第6話 6月5日(2)
「どうしたの?」
彼の言葉は意外なものだった。
「翠さんは、どうして僕と食事してくれるの?」
私は言っている意味があまりわからず、首を傾げてそれらしい返事をした。
「人間なんだから、ご飯を食べるのは当たり前じゃない?」
次の彼の一言に、私は少し驚いた。
「そうじゃなくて、翠さんみたいな綺麗な人が、どうして僕と一緒に。っていう意味」
その言葉がとても不快だった。昔から、容姿を褒められることは多かった。だからこそ私は、私の中身を見てほしかった。だから見た目で判断されることが苦痛で、不愉快だった。
「容姿が綺麗だとか、良くないだとか、関係ないと思う。自分が誰と一緒に食べたいか、それが一番大切じゃない?」
彼も、私の容姿だけで関わっているとしたら、私は不幸者だ。彼はなんて言い返すのだろう。
「ごめん、僕が間違ってた。翠さんの言う通りだと思う」
とても素直な人だと感じた。今まで、綺麗ごと言うな、そんなことばかり言われてきたからだ。
「僕も翠さんとの食事が楽しい。また一緒に食べたい」
私はふふっと微笑した。
「今食べてる最中なのに、気が早いよ。けど、次は何を食べようかね。あ、そういえばID教えてもらってない!」
ふと思い出し、食事中にも関わらずお互いのQRコードを読み取った。お行儀が悪いのは自覚していたが、今日くらいは許してほしいと、誰もいない心に語り掛けた。
「はい、じゃあこれでいつでも颯君にイタズラ電話できると」
「え、やめてよ」
「あはは、冗談だよ」
会話を重ね、私達は店を出た。ポップコーンの匂いを再び浴びると、あの甘い味が味覚を誘う。
「ポップコーンとか食べる?」
「せっかく映画館に来たから食べたいけど、お昼ご飯がまだお腹に残ってるから、Sサイズにしようかな」
「じゃあMサイズのやつ一緒に食べようよ!」
大きいメニューを見上げる彼に提案する。
「その方が安そうだし、そうしようか」
ポップコーンペアセットを割り勘で購入し、チケットを取り出すと丁度入場開始のアナウンスが流れた。
エスカレーターで更に2階上に上がり、8番スクリーンに向かった。
大きな部屋に入ると、意外にも人が少なかった。あまりテレビなどでも宣伝されていなかったせいだろうか。おかげでそこまで居心地が悪くない。
オレンジ色の微灯を残し館内が暗くなると、スクリーンから光と大きな音現れ、体を襲う。映画の広告と注意事項の映像が流れる、他の作品を紹介されている時間も映画の醍醐味だと、ワクワクし始めた胸が騒ぎだす。
ようやく本編が始まり、緊張感が部屋全体に走る。ポップコーンを二人の間に設置したため、手を伸ばしては口に運ぶ。彼は私とタイミングが被らないようにしているようだった。
私は彼の迷惑にならないよう、音を最小限出さないように気を配る。
エンドロールが流れ終わり、明かりがつくと、部屋全員が息を漏らしたような空気が流れた。そしてポップコーンは、細かなものと種だけが僅かに残っている。
両手を上げ、鈍った体を伸ばしていると彼が私に声をかけた。
「翠さん、ポップコーン取るの上手くない?」
笑いが溢れてしまい、伸ばしていた体が一瞬で脱力した。
「ポップコーン取るのうまいってなに!?」
口角が上がる彼も自身の質問を考え直したようだ。
「ポップコーン減ってくると取りづらくないの?」
「んー、普通に指伸ばせば取れると思うけどなぁ。颯君、意外と不器用なんだね」
席を立とうとする彼に、私は鞄から小さなウェットティッシュを取り出し、一枚渡す。
「はい、手ベタベタでしょ」
「うわ、女子力だ」
「うわってなに、これでも女子なんですけど」
「ごめんごめん、ありがとう」
怒ったように笑い、右手に残る油を拭き取った。
スクリーンのある部屋から出て、私の後ろを歩く彼に問いかける。
「じゃあ、次はどうしよっか? どこか行きたいところある?」
「え?」
彼は眉を持ち上げて驚いていた。
「あれ、もう帰る気だった?」
「うん、映画も観たし、翠さんの目的も無くなったから帰宅コースかなって」
「そっか、もう帰らないといけない?」
「そういうわけではないけど……」
疲れた表情を見せる彼を見て、考える。まだ一緒にいたい気持ちはあるが、彼を連れまわすのも申し訳ない。
「あ、じゃあちょっとだけお買い物に付き合ってよ」
「お買い物?」
「うん、ルーズリーフが無くなっちゃったの。雑貨屋さんに行ってくれない?」
「雑貨屋さんかぁ、うん、そのくらいなら全然大丈夫だよ」
私はすぐにスマホで近くの雑貨屋を調べた。画面を覗き込む彼に意識してしまい、指がうまく文字を作ってくれなかった。
ロータリー横にあるデパートの中にある雑貨屋さんがヒットし、私達は足を運んだ。
「ルーズリーフ……ルーズリーフ……あ、あったよ!」
私はいつもと同じ物を手に取った。本当のところ、まだ買い足さなくても良かったのだが、口実として買いに来ただけだった。
「それで大丈夫?」
「うん、ありがとう」
円マークの書かれた先へ向かおうと体をターンさせると、何かに視線を感じ目を奪われた。
「かわいい! 見て! 何かわからないけどかわいいよ!」
雪だるま、なのだろうか、ハッキリとはわからないけれど私の胸に刺さる魅力があった。私は意図せず無邪気に燥いでしまっていた。
「これ一個ずつ買わない?」
「え!?」
「これ、どれが入ってるかわからないみたいだし、ふたりで買ってみようよ!」
値段も特段高いと言うわけでもなかった。高校生でも十分に手が出せる。
「確かに可愛いけど……」
彼をじっと見つめ、口を使わずに訴えた。真剣に悩んでくれた末、彼が負けてくれた。
「んー、わかったよ。1個だけね」
「やった!」
私達はお互いに選んだ物を購入し、店を出た。私は袋を貰ったが、店を出た彼は手ぶらだった。ポケットにでも突っ込んだのだろうか。
「じゃ、家に帰ったら写真送ってね」
「さっきの?」
うん、と頷くと彼は渋々了承してくれた。
「じゃあ僕は帰るけど、途中まで一緒だよね?」
「うん、けど近くだし、バス代もったいないから私は歩いて帰ろうと思う。バス停が、えっと……」
あの橋まで向かってくれるバスはどこかと、バス停を示す為に右腕を上げかける。
「そっか、じゃあ途中まで送るよ」
「え? いいよ、家近いし悪いよ」
「僕もバス代節約したいし、もう暗くなってきたし」
「いや、でも……」
彼の一言が、今日一番嬉しかったと共に、申し訳ない気持ちがあり喜びきれなかった。
「ごめん、迷惑だったら普通に帰るよ」
このままでは彼はバスで帰ってしまう。1秒でも長く一緒に居たい気持ちがある私は、次は自分が折れる番だと悟った。
「ううん、全然迷惑ではないんだけど……じゃあ、お言葉に甘えようかな……」
本当は飛び跳ねたいくらいに嬉しかった。けれど私は変に思われないよう、表に出さないように必死だった。
「うん、今日はお世話になったし。せめてものお礼……にはならないか」
彼のその細かな気遣いが、また私を良い意味で苦しめた。
「ううん、嬉しいよ。ありがとう」
私は自分でもわかるほどに喜びが自然と顔に出てしまっていた。彼に気づかれないよう、隠しても隠しきれなそうだ。
また彼とこうして思い出の土地を歩くことができている現実が未だに信じられない。彼と話す時間は長く、短かった。小さい頃の話や、友達の話、過去の恋愛話など、私が気にしていた話ばかりしていた。
「颯君、この辺きたことないの?」
「うん、なんだか見覚えがあるような……けど多分、夢で似たような場所を見ただけだと思う」
「……そうなんだ」
夢なんかじゃなく、実際に昔住んでいた所だよと、そう言えたら胸が軽くなるだろうな。
「翠さんは、この地域にずっと住んでるの?」
「ううん、お父さんの転勤で、少しだけ東北の方にいたの。けど、この場所にちょっと心残りがあって、高校生になると同時に戻ってきたんだ」
このくらいは正直に話していいだろうと思い、彼に伝えた。
「へー、じゃあ今はお母さんと二人とか?」
自分が落ち込み始めていることに僅かだが気づき始めていた。
「え? ううん、アパートに一人だよ?」
「え! 高校生で一人暮らしなの!?」
彼は驚くと声量の上がる人だった。その表情が私にとっては可笑しく、あははと笑ってしまう。
「そんなに驚く? 意外とできるものだよ?」
「僕なんか料理できないし……寂しかったりしないの?」
彼の一言が私の胸を抉る。
「そりゃあ寂しいけど……それでも、ここに戻ってきたかった理由があるの」
「なに? 理由って」
貴方に会いたくて。そう言えたらどんなに楽になるだろうか。けれど私はどうしても思い出させるのではなく、思い出して欲しかった。言葉が見当たらずに、黙ってしまう。
「ごめん、訊きすぎたよ」
「……ううん、ごめんね」
私は精一杯に気持ちを隠して笑顔を作った。
「翠さん、ごめんね。悲しませて」
「……え?」
彼の謝る理由がわからなかった。
「僕、馬鹿だし、鈍感だから何がいけなかったかわからないけど、翠さんが悲しんでそうだったから」
私の気持ちが気づかれてしまった驚きで自然と目が開く。彼特有の優しさにまたも惹かれてしまう。単純な女だなと自覚があった。
アパート前に到着し、私は手を振って彼に別れを告げた。
「じゃあ私、家に帰るね。またね、送ってくれてありがとう」
鍵を開けて室内に入り、玄関の扉がガチャリと閉まる。そして私は大きなため息を一つ溢す。どうしたら気づいて貰えるのだろうか、そんな悩みが生まれた。
悩みが頭に残る中、夜ご飯の支度をしながら、ベッドに置いた袋の中を漁る。箱を破って現れたその置物は、枕に頭を乗せて横になる雪だるまだった。そもそも雪だるまなのかどうかもあやふやだ。
私はすぐにスマホを開いて写真を撮り、彼に送りつけた。
【みてみて可愛い! なんか癒される!】
笑顔マークの絵文字を付けて送ると、すぐに既読の文字が現れた。トーク画面を開いて待っていると、画面が更新された。
【可愛いね。僕のは体育座りしてるよ。】
彼から送られた写真のものは、ちょこんという擬音が似合いそうな雰囲気で座っている。
【颯君はどこに置くの?】
ベッドに備え付けられた棚に置くと、まるで一緒に寝ているペットのように愛着が湧いた。
【うーん、机の上にしようかな。】
彼も私も、トーク画面を開きっぱなしということがたった二文字で伝わる。
【いいねぇ! 私は横たわってるし、ベッドにしようかな】
キラキラの絵文字を添えて送る。彼と私のメッセージには温度差があった。
【あと颯君、女の子とのやりとりは絵文字を使った方がいいよ?笑】
指摘するのは好きではなかったけれど、あまりにも堅苦しかったため私はつい送ってしまった。
【絵文字ってどうやってつけるの?】
彼の文字に驚きから実際に声が出た。
【え!? 絵文字使った事ないの!?】
本当にスマホをあまり使わないのだなと疑いが晴れた。
【うん。そもそもメッセージ自体あまり使わないんだよね。】
メッセージが送られてきては、指先を走らせ続けた。
【まず句点やめよう!笑 怒ってるようにみえちゃうよ!笑】
私は良いメッセージの送り方を教えた。メッセージを送った直後に、これが彼らしさでもあるのかなと、少し後悔した。
【どうすればいい?】
けどそれが颯くんらしいからありかも! そう文字を作っては、送られてきたメッセージを見て全て消した。
【んー、とりあえず文末に笑を付けておけばなんとかなる!笑】
意外にも乗ってくれた彼に私は一つだけアドバイスして終わろうと思った。
【わかった笑 これから意識してみるね笑】
なんだな彼から送られると違和感がありじわじわと込み上げるような面白みがあった。つい絵文字もつけてみて欲しいと求めてしまう。
【なんか面白い笑笑 じゃあ次は絵文字だね!】
絵文字の付け方を文字に変換していると、電子レンジが時間を知らせ、また後で送ろうと画面を閉じた。
インスタント食品をテーブルに運び、テレビを向かいに食を進める。再び彼のトーク画面を覗くと、メッセージが来ていた。
【ごめん、一旦お風呂入ってくるね笑 戻ったらまた連絡する!】
つけ方がわからないと言っていたにも関わらず、自分で探し出したのか、びっくりマーク、お風呂、頭を下げる人の絵文字が添えられていて、私は一人寂しい部屋の中で笑顔を零した。
【そっか、私もご飯食べ終わったし、お風呂入って寝るね! おやすみ!】
Zが3つ並ぶ絵文字を添えて、それだけ送った。あまり続けさせても窮屈にさせてしまいそうだ。既読はついたけれど、返事は来なかった。
お風呂の前にテレビの続きを観ていると、次に彼と会う約束をしていないとふと気づき、私は追ってメッセージを送った。
【そういえば、次はいつあのカフェ行く?】
テレビを見ていると、伏せたスマホは意外にもすぐに私を呼んだ。
【すぐにまた行くのはマスターに申し訳ないから、少し時間を置こうと思う。】
とても彼らしい優しい文だった。
【そっか、お金かからないと申し訳ないよね笑 じゃあ次に会うのは梅雨明けなんてどう?】
あえて約1ヶ月後くらい間を開けようと思った。あまりに会いすぎても彼を困らせてしまうだけだと思ったからだ。
【うん、じゃあそうしようか。】
彼の文は、再び寂しさを感じさせていた。
【おっけー! じゃあ梅雨明けの日の朝に集合で! あと、絵文字と笑つけなね! じゃあおやすみ!】
【おやすみ笑】
Zの並ぶ絵文字を付け加えられていて、慣れないなりに頑張って付けているのだと思うと、どうしても笑ってしまった。面白さなのか、嬉しさなのかは、自分に問い詰めなかった。
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