11話-③

 入ってすぐに熱風が俺を迎え入れる。

 巨大な絶壁が左右の視界を阻む深い谷だ。太陽が地上を照らして、熱さを感じる。

 地面は平坦とはいえ、所々に大きな岩があるため、戦いにくそうだ。

 すぐに周囲探索を使い、一本道を全速力で走っていく。

 残念ながら周りには誰一人見えない。イレギュラーのせいで逃げたか、イレギュラーによって…………。

 怒りを我慢しながら走っていくと、俺の視界にイレギュラーと思われる存在が見え始めた。

「!? お、お前は…………」

 思わず声に出してその場に留まった。

 それは――――イレギュラーが見覚えがある魔物だったからだ。

 見覚えのあるその姿。俺はこいつに殺されそうになった過去がある。

 初めてダンジョンに落ちた時、最初に倒す羽目になったティラノサウルスの姿をした魔物。

 その巨体が絶望をまき散らしながら周りの獲物を探し続けていた。

 大きな後ろ脚二本で立ち、上の前脚二本に真っ赤な液体が染まっていた。

 こいつのせいで大勢の人が……。

 そう思うと心の奥から怒りが込み上げてくる。

 絶隠密状態だと見つからない。このままこいつを越えて二層に逃げ込んだみんなを助けることもできる。

 でも……それで解決するのか?

 ここでこいつを倒さないと、また大勢の人が犠牲にならないのか?

 そう思った時には自然と体が動いていて、思い切り地面を蹴り飛ばして、目の前にティラノサウルスの顔面を捉える。

 右の拳に全力を込めて――――殴り飛ばした。

 絶隠密が解けると同時に俺に殴られたティラノサウルスの巨体が宙を舞って地面に叩き込まれた。

 大きな音を響かせて倒れたティラノサウルスがすぐに咆哮を上げ、立ち上がる。

「はは……怒りで殴ってしまうなんて……子供じゃあるまいし…………いや、言い訳はやめておこう…………俺は……お前を許さない!」

 絶隠密が再度使えるまで六十秒。でもそんなことはもうどうでもいい。今日ここで――――こいつとの決着を付けてやる!

 ティラノサウルスは、口から青い血を出しながら俺に向かって飛び掛かってくる。あの日感じた速度のまま、俺を踏みつけようとする。

 あの日のままなら、簡単に避けることはできなかっただろう。でも今の俺はスキルの力であの日よりも強くなった。

 愚者ノ仮面の力も相まって、余裕があるからこそ、ティラノサウルスの足をギリギリの距離で避ける。

 俺の前にティラノサウルスの太い後ろ脚が見える。

 ギリギリ避けた理由――――それは後ろ脚を蹴り飛ばすため!

 俺の左足が後ろ脚を蹴り飛ばすと、ティラノサウルスの骨が折れる音と共に、衝撃波の轟音が鳴り響く。

 巨体はそのまま岩壁に激突して、夥しい量の青い血液を撒き散らしながら倒れ込んだ。

「お前に殺された全ての人の痛みを……お前も感じてみろ!」

 俺は何度も何度も倒れたティラノサウルスの体を叩き続けた。

 鱗が吹き飛び、骨が砕ける音が響き、地面が青い血の海になっても尚、俺は止めることができず、ただただ悔しくて叩き続けた。

 もし昨日の夜、事前視察のために俺がC3を訪れていたら、大勢の人が死なずに済んだのだろうか?

 もし昨日の夜、藤井くんが帰ってこなかったことに違和感を感じて、ここに顔を出していたら、大勢の人が死なずに済んでいたのだろうか?

 色んな思いがぐちゃぐちゃになりながら、動かなくなったティラノサウルスを見上げた。

 せめてもの思いで、死んだ人々のためにティラノサウルスの前で両手を合わせた。

 どうか……安らかに眠って欲しい……仇は討った……。

 ティラノサウルスを全て回収して、急いで二層に向かった。


 ◆


 二層も一層と同じ風景だったが、一層と違うのは入口付近が人でごった返していた。

 多くの人が疲れと怪我で倒れ込んでいて、血の匂いまでしている。

 最前線では入口に向かってくる魔物に対抗して、大勢の探索者が戦っていた。

 しかし、今にも魔物達に突破されそうになっている。

 すぐに助けなければ――――と思った時、最前線から大声が聞こえてきた。

「必ず助けはやってきます! こんなところで諦めたらダメだ! 絶対……絶対生きて帰るんだ! 僕達を待っていてくれる家族や友人がいます! 彼らを悲しませてはならない。だから今一度立ち上がりましょう! 絶対に……絶対に助けに来てくれます!」

 ああ……聞き慣れた声に心の底から安心感を覚える。

 ティラノサウルスによって大勢の人が亡くなって悲しくても、知り合いが生きていることに安堵してしまう。

「そうだ! 俺達はまだこんなところで死ねない! 俺達のために犠牲になってくれた者達のためにも生き延びるぞ!」

 探索者達から一斉に雄たけびが上がった。

 藤井くん。君は希望を捨てず、ずっとみんなを守ってくれていたんだな。友人として鼻が高いよ。

 ゆっくりと歩き出す。

 こちらに向かってくる魔物の群れに向けて、雄たけびを上げている探索者のみんなに、人という希望に、胸が熱くなった。

 黒い雷を発動。

 周囲に雷の音が鳴り響く。

 そして、向かってくる多くの魔物が黒に染まった。

「よく耐えてくれた。ここからは俺に任せろ」

 探索者達が見つめる中、俺は一歩ずつ前に進んでいく。

 多くの探索者達の間を通り抜け、最前線に呆然と立つ藤井くんも通り過ぎた。

 小さい声で藤井くんに「よくぞ守ってくれた」と伝える。

 彼の両目が涙で溢れそうになるのが見える。

 両手を前に出し、再度黒い雷を放つ。

 こちらに向かっていた魔物の群れが次々消えていき、やがて魔物一色だった景色は開け、美しい谷の向こうが見えた。

 直後、後方から大きな歓声が上がる。

 すぐに異空間収納から貯めていたポーション二十本を取り出して、近くの探索者に渡す。

「これは手持ちのポーションだ。瀕死の人に使ってくれ」

「い、いいのか?」

「当然だ。助けるためにやってきた。気にせず使ってくれ」

「こんなに高級な物を……ありがとう! 本当にありがとう!」

 探索者が俺に感謝を述べて、瀕死の人達にポーションを飲ませ始めた。

「みんなそのまま聞いてくれ。一層に現れたイレギュラーは倒しておいた。もう帰れるから安心して欲しい」

 多くの人が涙を流し、感謝を何度も口にする。

 不思議と、誰一人一層には向かわず、自分達を守ってくれて瀕死になった人達の介護に回る。

 その光景に人の絆を感じることができ、思わず嬉しい笑みがこぼれてしまった。

 ポーション二十本はギリギリ行き渡り、負傷者達を連れ全員が一層に移動する。

 俺も藤井くんも彼らを後ろから守りながら一層に入り、今度は一層の魔物を一掃しながら外を目指した。

 出口に着くと、全員が感謝を口にしながら外に出る。

 そして、最後に藤井くんだけが残った。

「あ、あの!」

「…………あの時。どうして諦めてなかったんだ?」

 俺の質問に一瞬ポカーンとした藤井くんは、すぐに恥ずかしそうに笑みを浮かべた。

「家族と約束したんです。生きて。生き抜いて。いつか一緒に暮らそうって。それに――」

「それに?」

「初めて友人ができたんです。彼はとても頑張り屋で、僕なんかとパーティーを組んでくれるかは分からないけど…………何もしないで後悔したくないから。彼にパーティーを組んで貰えるように話すつもりなんです」

 どこか清々しい表情を浮かべる。

「あの! 貴方の名前を聞いてもいいですか?」

「俺の名前? 俺の名前は、ひ――――――」

 うっ!

「ひ?」

 このまま日向と言ってしまうと、絶対に怪しまれる。

 何だか絶対にそうなると思ってしまった。

 どうしよう……何とか名前を考えろ…………日向じゃない名前を…………。

「ごほん。俺は――――ヒュウガという」

「ヒュウガさんですね。とても素敵な名前です。僕は藤井宏人です」

 何とか名前を誤魔化すことができた。仮面を被っていると声も無機質になるので、バレずに済みそうだ。

「うむ。宏人くんか。君も良い名だな」

「ありがとう。今日は僕達を助けてくれて本当にありがとうございました」

 九十度に腰を折る藤井くん。

 そんな彼からは誠意が伝わってくる。

「君もあの場面で人々に希望の光を灯してくれてありがとう。君の頑張りがなければ、今頃全滅していただろう」

 少し驚いた藤井くんの目には大きな涙が浮かんだ。

 きっと藤井くんだって怖かったはずだ。なのに、自分とみんなを奮い立たせていた。

「その想いがあれば、君の願いもきっと届くはずだ。これからも頑張れ」

「はいっ!」

 満面の笑みを浮かべた藤井くんは、出口に向かって真っすぐ飛び出した。

 俺も絶隠密状態になり、ダンジョンを後にした。




 日向がダンジョンを後にした直後、谷の大きな岩の影がゆっくりと揺らぐ。

 水面に広がる波紋のように静かに揺れ続けた。

「…………」


 ◆


 C3から離れて程なくして、二人の気配を感じて急いで二人の近くに向かう。

「ひな! 詩乃!」

 全速力で走っていた彼女達を念話を込めて呼び、その場で急停止する。

 すぐに絶隠密を解除すると二人が俺に向かってきた。

「二人ともごめん。急いで駆けつけたんだけどさ。もう助かったみたい」

「えっ?」

「そ、そう?」

 愚者ノ仮面を使ってたので、俺が助けた事は伏せておくことにした。

 藤井くんとも会う機会があるかも知れないからね。

 こういうのは、彼の想いを尊重して隠そうと思う。

「まぁ、日向くんがそういう感じでいくならそれでもいいわよ。ねえ? ひなちゃん」

「ふふっ。詩乃ちゃんが言った通りだね」

「ん? 言った通り?」

「何でもありません~それよりも、小腹が空いた~!」

「私も!」

「そうか。好きなモノ奢ってあげるよ」

「「やった~!」」

 嬉しそうな笑顔を浮かべる二人に両手を引っ張られた。



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