5話-②

「お待たせしました」

「いいえ。こちらこそ、お茶、とても美味しかったです」

「それは良かった。娘から聞いた話ですと、寮住みでしたね?」

「そうです」

「門限も大変でしょうから、早速始めましょう」

 ひい!? ま、まさか……このまま指を詰められるのか!?

 でも神威さんからは、お礼をしたいと言っていたから、その心配はしなくていいのか!?

 と思っていたら、メイドさんが俺の前にハードケースを運んできた。

 座卓の上に置かれた黒いハードケースを見つめる。

 黒いハードケースなんて滅多に見ないので、今日は珍しいモノを見れる日かも知れない。

「どうぞ」

 促されて、恐る恐るハードケースを開く。

 開いたハードケースの中には――――黒い紙が一枚置かれていた。

 黒い紙には真っ赤な色で魔法陣が描かれている。

「えっと、この紙は?」

「それは神威財閥の専属クレジットカードになります」

「!?」

 聞いたことがある。

 本来右手に宿っているライセンスは、中に入金しているお金のみを支払いに使える。

 だが、成人すると同時に『クレジットカード』を発行できる。

 クレジットカードはライセンスと同化して、ライセンスにお金がなかったとしても、契約によりお金を借りることができる代物となっている。

 毎月一定の収入がある人は、このクレジットカードで大きな買い物をしていると母から聞いたことがある。

「あ、あの……俺はまだ成人してもいませんし、クレジットカードを支払う能力はないんですけど……」

「それはご心配なく。娘の右手にも宿っている『クレジットカード』と同じモノになります。全ての支払いは――――我が神威家で払わせて頂きますので、日向くんは好きなだけ使っていいのです」

「ええええ!? す、好きなだけ!?」

 思わず、目の前のカードを見て息をのんだ。

 好きなだけ使えるなら、それこそ母と妹が住んでいる家の光熱費を全て払い、残っているローンまで全部払ってしまいたい。

 だが、冷静に考えてみると、こんな凄い物を俺に渡すメリットってなんだ?

 俺はただ娘さんを睨みつける練習しか行っていない。

 なのに、ここまでしてくれるには何か裏があるに違いない。

「…………すいません。何が目的ですか?」

「ふふっ」

「お母さん!」

「あら、すまないね。ひなた」

「これは約束と違います!」

 急に言い争いを始める二人。

 だが、その時、おばさんの目元に涙が浮かんだ。

「!? お、お母さん?」

「ふふっ…………ひなたとこうして言い争いをするのも…………もう何年ぶりかしら」

「お母さん……」

 言い争いをしたくらいで泣くのか? 何年ぶりというのは……?

 その時ふと俺の頭に浮かぶ言葉があった。

 神威さんが言っていた『油断すると冷気を放ってしまう』という言葉だ。

 今の今まで、俺はそれを『冷気を放つから少し困っている』と受け取っていた。

 でも彼女は毎日涙を流しながら、トラウマに向き合っている。

 その理由は何なのかと疑問にすら思わず、ただ彼女のやりたい事に付き合ってるだけだ。

 本当の狙いなど知ろうともせずにだ。

「神威さん。もしかして…………家でも氷神の加護を抑えているのか?」

「う、うん……」

「じゃあ、家でもいつもみたいに?」

 っ…………なんて事だ。

 彼女がただ凱くんのトラウマを克服しようと頑張っていると勘違いをしていた。

 毎日泣きながら頑張る理由――――それは、目の前のお母さんと楽しく話せる日を目指してのことだったのだ。

 だから毎日涙を流しても挫折することなく頑張っていたんだ。

「日向くん。ですから、この紙を受け取って欲しい…………代わりに、私達の頼みを聞いてください」

「っ!?」

 俺もだけど、俺よりも隣の神威さんの方が驚いた。

「私達はいくらお金がかかっても構いません。どうか…………私達にいつものひなたと過ごせる時間をください」

 彼女は真っすぐ俺の目を見つめてきた。両目から涙を流しながら。

 神威さんは油断するとすぐに冷気を周りに放ってしまう。

 今は俺の絶氷融解のおかげで、放った冷気を全て融解させて広がらないようにしている。

 もしスキルを止めれば、ここら辺一帯はたちまち個室訓練場のように凍らされるのだろう。

 彼女は――――俺と一緒にいる時の彼女を買いたいんだと思う。

 でもどうしてだろう。

 今の神威さんは全く嬉しそうではない。

 克服するために頑張っているから? いや、違う。今まで両親に我慢を強いていた事が悲しいからだ。

 ――――だから。

「すいません。その提案を受ける事はできません」

 それが俺の答えだ。

「そう……ですか…………」

 神威さんのお母さんが肩を落とした。

「どうして受けられないか……理由を聞いても?」

 彼女は諦めたくないようで、俺から視線を外す事はなかった。

「俺がもしこのカードを受け取ってしまったら、神威さんに協力しているのはお金のためにしていることになります。それは今まで神威さんが頑張ったことに対して、あまりに失礼だと思ったからです」

 神威さんのお母さんは歯を食いしばって、それでも顔を逸らさず真っすぐ俺を見つめた。

「だから、このカードは受け取りません。俺は――――俺の意志で、彼女に報いたい。だから彼女が毎日トラウマに向き合っているのも応援しますし、俺が近くにいることで普通に過ごせるなら、俺ができる範囲でそれを応援します。ですから、これは受け取りません」

「で、では、これからも、うちの娘と仲良くしてくださると!?」

「えっと…………そうですね。神威さんさえよろしければになりますけど…………」

 何というか、神威さんの顔が真っ赤に染まってしまったのだが、どうしたんだろうか。

 俺は何かまずいことでも話してしまったんだろうか……?

「ひなた! 貴方はどうなの?」

「えっ!?」

「日向くんがこう言ってくれているのよ!?」

「そ、そんなこと、急に言われても!?」

「これは神威家にとって重大なことよ!? 今すぐ――――あっ! ひなた!」

 途中で神威さんが急に部屋から飛び出した。

 だがこのままでは周囲に冷気をまき散らしてしまう。

 そうなってしまうと、この屋敷ごと氷漬けにされてしまうんじゃ!?


《困難により、スキル『絶氷封印』を獲得しました。》


 絶氷封印!? それはともかく、ひとまず彼女の後を追いかけた。

 正直に言えば、彼女の足はまだそこまで早くない。

 いくらSランク潜在能力があっても、まだレベルが上がってないのか、俺の速度上昇・超絶の方がはるかに速い。

 ただ、そんな彼女を今すぐ止めるよりは、走らせた方が良いと思ったから、バレない範囲で追いかける。


《閃きにより、スキル『隠密』を獲得しました。》


《――――『隠密・中』に進化しました。》


《――――『隠密・大』に進化しました。》


《――――『隠密・特大』に進化しました。》


《――――『絶隠密』に進化しました。》


 一気にスキルが進化した。

 理由は分からないが、それはともかく今は彼女を追いかける。

 着いた場所は――――道場のような場所だった。

 道場に入るや否や、彼女は着物のまま壁の木刀を手にし、一心不乱に素振りを始めた。

 神威さんは一体どうしたのだ……?

 暫く眺めていると、ようやく落ち着いたのか、その場に木刀を落として、崩れるように座り込んだ。

「神威さん」

「っ!? ひ、日向くん!?」

 驚きすぎてちょっと危ないモノが見えそうになりかけた。

「ごめん。心配になって追いかけてきた」

「…………」

 また俯く彼女。

「ねえ、日向くん」

「うん?」

「どうして日向くんは私なんかに優しくするの?」

 最近この言葉をよく聞く。

 俺からしたら、世界で一番だと思えるくらい美少女だし、家はお金持ちで、Sランク潜在能力まで持っているのに、彼女が『私なんか』と言うことが不思議に思う。

「私には氷神の加護があって、まともに人と話したりもできない…………触れることすら許されていないのに、どうして私なんかに優しくするの?」

「…………まぁ、最初は俺のせいで泣かせてしまったから、その責任くらい取らないと妹に怒られてしまうと思ってたけど、神威さんが毎日必死に頑張っているのを知ったよ。それこそ、ものすごく美人で、家もこんなにお金持ちで、何不自由なく暮らしているのかなと思ったら、全然そんな事なくて、寧ろ普通ではない生活を送っているはずなのに、それを何年も頑張ってきたんでしょう?」

 彼女は小さく頷いた。

「俺には想像もつかない。俺もこの学校に入るために毎日勉強に明け暮れていたけど、それは自分が好き好んで選んだ道なんだ。でも神威さんはそういう訳じゃない。でも現状をしっかり受け止めて、俺みたいなやつにも助けを求めて頑張る姿は…………眩しくて、気づけば応援したくなっていたんだ」

「そう……なんだ…………」

「これくらいの理由じゃ足りないかな?」

「そ、そんなことない! 凄く嬉しい…………」

「あはは。それは良かった。それに一つ間違いがあるなら――――」

 俺は彼女の頬に流れている涙をハンカチで拭ってあげる。

「俺なんてレベル0で何もできない弱い男で、でも、こうして神威さんの涙くらいなら拭いてあげられる。隣にもちゃんと立てるから。これくらいしかできないけど、俺ができることなら何でもやるよ」

 ほんの少しの間、彼女と目が合ったまま時間が経過した。

 そして、彼女の温かい手が俺の手に触れてきた。

「…………ありがとう。私、ずっと誰かに触れることもできなかくて…………凄く嬉しくて………………温かいね」

「ああ。神威さんも凄く温かいよ」

 まぁ、俺の手が温かい理由は、神威さんに触れられて、心臓バクバクだから熱いのかも知れないけどな。

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