味私すごくない?)
しかも有り難くも迷惑なことに、この結界魔法陣は破られた瞬間に、お父様たちが察知できるよう予め術式が組まれていた。
そのおかげで私はすぐさま駆けつけたお兄様の魔法によって有り難くも助けられたわけだけど、傍迷惑なことに王都にいる馬鹿親なお父様にまで知られてしまった。
そして、王家と東西北という三つの公爵家を巻き込んでの騒動が幕を開ける。
その日、お父様は王城で定例の御前会議に出席していた。
この会議には当時“王の右腕”であった西の公爵以外にも、東と北の両公爵たちも出席していた。
理由は一ヶ月前に降った大雨。
その影響で、王国の至る所で甚大な被害が出ており、所有する領地の現状報告とその他地域の現状把握のため、両公爵たちは自分たちの領地から遠路はるばる登城していたのだ。
そしてそれは丁度、大雨で流された橋の修繕工事の進捗状況について、工事の現場責任者から報告がなされていた時だった―――――――お父様が、私の部屋の結界魔法陣が破られたことを感知したのは。
もちろん、仔猫云々なんていう詳細など知る由もない。
わかるのは、魔法陣が何者かに破られたという事実だけ。そのため―――――――
滔々と報告をする橋修繕工事の現場責任者の話の途中で、まるで意見でもあるかのようにお父様はスッと右手を挙げた。
もちろん慌てたのは他でもない、報告中の現場責任者だ。
『み、南の公爵様、私の報告内容に何か不備、もしくは問題がありましたでしょうか?』
修繕工事の現場責任者は少し顔色を悪くしながら、お父様に問いかけた。
そりゃそうだろう。この時のお父様は“王の左腕”。その発言には絶大な力がある。
もし修繕工事の内容に問題があるとするならば、直ちに是正しなければならない。下手をすれば、自分の首と身体が物理的に離れることにもなりかねないからだ。
しかしお父様は『修繕内容に問題はない』と言い置いてから、スハイル王弟殿下の父君である、今は亡き前国王陛下へと向き直った。
そして堂々と宣う。
『今から有事の際に使用する転移魔法陣の定期点検を行いましょう!』
『……………………は?』
前国王陛下は王として纏っていた威厳やら仮面やらをごそっと落とし、王家特有の鮮やかなロイヤルブルーの目を丸くした。ついでに己の耳の不調を疑う。
しかしそんな陛下に向かって、お父様はきっぱりと言い切った。
『何事も備えあれば憂いなしです!』
どうやら耳の不調ではないらしいと、うっかり足元に転がしてしまった王としての諸々を拾い直しつつ、前陛下は幼き頃からの友であり、今や“王の左腕”として頼りになる自分の側近へと口を開く。
『いやいやいや、今はそんな話をしていなかっただろう⁉』
『緊急時はいつ訪れるかわかりません!この流された橋にしても、定期点検を正しく行っておれば、ここまでの甚大な被害は出なかったはずです!そもそも、我々の代になってから幸運にも転移魔法陣を使用したことはございませんが、国の有事はいつ何時起こるかわからないのです!いざという時に使えなければまったく意味がございません!こういうことは思い立ったが吉日と申します。つまり、思い立った本日がその良き日。そして良き日の良き刻はまさに今。吉時を告げる鳥も“今!”と鳴いております。ならば今、点検するのみ。点検者は僭越ながら、言い出した私が務めさせていただきます。さぁ、今から転移魔法陣の定期点検を行いましょう!』
『“さぁ、行いましょう!”ではない!!ちょっと落ち着くのだ!定期点検の重要性はわかった。それを行うことに異論はない。しかしだ。何故それを今すぐ行う必要がある!会議中だぞ!だいたい、今まで転移魔法陣の点検などしたこともないのだから、定期点検などと称するのはおかしいだろう!』
『陛下、お言葉を返すようですが、有事は今この瞬間にも起こるやもしれません。今まで点検をしてこなかったこと自体がおかしいのです。しかし、今までは今まで。それを改善していくのも我らが務め。今日この日を記念すべき第一回目の定期点検の日とし、今後に備えて参りましょう。それに本日は、東西南北の公爵が皆揃っております。これはまるで神が思し召したかのような僥倖。この機を逃す手はございません!』
その言葉にぎょっとしたのは、東西北の公爵たちだ。
『待て待て待て待て!何故、ここで私たちを持ち出す!全員揃っていようが、揃っていなかろうが、定期点検とやらにまったく支障はないだろう!』
そうご尤もな意見を述べたのは“王の右腕”である西の公爵だった。しかしお父様も負けてはいない。というか、公爵たちもまた幼き頃からの友人同士。
今更取り繕った言い方も、遠慮もいらないとばかりにお父様はぞんざいに言葉を返した。
『有事の際には、お前たちも使うのだぞ。その目で確かめておくべきではないのか?転移魔法の失敗で五体満足に転移できず、過去命を落とした者も多くいると聞く。そんなスリルを好んで味わいたいと言うのならば、友思いの私としてはそれを見守るくらいの度量はあるつもりだが?』
『いや、そんな……自虐趣味も自殺願望も私にはない…………』
『ならば、するべきであろう?定期点検を。堅実なる“王の右腕”殿?』
『うぐ…………』
そうお父様から真っ直ぐ視線と言葉を返されて、西の公爵は声を喉に詰まらせた。
西の公爵は実直で生真面目。
昔からそのことをよく知っているお父様であれば、その攻略方法も熟知している。
しかし、忘れてはいけない。
そのような呪術師が、五体満足で転移もできないようなお粗末な欠陥品の魔法陣を敷くはずがない。
当然、お父様もそれはわかっている。だからこそここで一気に畳み掛けた。
『転移魔法は超上級魔法で、まず一般の魔法使いには扱えない代物だ。だからこそ転移魔法陣を有するが、この魔法陣だって今や構築できる者はそうはいない。さっきも言ったように失敗すればまず命がないからな。こんなものに手を出そうとするのは、余程の命知らずか、己の魔法に絶対的自信がある者だけだ。今王城に敷かれている魔法陣だって、いくつかの犠牲があって構築されたものだと聞き及んでいる。しかもだ。この魔法陣を起動させるには、かなりの魔力が持っていかれるそうだ。我々の魔力量を持ってしても、片道が限界だろう。まぁ、有事の際に領地から王城に駆けつける分には片道でも構わないが、今からするのは定期点検だ。往復は必須。点検の結果を持ち帰らなければ意味があるまい』
そこまで立て板に水の如く言い切ってから、お父様はこれ見よがしに肩を落とし、大きく首を横に振りながらため息を吐いた。
お父様と旧知の仲である前陛下と公爵たちは、明らかに芝居がかっているなとは思ったものの、賢明にも口を閉じて続きを待つ。
『だがしかし、私が無事我が領地に転移できたとしても、残り僅かな魔力で領地の魔法陣を使い、ここに戻ってくるのは不可能だ。まぁ、実際どれ程の魔力が喰われるのか、一度使ってみないことにはわからない。―――が、8割ほどの魔力を持っていかれたとして、魔力の全回復までに約二日。復路の転移魔法を諦めたとしても、我が領地から不眠不休で馬を飛ばして、ここに戻るまでやはり二日。完全なる魔力切れを想定した場合、私は馬にも乗れないだろうから、馬車なら五日。点検結果と私の安否を是が非でも知りたいと思ってくださっている陛下並びに、お忙しい東西北の公爵方を二日以上もここで留め置いて心配させるのは大変不本意であるのだが、さて、一体どうしたものか…………』
『『『『……………………』』』』
形のいい眉を下げ、いかにも申し訳なさそうに自分たちを見やるお父様に、前国王陛下と公爵たちは一斉に天を仰いだ。
どうしたも、こうしたもない。お父様が暗に謂わんとしていることが、透けて見えるどころか、手に取るようにわかったからだ。
とどのつまりお父様は、自分の魔力を復路分として温存するために、往路分の魔力を寄こせと東西北の公爵たちに言っているのだ。
これは、表面上の言葉と態度は一見しおらしく見せかけておいて、中身は一刻も早く自分たちの領地や屋敷に戻りたければ、お前らの魔力をまずは差し出せという脅迫に他ならない。
しかし、前陛下を含め公爵たちは知っていた。
お父様は決して非常識な人間ではないということを――――――
確かに切れ者ではあるが、普段は温厚で常識を弁えた人間であると。それが、有無を言わさず転移魔法陣の定期点検を推し進めようとし、下手な芝居を打ってまで魔力を渡せと言う。
察するに、領地で緊急事態ともいえる案件が起こったのだろう。それも馬鹿が付くほどに子煩悩な南の公爵のことだ。子供の身に何かが起きたことを感知魔法で知り、苦肉の策として転移魔法陣の定期点検なんてことを言い出した――――――まぁ………おそらくではあるが、そんなところなのだろうな……と、そう前陛下たちは正しく理解した。
そのため、前陛下が“王の右腕”である西の公爵へと視線を向ければ、西の公爵もわかっておりますとばかりに小さく頷いた。東と北の公爵もまた然りだ。
前国王陛下は微かに上がった口角を何事もなかったかのように引き下げると、重々しく口を開いた。
『南の公爵の提案により、只今より転移魔法陣の定期点検を行う。定例会議は一時中断。東西南北の公爵はこのまま転移の間へ。東西北の公爵には点検の立会い並びに、南の公爵への魔力付与を命ずる。急ぎ、回復師と呪術師も呼べ!』
『『『『御意』』』』
由緒正しき定例御前会議での一幕。
後に、仕事に勤勉な書記官がこの日の議事録を読み直し――――――
“思い立った本日がその良き日。そして良き日の良き刻はまさに今。吉時を告げる鳥も“今!”と鳴いております”
――――――というお父様の言葉に『吉時を告げる鳥も、さすがに“今!”とは鳴かんだろう……』と、一人突っ込んだとかいないとか……………
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