第5話 地龍
地下遺跡への道は、単調で緩やかな螺旋を描いているらしかった。
多分。
通路はずっと微かにカーブし続けているんだから、迷いの魔法をかけられているんじゃない限りそういうことになるはずだ。
これまで同様通路には何一つ装飾の類は施されておらず、自分が同じところをぐるぐる回り続けていたとしても気づけないだろう。
途中、昼食の休憩を挟んで、また行軍を再開。
さすがのイェラナイフも不安げな表情を浮かべ始めた頃になってようやく通路に変化が生じた。
通路が直線になったのだ。
進んでるんだか戻っているんだかさっぱりわからないのは相変わらずだけれど、変化があったということはやっぱり進んでいたらしい。
そう思わなければやっていられなかった。
「ねえ、イェンコ。晩御飯までどれぐらいかしら?」
別にお腹が空いたからこんなことを聞いたわけではない。
景色が単調すぎて、どれぐらいの時間歩いたかすらさっぱりわからなくなってきてしまったのだ。
イェンコは自分のお腹をさすりながらしばらく考えた後に答えてくれた。
「そうさな。まだ三分の一ぐらいかのう」
私が思っていた半分ぐらいしか時間がたっていない。
いったい後どれだけ歩けばいいのだろうか?
思わずくじけそうになってしまったその時、ふいに先頭を進んでいたイェラナイフの足が止まった。
「どうしたの?」
イェラナイフな何も答えず、手にした魔法のランプをひねって光を強める。
すると前方の闇の中に、大きくて、真っ黒な門が浮かび上がった。
「着いたな」
イェラナイフが呟いた。
その声には、安堵や喜び、そして畏れ等が混じった複雑な感情が込められていた。
門は至ってシンプルなつくりをしていた。
まずは真っ黒な円柱が二本。その上にこれまた真っ黒な四角いまぐさ石が渡されている。
そして、それらに囲まれた中には大きな一枚板の門扉がきっちりと隙間なく嵌っていた
いずれも光沢のある石のような素材でできているように見える。
装飾らしいものといえば、まぐさ石の上の彫像だけ。
顔だけが醜く歪んだ、三体の踊る裸婦像だ。
その三者三様に奇妙に捩れた相貌は、怒っているようにも、泣いているようにも、あるいは笑っているようにすら見えた。
体つきはとても美しく均整がとれているだけに、なおのことその不気味さが際立っている。
その彫像を見たイェラナイフが何か口を開きかけたが、イェルフが後ろから肩に手を置いて首を振って見せた。
それで彼はどうにか役目のことを思い出したらしく、気まずげに口を閉じる。
それから深呼吸を一つ。表情を引き締めなおして門へと向かい、のっぺりとした門扉を軽く押した。
「……重いな」
イェラナイフは一言そう呟くと、今度は体重をかけてグイと押した。
しかし黒い門はピクリともしない。
「こりゃ無理だ。おい、みんな手伝ってくれ」
「おうとも」
見守っていた皆が、ぞろぞろと前に出てきて一緒に門扉に手を突いた。
私とケィルフはパカパカ達と一緒にそれを見守る。
「さあいくぞ! そおれ!」
イェラナイフの掛け声に合わせて皆で一斉に力を込めると、一枚板に見えた扉にスッと線が入り、ゆっくりと音もなく開き始めた。
少しずつ広がっていくその隙間から一条の青白い光が差し込み、そしてあふれ出す。
扉が開いたその先には、巨大な地下空洞が広がっていた。
底の深いお皿の様な、広い広い円形の空間に、大きな街が丸ごと一つ収まっている。
一体どれだけの年月を費やせばこれだけの空間を掘りぬけるのだろうか?
そしてその中心には『塔』と表現しても差し支えない巨大な台座の上に強い光を放つ球体が据えられていた。
あれが霊気結晶なのだろうか?
確かに尋常ではない、強い魔力を感じる。
「なんつう大きさだ……!」
私の背後でネウラフが感嘆の声を漏らした。
珍しいことだ。この男が自分から言葉を発するなんて、滅多にあることじゃない。
よほどの驚きだったのだろう。
「やれやれ、反射板が脱落しちまってるな」
と、こちらはイェラナイフ。
彼の説明によれば、この球体は反射板とやらで覆われているのが本来の姿であるらしい。
だけど今は鳥かごの様な、縦に間延びした球形の枠が残るのみ。
球体が放つ光は何物にも遮られることなく廃墟と化した古代都市を照らしていた。
「おい、リリー。光が強いが問題はないか?」
「え、ええ。大丈夫」
これだけ強い輝きを放っているというのに、この光からは不思議と熱を感じなかった。
多分この光は太陽よりも、月のそれに近いものなのだ。
むしろ月の光そのものなのかもしれない。
「それならいい。異常を感じたらすぐに言ってくれ」
「ええ、分かったわ」
私は生返事で目の前に広がる光景に見入っていた。
千年もの間眠り続けた古代都市は、とても美しかった。
都市は光る球体を中心に放射状に広がっている。
中でも都市の出入り口から光体に向かってまっすぐ伸びるこの通りは大昔のメインストリートだったらしい。
道の両脇に並び立つ建物は他よりも一回り以上は大きく、通りそのものも幅がずっと広い。
これほどの都市だ。まだ人々が住んでいた頃にはさぞかし賑わっていたのだろう。
けれど、人影一つ見られなくなった今となっては、それがかえって侘びしさを感じさせた。
「隊長! 隊長!」
突然何かを思い出したかのようにドケナフが叫んだ。
「なんだ、ドケナフ」
「こ、光曝炉! 光曝炉を見てきていいか!?」
ドケナフはひどく興奮した様子だ。目は爛々と輝き、鼻息も荒い。
その上、今にも飛び出さん勢いで足踏みを続けている。
「おお、よろしく頼む。だが崩落には十分――」
皆まで聞かないうちにドケナフは駆け出して行った。
イェラナイフはため息を一つつくと、隣にいたイェルフに声をかけた。
「すっかり周りが見えなくなっちまってる。
悪いがついてやっててくれ」
「おうよ」
イェルフはやれやれといった様子で、ドケナフの後を小走りに追いかけて行った。
彼は光曝炉、と言っていたかしら?
一体何のことだろう?
多分、あの光の玉と関係があるとは思うのだけど。
「ねえ――」
私が光曝炉とは何かと訊ねようとしたその時。
視界の隅を何か小さな人影の様なものが横切った。
ハッとしてそちらに振り向いたものの、そこにはもちろん何もいはしない。
当然だ。
ここに至る通路はずっと埋まっていたのだ。
人影なんてあるはずがない。
「リリー、どうした」
「いま、そこに何かがいたような気がして」
イェラナイフは私が差した方向にじっと目を凝らした。
「今は何もいないな。
大きさは?」
「多分、人間の子供ぐらい……」
「ふむ」
イェラナイフは顎に手を当てて少しだけ考え事をした後、再び口を開いた。
「ドケナフにイェルフをつけたのは正解だったかもしれんな。
正直なところ、我々の祖先がどうしてここを放棄したのかはよくわからんのだ。
あるいは、その原因となったモノが今でもこの都市に潜んでいないとも限らん。
皆、よくよく警戒するように」
残されていたイェンコ達の表情がスッと引き締まった。
「ひとまず、ドケナフ達を追うとしようか。
どの道キャンプ地は遺跡の中心付近に構えるつもりだったしな。
さあ行こう」
イェラナイフを先頭に私達はぞろぞろと歩き出した。
遺跡のメインストリートは、球体に明るく照らされてまるで昼間のようだった。
その上天井も高いので、地下にいるというのにまるで閉塞感を感じない。
ケィルフが、前を行くイェラナイフにまとわりつくようにはしゃいでいる。
遺跡の発見でテンションが上がっている、というだけではないだろう。
なにしろ、彼はここ数日のところ魔法の使い過ぎでずっとぐったりとした様子だったのだ。
どうやら、あの球体が放つ光が月明かりに近いという推測は間違っていなかったらしい。
せっかくだから、私も魔力を補充してみようかしら?
大したことをするわけじゃない。
月夜に散歩をする時と同じだ。
月を見上げながら、歩くことだけに集中する。
嫌なことを心から追い出して、心を空っぽにするのだ。
今ここにある自分自身だけに意識を――
ふいに、足元を子供の影が駆け抜けていった。
足を止めて左右を見回したが、もちろん誰もいない。
ケィルフかしらと思ったが、彼は前の方にいて相変わらずイェラナイフにまとわりついている。
何より異常なのは、私以外の仲間たちが誰も何の反応も示していないということだ。
先ほどの一件以降、全員が武器を手にして警戒しながら進んでいるのだ。
前を行くイェラナイフはともかく、後ろに続くネウラフやイェンコたちが気付かないはずがない。
幻でも見たのだろうか?
私は意識をはっきりさせるために深呼吸を一つ。
それから、視線をまっすぐ前方に向ける。
いた。
小さな影が一つ、物陰からこちらの様子を窺っている。
「ねえ――」
警告の声をあげようとして、喉に引っかかって止まった。
仲間達が一人もいなくなっていた。
人っ子一人いないと思っていた通りに、大勢のぼんやりとした人影がたむろしている。
いつの間に。
私が狼狽えている間に、朧気だったその輪郭が少しずつはっきりしていく。
半透明だった薄い存在感が、あっという間に実体を持ち、色づき始める。
突如、街が蘇った。
大勢の楽しげな人々。
あちこちで談笑に花を咲かす声。
丁々発止の商談を繰り広げる商人達。
すっかり色褪せていた建物も往時の鮮やかさをすっかり取り戻していた。
どこからか肉の焼ける美味しそうな匂いまで漂ってくる。
男の子が駆けてきて、私の目の前で転んだ。
引き起こしてあげようと手を伸ばすが無反応。
もう一人、女の子が私の脇を駆け抜けていく。
それを見て男の子は立ち上がり、再び駆けだした。
実体があるようにしか見えなかったその体が、影のように私の体をすり抜けていく。
球体はどうなっているのだろうか?
視線をそちらに向けると、球体は何事もなかったかのように輝き続けていた。
違う。
あの鳥籠のような枠の残骸が消えている。
台座の前には大きな祭壇がしつらえられ、その下には大勢の人が集まり、跪いていた。
祭壇の上には三人の女が手足を奇妙にくねらせながら舞っている。
今はこちらに背を向けているから、その顔は見えない。
だけど、私は確信していた。女たちの顔はきっと大きく歪められているに違いない。
左端で舞っていた女が左足を大きく引いた。
おそらく、体を回転させるための予備動作だ。
予想通り女は両手を広げながら滑らかに体をこちらに向けた。
顔が歪んでいる。仮面ではなく、生身の顔だ。
眼鼻の位置はバラバラで、口は複雑にねじ曲がっている。
一体何をどうしたらこんなことになるんだろう?
女の刳り貫かれた、真っ黒な眼窩が私を捉えた。認識されている。
かなりの距離があるはずなのに、私にはそれがはっきりと分かった。
歪んだ顔が蠢き、何かの表情を浮かべた。
それは泣いているようにも、怒っているようにも、あるいは笑っているようにも見えて――
ふいに視界が暗転し、何も見えなくなった。
あの女に何かされたのだろうか?
いつの間にか両腕が拘束されている。
ズルズルと引きずられるような感覚。
何が起きている? 分からない。恐怖で声すら出せない。
「リリー! リリー!
大丈夫か! 返事をしろ!」
どこからか頼もしい仲間の声が聞こえた。
「イェラナイフ!?
た、助けて! いきなり何も見えなくなって――」
「大丈夫だ、リリー。
大丈夫、大丈夫だ……」
思っていたよりも近くから声が聞こえる。
誰かの手が私の肩に触れた。多分イェラナイフだ。
「よし、意識は戻ったな?
まずは落ち着け。息を大きく吸い込むんだ」
言われた通りに息を吸い込み、それからゆっくりと吐く。
少しだけ気持ちが落ち着いてきた。
「た、大変よ。何も見えないの。
突然目の前が真っ暗になって――」
「大丈夫。遮光布を被せただけだ。
めくれば視界は戻る。ほら、どうだ」
遮光布とやらが少しだけめくられたらしく、お腹のほうから微かに光が差した。
「あ、見えた」
「いいぞ、もう一度深呼吸だ」
イェラナイフに促されて、もう一度。
大きく息を吸って、吐く。
ようやく本当の意味で気持ちが落ち着いてきた。
「あ、ありがとう。
私どうかしてたみたい」
「ふむ、落ち着いてきたようだな。
何が起きていた?」
「た、多分幻覚が……大勢の人がいて……とても賑やかで……、
それから祭壇にはもっと大勢の人が……」
そこで、私の口は動かなくなった。
女達のことを喋ろうとした途端だ。
ひどく嫌な予感がする。彼女達のことは決して口にしてはならない。
そんな気がした。
「いい、いい。
今は喋るな。特に幻覚についてはな。
そのように言い伝えられている」
「どういうこと?
何か知っているの?」
「いいや、我々も詳しい事は知らない。
ただ精霊憑きが急激に強い霊気を取り込むと、希に幻覚を見ることがあるんだ。
そこで見たものについては、話してもいけないし訊ねてもいけないと言われている」
どうやら、さっきのあれは時々起きる事故のようなものだったらしい。
「十分に落ち着いたか?
これから少しずつ遮光布をめくる。異常を感じたらすぐに言え」
下のほうからゆっくりと光が入り込み、やがて視界が開けた。
先程までと比べるとずいぶん暗い。
どうやら建物の中にいるらしい。
仰向けに寝転がる私を仲間達が取り囲み、心配そうに覗き込んでいた。
「どうだ?」
「今は大丈夫……貴方達が幻覚じゃなければ、だけど」
「触ってみろ」
手を伸ばして、イェラナイフの顔に触れてみる。
髭がゴワゴワしている。
その向こう側に少し湿った、血の通った暖かな感触。
「生きてるって感じがするわね」
「それは何より。立てるか?」
「ええ、多分大丈夫」
手をついて、よいしょと立ち上がる。
体調には特に異常なし。
そんな私の様子を見てようやく皆も安心したらしい。
心なしか周りの空気が少し和んだような気がする。
イェンコが表情を緩めながら言う。
「やれやれ、お嬢さんが光り始めた時は一体どうしようかと思ったよ」
え? 待って?
私、そんなことになってたの!?
イェラナイフが、さっきまで私に被せていた布を差し出してきた。
「とりあえずこれを被っておけ。
銀糸を織り込んだ特別な布だ。
これならば結晶が放つ霊気の殆どを遮ることができる」
こんなものまで用意してずいぶんと準備がいいじゃない、とそこまで考えてハタと気付く。
これは本来ケィルフのために用意された物だろう。
私が使ってしまっていいんだろうか?
「ケィルフは大丈夫なの?」
「ああ、あいつは慣れているからな。
これも、万が一の用心に持ってきただけだ。
まさか役に立つとは思わなかった」
聞けば、ちょっとしたコツを身に着けさえすれば何の問題もないのだという。
それどころかケィルフは本国にいた頃から、日常的に霊気結晶を使って魔力を補充していたらしい。
なるほど。
「ねえ、ケィルフ。
コツって何? どうすればいいの?」
早速先輩に訊ねてみた。
「こころ、とじたり ひらいたりする。
とじてれば あんぜん。
ひらけば れいきはいってくる」
なるほど。全然わからない。
「ひとまず中心までいこうか。
台座の基部には反射板が脱落せずに残っているから、そこのほうが安全だろう。
行けそうか?」
「ええ、多分。
でも、私が光り始めないよう、よく見張っておいてね」
「ああ、任せておけ」
イェラナイフが請け負ってくれたなら多分大丈夫だろう。
それでも少し不安な気持ちが残っているのを見透かしたのか、ケィルフ先輩が私にアドバイスをくれた。
「とりあえず、けっしょう。
ちょくせつみちゃだめ。みなければだいじょうぶ」
本当かしら?
でもまあ、仲間を信じるとしましょうか。
コツとやらは案外と簡単に掴めた。
要は月光浴をする時と同じだ。
自身の心をなるべく外界から遠ざけ、その上で光にだけ意識を集中する。
すると、ケィルフの言うところの『こころのひらいた』状態になる。
ただし、月の光を浴びるようなつもりでこれをやるとこの間のようになってしまう。
遥か彼方にあるお月様の、弱々しい光を受け取るのとはわけが違うのだ。
『こころをとじる』時はこの逆だ。
五感を強く意識して、外界に注意を向ける。あとは霊気結晶を直視しないように気をつければ完璧。
この状態では魔力――ケィルフたちの言葉では『霊気』――を受け取ることができなくなる。
個人的には『ひらく』と『とじる』が逆だと思うのだけれど、そこを議論しても仕方がない。
何度か遮光布のお世話になりつつ、どうにかちょうどいい加減というやつを身に着けることができた。
もっと慣れてくれば、魔法を行使しながら開き加減を自在に調整できるようになるらしい。
イェラナイフ曰く、それができるようになれば結晶の光が届く範囲では無敵に近い力を発揮できるという。
それはそうだろう。殆ど無尽蔵に魔法が行使できるようになるんだから。
そうなればあのナイフなしでもカリウスに勝てたに違いない。
そういったわけで、私は今、魔法を使いながら同時に魔力を取り込む訓練をしている。
具体的には地均しだ。
持ち込んだ鉢植えのツタを無尽蔵の魔力で強化し、ブンブンと振り回して遺跡を整地している。
イェンコのお腹ほども太くなったツタを一振りするだけで、石造りの家が簡単に崩壊する。
「おいおい、そんなに飛ばして大丈夫か?」
イェラナイフが呆れたような調子で私に声をかけてきた。
私は破壊の手を一旦止めて、心を『とじる』。
それに合わせて、鉢植えのツタがシオシオと縮んだ。
「なにが? もしかして私、光り始めてる?」
「いいや、まだ大丈夫だ」
「じゃあ、まだいけるわね。
もう少し『ひらいて』みようかしら?」
大きく『ひらけ』ば、それだけ大きな力を使える。
もっと開いても大丈夫だろうというのは感覚的に分かっていた。
だけど、微調整となると中々難しい。そしてもっと難しいのはそれを維持することだ。
油断するとすぐに全開になってしまう。
特に魔法を行使中は開き加減がぶれやすいので、あんまりギリギリまで開けておくと危ないのだ。
この辺りは練習しながら慣れていくほかないのだろう。
「あまり無理するなよ。
霊気を一度に通しすぎると、人の姿を保てなくなるって話だ」
彼の言葉に思わずギョッとした。
踊る女達の歪んだ顔が脳裏をよぎる。
「それってどういうこと?」
「わからん。少なくとも、記録に残ってる範囲じゃそこまで霊気を使った精霊憑きはいない。
それでもそういう言い伝えは残っている。
多分〈大移動〉前にやらかしたや奴がいたんだろう」
「ふうん」
私は興味のない風を装った。
気にはなるけれど、この話題をつつき続ければ、あの女たちにも話が及びかねない。
「だったら、なおのこと限界を掴んでおかなくちゃ。
この力を使って地龍と戦うつもりなんでしょう?
戦いの最中に布を被る羽目になったら目も当てられないわ」
「そりゃそうなんだが……」
「心配してくれるのはありがたいけれど、私にとっても大事な戦いなの。
できる限りのことはしておきたいわ」
少しでも多くの力が欲しい。
後悔なんてしたくない。
「ところで、あなたの方はどうなの?
戦い方はもう決まった?」
私の問いに、イェラナイフはいつもの笑みを浮かべて答えた。
「大まかな方針はもう決めてある。
地形は申し分ない。
あとは、ドケナフ次第だな」
ドケナフは霊気結晶の周りで何か探し物をしている。
イェラナイフ以外の仲間も、今は皆そちらを手伝っているようだ。
「ドケナフたちは何を探しているの?」
「ご先祖の置き土産さ」
「なにそれ」
この遺跡はほとんど空っぽだ。
こうして建物を粉砕する前にも何か貴重なモノがないか覗いてみてはいるけれど、せいぜい割れた食器や家具らしき残骸が残っている程度。
金銀財宝なんて見たことがない。
どうやら彼らの祖先がこの遺跡を後にするにあたっては、十分な準備時間があったらしい。
大体、宝探しなんてしてる場合じゃないのは彼自身よくわかっているはずだ。
「霊鋼だ」
それを聞いて私は首を傾げた。
「貴重なモノなんでしょ?
そんなの、まっ先に持ち出すにきまってるじゃない」
イェラナイフがなぞなぞ遊びをする子供のように意地悪く笑う。
「いいや、当時はまだ貴重じゃなかったのさ」
どういうことだろう?
昔はそんなにありふれたものだったのかしら?
そこまで考えて、ふと気づいた。
なるほど、それで置き土産というわけね。
「ドケナフの言ってた光曝炉って、霊鋼を作るための施設だったのね」
「気づいたようだな。
そうとも、ご先祖様はいずれこの地に戻るつもりだった節がある。
だったら、光曝炉に鋼をセットしてからここを出たに違いないと俺は考えている。
そうすれば、いずれ子孫が戻ってきた時に、その分だけ長く霊気に晒された鋼が手に入るって寸法だ。
まあ、推測に過ぎないがな。
光曝炉が空っぽってのは十分ありうる。
そうなるとかなり厳しいが……」
それっきり彼は視線を落として、むっつりと考えこんでしまった。
多分だけれど、元々は霊鋼が見つからなければその時点で撤退するつもりだったのだろう。
私のせいで無理ばかりさせてしまっているような気がする。
イェラナイフはこちらに視線を戻すと、表情を少しだけ緩めた。
「そんな顔をするな。何とかなるさ」
そう言って、私が作り出した広い更地を身振りで示す。
「こんな強力な魔女が仲間になってくれたんだ。きっと勝てる」
どうやらまた気を使わせてしまったらしい。
そんなに顔に出てたかしら?
「そもそも、今俺の頭にある計画はお前がいなくちゃ成り立たん。
勝敗の半分はお前さんの魔法にかかっているといっても過言じゃない」
とは言え、こんなふうに言われれば悪い気はしない。
「それじゃあ、張り切って練習を続けようかしらね」
私がもう一度『ひらこう』としたその時、イェラナイフから待ったがかかった。
「誰か来る。ありゃドケナフだな」
彼の言う通りだった。
視線の先を辿ると、鷲鼻の鍛冶師が喜色を満面に浮かべながらこちらへ駆けてくるのが見えた。
「あれはもう、報告を聞くまでもないわね」
「だな」
イェラナイフも苦笑いだ。
「さてと、必要なものは全部揃った。
皆の所へ行こう。作戦を説明する」
*
「この場にはリリーもいるからな。
まずは順を追って説明する」
イェラナイフは霊気結晶のすぐ下に設けられた拠点に皆を集めると、そう宣言した。
「皆も知っての通り、地龍どもは全ての眼を潰さなければ死なないと言われている。
それもほぼ同時にだ。奴らは非常に高い再生能力を持っているからだ。
これは過去の交戦事例によれば、眼の数は通常三つ。
中には五つの眼を持つ者もいたようだ。
基本的には眼が多いほど強くなると言われている。
そして、今回の地龍はその眼を六つ持っている。
記録に残る限りで最多の眼を持つ、最強の地龍だ。
奴に対しては大弩による攻撃も無効で、その眼を覆う薄膜により弾き返されてしまった。
加えて全身から光の触手を生じさせ、戦士の接近をも拒んでくる。
先の〈はがね山〉防衛戦においては、大勢の戦士を囮として投入して触手による防御を飽和させ、それに乗じて霊鋼製の武器を預かった最精鋭の戦士六名が突入。
内五名が奴の眼を潰したことにより、かろうじて撃退に成功した。
ただし、潰した目は戦闘後、短時間の内に修復されたものと推定されている」
攻城戦用の大型投射兵器ですら無効。通用するのは霊鋼でできた武器だけ。
だけど接近するには人海戦術が必要。
なるほど。とても絶望的だ。
「だが、幸いなるかな。
当地には偉大なる先人が残して下さった霊鋼と、その加工法を知る一流の鍛冶師がいる。
霊鋼で鏃を作るという、本国では決して許されないであろう贅沢がここでは可能だ。
ここに勝機がある。
霊鋼の鏃であれば、眼を防護する薄膜を貫通できる可能性が高い。
我々は、大弩による狙撃で奴を仕留めることができるはずだ」
イェラナイフは仲間たちを見回して反応を窺う。
誰も何も言わない。本当にそんなことが可能なのかを推し量っているのだろう。
皆が黙り込む中、ネウラフが鼻を鳴らした。
口数が少ないこの男にしては珍しいことに、何か言いたいことがあるらしい。
イェラナイフが彼に向かってうなずき、発言を促す。
「当てられるのか?」
ネウラフはそれだけ言って言葉を切り、すぐに咳を一つしてから言い足した、
「もちろん、俺は当てて見せる。
だが、他の奴らはどうだ?
射撃については素人だと思うが」
「私も同意見です」
と、続けてディケルフ。
「私も一人前の男ですから大弩の操作ぐらいはできますが、動く的に確実に当てられるかというと……」
驚いたことに彼らの国では大弩の操作ができないと一人前とはみなされないらしい。
当然ながら私はそんなものの操作はできない。
「その点については、ネウラフ。
お前さんには射手としてではなく、兵器技師としての腕に期待している。
照準調整の名人でもあるときいているぞ。
お前が調整すれば誰でも的に当てられるようになるという評判だったが」
「そりゃ的が据物ならな。
距離さえ分かっていれば、素人でも百発百中できるように仕上げて見せる。
だが、的が動くなら結局は射手の腕がモノを言う。
どれだけ調整しようがこればっかりはどうにもならん」
「問題ない。そこで、ディケルフとリリーの出番というわけだ」
イェラナイフがこちらに向き直った。
「お前たち二人には、確実に狙撃が行えるよう地龍を拘束してもらう」
「了解しました、隊長。
具体的には、どのような罠を作ればよいのですか?」
「落とし穴だ。より正確に言えば溝だな」
イェラナイフはそういった後、私に補足説明をしてくれた。
なんでも、地龍は寸詰まりの蛇のような姿をしているらしい。
「深さはそうだな。奴の胴体が半分沈むぐらいがいいだろう。
それ以上深くなると眼が隠れてしまう。
その溝にやつを落とし込み、リリーのツタで拘束する。
だが、ただの溝では奴に避けられてしまう。
そうと気づかれぬよう偽装が必要だ」
「お任せを! 地龍のやつを必ず枠にはめて見せます!」
「リリーはどうだ?」
私としてはどうだと振られても困るのだ。
「私は地龍を見たことがないから何とも言えないわ」
「ふむ。もっともだな。まあ心配するな。
お前の力はさっき見せてもらった。
あのツタなら、十分に奴を捕らえることができるはずだ」
イェラナイフがそういうのなら、きっとできるのだろう。
「わかったわ、任せてちょうだい」
イェラナイフが満足げに頷いた。
「方位盤からの推定では、地龍の襲来は五日後と考えられる。
全員で作業すれば歓迎の支度は十分に整うはずだ。
ケィルフとリリーを除くメンバーは、決戦時には大弩の射手となってもらう。
溝の掘削と偽装作業の合間に、ネウラフより狙撃の訓練を受けておけ。
詳細な作業計画については、ディケルフと相談の後、追って伝える。
現時点で何か質問はあるか?」
すっと手が上がる。イェルフだった。ひどく難しい顔をしている。
イェラナイフが発言を許すと、彼は重々しく口を開いた。
出てきた声はまるで縋るようだった。
「俺の槍に出番はないのか?」
イェルフの質問に、イェラナイフが一呼吸ほど間を開けてから答えた。
「ない。先ほど伝えたとおりだ。
今回は射撃で仕留める」
イェラナイフのにべもない答えに、イェルフが食い下がる。
「だが、射撃はあまり得意じゃない。不確実だ。
俺だけでも槍で――」
だけど、イェラナイフは断固とした口調でそれを遮った。
「それでは残りのメンバーがタイミングを合わせることができない。
なにより、拘束後も光の触手は無効化されていないだろう。
一人で突っ込んでも、接近すらできまい」
イェルフが泣きそうな顔で肩を落とす。
少しばかり空気が重くなった。
イェラナイフはまだ何か言いたげにしているイェルフを横目に「他には」と仲間たちに尋ねた。
すると、今度はドケナフがおずおずと手を挙げた。
「なんだ」
「報酬の事なんだが……本当にあれを全部もらっていいのか?」
「もちろん。事前の約束通りだ」
沈んだ空気を入れ替えようとしてか、イェラナイフが愛想よく答えた。
ドケナフはこの遠征に参加するにあたって何か報酬を約束されていたらしい。
それにしても、受け取る側のドケナフが何をあんなにびくつく必要があるのだろう?
「だ、だけど霊鋼だぞ。
それも、少なく見積もっても七百年は霊気に晒されてたやつだ。
そ、それを本当に、全部俺が好きにしてもいいっていうのか!?」
「落ち着け。全部じゃない。
鏃を六本用意した残りだ。いいか、ケチるなよ」
「わかってるよ!
だが、その分抜いたってとんでもない量だ!
ほ、本当に……本当に……」
「予想以上の量が残っていたのは確かだが、俺は前言を翻したりせんよ。
そして戦いに勝ちさえすれば、この要塞の領主は俺だ。
ここの霊鋼の扱いに関して本国には口は挟ません」
ドケナフが奇声を上げながら飛び跳ね始めた。
よほど嬉しかったのだろう。
その様子を見たイェラナイフが慌てて言い足す。
「いいか、ドケナフ!
一応言っとくが、勝てればの話だからな!
鏃を忘れるな! まず鏃を作るんだ!」
「わかってる! わかってるさ隊長!
最高の鏃を作って見せるぜ!
見てろよ! 世界で最も鋭く美しい鏃だ!
ヒャッホウ!」
「美しさは後回しにしてくれ。
必要なのは奴の眼を貫く鋭さだけだ」
「必要を追求すれば自然と美しくなるんだよ!
そうとも! 美と力は一体だ!」
「期限も忘れるな。ネウラフに鏃に合わせた照準調整もさせにゃならん。
できれば三日。最悪でも四日目には完成させてくれ」
「問題ない! 問題ない!
霊鋼用の鍛冶道具は全部揃ってる!
溶岩炉も無事だ! すぐに火を入れられる!
何の問題もない!
なあ、もう行っていいか⁉ 時間が惜しい!」
ドケナフはもう完全に興奮状態に陥っていた。
イェラナイフはため息を一つつくと、しっしと追い払うように手を振った。
それを見たドケナは後も振り替えずに飛び出していく。
その後ろ姿を、皆が呆然と見つめていた。
さっきのやり取りで沈み込んでいたイェルフですら、あっけにとられている。
「物のついでだ。他の皆の報酬も確認しておこうか。
まずはネウラフ」
大弩の名人である攻城技師のネウラフは、確か王様の頭の上にリンゴを載せて大弩で撃ち抜いた罪で捕まっていたんだったかしら?
「お前は特赦だったな?」
「ああ」
ネウラフは少し面白くなさそうだった。
でも気持ちはわかる。
先のドケナフがとんでもないお宝を手にしたのに比べると、まるで手ぶらで帰るような心持だろう。
「これについては、陛下より確約を頂いている。
必ず履行されるだろう。
ついでに英雄として名誉ある扱いを受けられるよう、俺からも感状を書いてやろう。
あとはあれだ、使い終わった鏃も報酬に加えてやる」
それを聞いてネウラフの目が丸くなった。
ずいぶんとやる気が出たものと見える。
「次に、ディケルフ」
「はい!」
「お前さんは罠技師としての工房への復帰及び、専有工室の割り当てだったか。
これも必ず果たされるだろう。
次、イェンコ。
筆頭宮廷料理人として厨房への復帰、及び泥棒豚農場の再設置――」
「ちょっと待ってくれんかのう」
イェンコに遮られて、イェラナイフは怪訝な顔をした。
「どうした?」
「報酬を変更したいんじゃ」
「構わんが、内容次第だ。
確約はしかねるぞ」
「なに、大したことじゃないのさ。
隊長がこの要塞を復興させるつもりなら、そこの厨房頭を任せて貰いたくてのう」
イェラナイフはそれを聞いて目をぱちくりさせた。
「いいのか?」
「もちろんだとも。その方が楽しそうな気がするのだよ」
「……ありがたい。
イェンコの料理をこれからも食べられるなんて、こんなに嬉しいことはない」
二人のやり取りを見ていたディケルフが割り込むように声を上げた。
「ちょ、ちょっと待ってください!
そんなのがありなら、私もそれに変えさせてくださいよ!」
「もちろん歓迎する」
イェンコとディケルフは討伐後もここに残ることに決めたらしい。
私としても少し嬉しかった。
「ケィルフは――」
「おで なにもいらない。
ナイフと、ずっといっしょ」
「そうだったな。ありがとう」
イェラナイフがそう言いながらケィルフの頭をぐしゃぐしゃと撫でまわすと、ケィルフは嬉しそうに目を細めた。
「続いて……」
イェラナイフがイェルフに目を向ける。
先程の緊迫した空気がまた戻ってきてしまった。
「イェルフは、先代槍頭の仇討ちと汚名返上の機会の提供。
これは地龍の討伐に参加することで既に果たされたものと認識している」
だけど、イェルフは首を横に振った。
「奴を討ち取りさえすればいいって話じゃない。
この槍で地龍を討ち果たす機会を与えて頂きたい」
「ダメだ。危険が大きすぎる。
だがそうだな、誰かが撃ち損じた場合に、代わって槍を突き立てる役目を与えよう。
再装填するよりもその方が速いだろうからな。
これがぎりぎりの妥協点だ。どうだ?」
「……わかった。それでいい」
「ただし、わざと狙いを外すような真似はするな。
その点は、お前の父の名に誓ってもらう」
「我が父、イェルオゥの名に懸けて、狙撃においても最善を尽くすと誓う。
これでいいか?」
「よし、いいだろう」
それでいいと言いつつも、イェルフの視線は鋭いままだ。
きっと腹の内では納得していないのだろう。
それから、イェラナイフが私に視線を向けた。
「最後にリリー。
お前は何かあるか?」
「え? 私も!?」
「当然だ。共に戦う仲間なんだからな」
報酬だなんて考えてみたこともなかった。
元を辿れば泥棒として罰を受ける代わりに参加したんだから。
私としては、こうして皆に仲間として受け入れて貰えただけでも十分に嬉しい。
「そうね……」
私は急いで考えをまとめる。
私の欲しいもの。
……例えば、討伐が終わった後も皆と一緒に暮らしたいと言ったら、彼はどんな顔をするかしら?
きっと受け入れてくれるはずだ。
だけどそれを口に出して言うのはあまりにも気恥ずかしくて、代わりに思ってもないことを言ってしまった。
「……いえ、報酬なんていらないわ。
これは私のための戦いなんだから」
まあいいか。
きっと、イェラナイフのことだ。
これを聞いてハイと引き下がりはしないだろう。
そんな水臭いことをとかなんとか言って、報酬を受け取ることを勧めてくるに違いない。
そしたらいかにも渋々といった感じで「そこまで言うのなら……」と、話を切り出せばいい。
ところがイェラナイフは私の言葉に思いのほか感銘を受けたらしかった。
「なるほど」
彼は私の言葉に深く頷いた。
「配下や報酬契約者としてではなく、あくまで同盟者として共に並び立ちたいということか。
そういえば、滝の畔でも確かにそのような話をしたな」
それから、私の前に片膝をついて頭を下げる。
「大変失礼をした。
どうか謝罪を受け入れてほしい」
え? ちょ、ちょっと待って? 確かにそんな話もしたような話が気がするけれど?
「え、あの、あ……ま、まあ、分かってくれたのならいいわ。
許してあげる」
また心にもない言葉が出てしまった。
私が内心でしょんぼりしていると、イェラナイフが立ち上がっていつもの人の悪い笑みを浮かべた。
「リリー、お前は相変わらず嘘が下手だな。
だが、戦友よ。安心するがいい。
たとえこの戦いが終わってもお前は我らの友だ。
この地に要塞を築いた暁には、お前のための洞室を用意しよう。
なにしろ、お前は俺達の〈一つ穴の兄弟〉なのだから。
さほど遠い場所でもない。いつでも訪ねてきてくれ。
きっと歓迎する」
……こういう不意打ちはやめてほしい。
しかも全部見透かされていた。恥ずかしすぎる。
私が顔を伏せてアワアワしていると、イェンコが私の肩に手を置いて、諦めろと言いたげに首を横に振った。
他の皆も生暖かい笑みを浮かべて私を見ている。
ついさっきまで剣呑な雰囲気を漂わせていたイェルフすら苦笑いを浮かべていた。
もしかして、空気を和ませるためのだしに使われたのかしら?
そう気づいてイェラナイフを睨みつけたが、それがかえって面白かったらしく彼はガハハハと笑い声をあげた。
*
皆がそれぞれの作業をしている間、私はイェルフと一緒に魔法の特訓をすることになった。
この作戦の成否の半分は、私が地龍をきちんと拘束できるか否かにかかっている。
そのためにも少しでも大きな力が必要だ。
例の『ひらき』加減の調節を完璧に身に着ける必要がある。
まずは現在の私が安定して出せる最大出力のツタをブンブンと振り回して見せた。
「なるほど。こりゃ大したもんだ。
これなら、奴を抑え込むことは十分にできるはずだ。
残る問題は強度か。
いいか、見てろ」
彼は槍の覆いを外すと、私のツタに向けてピタリと構えた。
「あ、待って!」
彼の意図を察した私は慌ててツタにかけた魔法を解いた。
危ないところだった。
霊鋼製の武器に斬られると、その植物は使い物にならなくなるのだ。
この鉢植えとも長い付き合いだからそれは勘弁願いたい。
改めてツタに魔法をかけて株分けし、分けた方を最大まで強化する。
「これでいいわよ」
私が言うが早いか、イェルフがツタに向かってつきかかった。
彼の槍は魔法で強化されているはずのツタを易々と貫通した。
同時に、魔法で太くなっていたツタは、まるで魔力が抜けていく時の様にシオシオと縮んでしまった。
様に、じゃないか。多分本当に抜けているのだ。
「やっぱりな。これじゃ奴を縛り上げたところで触手に断ち切られちまう」
イェルフ曰く、地龍の表面から生えてくる光の触手は先端が刃物のように鋭くなっており、鋼の鎧すら易々と切り裂くのだという。
「だが、霊鋼製の武器なら奴の触手を弾くことができた。
わけてもこの〈深紅の霊槍〉は特別でな。
〈大移動〉前に鍛えられた真の霊鋼でできている。
こいつなら、気合を入れれば逆に触手を断ち切ることすらできた。
逆に言えばだ。俺の槍の攻撃に耐えられるようになれば、触手の攻撃にも耐えられるってことだ」
そういうものなのだろうか?
何か少し違うような気がするけれど……まあ、確かに一つの目安にはなるのだろう。
「それじゃあ、次はもう少しだけ『ひらいて』みるわね」
まずはツタ草を何本か株分けする。
それから、やりすぎないように慎重に魔力の受け取り量を大きくする。
ツタを強化する。
イェルフが突き刺す。
繰り返す。
だんだんと、『ひらき』加減の微調整が身についてくる。
繰り返す。繰り返す。繰り返す。
ふいに視界が暗転した。
多分、遮光布を被せられたのだろう。
こうなるのも大分慣れてきた。
落ち着いて深く一呼吸した後、遮光布をまくる。
イェルフと目が合った。
「集中が途切れ始めてるな。
少し休むぞ」
彼はそう言うと、こちらの返事も待たずにその場にどっかりと腰を下ろした。
そのまま腰に吊るした革袋を口元にもって行ってグビリ。
そんな彼の不真面目な様子に私は少しばかり腹が立った。
残された時間は限られているはずだ。
「まだ始めたばかりじゃない。
皆だって一生懸命働いてるのに、休むには早すぎるわ」
だけど彼は私の抗議にも一向に取り合わなかった。
「バカ言え。現に制御に失敗しているじゃねえか。
危険な事をしているときは、休むのも仕事の内だ。
事故を起こしてからじゃ取り返しがつかねえ。
常に万端で挑め」
そう言われてしまえばぐうの音も出ない。
私は彼に倣い、その場に腰を下ろして一息つくことにした。
どこか遠くから、カンカンカンという単調な槌の音が響いてくる。
きっとドケナフが一心不乱に鏃を作っているのだろう。
「ねえ、戦いはどんな感じだったの?」
暇だったので、イェルフに戦いの話を聞くことにした。
「唐突だな。
一体どの戦いの話だ?」
「地龍との戦いに決まってるじゃない。
貴方も参加してたのよね?」
「ああ、まあな」
彼の視線が、手元の革袋に落ちた。
「だが、そんな話聞いてどうするんだ。
お前のやることは別に変らんぞ」
そう言って、彼はもう一口お酒を呷った。
「それはわかってるけど……でも、やっぱり敵のことは知っておきたいじゃない。
イェラナイフが言ってた、地龍の眼を刺した五人の戦士ってあなたのことでしょ?」
簡単な推理だ。元は〈はがね山〉でも五本の指に入る戦士で、霊鋼製の武器の持ち主。
だったら間違いない。
彼は最も近い所で地龍を見ているはずで、その戦い方にだって詳しいだろう。
「だから――」
「違う」
イェルフが私の言葉を遮った。
そのあまりに強い調子に、私はたじろいだ。
彼の眼はこちらに向いていなかった。ただじっと、手元の革袋を睨み続けている。
「刺した奴らは……全員死んだよ。
俺は刺し損ねたんだ」
私はすぐに、踏み込んではいけないところに踏み込もうとしていたことに気づいた。
だけど気づいたところでもう手遅れだ。
「あ、あの、変なこと聞いてごめんなさい……」
「いいってことよ」
イェルフはそう言うと、革袋の中身を一気に腹の中に流し込んだ。
それから、大きなげっぷを一つ。
血走った酔眼をこちらに向けて、口を開く。
「いいか、一つだけ教えといてやる。
地龍の眼を直視するな。特に光ってる時はな。
少しだけ逸らしておけ。
あの光を目にすると、誰もが理由もなく酷い恐怖に苛まれる。
これは俺の実体験からも、他の奴らの証言からも間違いねえ。
その恐怖心は奴に近づく程強くなる。
奴に最も近づいた五人は、全員この眼にやられた。
武器を突き立てるその最後の瞬間まで目を離さなかったんだろうな。
奴が逃げ去った時にはまだ五人とも息があったが、心は既に死んでいた。
飯も食えなくなっててな。
体のほうもそのままゆっくりと衰弱して死んだよ」
話し終えて、彼はまた視線を手元に落とした。
そこには空になって萎びた革袋がへにゃんと垂れ下がっている。
「皆、立派で勇敢な戦士の中の戦士達だった。
あいつらは、恐怖に打ち勝ち、その任務を全うしたんだ。
なのに、俺は……俺は……」
イェルフは革袋を口に当てたが、すぐにもう中身が空っぽだったことを思い出して、力なく項垂れた。
そしてそのまま声を押し殺して泣き始めてしまった。
私は無神経にも、彼の、まだ癒えていない心の傷に手を突っ込んでしまったのだ。
なのに私は、ただオロオロすることしかできない。
かける言葉も見つからなかったし、大人の男の人がこんな風に泣くのを見たのも初めてで、一体どうすればいいのかさっぱりわからなかった。
イェルフはしばらくの間泣き続けていたが、やがてゆらりと立ち上がってフラフラと歩き始めた。
「ど、どこに行くの?」
私の問いに彼は振り返ることなく答えた。
「酒を取りに行ってくる。
なに、すぐ戻る」
仕方がない、のだろうか?
彼の背中を見送りながら、ふと悟った。
イェルフは死に場所を求めてこの遠征に参加しているのだ。
だとすればイェラナイフが「槍による仇討ち」を頑なに拒んでいた理由も分かる。
彼は、イェルフを死なせたくないのだろう。
私はそのままイェルフが戻ってくるのを待った。
ところが彼は一向に戻ってこない。
心配になって様子を見に行くと、イェルフは酒樽の前でグウグウとイビキをかいていた。
これではもう仕事になりそうになかった。
その平和な寝顔に文句の一つも言いたくなったけれど、私には多分その資格がない。
結局その日はイェルフは目を覚まさず、私は溝掘りの手伝いをして過ごした。
*
そこからの日々は瞬く間に過ぎていった。
イェルフは次の日も、そのまた次の日も何事もなかったように私との訓練に付き合ってくれた。
おかげで私のツタの強度も随分と上がり、いまではイェルフが全力で突いても表面に小さな傷がつくだけだ。
それでも以前であればその小さな傷から魔力が漏れ出て、あっという間にツタが萎んでしまっていた。
だけど今は一部が傷ついても、魔力を流し込んで一時的に穴を塞ぐなんてことまでできるようになった。
イェラナイフたちの作業も順調で、溝形の落とし穴はもうすっかり出来上がっている。
今はネウラフの指導の下、目玉を撃ち抜くための大弩の訓練に余念がない。
ネウラフによると、固定された的に対してなら皆百発百中らしい。
後は私が奴を抑え込めるかに勝敗がかかっていると言っても過言ではない、と激励された。
そして五日目、方位盤を眺めていたイェラナイフが皆を集めて「いよいよ明日だ」と宣言した。
その日の晩御飯は、少しだけ豪華になった。
と言っても、イェンコも起きている時間の大部分を訓練に充てていたから料理そのものはごく簡単。
薄切りにした塩漬け肉に、チーズ、固めのパン、それからお酒。
それらの量が増えただけの話だ。
せめて温かい食事にしようとイェンコが焚火を起こし、皆でそれを囲んで塩漬け肉を炙った。
「こんなものが最後の晩飯になるかもしれんとは、侘しいのう」
イェンコが串に刺したチーズを遠火に当てながらぼやく。
ディケルフがそんな彼を励ますように声をかけた
「大丈夫ですって。勝てばいいんです。
またみんな揃ってごちそうを食べましょうよ」
そう言う彼もいつもより口数が少ない。
食事だってあまり進んでいないようだ。
それは他の皆も同様で、焚火の周りはどこかピリピリとした空気に覆われていた。
「そう願いたいところだが――あぁ!」
イェンコが返事をしかけて、突然切なげな悲鳴を上げた。
見れば、串に刺していたチーズが柔らかくなりすぎて焚火の中に落ちてしまったらしい。
彼はチーズを拾い上げようと慌てて串を焚火に突っ込んだが、トロトロに溶けたそれはもうどうにも助けられそうになかった。
イェンコが悲しげにため息をつき、周囲の空気が一層重くなった。
「まあ、お前ら。そう悲観することはないさ」
突然、イェルフが場違いに陽気な声を上げた。
彼はやおら立ち上がると、大げさな身振りでイェラナイフを示しながら続けた。
「こちらにおわすお方をどなたと心得る!
小石が原の合戦を初陣として、エルフどもの森を焼くこと三度、ゴブリンどもを荒野に追い散らすこと数知れず!
たった七人を率いてトロルの大群からヌメリの橋を守り切り、また、かの地龍への最後の反撃の指揮を執り見事追い払った我らが英雄!
常勝不敗の無敵将軍、〈間違い種〉のイェラナイフとはこいつのことだ!
おい、ナイフ。お前からも何か言ってやれ」
イェルフに促されて、イェラナイフは渋々といった様子で立ち上がった。
それから、背筋を伸ばして咳ばらいを一つして口を開いた。
「ああ、諸君。
まあ……なんだ。
既に、できる限りの準備は済ませた。
これ以上できることは何もない。
これでも勝てぬというのであれば、それはもはや神々の定めたもうた運命というほかはないだろう」
イェラナイフは気だるげな顔のまま言葉を区切る。
それから、不意にいつものあの笑みを浮かべて皆を見回した。
「だが、裏を返せば、そうでもなければ我らの勝利は決して覆らぬということだ。
大丈夫、諸君らならば必ずやり遂げられる。
その点はこの俺が保証する。
だから明日は万全の体調で挑めるよう、今夜はゆっくりと休んでくれ」
たったそれだけを言って、彼は元通り座り込んでしまった。
こういう時はもっと勇ましいことを言うものではないのかしら?
だけど、周りの皆はまんざらでもない顔だ。
常勝不敗の無敵将軍だなんて、イェルフが大げさに言っているのだとばかり思っていたけれど、案外本当だったのかもしれない。
しばらくすると、仲間たちは食事も早々に切り上げて眠ってしまった。
イェラナイフはお酒も好きなだけ飲んていいと言っていたのに、皆それすら気持ち程度に飲んだだけだ。
イェルフに至っては水を飲んだだけで、一滴もお酒を口にしていなかった。
方々からイビキが響いてくる中、私は一人、焚火の前に取り残されてしまった。
眠くもないし、眠りたい気持ちにもならなかったがこれ以上起きていても仕方がない。
私は自分の寝床に横たわると、目を瞑った。
*
ズシンという衝撃音で目が覚めた。
最初の衝撃に引き続き、地面が小刻みに揺れ続けている。
目を覚ましたのは私だけではなかった。
他の仲間たちもみんな寝床から半身を起こして、あちこちを見回している。
「どうやら、奴が外郭坑道群に達したらしいな」
イェラナイフが枕元に置いていた方位盤を覗き込みながら皆に告げた。
「なに、その外郭……なんたらって」
「そのまんまだ。
資源採掘のため、地下都市の周縁に掘り巡らされた坑道だ。
岩盤がスカスカになっているから、そこに奴が頭を突っ込んでくると落盤が起きるってわけだ。
〈はがね山〉でも同じことが起きた」
なるほど。
「さて、まだ距離はあるようだから、奴が頭を出す前にもう一寝することもできそうだが――」
ガガガガ、と遺跡全体がまた小刻みに揺れた。
天井からパラパラと何かの破片が落ちてきて床に散らばる。
イェラナイフは諦めるように頭を振った。
「まあ、これじゃあ寝直すのは無理だな」
拠点にする建物を選ぶにあたっては、なるべく崩れる危険の少ないものを選んではいたけれど、やはり所詮は廃墟に過ぎない。
こんな風にガタガタと揺さぶられれば、どうしたって不安になる。
「おい、リリー。昨晩は遅かったみたいだが体調はどうだ?」
実際のところ、私はどれぐらい眠れたのだろうか?
私はイェンコのように腹具合で時間を計ることはできない。
「ひとまず、眠気は感じないわ」
よく眠れた、というよりは衝撃で眠気を吹き飛ばされたせいだろうけど。
「それは何より。
それじゃあ、食事の準備といこうか。
時間もあることだし豪勢にやろう。
イェンコ、頼めるか?」
「はいよ」
「皆も手伝え。
イェンコの指示に従うように。
ネウラフとディケルフは俺についてこい。
罠と大弩の最終点検を行う」
「はい!」
「さあ、行動開始だ!」
イェラナイフの号令一下、皆はモゾモゾと寝床から這い出てそれぞれの支度を始めた。
*
戦いを前に敵を待ち受けるひと時は、私にとって最も苦痛な時間の一つだ。
何しろ、考える余裕がある。
どうしたって、これから起こるであろう様々な不幸について思いを馳せてしまう。
これが行軍中だったなら、歩くことで気を紛らわせられる。
戦闘中に至っては考える余裕すらない。
だけど待機中は違う。
いつ戦いが始まるか分からない以上、他の事に意識を向けるわけにもいかず、不安を押し殺しながら、まもなく現れるであろう敵に意識を集中することをひたすら強いられる。
いつもの戦、慣れ親しんだ森の中で、人間の兵隊を待ち受けている時ですらそうなのだ。
まして今回は未知の強敵。これまでの経験も私に自信を与えてはくれない。
私達は、溝状の落とし穴を見下ろす建物の屋上、両側にそれぞれ三基ずつの大弩を設置し、敵を待ち構えていた。
溝からは触手が届かぬよう十分距離をとっており、その間の建物はすっかり撤去されて射撃を遮るものはない。
こちら側の建物には、先頭側からイェルフ、イェラナイフ、最後にディケルフ。
反対側には同じく、イェンコ、ネウラフ、ドケナフがそれぞれ配置についている。
私とケィルフはイェラナイフの後ろで出番待ちだ。
大小の揺れは今も断続的に続いている。
食事の準備をしている間はまだ気が紛れたけれど、その食事も終わり、配置についてしまうともうどうにもならない。
足元が揺れ、頭上から落ちてくる何かの破片がパラパラと音を立てるたびに、敵の巨大さ、強さを連想してしまう。
不安が蛇のようにゆらりと鎌首をもたげてくる。
嫌な感じのする動悸がずっと治まらず、落ち着かない。
森の中では敵にも味方にもべろべろに酔っぱらっている兵士をよく見かけた。
大抵の場合、そういう兵士はすぐ死ぬ。当然だ。
当時はなんでお酒なんか飲むのかわからなかったけれど、それは森の中では私が強者だったからに過ぎないのだろう。
今なら彼らの気持ちがわかる。分かってしまう。
一緒にいるケィルフも落ち着かないらしく、地面が揺れるたびに立ったり座ったりを繰り返している。
左隣の大弩についているディケルフはじっと落とし穴に視線を注いでいる。
多分、揺れた拍子に落とし穴の覆いが崩れやしないかと気が気じゃないのだろう。
イェラナイフは表面上どっしりと構えているが、それでもチラチラと方位盤に視線を落としていた。
反対側にいる仲間たちも、大弩に施された偽装――と言ってもただの衝立だ――のおかげで様子は見えないけれどたぶん似たような感じに違いない。
右隣にいるイェルフに目をやると、彼は腰の革袋をはずし、震える手で口に押し当てようとしていた。
私は大急ぎで彼のもとに駆け寄ると、その手から革袋をひったくって中身を自分の口に流し込んだ。
「なによこれ、水じゃない」
「そうだよ。なんだと思ったんだ」
彼はニヤニヤしながら私の手から革袋を奪い返すと、残りをごくごくと美味しそうに飲み干した。
「酒だと思ってたんなら残念だったな。
だが飲まん方がいい。後悔するぞ」
「……わかってるわよ」
彼は空になった革袋を再び腰の吊り帯に引っかけようとしたが仕損じた。
よく見れば、彼の手は今まで見たこともないぐらい大きく震えている。
彼は革袋をひっかけようと何度か繰り返した後、とうとうあきらめて袋を足元に放り出した。
「貴方こそ、そんなんで大丈夫なの?」
「これはいつものやつとは違う。武者震いってやつだ。
敵が来れば治まるさ」
「本当かしら?」
「そんなに不安そうな顔をするな。
大丈夫、嬢ちゃんが奴を抑えてくれさえすれば、必ず仕留めて見せる」
彼の相変わらず手はブルブルと震えているが、浮かべて見せた笑顔は歴戦の戦士のそれだった。
「おーい!」
イェラナイフが方位盤から顔を上げてこちらに声をかけてきた。
「そろそろ来るぞ。配置に――」
激しい破裂音がイェラナイフの声を遮る。
続いて、今までとは比べ物にならない激しい揺れ。
「皆さん! 来ましたよ!」
ディケルフが指さした先、遺跡の外縁に巨大な亀裂が走る。
壁がバリバリという連続的な破裂音を放ちながらひび割れ、微かに盛り上がる。
直後、雷に似た轟音が鳴り響き、ついに崩壊した。
激しく舞い上がった土煙が邪魔をして地龍とやらの姿はまだ見えない。
「ディケルフ! 何か見えるか?」
「いいえ、隊長。まだ何も――あ! 光点、六!」
土煙の向こうに、何か光るものがうっすらと見えた。
左右に三つずつ、列をなしている。
「やはり目玉は再生していたか。
おい、水はどうだ? 噴き出してないだろうな?」
「今のところはなんとも。
奴の胴体が穴から抜けないことには……」
水がどうしたというんだろう?
私が不思議に思う間もなく、薄まった土埃の向こうから地龍がぬらりと姿を現す。
その姿はまるで鱗のない蛇、いや、
「リリー! 姿を晒すな!
こっちにこい!」
イェラナイフに呼ばれて、私は慌てて大弩を隠している衝立の陰に引っ込んだ。
さほど賢くないとは聞いているけれど、警戒されずに済むならそれに越したことはない。
衝立に開けられた覗き穴からそっと様子を窺う。
地龍は全身を伸び縮みさせながら、霊気結晶に向かって一直線に進んでくる。
その動きはひどく緩慢で、そのことがかえって待ち受ける私の苦痛を倍加させる。
穴から抜け出た地龍は、全身から粘度の高い液体を分泌して、体に積もった土埃をどろりと洗い流した。
それを見たイェラナイフが小声で教えてくれた。
「あの液体には気をつけろ。
奴はあれで岩を溶かしながら地中を進むんだ。
生身で触れれば酷いことになる」
私はそれに黙って頷き返した。
土埃の下から、青白くブヨブヨとした表面がのぞいた。
半透明の疣の様なものが無数に浮いていて、生理的な嫌悪感を否応なく催させる。
頭部に三つずつ、規則正しく並んだ眼は不気味なまでに人間的だった。
振動と破壊音がやみ、すっかり静まり返った遺跡の中を地龍がズルズルと這い進んでいく。
まもなく地龍が落とし穴に差し掛かるところで、イェラナイフがケィルフを振り返り小声で呟いた。
「気合い入れろよ」
これは落とし穴の蓋をケィルフの石人形が支えているためだ。
「あい」
「リリーも」
「任せて」
答えた声が、少し上ずってしまった。
そういえばイェルフはどうなのかしら?
そう思ってちらりと横に視線を送ると、遠目に見る限り彼の震えはすっかり治まっているようだった。
それどころか、さっきよりもずっと落ち着いているようにすら見える。
あれならばもう大丈夫だろう。
後は私次第ということだ。
地龍がゆっくりと落とし穴の上に進む。
蓋がかすかにたわんだように見えたが、破壊には至らない。
ケィルフは地龍の体重を支え切っている。
そこからの時間はまるで永遠のように感じられた。
地龍の動きは酷く緩慢で、止まっているようにすら思える。
それでも、「その時」は刻一刻と近づいて来る。
ついに全身が落とし穴の上に上がる。
イェラナイフが大きく息を吸い込んだ。
「やれ!」
ケィルフが蓋を支えていた石人形たちの制御を解いた。
間髪入れず私は溝の両脇に並べたツタの
いずれもいつもの鉢植えから株分けしたツタたちだ。
長年私の魔力に馴染んだ彼らは、根っこであっても自在に操ることができる。
大弩の射点から眼を隠さぬよう注意を払いつつ、対岸まで伸ばして根を張らせた。
隅々にまで魔力を行きわたらせた根は、岩だろうが何だろうが易々と食い込んでいく。
それから網のように広げた根をぐっと縮めて地龍を拘束。
私のツタから逃れようと激しくもがく地龍を、全力で魔力を注ぎ込んだ根で締め上げる。
ついにその動きを完全に抑え込むことに成功。力比べは私の勝ちだ。
しかしほっとしたのもつかの間、半透明の疣がうっすらと光り始めた。
「触手が出るぞ! 切り裂きに備えろ!」
イェラナイフが大弩の狙いをつけながら警告の声を上げた。
それと同時に疣から何条もの光が立ち上がり、すぐにグネグネと動き始めた。
私は魔力の流れをさらに大きく『ひらい』て攻撃に備える。
光の触手が、本体を拘束するツタの根を攻撃し始めた。
太さを増し、強度を上げた私の根は、両断こそ免れたもののそこかしこで傷をつけられ、魔力が漏れ出していく。
私は魔力の流量を増やし、傷ついた個所を修復する。
ついでに表面に這わせた根の先端を鋭くとがらせ、内部への浸蝕を試みる。
あいつがこちらのツタを傷つけられるなら、こっちだってあのブヨブヨの皮膚ぐらい食い破れるはずだ。
当然敵も無抵抗にやられたりはしない。
こちらと同様、魔力で表面を硬化。
さらに岩をも溶かすという体液を分泌して私のツタを溶かしにかかってくる。
こちらはすぐに修復で手一杯になった。
触手による攻撃も続いている。
視界の隅に、見えるはずのない歪んだ女達がチラチラと映る。
視界の端は認識が行き届かないがゆえに現実と幻想の境界が薄い。
もう長くはもたない。
「イェラナイフ! まだなの!?」
思いの外悲鳴じみた声が出てしまった。
「あと少しだ。もう少しだけ耐えてくれ」
そう言ってイェラナイフは対岸の大弩を睨みつけた。
それぞれの大弩の脇に据え付けられた魔法のランタンの三つの内、二つがすでに点灯している。
あの灯りは照準が完了したという合図だ。
こちら側にいる二人は既に狙いをつけ終わったと口頭で報告してきている。
つまり、あと一人だ。
鼓動にして僅か数拍。永遠にも思える時間の後、ついに最後の灯が点灯した。
「撃て!」
イェラナイフが足元のペダルを踏み込みながら叫んだ。
彼の隣にあったランタンが点灯し、対岸の仲間にも発射の合図が送られる。
六基の大弩が、地龍目掛けて一斉に必殺の太矢を放った。
ネウラフが丹念に調整したそれは、狙い過たずまっすぐに地龍の眼に吸い込まれていく。
そして――
ぐしゃ。あっけなく。
霊鋼製の鏃はその眼を守る薄膜を易々と貫通し、刺し貫いた。
少なくとも、こちら側の眼は全て潰れた。
反対側は……イェンコたちが偽装の影から飛び出して大喜びしている。
あちら側も全弾命中だ。
拘束を解こうとする地龍の抵抗はまだ続いている。
が、その力が急速に弱まっていくのが感じられた。
おそらく、
ん?
――
なぜ私はあいつを女だと思ったのだろうか?
まあいいか。今となっては些細な問題だ。
もう戦いは終わりだ。
むやみに霊気結晶に心を『ひらい』ておくべきではない。
私が魔力の出力を下げようとしたとの時、右手から声がかかった。
「待て、嬢ちゃん。
嫌な予感がする」
イェルフが槍を握りしめているのが目に入った。
視界の端で、歪んだ女たちが楽し気に舞い始める。
ぎょっとしてそちらに目を向けると、もう女達はいなかった。
当然だ。あれは幻覚に過ぎない。
が、私が地龍から目を離したその直後、爆発的な閃光が遺跡全体を照らし出した。
同時に、弱まりかけていた地龍の抵抗が再び活発化し始める。
「な、何これ!
何が起きたの⁉」
イェラナイフが屋上から身を乗り出して、地龍を指す。
「目玉だ! クソ!
もう一つあったんだ!」
イェラナイフが指さす先、地龍の頭部の真ん中がぱっくりと裂け、その裂け目の奥から、ひときわ巨大な眼玉が辺りをギョロギョロと睨めまわしていた。
「ナイフ! 俺が行く!」
イェルフがそう叫ぶや否や、槍を手に屋上の縁に手をかけた。
イェラナイフがとっさに叫ぶ。
「待て!」
互いの哀願するような視線が交差する。
一瞬の後、折れたのはイェラナイフだった。
「援護の準備をする。
少しだけ待て」
「すまねえ」
イェルフがこちらを見た。
「嬢ちゃん、もう少しだけ頼む」
「任せて」
言われなくてもこれは私の戦いだ。
ここまで来て引くわけにはいかない。
私はさらなる力を求め、慎重に、慎重に、本当のギリギリまで『ひらい』ていく。
まるで現実が遠ざかっていくような、立ち眩みにも似た奇妙な感覚に襲われる。
『ひらき』過ぎたのだろうか?
いや大丈夫。まだ幻覚は見えていない。
少なくとも視界の端までしか。
「ケィルフ! 石人形を出せるだけ出せ!
イェルフとともに突っ込ませ、囮にする。
サイズはイェルフと同じぐらい」
「あい!」
イェラナイフが指示を飛ばし、ケィルフが応える。
材料には事欠かない。
粉砕された廃墟の残骸、溝を掘った廃土、地龍が崩した遺跡の外郭。
塩の不足分は霊気結晶の魔力で無理やり補っているらしい。
そこら中の石という石がガラガラと動き出し、人の形を取り始める。
「突撃!」
イェラナイフの号令一下、それらが一斉に地龍に向けて突進を開始する。
イェルフも屋上から飛び降りて、その中に混ざった。
地龍が押し寄せる石の波から逃れようと必死で身を捩じる。
潰れた目から流れる血が、まるで涙のようだ。
逃がしはしない。
私は身を捩る地龍を抑え込もうと、一層の魔力をツタに注ぎ込む。
でもだめだ
地龍の力はますます強くなっていく。
溝の表面は地龍が分泌する溶解液ですでにグズグズだ。
これ以上は抑えられない。
愚直に突進するケィルフの石人形が光る触手に次々と薙ぎ払われていく。
特大の触手の一振りでイェルフの周囲の石人形が全滅した。
イェルフはその場に伏せて無事だったが、孤立している。
無数の触手がイェルフめがけてゾワゾワと伸びてゆく。
もう後のことなど知ったことか!
私は完全に
ほとんど無尽蔵といっていい魔力が私に流れ込んでくる。
同時に、自身の境界があいまいになるかのような感覚に襲われた。
私自身が、魔力の広がりとともにどんどん拡張されていく。
私はツタと一体化した。ツタの根元から先端に至るまで、まるで自分の手足のように感じられる。
当然、痛みもだ。
触手と接したツタからは切り裂かれるような、粘液と接した箇所からは灼けるような痛みが、私の広がった体の全てから伝わってくる。
まるで自分自身の体が切り刻まれているかのように感じるが、大丈夫、全て錯覚だ。
私の体は傷一つ受けていない。そのはずだ。
痛みをすべて無視して、迫る触手を相手に必死に防戦するイェルフを助けるべく、私はツタを伸ばす。
無数に枝分かれしたツタが光る触手に絡み、イェルフへの攻撃を妨害する。
イェルフがその槍で特大の触手を切り裂き、突進を再開した。
”いや! やめて!”
幼い悲鳴が私の頭の中に響いてきた。
”おねがい! だれか……! だれかたすけて……!”
見たことのない祭壇に拘束された少女が悲痛な叫びをあげている。
落ち着け。これもただの幻覚だ。
イェルフが槍を手に、私のツタを足掛かりにして地龍の体をよじ登っていく。
鋭い刃物を持った男が少女に近づいてきた。
奇妙な仮面をかぶっている。おそらくは神官だろう。
少女は目をぎゅっとつぶって抗うが、その瞼は男が手にする刃物によって無情にも切り取られてしまった。
神官が少女の口に奇妙な薬液を無理やり流し込む。
光が強まり、少女の体が奇怪に変化し始めた。神を作り出す儀式だ。
なぜかは知らないけれどそう思った。
少女が、瞼を切り取られた目で私に救いを求めてくる。
これは幻覚。幻覚だ。私にはどうにもできない。
”ひがしへ……ひがしへいかないと……!”
地龍の断片的な思念が私に伝わってくる。
彼女はもうこの場を逃げ出すことしか考えていない。
三人の歪な女たちが、舞をやめ、暗い眼窩をこちらに向けて興味深げに私達を見つめている。
少女は生きたいと願っていた。でも関係ない。
「悪いけど、この先に進ませるわけにはいかないの。
貴女にはここで死んでもらうわ」
私はさらに拘束を強めた。
イェルフが地龍の上に立ち上がり、雄叫びを上げた。
地龍の第七の眼が彼を睨みつけ、不気味な光が彼を照らす。
直視できない。
直視すれば、これだけの距離をもってしても腰が抜けそうになるほどの恐怖が襲い掛かってくる。
なのに、イェルフは目を逸らすどころか地龍の眼を睨み返した。
そしてついにイェルフの槍が間合いに眼を捉え、突き出される。
穂先が半ばまで眼に埋まり、止まった。まだ破壊には至っていない。
地龍が眼に魔力を集中して抵抗しているのだ。
イェルフが、眼から放たれる七色の怪光を浴びながらもう一度叫び声をあげた。
全体重をかけ、穂先を少しずつ沈み込ませていく。
”いたい……! やめて……おねがいだから……!”
地龍はその眼を七色に光らせながらイェルフを照らすが、彼は怯むことなく槍を押し込み続ける。
その時、一本の触手が私のツタをすり抜けた。
まるで時間が止まったように感じた。
触手はまっすぐにイェルフ目がけて伸びていく。
もうダメだ。どうにもならない。
しかし一体の石人形が触手とイェルフの間に割り込み、触手の一撃を受け止めた。
人形は霊気によって強化されていたらしい。
触手の貫通こそ防いだものの、石人形はイェルフもろとも吹き飛ばされた。
イェルフを吹き飛ばした地龍は、私の拘束を解くことに全力を振り向けてきた。
”はなして……おねがいだから、もう、ゆるして……!”
もはや人間ではなくなった少女が哀願する。
祭壇の上でのたうつその姿は、目の前の地龍そっくりだった。
まだ小さな地龍が、哀れっぽく私に許しを請う。
だけど私の答えは一つだ。
「逃がすものですか!」
私の口から洩れたその呟きをイェラナイフが拾った。
「逃げようとしているだって⁉」
「そうよ! だから早くイェルフを起こして!
このままじゃ逃げられちゃう!」
彼はまだ死んではいないはずだ。
あれにとどめをさせるのは彼だけなのだ。
だから――
「ナイフ! リリー、ひかってる!」
ケィルフがこちらを見て金切り声を上げた。
「リリー! もうやめろ! これ以上はダメだ!」
そんなの言われなくても自分でよくわかっている。
だけど、あと一歩なのだ。あと一歩で――
「ケィルフ! 布を!」
突然、視界が闇に閉ざされた。
拘束された少女も、女達の歪んだ顔も一切が消えてなくなった。
重たく、ゴワゴワとしたこの感触は遮光布に間違いなかった。
特別な銀糸が織り込まれているというその布によって、魔力の繋がりが強制的に断ち切られる。
「なにすんのよ!」
私は被せられた遮光布を振り払おうともがく。
だけど布を被せたケィルフが私に抱き着いていて振りほどけない。
小柄に見えても私よりはよほど力が強いのだ。
「早くこれを除けて!
あいつに逃げられちゃう!」
「もういいんだ、リリー。
逃げるなら、今は放っておけ!」
イェラナイフの声が聞こえる。
「放っておけるわけないじゃない!」
ここで逃がせば、〈浮遊城〉が、私の家族が襲われる。
何としてもここで仕留めなくてはいけないのだ。
「もうどうにもならん。イェルフは戦闘不能だ。
先の鏃も排出されちまった。目玉が回復し始めてる。
すでに勝機はない。これ以上は無駄だ」
「だからなによ!
家族を守らなきゃ! そのためなら――」
「落ち着け! まだ次がある!」
「……次?」
「そうだ。次だ。
奴の向かう先は分かっている。
だが、ここでお前が死んだら、一体誰がお前の家族を守るんだ」
イェラナイフの宥めるような声に、私は少しずつ冷静さを取り戻していく。
彼の言うとおりだ。
「そ、外はどうなっているの?
イェルフは? 地龍は――」
「よし、落ち着いてきたな。
まずは『とじろ』。今のままじゃ危険だ。
『とじた』ら外を見せてやる」
言われた通りに、
なにか、幻覚以外にも色々なものが私の中に流れ込んでいたような気がする。
思い出せない。まあいいか。
ともかく、現実的な感覚に意識を合わせて、魔力に対する何かを『とじる』。
「もういいわよ」
遮光布がばさりと落ちる。
散々な光景が目に入ってきた。
地龍を捕らえていた溝の周りには破壊された無数の石人形が散らばっていた。
溝の中にすでに地龍の姿はない。
霊気結晶の前にはイェルフが槍を手に立ちふさがっているが、その槍からは穂先が失われている。
それでも地龍はイェルフが怖いらしく、進路をやや北に変えてズルズルと這いながら遠ざかっていくところだった。
にもかかわらず、イェルフは空っぽの溝を睨みつけたまま微動だにしない。
明らかに様子がおかしい。
「おい、ケィルフ。リリーの看病を頼む。
俺はイェルフの様子を見てくる」
「あい」
イェラナイフはそう言い残すと、心配そうに走り去っていった。
その後ろ姿に私は少しだけ罪悪感を覚えた。
本当ならすぐにでも古い友人のところに駆けつけたかったに違いないのに、私が足止めしてしまっていたらしい。
*
幸いというべきか、イェルフに大きな怪我はなかった。
だけど、心はもう壊れてしまっていた。
彼はイェラナイフが駆け付けると同時にその場に崩れ落ち、それきり抜け殻のようになってしまったのだ。
イェラナイフやケィルフが呼び掛けてもまるで反応せず、たまに「槍を、槍を」とうわ言のように呟くばかりだ。
彼が大切にしていた家宝の槍は、穂先がへし折れてしまっていた。
皆で手分けをして探したものの、折れた先は結局見つからなかった。
おそらく、地龍の眼玉の中に残ってしまったのだろう。
彼のこうした姿を見るのはひどく苦痛だった。
私がもう少しうまくやっていれば、あの触手の一撃を防げていたかもしれない。
もちろん、あの光を間近で浴びた以上、彼がこうなることは避けられなかっただろう。
それでも、あの一撃がなければ彼は本懐を遂げていたに違いないのだ。
私のミスで、彼の命を捧げた一撃が台無しになってしまった。
私自身が無傷でいることが、なおのこと罪悪感を刺激してくる。
「お嬢さん、気に病むでない。
あれは戦場でのこと。誰にもどうすることはできんかったよ」
イェンコが私を気遣ってこんなことを言ってくれはしたものの、それで何かが変わるわけでもなかった。
「で、どうすんだ。隊長」
皆が集まったところで、ドケナフが訊ねた。
手には集めてきた鏃を抱え込んでいる。
軸の部分は地龍の粘液に溶かされてしまったらしい。
「ひとまず、奴を追う」
そう言ってイェラナイフは地龍が開けたもう一つの穴のほうに目をやった。
地龍の動きはひどく鈍く、壁に空いた大穴からはまだ尻尾がのぞいていた。
「行く先は分かっている。
道案内があれば先回りするのはそう難しくないだろう。
リリー、頼めるな?」
「もちろんよ」
私はイェルフのことを意識の隅に押しやりながら答えた。
戦いはまだ終わっていない。
悔やむのは後回しだ。
「だが隊長。一体どうやって倒すってんだ?」
ドケナフがイェラナイフに食い下がった。
「奴の眼玉は七個。だが大弩は六基しかねえ。
その上、イェルフはもう戦えん。
嬢ちゃんとケィルフを除けば、俺たちはもう五人しかいないんだぞ」
「……戦力が低下しているのは承知している」
イェラナイフが苦しそうに答えた。
「だが、出来る限りのことはするつもりだ。
奴は父上のみならず、親友の仇にもなった。
なにより、奴が向かう先にはリリーの家族がいる。
俺は仲間のために戦いを続けるつもりだ。
無論、これは俺の個人的な感情によるところが大きい。
諸君らにまで戦いを強制しようとは思わない。
抜けたいという者がいたら申し出てくれ」
「抜けたいだなんて一言も言ってねえよ。
どう戦うつもりかって聞いたんだ。
さあ、俺達は一体何をすればいい?」
そう言ってドケナフは空いた手でドンと胸を叩いた。
「ここで逃げ帰れば、二度とうまい飯が食えんじゃろうな」
「どんな罠だって作って見せますよ。
次こそ奴を仕留めましょう」
イェンコとディケルフも戦ってくれるようだ。
最後に、寡黙なネウラフが口を開く。
「俺なら、他の奴らの倍の速さで狙いをつけられる。
奴の眼玉が再生する前に、二発目を当てることだって可能だ」
ケィルフには聞くまでもないだろう。
彼は、折れてしまったイェルフの槍をその手にギュッと握りしめていた。
「人手については、お城の衛士に協力を求めればいいわ。
私達のお城だもの。必ず手を貸してくれるはずよ」
私がそういうと、ネウラフがゆっくりと首を振った。
「六発目までは俺達で何とかなる。
だが、第七の眼、あれはダメだ。
恥ずかしい話だが、俺はあれを直視できなかった。
おい、正面からあれに狙いをつけられる奴はいるか?」
私も含めた全員が黙り込んでしまった。
多分、お城の衛士たちだって無理だろう。
あれはおそらく呪いや魔法に属するものだ。
勇気とか気合とかでどうにかなるものじゃない。
イェルフは一体どうやってあれに抵抗したんだろうか?
「だろうな。
だが横から撃ったんじゃ、おそらくあれは貫通できない。
なんせ、イェルフの一撃すら食い止めたんだからな。
あれだけは、大弩じゃ無理だ。
何かしらの対策がいる」
「ディケルフ、罠でどうにかできないか?」
イェラナイフが話を振ると、ディケルフはしぼんでしまった。
「大きな口を叩いた直後でなんですが、すぐには思いつきませんね……。
あの眼の位置を正確に測れればまだ何とかなるんですが……」
「私ならできるわ」
全員の視線が私に集まった。
「嬢ちゃんが大弩を撃つってのか?
練習すればできるようにはなるだろうが、魔法を使いながらそんなこと――」
「違うわ。王子と戦った時と一緒よ。
ドケナフ、私のために霊鋼の武器を作って。
ただの杭みたいなもので構わないわ。
それをツタに握らせて、奴の眼玉に打ち込むの。
遠くから矢で射ろうとするより確実なはずよ」
「ふむ」
イェラナイフは顎に手を当てて少しの間考えた後、私に質問をした。
「お前の城まで、ここからどれぐらいでつける?」
「徒歩なら四日程かしら?
最寄りの村に行けば、伝令用の騎手がいるはずだから、彼らに乗せて貰うこともできるわ。
これを使えば二日ぐらいね。
あと、私の魔法を使えば半日で行ける。
ただし、この場合一人連れて行くのが精いっぱいよ。
どちらの場合も荷物は置いていかなきゃいけなくなるわ。
ああ、でもこの遺跡から出るだけでも結構歩くはずだから……まあ、さらに半日追加といったところかしら?」
「城までの道は概ね直線か?」
「そうね。多少は蛇行しているけど」
「すると地龍の到着は八日程後か。
大弩を置いていくわけにはいかないから、徒歩だな。
準備にかけられる猶予は三日、よくて四日といったところか」
イェラナイフは少しの間考えを巡らした後、再び口を開いた。
「ドケナフ、それだけの期間でリリーの言う武器は作れるか?」
「もちろんだ。鏃より単純だからな」
「よし、ならば城までは三手に分かれていくとしよう。
俺はリリーとともに最速ルートで城に向かう。
そしてリリーの義姉上と交渉し、協力を取り付ける。
ディケルフ、ネウラフ、ケィルフはパカパカと共に徒歩で移動だ。
リリー、彼らに案内をつけてもらえるか?」
「それなら、最寄りの村までは一緒に行きましょ。
私から頼めば、村の誰かが喜んで案内してくれるはずよ」
「よろしい。
最後にドケナフと、イェンコ。
お前達はリリーのための武器を作った後に追いかけてきてくれ。
向こうの遺跡の溶岩炉が生きてるとは限らんからな。
完成後は、そうだな、可能であればさっき言っていた伝令とやらを利用させて貰えると助かるんだが」
「分かったわ。村に寄った時に手配しておきましょう。
なんなら、あの小屋まで迎えを出させておけばもっと早くつけるわ」
「何から何まですまんな」
「私達の戦だもの。当然よ」
「よし、それじゃあ時間が惜しい。
早速出発の準備に移ろうか。
まずは以前いた小屋まで移動する。
疲れているだろうが休憩はそれまで待ってくれ。
さあ、行動開始だ」
皆が動き出そうとしたその時、イェンコが待ったをかけた。
「隊長、一つ確認しておかなきゃならんことがある」
「……なんだ」
イェンコの顔からは、あの普段の温厚さの一切が消え去っていた。
「イェルフはどうするのかね?
あの有様は見たことがある。あの時の戦士達と同じだ。
もはや回復の見込みもないじゃろう。
慈悲をかけるのも、長の務めと思うが」
イェラナイフは顔色一つ変えずに答えた。
「いや、このまま連れて行く」
その答えにイェンコは眉をしかめた。
「友人の死を認めたくない気持ちは分かる。
だが、空腹は本当に辛いぞ。特に渇きは。
隊長も、あの〈飢餓砦〉の戦いを経験しているのだから、その辛さが分かるはずじゃ。
それをいたずらに長引かせるのは――」
「その上で敢えて言っている」
イェラナイフは彼の言葉を断固たる調子で遮った。
「我が戦友、〈紅槍のイェルフ〉は、飢餓に屈するような惰弱な男では断じてない。
いかなる苦痛が待ち構えていようと、命ある限りこの戦いを見届けたいと願うはずだ。
少なくとも、俺の知るイェルフはそういう男だ。
……慈悲をかけるのはその後だ」
「……失礼な事を申しました。
そこまでご覚悟の上とあれば、何も言いますまい」
イェンコはそう言って膝を折り、深々と頭を下げた。
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