15話-①

■第15話





 俺は今、神威家のとある部屋でポツンと一人待っている。

 普段なら一人でいることも苦ではないし、神威家に初めて来た日も一人で待つ時間もあった。

 最近は詩乃もいて、ひなが着替えに部屋に戻った際にも一人でいる時間はほとんどなかった。

 なのに、今日という日の一人でいるこの時間は――――かなり辛い。

 ソワソワしながらテーブルに置かれたお茶を何度も飲む。意識したくないのにどうしても意識してしまって喉が渇いてくる。

 しばらく待っていると、外から物音が聞こえてきて二人の女性が入ってくる。

「おまたせ~日向くん~」

「た、ただいま……」

 猫みたいに笑う詩乃と少し恥じらうひな。入ってすぐに優しいシャンプーの香りが部屋に広がっていく。

「おかえり……」

「え、えっと……今日はありがとう」

「どういたしまして」

 二人が行っていた場所は、風呂である。

 何故風呂かというと、驚いたことにひなはここ五年間風呂に入れていないという。

 風呂に入ってないというと汚いイメージがあるが、彼女の場合絶氷により、常に全身の清潔が保たれてるし、本人も風呂には入れないけど部屋で体を拭いたりはしてたらしい。

 もし風呂に入るものなら、温かさに抗えずに絶氷を展開させてしまい、風呂場ごと凍らせてしまうという。

 それもあって、俺の能力が見える範囲だけじゃなく、見えなくても半径であることを知ったおばさんから頼まれた。

 最初こそ拒んだひなだけど、詩乃が一緒に風呂に入りたいと言い出して、二人一緒に風呂に入ってきたところだ。

「日向くんも入る?」

「っ!? い、いや、俺は自分の部屋で入るよ」

「え~ひなが入った浴槽だよ?」

「っ!?」

 顔が熱くなるのを感じる。ひなも顔を赤らめていて、それでより意識してしまう。

「それを言ったら詩乃ちゃんだって入ったんだから……」

「ふふっ。私は構わないよ~? 何なら――――明日は一緒に入る?」

「入らないよ!」

「え~年頃の男子なら喰いつきそうなのになぁ」

 俺が当然拒否するとわかっていながら、意地悪なことを言う詩乃はいたずらっぽく笑う。

 彼女の誰にも隔てなく接するおかげでひなも俺も助かってる部分が大きい。今日だって、ひなを説得したのも詩乃だ。

 もし詩乃がいなかったら俺だけでここまでできたかというと、多分できなかったと思う。

 タイミングを同じくして、おばさんもやってきた。

「ひなた。大丈夫だった?」

「お母さん。はい……」

「ふふっ。日向くん。ありがとう」

「いえいえ」

「これからも毎日お願いね~」

「は、はい……」

「詩乃ちゃんもありがとう」

「どういたしまして~明日からは私も着替えとか持ってくるようにします~」

「それは助かるわ。何か必要なものがあったら何でも言ってちょうだい!」

 詩乃と話したおばさんの視線が俺に向く。

「それで日向くん。次の頼みなんだけど……ゴールデンウイークにうちのひなたも連れててもらえないかしら」

「えっ!?」

「お母さん!?」

 想像だにしなかった頼みに驚いていると畳み込むようにおばさんが続けた。

「ひなたには少しでも普通の生活を送ってほしくて、この五年間私達ではどうしようもなかったわ。でも日向くんが近くにいればひなたも普通にご飯が食べられ、風呂にも入れる。これほど嬉しいことはないわ。せっかくのゴールデンウイーク。いつも屋敷に籠るしかできなかったから、旅行のつもりで行ってきたらいいんじゃないかしら」

「そうだとしても……みんなでならまだしも、ひな一人で俺と行くのは……」

「旅行いいなあ~! 日向くん? それなら私も連れてってよ」

「詩乃まで!? ちょ、ちょっと待ってくれよ…………そもそも二人とも男と一緒に旅行なんていいのか!?」

 すると二人はキョトンとした表情で顔を合わせる。

「「だって、ね~」」

 まるで姉妹のように息の合った話しをする二人は、俺を見つめた。

「日向くんだからね」

「そうだね~」

「お、俺……?」

「一緒にパーティーも組んでるし、日向くんなら信頼できるからね。そうじゃないとパーティーも組まないよ?」

「そ、それはそうだけど……」

 パーティーと旅行。たしかにどちらも比重としては高いか…………ダンジョンとなるとお互いに命を預け合う関係でもあるしな。

「日向くん。うちのひなたをよろしくね。もし家が難しいなら、近くのホテルを取ってね? ひなたにカードは持たせているから」

「ホテル!?」

「あら? もちろん部屋は別よ? まだ同じ部屋はダメだからね?」

「も、もちろんです!!」

 詩乃は面白いようにずっとクスクスと笑って、ときおり俺の脇腹をツンツンと指で突いた。

 おばさんはそんな俺を見ながら、安心したように小さな声でつぶやいた言葉が聞こえた。

「よかったわ……今のひなたが日向くんから離れて、もし力が暴走でもしたら……」

 今のひな……? それからは小さくて聞き取れなかった。

 おばさんがどういう意味で言ったのかはわからないけど、何かの理由があり、それがひなのためになることは理解できた。



 帰り道。

 詩乃を家まで送る。

「はあ…………詩乃? ちゃんと両親の了解は取ってな?」

「わかった! 本当に私も連れてってくれるの?」

「ひな一人だと心細いだろうしな」

「ふふっ。私、お邪魔じゃない?」

「邪魔じゃないよ!!」

 むしろ、詩乃にはぜひとも来てもらいたいくらいだ。

「ふふっ。日向くんの可愛い妹ちゃんと会えるのか! 楽しみ~」

「もう決まったように話してるようだが……」

「いいのいいの。うちは放任主義だから。まあ、こういう力を持っていると、どうしてもね。両親も兄も理解しているから。ひなちゃんと旅してくるって、問題ないと思う」

「そうか……まあ、あまり無理はしないようにな?」

「うん! でも無理してでも私も行きたいかな~また音のしない世界に一人でいたくないから」

 詩乃は寂しそうな表情を浮かべて、空に浮かぶ月を見上げる。

 まだ本格的な夏は始まっておらず、少しだけ風が冷たい。

「寒いっ~!」

 そう言いながら俺の右手に抱きつく詩乃。

 学校から帰るときはしないが、遊びに行った際にはよくこうしてくるようになった。

 まだ慣れなくて、俺はぎこちない動きで歩くけど、それがまた詩乃には面白いらしくて、クスクスと笑ったりする。その姿はとても憎めない。

 詩乃の体温を感じながら彼女の家に着き、見送ってから寮に戻った。


 翌日。

 いつもと変わらない一日を送り、特別教育プログラムは最後の日を迎えた。

 昨日の戦いの反省点などを先輩達から告げられる。真剣に聞く一年生の中に、残念ながらそうでない一年生も多数いた。

 中でも斉藤くんが参加していたパーティーメンバーの三人は非常にイラついており、何故か俺をチラッと見つめては舌打ちをして、鋭い視線を飛ばす。

「お前達にこれ以上教えるものはないな。即席パーティーだったが一番連携ができててよかった。昨日伝えた部分を念頭に置いてこれからも探索者を目指してくれ」

「「「はいっ!」」」

 昨日パーティーを組んだ三人は、すっかり先輩にいろいろ教わったようだ。俺は先生と一対一で話していたから話せていない。先生から直接学んだとメンバーは羨ましがっていた。

 どうやら三人はこれからパーティーを組むらしい。

 俺がひなたちとパーティーを組んでいるのは彼らも知っている素振りをみせていたからか、誘いの声はかからなかった。

 まぁ……俺みたいなレベル0が誘われそうな気はしないが…………もしひな達とパーティーを組んでいなかったら誘われる未来もあったのだろうか?

 もし誘われていたとしても、俺はひな達を優先するだろう。断ることも想定していたけど、それが

 それはいいとして、ひなと詩乃と藤井くんとパーティーを組んでダンジョンに向かうのが楽しみだ。

 それにしても個人が強い一年生は全員苛立ちを浮かべていて、彼らよりはまだ弱い一年生は先輩の言葉をしっかり聞いている。

 俺もいい経験ができたし、新しく獲得したスキルの使い道も体験できてよかった。

 どうなることかと思ったけど、参加してよかったと思う。

 ただ一つだけ心残りがあるなら、同じポーター部門でよくしてくれた斉藤くん。彼は解体のときに目を輝かせて探索者を目指したいと言っていた。

 それなのに、今のパーティーでは視線が下を向いているし、昨日の戦いではメンバーに一言も声を掛けていなかった。

 知識も多く手際もいい彼なら、僕よりもずっと素晴らしいポーターになると思う。それがパーティーによって力を活かせられないのが悲しい。

 ただ、先生が話した通り、それを俺が指摘しても結局は何も変わらない。どうか彼自身が変わりますようにと心で祈りながら、俺は体育館を後にした。

 教室に戻ろうかと思ったけどまだ授業中だったのもあり、一度屋上に登った。

 いつもなら騒がしいお昼だが、授業中なのもあり静寂に包まれた校舎が見渡せる。

 屋上のフェンスから見える高い場所からの景色に、入学してからあったいろんな出来事が思い出される。

 ダンジョンに入ってから激動の時間で、気が付けばひな達と仲良くなり、今では彼女達とパーティーメンバー。まさか実家にまで一緒に行くことになるとはな……。

 あまりにもいろんなことがありすぎて大事なことを忘れている気がする。

 ふいに強い風が吹いてしまい目を腕で隠す。

 そのとき、後ろに人の気配がして振り向くと――――一人の女性が立っていた。

 少しウェーブの掛かった長い髪を明るい茶色に染めており、眼鏡とスーツを着ている彼女はどこか知的な雰囲気をかもし出していた。

 初めてみる方で、何かの先生かな……?

「こ、こんにちは。特別教――――」

 彼女は右手を上げて俺の言葉を止める。

 それから一言も話すことなく、じっと俺を見つめる。

「あ、あの……?」

 また同じく右手を上げて俺を制止する。

 数分間無言で俺の目を見続けた彼女は、結局何も話すことなくその場から去っていった。

 一体誰だったんだろう……?

 チャイムの音が鳴り、授業の終わりを告げたので教室に戻る。

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