第4話 白馬の王子様
森の中が本当の闇夜に閉ざされる直前になって、ようやく私達は遺跡に戻った。
「――というわけで、隊長宛てに手紙を預かってきておる」
イェンコは、遺跡に戻ると早速事の次第を報告し、イェラナイフに手紙を差し出した。
イェラナイフは手紙を受け取ると、その封蝋に目を止め、それから私に視線を向けて言った。
「この封印に見覚えはあるか?」
「もちろん。その〈王冠を被った大角牛〉はホルニアの王家の紋章よ」
知らないはずがない。
ホルニアは〈闇夜の森〉を巡って幾度も争ってきた私達の宿敵だ。
今は北の蛮族に対処するため一時的な同盟を結んでいる。
この大角牛の両角に一つずつ引っかけられた小ぶりな王冠は、ホルニアが過去に飲み込んだ二つの王国に由来するらしい。
もし仮にマノアが戦に敗れていたら、私達の冠は牛の鼻輪にでもされていただろう。
何しろホルニア人は揃って性格が悪い。
「なるほど」
イェラナイフはそれだけ言って無造作にその封蝋を破ると、手紙に目を通し始めた。
彼はすぐに読み終えたらしく、再び視線を私に向けてきた。
「まあ、内容は予想していた通りだ。
我々がこの森に住まうことを認め、外敵から保護してやる。
その代わりに交易を独占させろ、と言うような話だ。
交換比率についても先の村での取引よりもだいぶ色を付けてくれるそうだ。
ついでに、近々この森を軍勢が通過するが俺達を攻撃するための兵ではないから無暗に敵対しないようにと。
手紙への回答はその軍勢の指揮官に伝えよとさ」
ホルニアがこの森に軍勢を入れるという。
互いに兵を進めてはならぬと約束したこの森にだ。
それが何のためかなんて聞くまでもない。
あいつらは、欲に目がくらんで私達を裏切ることに決めたのだ。
「その軍勢についてちっと補足させてもらうぜ」
イェルフが口を開いた。
「今回あのリモチグとかいう村に立ち寄った際に、かなりの食糧が集積されているのを確認した。
とてもじゃないが俺たちとの交換のためだけに集めたとは思えねえ。
少なくとも五千の兵が一か月は飲み食いできる量だ。
集めようとしている軍勢の規模もそれぐらいとみて間違いないだろう」
さすがは大国ホルニアだ。
彼らも北へ軍勢を送っていたはずだけれど、まだ随分と余力があるらしい。
対する私たちマノアの軍勢はその殆どがお兄様に率いられて北へ行ってしまい、国内は空っぽだ。
兵の五千もあれば〈浮遊城〉を制圧するのは容易い。
お兄様も、蛮族とホルニア軍の両方に睨まれていては簡単には戻ってこられない。
背後が脅かされればお兄様を裏切る領主だって出るかもしれない。
戦の趨勢は決まった。私達の負けだ。マノアの王冠は牛の鼻輪になってしまうだろう。
「それで――」
イェラナイフが再び口を開いた。
ドワーフ達の気づかわしげな視線が私に集中する。
「我々はこの地の情勢を殆ど何も知らない。
リリーの意見を聞きたい」
イェンコとドケナフが一瞬だけ非難めいた視線をイェラナイフに投げたが、彼らの隊長は素知らぬ顔だ。
さて、どう答えたものかしら?
私はゆっくりと一呼吸してから問い返した。
「知っていると思うけど、私はこの紛争の当事者の一人よ。
正直な答えは期待しないでちょうだい」
それに答える彼の声は厳かだった。
「もちろんわかっているとも。それで構わない。
承知の上で、お前の意見を聞いているのだ」
なるほど。
彼は別にこの地の情勢について知りたいわけではないのだろう。
要するに、私に発言の機会を与えてくれているのだ。
ならば、私もできる限りそれに誠実に応えなければならない。
「それで、何が知りたいの?」
「まず、この森の所有者についてだ。
実際のところ、この森を支配しているのは誰なんだ?」
「この森は私たちマノアのもの……と言いたいところだけど今は違うわね。
ホルニアとマノアは長年この森を巡って争ってきたの。
昨年の終わりに和議を結んで以来、この森はどちらのものでもない空白地帯になっているわ」
「なるほど。
それで、先方が我々に提示してきた条件についてはどう思う?」
「地龍を討伐した後、貴方達が故郷に帰るつもりならどうでもいい話よ。
だけど、もしこの遺跡をドワーフの居住地として復興させるつもりなら破格の条件と言っていいわね。
受けて損はないわ」
どうせ私たちの国はじきに消えてなくなるし、競争相手がいなくなれば買い叩かれる。
だったら、最初からホルニア王家の庇護下に入っておいた方がお得だろう。
イェラナイフは私の答えを聞いてかすかに眉をひそめた。
「それでいいのか?」
「もちろんよ」
これでいい。友人を相手につまらない嘘はつきたくない。
「……そうか。ならこの話はもう終わりだな。
さあ、晩飯の支度をしようじゃないか」
イェラナイフがそういいながら手をたたいて皆を解散させた。
それからいつも通りにご飯を食べて、その日は終わった。
*
皆が寝静まったのを見計らって、私はむくりと起き上がった。
音を立てないよう気を配りながら、そっと出発の準備を整える。
元々私の荷物はたいして多くない。
着替えの詰まった背負い袋と、小さなツタの鉢植えが一つあるきりだ。
準備はすぐに終わった。
お別れを言えないのは残念だけれど、仕方がない。
もし私がホルニア軍と戦うと言ったなら義理堅い彼らの事だ、きっと一緒に戦うと言い出すに決まっている。
だけど、敵は五千。たかだか七人ばかりが加わってくれたところでどうなるものでもない。
彼ら自身にもやるべきことがあるというのに、勝ち目のない戦いに引きずり込むのはあまりに申し訳ない。
そもそも、彼らが手助けしてくれるなんて、私の思い上がりに過ぎないかもしれないのだ。
それを確かめるのも怖かった。
だから、黙って出ることにした。
まずは最寄りの村に行き、狼煙を上げさせる。
それで敵が接近しつつあることを〈浮遊城〉のお義姉さまに知らせることができる。
どれだけの意味があるかはわからないけれど、逃げる準備ぐらいはできるようになるはずだ。
それから、付近の狩人達を呼び集めて森の中で戦う。
私は草木に愛された森の魔女だから、戦うべき場所は森の中だ。
嫌がらせや時間稼ぎぐらいにはなるだろう。
広間の出口で振り返り、いびきを立てて寝ているドワーフ達に一礼。
さようなら、と口の中で呟いて、それから外への一歩を踏み出す。
次の瞬間、ガランガランという派手な音がして世界がひっくり返った。
「な、なに!?」
思わずそう叫んでしまったが、理由はすぐに分かった。
私は足をロープでくくられて逆さづりにされていた。罠に引っかかったのだ。
「やれやれ、やっぱりこうなったか」
なんだなんだとざわめくドワーフたちの寝床から、ひょろりと長い人影がこちらに向かって歩いてくる。
彼は逆さまの私を見てニヤリと笑った。
「ディケルフに罠を仕掛けさせておいて正解だったな」
いつの間にそんな余計なことを!
まったく気が付かなかった。
「イェラナイフ! 危ないじゃない!
一体何のつもりよ!」
「何のつもりはこちらのセリフだな。
こんな夜更けにどこへ行くつもりだ?」
「そ、それは……」
彼の得意技は嘘を見抜くことだという。
だけど、万に一つにかけて私は噓をつくことにした。
「ちょっと月の光を浴びに……」
「月光浴に旅支度で出る奴があるか」
嘘は一瞬でバレた。
嘘を見抜くのが得意だというのはどうやら本当だったらしい。
そうこうしている間に他のドワーフ達も起き上がってきて、私はすっかり取り囲まれてしまった。
「もういいだろう。
おい、ディケルフ、降ろしてやれ」
「はい、隊長。
あ、イェンコさん、ちょっと手伝ってください」
イェンコが、私を吊り下げていたロープをぐっと引っ張って地面に降ろしてくれた。
同時にディケルフがナイフでロープを断ち切って、ようやく私は解放される。
ディケルフが足に残ったロープをほどきながら楽しそうにこの罠について説明してくれた。
「こいつは貴女から教わったくくり罠を私なりにアレンジしたものなんですよ。
いやあ、破壊を伴わない罠というのも、やってみるとなかなか楽しいものですね。
貴女のように魔法で強化された強靭な枝なんて使えませんから、錘と天秤を応用して――」
どうやら見た目よりも大掛かりな仕掛けが施されているらしい。
短時間で、それも私からこそこそ隠れながらよくぞこれだけのものを作り上げたものだ。
「ディケルフ、そこら辺にしといてやれ」
罠作りの苦労話を嬉々として語るディケルフを、イェラナイフが呆れ顔で止めてくれた。
私を見つめるドワーフたちの顔が心なしかさっきまでより優しくなっているような気がする。
ロープがほどかれている間に、イェラナイフは私の行く先を塞ぐように立ち位置を変えていた。
「それで、こんな夜更けに旅支度でどこへ行く気だ?」
これ以上嘘をついても無駄だろう。
私は観念して正直に答えた。
「ここを出て、ホルニア軍を食い止めるつもりだったのよ」
「なるほど。それで勝ち目はあるのか?」
「ほとんどないわね」
「だろうな。ならば、ここに留まるがいい。
地龍討伐への協力と引き換えにお前を保護するという約束は今でも有効だ。
この遺跡は魔法で守られている。ここに留まる限りお前は安全だ」
「それはできない相談ね。
奴らは、魔女も王族も生かしておいてはくれないわ。
私は家族を守りたいの。家族以外の大勢の大切な人たちも」
「ならば、その者達の亡命も受け入れよう。
それで十分ではないか?」
「ダメよ」
「なぜだ。
お前さん自身も、地上の民の間ではあまりいい扱いを受けていなかったと聞いている。
お前の国は、お前が命を擲つに値するのか?」
「私にとってはそうでもないわね。
だけど、お兄様にとっては、お父様から引き継いだ大事な国だもの。
この国の王として、この国を守るために死ぬまで戦うでしょう。
お義姉様も最期までお兄様についていく。
他の人達だってそう。マノアがなくなったらきっとみんな悲しむわ。
そりゃ嫌な人だって大勢いるけれど、その人達もひっくるめて守らなければ、
私の大事な人達が大切にしているものを守ることはできないの」
「無駄だとわかっていてもか」
「当然。命よりも大切なものだもの。
命の危険を理由に引き下がるなんてできるわけないでしょう」
イェラナイフは、険しい顔をしてそのまま黙り込んだ。
それから重い調子で再び口を開く。
「……なるほど。お前さんの決意が固いことはよくわかった。
もう止めはしない。戦いに向かうがいい」
案外とあっさり解放されたことに私はほっとした。
同時に、少しばかりの寂しさが胸をよぎる。
私は立ち上がって埃を払った。
ところが、真正面には相変わらずイェラナイフが立ちふさがっている。
「どいてくれないかしら」
「まあそう急ぐな、〈一つ穴の兄弟〉よ。
俺たちが仲間を一人で戦いに行かせるほど薄情だと思ったか?
準備を整えるから少しだけ待て。共に戦ってやろうじゃないか」
そういってイェラナイフは不敵に笑う。
私は笑えなかった。
顔を背けようとしたけれど、どちらを向いてもドワーフたちが私に笑顔を向けているから仕方なく自分のつま先に視線と落とした。
声が震えないよう、慎重に口を開く。
「いらないわ」
「遠慮はするな。我々にも理由があってのことだからな」
「どんな理由があるっていうのよ」
「ホルニアとやらはすでにお前たちと和議を結んでいたというじゃないか。
それを一方的に破るような奴らと、誠実な取引ができるとは思えん。
なにより、『この森に住むことを許し、保護してやろう』という言い分が気に入らん。
誰のものでもなかったのなら、この森はすでに俺のものだ。
勝手に軍勢を通そうというのなら、それ相応の報いを与えてやらねばならん」
なんか、いきなりとんでもないことを言い出した。
「無茶苦茶よ!
どうしてこの森が貴方のものになるっていうの?」
「根拠ならほれ、この通り」
そういって彼は懐から一枚の羊皮紙を取り出した。
「ここにこう書いてある。
『偉大なる山の下の民の守護者、精緻なる彫刻の名人、〈はがね山〉の王にして領主たるイェッテレルカ十三世の名において、以下の勅命を発す。
一つ、イェラナイフは地龍を追い、これを討伐して先王および無辜の民、そして勇敢なる戦士たちの仇を討つべし。
一つ、この任を果たした暁には、その功に報いて〈父祖の地の遺跡〉及びそこに付随する諸地の領主と認める』
つまり、ここが俺の領地であることは我らが王がお認めになっているのだ」
とんでもない理屈だ。
まだ討伐には成功してないだろうなんてのは些細な問題に過ぎない。
「あなた達の王様が一方的に宣言してるだけじゃない!」
「お前らの王の一方的な宣言と何が違うというのだ」
「れ、歴史とかそういうのがあるでしょう!」
「ここは確かに我らの王国、その首府だったのだ。
地上人どもがこの地にやってくるよりもはるか昔からな。
我々は戻ってきたに過ぎん。
歴史を持ち出すのであれば、我らこそがこの森の正当な所有者だ。
他に言うことはあるか?」
あ、あれ?
おかしい、彼の言っていることが正しいような気がしてきた。
もちろんそんなわけはないんだけど、あれ?
「ホルニア王は我らを支配下に置きたいようだが、断じて受け入れられん。
この森は我らのものだ。
さて、マノア王はどう判断するのだろうな?
我らの独立を認め、同盟者として共に盾を連ねてくれればいいのだが」
お兄様ならどうするだろうか。
もちろん、わかりきっている。
お兄様は敵よりも、友を増やすことを選ぶはずだ。
「お兄様……いえ、マノア王は貴方達の主張をお認めになるでしょう。
ただし、この森がもたらす恵みは、付近の村々の生活に欠かせないもの。
ある程度は出入りできるようにしていただけるとありがたいのだけど」
「よろしい。まあ詳細な条件はまた追って詰めるとしよう。
しかし、本当にお前の兄上は同盟を認めてくれるんだろうな?」
「大丈夫。この点は私の首にかけて保証するわ」
「お前の首なんぞ要らん。
まあいい。そうなったらまた戦うまでだ。
地上人どもに我々がか弱い小人などではないと思い知らせてやる」
最初は私を気遣ってこんなことを言っているのかと思ったけれど、どうやらイェラナイフは本気でこの森を獲るつもりらしい。
「それはいいけれど、勝ち目はあるの?
意地のために命を張るなんて馬鹿げてるわ」
「お前がそれを言うのか」
なぜかイェラナイフが呆れた顔をしている。
全然違うと思うのだけれど。
「まあいい。お前さんと違って、もちろん勝ち目があって言っている」
本当かしら?
私が疑念に満ちた目を向けると、イェルフが横から口を挟んできた。
「安心しろ。そこにいるのは〈はがね山〉一の野戦指揮官。
エルフの森を焼き払うこと三度。寡勢を率いてゴブリンの大群を蹴散らすことは数知れず。
常勝無敗の無敵将軍、〈間違い種〉のイェラナイフとはこいつのことだ。
大岩盤の中にいると思って任せておけ」
そうは言っても酔っ払いの言うことだ。
どこまで本当のことなのやら。
そう思いながらイェラナイフに視線を戻すと、なぜか彼は何とも言えない嫌そうな顔をしている。
その表情のままむっつりと私に向かって憎まれ口を叩いた。
「素直に喜べ。
お前は嘘が下手なんだから、表情を取り繕おうなんて無駄なことはするな」
*
ホルニアの王子カリウスの乗馬は、名を〈白百合号〉という。
青い目を持つ希少な白馬で、配下の領主から献納されたものだ。
なんでも、領主の厩舎にたまたま生まれたという話だった。
名づけも件の領主によるもので、曰く『かの森の魔女をこの白馬のごとく乗りこなせる日を願って』とのことであった。
彼自身はそのような下卑た冗談に虫唾が走る質ではあったが、その場で何か言って父から預かっている配下の面目を潰すような真似をあえてすることもなかった。
どのような経緯があるにせよ馬に罪はなく、また軍馬としての気質も申し分なかったのでそのまま乗馬として用いている。
その愛馬と共に、カリウスは遠く広がる黒い森を憂鬱な思いで見つめていた。
この森にはいい思い出が何一つない。
なにしろ、幾度も兵とともに攻め込んでは、その都度さんざんな目にあってきている。
陽の光の届かぬ薄暗い森。森を操る魔女。年端もいかぬ妹を戦に用いるマノア王。騎士にふさわしからぬ陰鬱な命のやり取り。
この森にまつわる何もかもが気に入らなかった。
それに加えて、此度の戦である。
カリウスは太陽の信徒として、また騎士として常に正しくありたいと願い、その様に振舞ってきた。
だが此度の戦はどうか?
彼の見るところ、この戦には正義が欠片もなかった。
元はといえば、カリウスは和議を結ぶことに反対していたのだ。
熱心な太陽の信徒である彼にとって、魔女を王女として擁するマノアは宿敵であり、決して相容れぬ隣人だ。
しかし、彼の父であるホルニア王はそうは考えなかった。
そもそも、この森自体が偉大なるホルニアにとってはさほど重要な場所ではなかった。
王家にしてみれば、これまでの戦も傘下の領主の要請を受けての小競り合いに過ぎない。
多少の面子は絡むが、それだけのことである。
北の蛮族からの攻撃が激しくなるにつれ、もはや森から得られる利益よりマノアと敵対を続けるデメリットの方が遥かに大きくなっていた。
大事なのは、この国にとっての利を最大化することだ。
それは守るべき民のためであり、正義にもつながる。
父王は彼にそのように説いた。
理屈はわかる。だからカリウスは渋々とであるが和議を受け入れた。
しかし、この森にドワーフたちが現れたことにより情勢は一変した。
ドワーフとの交易がもたらす利益は計り知れないものがある。
北への遠征の準備中にこの報せを受けたホルニア王は即座に和議破りを決意した。
のみならず、その背信行為を確実なものとするため〈茨の魔女〉に暗殺者――あの忌まわしい〈影の教団〉の者達――を送り付けさえしたのだ。
その上で、彼の父はさらなる過酷な命令をカリウスに下した。
『余は軍の主力を率いて北上し、マノア軍と素知らぬ顔で合流する。
お前は軍の一部と共に南に残り、〈茨の魔女〉の暗殺が成り次第、森を抜けてマノアを攻めよ。
かの〈浮遊城〉に潜む協力者が暗殺の成否を知らせてくれる手はずになっておる。
余も時を同じくしてマノア軍を攻撃しよう。
なに、いかにマノア王が戦上手といえど、油断もあれば数の利もある。
我らの勝利は揺らぐまい』
つまりは、彼に和議破りの先鋒、その一翼を務めろというのである。
善き騎士たらんとするカリウスにとり、これは耐え難い命令であった。
彼は伏して父に翻意を願ったがホルニア王の決意は固かった。
『すでに刺客は放たれておる。
一刻の猶予もならぬのだ。直ちに進軍の準備を始めよ』
何をいまさらと憤りもした。こうも易々と裏切るのなら最初から和議など結ぶべきではなかったのだ。
だが太陽の教えはその信徒に対し、父たる者には孝を尽くし、主君たる者には忠を尽くすべしと説いている。
よって、父であり王でもある者の言うことであれば、彼は逆らうことができなかった。
かくして彼は軍勢を率いて再び〈闇夜の森〉と相まみえた。
かの邪悪な〈茨の魔女〉はもういない。
もはやこの森に彼の軍勢を阻むものはなく、容易に踏破できるはずだ。
にもかかわらず、彼の愛馬の足取りは重い。
まるで魔女の亡霊を恐れているかのようだった。
*
カリウスが配下の軍勢と共に森の中に足を踏み入れて半日。
〈闇夜の森〉は不気味なほどに平和だった。
彼の隣で馬を進めていた太り気味の騎士がへりくだった笑みを浮かべながら話しかけてきた。
「これはどうやら、〈茨の魔女〉めが死んだというのは本当だったようですな」
カリウスは男に不機嫌な視線を向けた。
この騎士は森の周辺にリモチグを含むいくつかの村を領地として持っている。
この白馬の贈り主であり、またドワーフ達の到来を国王の耳に入れた男でもある。
強欲にして小心、そして決して誠実とは言えない人柄の持ち主だ。
もしこの男がもう少し大胆、あるいは短慮であったなら、とカリウスは思った。
もしそうであれば、この男はドワーフ達について国王に報告などせず、交易の利益を独占しようとしたに違いない。
いずれ露見したには違いなかろうが、少なくともこのような形で和議破りをせずには済んだはずだ。
そうした思いを押し殺して、努めて平静を装いながら口を開く。
しかしその試みは失敗し、少しばかり棘のある声が出てしまった。
「油断が過ぎるぞ。
まだ奴らが気づいていないだけだ」
実際、過去の戦においても戦闘が始まるのはいつも森の半ばを過ぎてからだった。
「はっ、いかにもその通りでした……」
男はカリウスの内心を悟ったのかそれきり口をつぐむと、さりげなく馬の歩みを緩めてカリウスから距離をとった。
元が小心なだけに、男はすっかり委縮してしまっているように見えた。
一人の老騎士が、王子の傍によってきて小声で囁いた。
「殿下、今のは少しばかり八つ当たりが過ぎますぞ」
この老騎士は、父王につけられたお目付け役である。
今は王子を守る近侍騎士達のまとめ役を任せている。
「うむ、分かっている」
カリウスはこの老騎士を幼い頃から剣の師として、また良き相談相手として頼りにしてもいたから、その諫言に素直にうなずいた。
あの男がドワーフについて報告したのは、ホルニア王に忠誠を誓うものとしては決して間違った対応ではないのだから、それについて腹を立てるほうが間違っているのだ。
(あの男には、後でなんぞ気配りをせねばな)
そのように考えながら内心でため息をつき、手綱を握りなおしたところで前方から伝令が一人駆け戻ってきた。
「どうした?」
「ドワーフです!
ドワーフ達が姿を現しました!」
この戦の、もう一つの元凶である。
たしか父が村人を通じて事前に書簡を送っていたはずだ。
おそらくはその返答のために我々を待っていたのだろう。
「なるほど。それで、我らからの提案について何か言っていたか?」
「いえ、何も。
ただ、道に立ち塞がって『この軍勢の大将に会わせろ』と」
ドワーフについては物語や旅人の噂に聞くばかりである。
だが、いずれにおいても彼らは誇り高い偏屈者揃いとされていることが多い。
大事な交易相手でもあるのだから、できる限りの礼を尽くしておくべきだろう。
「彼らに対し、無礼な態度はとっておるまいな?」
「はい、それはもちろん」
「ならばよい。すぐに向かおう。
行くぞ!」
カリウスは近侍騎士たちに声をかけると、馬を駆けさせた。
森を貫く貧相な街道に列をなす兵士たちを追い越し、前へ前へと急ぐ。
軍勢の先頭に彼らはいた。
報告の通り、武装した小人たちが道に立ち塞がっていた。
最前面にいるのは、板金鎧で一分の隙も無く武装した三人の戦士だ。
おそらく得物は斧であろう。それぞれに大きな丸盾を構えて壁をなしている。
壁の両端、一歩下がった位置には槍を持った兵が二人。側面を防護する役割なのだろう。
特に右端の、赤い宝石の嵌った槍を持つドワーフは他よりひときわ油断のならない雰囲気を放っている。
それらに防護されるようにして大型の弩が簡易な台座に備え付けられ、鋭い目をした男があたりに睨みを利かせていた。
すでに矢はつがえられている。
あのサイズであれば、騎士の鎧であっても盾ごと、ことによったら馬の体越しにも貫通されかねない。
その足元にはひときわ小柄なドワーフが一人、うずくまっていた。
見たところ他と比べて貧弱な体つきだが、この状況にもかかわらず不敵な笑みを浮かべている。
いずれ劣らぬ剛の者であるのは間違いない。
それでもたった七人である。
たった七人が、断固たる決意で軍勢の行く手を阻んでいた。
それを見たカリウスはたちまち彼らに好感を抱いた。
圧倒的な大軍を前にしてなお、木の葉の先ほども揺らがぬその姿は武人の理想であった。
カリウスは彼らの勇気に敬意を示すべく馬を降り、兜を脱いで小脇に抱えて彼らの前に歩み寄った。
そして片膝をつき、頭をたれながら名乗る。
「私は、ホルニア王メニスタスが三男、カリウスと申す者。
貴殿らの、小なりといえどなお巌のごときその立ち姿、まことに感服いたしました。
ご迷惑でなければ、どうかご尊名を私めに教えてはいただけないでしょうか?」
列の左端にいた、ドワーフたちの中では頭一つ背の高い戦士が前に進み出てきた。
その具足には細部に至るまで精緻な装飾が施されており、一行の中でも一際高い身分にあることが察せられる。
「地上の王の息子よ、どうかお顔をあげていただきたい。
我は先の〈はがね山〉の王、イェッテレルカ十二世が庶子、〈間違い種〉のイェラナイフ。
先の書簡の返答を伝えるべく、貴殿らの前にまかり参った。
この軍勢を率いるは、貴殿で間違いござらぬか」
「いかにも、私が父王よりその役を仰せつかっております。
して、我らの提案にいかに答えていただけましょうや?」
これに対しドワーフはついと胸をそらすと、王子に向けて尊大に言い放った。
「貴国からの保護など無用。そもそもこの森は我らが領地である。
何人たりとも、我らの許可なくこの森に足を踏み入れることまかりならぬ。
貴殿らもこのことは今日初めて知ったであろうから、此度の事は特別に咎めだてはせぬ。
即刻兵をまとめて引き返すがよかろう」
予想外の答えにカリウスの思考が止まった。
一体彼らは何と言ったのか?
背の高いドワーフが怪訝な顔をしてカリウスを見つめていた。
「どうした?」
そう問われて、ようやくカリウスは我を取り戻す。
「し、失礼いたしました。
申し訳ありませんが、今一度、ご返答をお聞かせ願いたく」
「何度も言わせるな。
この森は我々の領地だ。
今日のところは見逃してやるから、兵士どもを連れて早急に出ていけ」
「馬鹿な! この森は古来より我々のものだ!
何を根拠にこの地の所有を主張なさるのか!」
「古来だと?
それが百年か五百年かは知らないが、それがどうしたというのだ。
今より千年の昔、この地には我らの王国があり、森の奥にはその首府があった。
それがどうだ。我々が久方ぶりに戻ってみれば、不法侵入者どもが主の不在をいいことに好き勝手しているではないか。
あげくに、本来の主に対し『この地に住む許可と保護を与える』などと抜かそうとは!
恥を知れ、この盗人め!」
「言わせておけば!」
脇に控えていた老騎士がそう叫んで柄に手を伸ばすのを、カリウスは慌てて押しとどめた。
老騎士が、王子に目配せをする。カリウスはそれにうなずき返した。
どうやらこれは芝居であったらしい。
危ういところだった、とカリウスは冷や汗をかく。
老騎士が叫び声をあげたおかげで、かえって冷静さを取り戻すことができた。
裏切り者の汚名を受けてまでここへ来たのはいったい何のためか?
彼らと事を構えてはすべてが無に帰してしまう。
一呼吸おいて、カリウスは再びドワーフと向かい合った。
「では、この場ではただ互いの友好を確認しあうにとどめることにいたしましょう。
この地の領有問題については後日話し合うということでいかがか。
この場での確約はできませんが、おそらく前向きな回答を用意できるでしょう」
父ならば、森そのものには頓着しないだろう。
むしろそれと引き換えに様々な譲歩を引き出すことを選ぶはずだ。
交易の独占とて森向こうのマノアさえ滅ぼせばどうとでもなる。
今は致命的な衝突を避けつつ、この場から引いてもらえさえすればよい。
だが、ドワーフの長の態度は頑なだった。
「ならん。
交渉の場に大勢の兵を威圧するがごとく引き連れてくるような者を、誰が信用できようか。
どうしてもというのなら一度兵を引き、ご自身が身一つで我らのもとを訪れるがいい。
その時は我ら一同、客人として貴殿を大いに歓迎いたそう」
ドワーフの主張はもっともであるが、しかしそれは適わぬことだった。
北では父の率いるホルニア軍主力が今にもマノア王に襲い掛かろうとしているはずだ。
当然、攻撃を受けたマノア軍は国元へ向けて急使を送り出すだろう。
ここで兵を引けば、マノア本国への奇襲が成り立たなくなってしまう。
最終的な勝利は揺るがぬにせよ、余計な損害を被ることになる。
「それは誤解にございます。
この軍勢は貴殿らを攻めるためのものではございません。
この森の先に住む、魔女を奉じる邪教徒どもを討つための兵にございます。
どうか、我らの通過だけでもお許しをいただき――」
突然、ドワーフの口元が皮肉げに歪んだ。
「なるほど、隣国との約定を反故にするついでに、
我らとの約束を取り付けに来たというわけだ」
その一言にカリウスの心臓が跳ねた。
心のひどく痛む部分を突かれ、胸の内がかき乱される。
「な、なぜそれを……!」
同時に頭の隅のかろうじて冷静な部分が、何かがおかしいと告げていた。
このドワーフ達はどこまでこの地の情勢を把握している?
いや、誰がこれを彼らに吹き込んだ?
混乱し、とっさの言葉を出せずにいた彼の頭上から馴染みのある、透き通るような声が降ってきた。
それはもう二度と、聞くことは叶わぬと思っていたあの声だった。
「貴方達の悪事はこの私が全てお見通しよ!」
「誰だ!」
思わずそう叫んだが、答えなど聞くまでもない
見上げた樹上、太い木の枝の上から白い影がこちらを見下ろしていた。
影が枝から飛び降りると、地面の草がふわりと受け止めた。
「〈茨の魔女〉……!」
今、自分はどんな顔をしているのだろうかという思いがカリウスの脳裏をよぎった。
歓喜ではないはずだ。多分。
「どうしたの? 幽霊でも見たような顔をして」
「貴様は死んだのではなかったか!」
「え? 死んでなんかいないわよ」
〈茨の魔女〉が酷く不思議そうな顔で首をかしげる。
「た、謀られたか……!」
「何言ってるのよ。謀ったのはそちらでしょう。
おとなしく兵を引きなさい。今なら何も見なかったことにしてあげる」
なるほど、この物言いは確かにあの〈茨の魔女〉に間違いない。
〈森の食人鬼〉、〈白い悪魔〉、〈マノアの淫婦〉、数多の悪名をほしいままにする我らの宿敵は生きていたのだ。
彼の胸の内に、再び炎が宿った。
カリウスは闘争心を見せつけるかのようにぐっと口端を持ち上げ、犬歯をむき出しにする。
「そうはいくか!
邪悪な魔女め、今日こそ貴様を仕留めてくれる!」
「交渉は決裂ね。それじゃあ、戦争を始めましょうか」
魔女が笑みを浮かべた。
「騎士は前に出ろ! 殿下を守れ!」
王子のすぐそばに控えていた老騎士が近侍騎士たちに叫ぶ。
号令を受けて、周囲の騎士たちが一斉に抜刀した直後、幾本もの瘤付きの枝が野太いうなりをあげて飛来し、次々と彼らを吹き飛ばした。
同時に、カリウス達を取り囲むように十二体もの石の巨人が立ち上がり、王子を守ろうと駆けだした兵士をなぎ倒してゆく。
「勝ち目はないわよ、カリウス。
もう一度言うわ。おとなしく兵を引きなさい」
カリウスはしかし、石巨人を目にしても恐れる様子を見せることなく剣を抜き放った。
「戦いもせずに尻尾を巻いて逃げるなど、できるものか!」
「そう言うだろうと思ったわ。
なら決闘で決めるのはいかが?
貴方と私の一騎打ちよ。
それならば兵は傷つかずに済むわ」
「で、殿下! お待ちください!
魔女の挑発に――」
初撃の樹木ハンマーを伏せて躱していた老騎士が、王子に縋り付いて止めようとしたところでボゴンと鈍い音と共に吹き飛ばされた。
魔女の仕業だ。
「私と貴方、負けた方がこの森から撤退する。
彼らとの交渉は私に勝ってから好きになさい。
それでどう?」
「承知した。我が神と剣にかけて」
「父の名にかけて」
双方が条件を承認し、決闘が成立した。
先ほど吹き飛ばされた老騎士が、よろよろと起き上がりながらそのことを確認して頭を抱える。
「ああ、また殿下の悪い癖が……」
*
「なに、簡単な話だ」
話は少し遡って、あの晩のことだ。
どうやってホルニア軍をやっつけるかの作戦会議の席上で、イェラナイフは自信満々に言ったものだった。
「我々にはケィルフがいる。
人間の軍勢ごとき、巨大な石人形を突っ込ませてやればそれで片が付く。
むろん、石人形も無敵じゃない。
巨石人形ともなれば稼働時間は短いし、同時に動かせる数も限度がある。
だが、初見の連中にあれへの知識や対策なんぞあるはずもない。
一気に敵中枢まで突進して指揮官を踏み潰してやれば、雑兵どもはあっという間に潰走するさ」
「却下よ」
私は彼の申し出を丁重に辞退した。
「あまり人死にを出したくないの。
特に、指揮官級の大物貴族に死なれるのは困るわ」
イェラナイフが怪訝な顔をした。
「どういうことだ?」
首をかしげる彼に私は説明した。
「マノアとホルニアじゃ国としての体力に圧倒的な差があるの。
本気を出させたら、いずれ私たちは磨り潰されてしまう。
たとえ貴方達がいたとしてもね。
だから、できるだけ早く講和に持ち込みたいの。
でも大物貴族や王族を殺してしまえばそれも難しくなるわ」
「なるほど。理屈はわかった」
イェラナイフがそう言いながらもひどく驚いた様子なのが気にかかった。
私は何かおかしなことを言っただろうか?
「どうしたの?」
「あ、ああ。
少し意外に思っただけだ」
「意外? なにが?」
「お前さんが、思っていたよりまっとうな王族の考え方をしていたもんでな。それで」
ひどく失礼なことを言われているような気がするけど、今はそれを脇に置いておくことにしよう。
彼の言うことも半分は当たっている。
これはお兄様の受け売りで、私の考えた事ではないのだ。
「それでどう?
できるかしら?」
「石人形にやらせるわけにはいかなくなったな。
複数体の石人形にそんな細かい制御をきかせるのは無理だ。
他の手段が必要だろう。
だがまあ、不可能とは言わんよ。
言わないが難易度は上がるしリスクも増える」
頼もしい答えだ。
「じゃあ、一つ案があるの」
「ほう」
「決闘よ」
イェラナイフが眉間に皺を寄せた。
「説明を求める」
「敵の指揮官は、おそらく第三王子のカリウスよ」
彼は巨大なホルニア王国の東部国境地帯の貴族たちのまとめ役を任されている。
これまでの〈闇夜の森〉への侵攻は大概彼ら東部諸侯の要請によるもので、当然の流れとしてその総大将にはカリウスが据えられていた。
今回の侵攻部隊だって、森での戦いに慣れた東部諸侯の軍勢が割り当てられているだろう。
とすれば、指揮官だっていつも通りカリウスが配されているに違いない。
「ふむ。それでそいつが指揮官だとどうなるんだ?」
「あいつは太陽教の熱心な信徒で、その上、騎士道かぶれよ。
私から決闘を挑まれたら絶対に断らないし、それに関しての約束も必ず守る」
「本当か?」
「ええ、ホルニア王は信用できないけれど、あいつは大丈夫。
決闘に関しては、だけどね。
そして、私はあいつとの決闘に負けたことがない。
決闘にさえ持ち込めれば私たちの勝ちよ。
余計な犠牲を出すこともなく、確実に奴らを追い払えるわ」
まあ少なくとも、これまではそうだった。
ここ最近の森での戦いは、私を王子の前に送り込めるか否かで勝敗が決まっていたといっても過言じゃない。
「決闘は構わんが、どうしてもお前が出ないとダメか?
イェルフの方が確実だと思うが」
イェルフは〈はがね山〉でも五本の指に入る戦士だったという。
イェラナイフにしてみれば当然の疑問だろう。
「彼の腕前を疑うわけじゃないけれど、私が出た方が確実でしょうね。
ホルニアの目的はあなた達だから、さすがのカリウスも戦いは避けようとするはずよ。
決闘を断られる可能性がある。
でも私は魔女だから。
カリウスの信じる神様は、邪悪な魔女は必ず討つべしと教えているわ。
だから、私から戦いを挑まれればあいつは必ず応じる」
「なるほど。では残る問題はどうやって決闘に持ち込むかだけ、というわけか」
「そうよ。
ホルニアの連中もバカではないから、王子の周辺は当然厳重に固めている。
できれば、周りにいる側近たちも排除したいわね。
彼らはカリウスが決闘をしようとすると全力で止めに入ってくるから。
何とかならないかしら?」
私がそういうと、イェラナイフはいつもの人の悪い笑みを浮かべた。
「それなら話は簡単だ。
俺達が道を塞いで、大将に用があると呼び出してやればいい。
奴らの目的は俺達との交易なのだから否とは言うまい。
それで、奴を軍勢の中心から最先頭、まさに目の前に引っ張り出せる。
あとは石人形を使って周りの連中を弾き飛ばしてやれば出来上がりだ。
乱戦中ならともかく、不意打ちで標的がはっきりとわかっているならそれぐらい何とかなる」
こうして方針は決まった。
待ち伏せに最適な場所を選定し、樹木ハンマーと石人形のための岩を配置した。
普段であれば目立って罠には使いづらい樹木ハンマーだけど、ディケルフの手にかかれば何の違和感もなく森に溶け込んでしまう。
それから万が一私達が負けた場合に備えてマノア側の村に顔を出し、城への使いを出させた。
あえて狼煙を使わなかったのは、ホルニア側に煙を見られて警戒されないためだ。
そして、現在。
全ては計画通りに進んだ。
決闘が始まる。
*
大きな石人形が私たち二人をぐるりと取り囲んで、即席の闘技場を作り上げた。
その円陣の向こう側では、ホルニア兵たちがおっかなびっくり武器を構えて遠巻きに石人形たちを取り囲んでいる。
ドワーフ達も今は背後にいて様子はわからないが、同じように外から見守ってくれているはずだ。
私は円陣の内側に生えていたツタ草に魔力を送り込んで制御下に置いた。
「それじゃあ、準備はいいかしら?」
「来い!」
カリウスが、盾の背後に身を隠すように構えながら叫び返してきた。
おかしい。いつもと様子が違う。
もちろん、戦いに臆すような男では元からないけれど、今日はいつも以上に自信満々だ。
なにか奥の手を隠し持っているらしい。
性格的に卑怯な策略の類ではないはずだけど、それでは一体何なのかと聞かれるとさっぱりわからない。
まあいい。こういう時は先手を取っていくしかない。
いつものように彼を絡め捕るべく、私は制御下にあるツタをカリウスに向けてまっすぐに伸ばした。
それを迎え撃つべくカリウスが動く。
手にした剣が木漏れ日を弾いて光の軌跡を描く。
でも無駄だ。私のツタは普通の剣では斬れない。
その時、ドケナフが背後で叫んだ。
「気をつけろ、嬢ちゃん!
その剣は霊鋼で出来ている!」
えっ? と思う間もなく、彼に向けて伸ばしていたツタが斬り払われた。
カリウスがまっすぐにこちらへ突っ込んでくる。
マズイ。
とっさに彼の足元の草を操り、小さな輪を作る。
敵もさるもの。幾度もの決闘で使い古した手に引っかかるはずもなく、ひょいと躱された。
しかしそれによってわずかにバランスを崩したのに合わせ、私は体をひねる。
カリウスの剣はそれに追随できず、私はかろうじて剣先をかわした。
カリウスが振り返るよりも先に、さっきとは違うツタを私自身の体に絡ませ、一気に引く。
ひとまず距離をとれたので一息つく。
カリウスが自慢げにこちらを剣で指しながら言う。
「驚いたか!
これぞドワーフの宝剣よ!
貴様の魔法に対抗するために手に入れたのだ!」
かわいそうに。そんなものを買ったらいかに大国ホルニアの王子といえどしばらくは借金まみれだろう。
下手したら一生利息をむしられ続けるんじゃないかしら?
とはいえ腹立たしい話だ。偽物を掴まされていればよかったのに。
隠していた樹木ハンマーを起動。だけど、カリウスは持ち前の反射神経でハンマーを切り裂き、無効化する。
元来、弱い男ではない。
『剣聖、剣を選ばず』とは言うけれど、それは常識的な範囲の話だ。
文字通りに何でも斬れる剣となれば話はまったく変わってくる。
私は円陣の外に新たなツタを伸ばし、そこらに転がっていた騎士達から剣を奪う。
都合四本。私が同時に複雑な操作ができる上限だ。
これより増えるとツタと頭がこんがらがってしまう。
それをカリウスの前後左右に展開させ、同時に襲わせる。
だけど彼は右側のツタを素早く斬り払うと同時に、盾に身を隠しながら左に飛んだ。
その勢いで剣を弾き飛ばすと、クルリと身をひるがえして残る二本の剣を薙ぎ払った。
それなりに上等な鋼でできていたはずの騎士の剣の刃が、ドワーフの宝剣にあっさりと斬り飛ばされた。
先端を切り飛ばされたツタを動かして落ちた剣を拾わせようとしたが反応がない。
どうやらあの剣に斬られたツタは動かせなくなってしまうらしい。実に厄介。
目くらましに柄だけになった剣を投げつつ、私は新たなツタに魔力を吹き込で上空に退避。
そうして上に視線を引き付けて、再度樹木ハンマーで奇襲。その隙に着地。
下に降りたのはいつまでも上にいると決闘が成立しなくなってしまうからだ。
カリウスはこともなげにハンマーを躱すと、再びこちらに突進してきた。
マズイ。
彼の視界に入らないよう自分の背後からツタを伸ばし、タイミングを合わせて体を後ろに引っ張る。
振りぬかれた切っ先をかろうじて回避。
それを見たカリウスがやるじゃないかと言いたげに口元をゆがめた。
早くもネタが割れてしまったらしい。もう同じ手は通用しないだろう。
カリウスが盾を構えながら再度距離を詰めてくる。
彼を絡め捕ろうと四方八方からツタを伸ばすがことごとく躱され、弾かれ、刈り取られていく。
相応しい武器を手にした途端、こうも厄介になるなんて。
それらに混ぜてもう一発樹木ハンマーをぶつけてみたが、それも切り裂かれた。
カリウスの突進は止まらず、とうとう剣の間合いに入る。
万事休す。
だが彼は剣ではなく、体当たりをするように盾でもってこちらを殴りつけてきた。
彼自身の体重に甲冑を加えた質量が突進の勢いそのままに乗った一撃を食らって私は吹き飛ばされた。
地面に背中を打ち付けて、そのまま体が跳ねる。
周囲で歓声が上がった。
背に受けた衝撃のせいかうまく呼吸ができない。
視界もかすんでいる。
それでも、このままこうしていれば死は確実だ。
どうにか上半身を起こし、周囲を確認。
カリウスはすでに目の前にいた。
油断なくこちらに切っ先を向けて身構えている。
「何のつもりよ」
殺そうと思えば、殺せたはずだ。
私があいつの立場ならそうする。私と違って、あいつにはこちらを生かしておく理由はない。
カリウスは剣を構えたまま口を開いた。
「魔女よ。降服するがいい」
こいつは一体何を言っているんだろうか?
「降服してどうなるっていうのよ。
どうせ魔女は火あぶりでしょう」
「一度だけ、見逃してやる。
負けを認めてこの森から立ち去れ」
「どういう風の吹き回し?
魔女は貴方達の不倶戴天の敵じゃなかったかしら?」
「いかにも貴様らは我らが神の敵だ。
太陽の信徒として、貴様を生かしておくことはできない。
だが――」
カリウスはそこで言葉を区切り、ひどく辛そうに顔を歪めた。
どうやら彼なりに何かの葛藤があるらしい。
「だが、騎士としての俺はお前に恩義がある。
お前は俺を殺せる立場にあり、そうすべきであったにもかかわらず、俺に慈悲をかけた。
ならば俺も、せめて一度はそうするべきだろう」
貴方を生かしたのは、それがこちらにとって一番都合が良かったからだ、と言いかけたがどうにかそれを飲み込んだ。
カリウスは見当違いの相手に感謝している。
彼が本当に感謝すべきはお兄様だろう。
「恩に感じるというのなら、このバカげた戦をやめて今すぐ国に帰りなさいな」
カリウスの顔が再び歪んだ。
今にも泣きだしそうだった。
まったくこれだから。
これだからこいつのことは完全には嫌いになれないのだ。
「そうはいかん。俺は務めを果たさねばならんのだ。
マノアは滅びる。ならばその決着は俺がつける」
「そう……」
私は、カリウスを刺激しないようにゆっくりと立ち上がった。
宝剣の剣先は、油断なく私の心臓に向けられている。
「さあ、わかったのならさっさと立ち去れ。
見逃すのは一度だけだ。
二度と俺と出会わぬよう、できるだけ遠くにいくがいい」
「ありがとう。お気遣い感謝するわ。
その前に、一言だけいいかしら?」
数歩下がって剣の間合いから抜け出すと、私はできるだけ可憐な笑みを浮かべて見せた。
「聞こう」
王子がうなずくのを確認して、私はゆっくりと口を開いた――
*
ナハマンは鏡を通して様々なモノを見ることができる〈鏡の魔女〉である。
彼女がその力を知覚したのはやや遅く、十二を少し過ぎた頃のことだった。
彼女は生まれた時から目が見えなかったが、ふとしたことから自身の持つ力に気づいたのだった。
ナハマンは、オアシスを中心とした小さな国の生まれである。
父は部族を束ねる王であり、王とは神の代理人であり祭祀を司る神官でもあった。
娘に不思議な力があることを知らされた王は渋い顔をして、それから箝口令を敷いた。
ナハマンの祖国においても、魔法の使い手は社会とは一歩距離を置く存在であったからだ。
だが、彼女の能力がさまざまに応用可能であることが分かってくると、王は考えを改めた。
彼は娘に備わっている不可思議な力を、配下の者たちの秘密を暴くために使うことを思いついたのだった。
そして彼は贈り物と称して方々に鏡をばらまいた。
情報は力である。
だが彼女の父、ボルレアケ族の王ボルレは愚物であった。
少なくともこのような力を正しく扱える器ではなかった。
誰もが大なり小なり秘密を抱えている。
ちょっとした失敗のごまかし、ささやかな横領、抑圧された鬱憤、あるいは破廉恥な趣味……。
些細な罪にも、王は気軽に鞭を、そして時には刃を振るった。
彼は良かれと思ってそうしたのだった。
あらゆる罪が必ず暴かれ、罰せられるのであれば、だれも罪を犯そうとは思わなくなるだろう、と。
だが、人々の心は一向に改まらなかった。
それどころか漏れるはずのない秘密が次々と白日の下にさらされるにつれ、人々は疑心暗鬼に陥り、その心は少しずつ荒んでいった。
秘密の出所が皆の知るところとなるまでそう長い時はかからなかった。
タネが割れれば対抗するに雑作もない力である。
ただ、部屋の鏡に布を被せるだけで済む。
かくして愚かな王はその力を失い、後には怨みだけが残った。
人々は再び自由に秘密を持つことができるようになったが、それは最早、かつての様なささやかなモノではなくなっていた。
そこからの顛末は語るまでもない。
祭殿に多くの血が流れ、禅譲の儀が執り行われた。
その儀式は、先王の心臓を神に捧げることで完成する。
王族のほとんどが殺される中、唯一人、ナハマンだけが残された。
彼女の祖国において魔女は人の理の外にある存在であり、またそれを殺せばその者に呪いが降りかかると信じられていたからだった。
彼女は全ての持ち物を取り上げられて、地下牢に閉じ込められた。
当然、魔法の力の媒体となる鏡等与えられるはずもない。
長年慣れ親しんでいたはずの闇の世界も、一度光を知った後では心身に堪えた。
そんなナハマンの唯一の支えとなったのがファラだった。
代々王家の傍に仕えていた彼女の一族もまた、この度の反乱で多くが殺されていた。
彼女は穢らわしい魔女の世話を押し付けるため生かされていたのだった。
後は二人してこの地下牢で朽ち果てるばかり。
そんな絶望的な日々に一条の光が差した。
遥か北の国から使者がやってきたのである。
曰く「この国にいるという高貴な血筋の魔女に、我が国への輿入れを願いに来た」とのことだった。
ナハマンを殺すこともできず持て余していたこの国の新たな支配者達はこの提案を受けるか否かで紛糾したが、紆余曲折の後、彼女の輿入れが決まった。
ナハマン本人はもちろん、その子孫に至るまでこの地に足を踏み入れぬという条件付きの、事実上の追放だった。
その後も様々な苦労はあったものの、あの暗闇の日々に比べればどうということはなかった。
*
このところ、王妃は一日の大半を鏡を覗き込みながら過ごしている。
〈鏡の魔女〉たる彼女は、鏡を通じて遠征中の夫と連絡を取ることができたから、彼女の義妹が〈長腕〉によって害された件についてその日の夜に包み隠さず報告した。
しかし、鏡に映った彼女の夫はその話を一笑に付した。
それから、手元の紙に次のように書きつけて鏡に映して見せた。
『あの狩人の兄弟とは何度かあったことがある。あれは善良な小心者だ。人など殺せぬよ』
その点はナハマン自身がよく承知している。
だからこそ彼らに連れ戻しを依頼したのだ。
依頼にあたっては、必ず無傷で連れ戻すようにとファラに念を押させてもいる。
しかし、どんなことにも絶対などはありはしない。
ナハマンの不安そうな様子をみて夫は続けた。
『安心しろ、妹はまだ生きている。
それにしても今回はまた大胆ないたずらを仕掛けてきたものだな。
あまり真に受けていると、戻ってきたあいつに笑われてしまうぞ』
それからこうも付け加えた。
『どうしても心配だというのなら、よく森を見張っておくといい。
運が良ければ、そのうち鏡の前にも姿を現すかもしれない』
〈闇夜の森〉には、街道沿いを中心に多くの鏡が人目につかぬように設置されていた。
目的はもちろん、ホルニア軍の侵入を監視するためである。
その存在は義妹にも隠されていたから、無警戒に姿を現すことは十分にありえた。
しかし、それとて「生きていれば」の話である。
義妹の死を確信していたナハマンにとっては無意味としか思えなかったが、彼女は夫の言に従い森の監視頻度を上げた。
一縷の希望にすがる所もあったが、なにより夫の言うことは彼女にとって絶対であった。
無論、妻は夫に仕えるべき存在だから、等という話ではない。
彼女にとり、マノア王ジリノスは救い主だったからだ。
そうして、実りのない監視の日々を過ごしていたある日のこと、彼女はついに森の異変を察知した。
いつものように、自身の鏡と森を貫く街道の西端の鏡を繋げたところ、そこに大勢の兵士たちが映ったのである。
確かめるまでもない。ホルニアの軍勢だ。
恐るべき事態だった。
マノアの軍勢はその殆どが出払っている。
せいぜい、各領主たちが己の居城を守るために最低限の兵を残している程度だ。
それとて大部分は老兵や若い未熟練兵の類だろう。
無理矢理かき集めたところで、まともな戦になるかどうか。
そもそも召集が間に合うかすら怪しい。
ともかく、一刻も早く夫に事態を知らせねばならない。
そのためにもまず敵の規模を把握する必要がある。
彼女は敵軍の先頭を見定めるべく、次々と鏡を切り替え始めた。
彼女の脳裏で、森の景色が目まぐるしく移り変わっていく。
街道沿いのどの鏡にもホルニア兵の列が映っている。
その規模は千か二千か、見積もりが五千に差し掛かったところでついに鏡が軍勢の先頭をとらえた。
異常な光景であった。
人の背丈の二倍はあろうかという巨大な石人形が壁をなし、ブンブンと腕を振り回して近寄るホルニア兵を吹き飛ばしている。
その壁の向こうに、彼女はついに探し人を見出した。
ホルニアの第三王子と向かい合うその白い影こそ、白百合の姫その人であった。
夫の言う通りであった。義妹は生きていたのだ。
王子が手にした剣で、彼女の義妹に斬りつけた。
義妹は後ろに飛び退ってその剣をかわすと、ツタを伸ばして王子を絡め捕ろうとする。
だが、王子は魔法がかかっているはずのそのツタを両断してのけた。
その光景を目にして、ナハマンは震えを抑えられなかった。
またも義妹に謀られたという怒り、亡くした者が見つかった喜び、それが再び失われる恐怖。
様々な感情がごちゃ混ぜになって彼女を打ち据えた。
鏡の向こうの音のない世界で、彼女の義妹は戦い続けている。
誰から見ても、義妹の劣勢は明らかだった。
どれだけツタを伸ばしても、樹の瘤を打ち付けても、王子が手にした剣はそれらを易々と切り裂いていく。
王子があらゆる障害を切り裂きながら突進し、左手に構えた盾を義妹に叩きつけた。
義妹は弾き飛ばされて尻もちをつく。
王子が切っ先を義妹に向けたまま動きを止めた。
おそらく義妹に向けて何かを言っているのだろうが、こちらに背を向けているため口の動きは読めなかった。
義妹の口元も王子の背に隠れており、唇は読めない。
少しの間、二人はそのままで話し続けていた。
やがて義妹が、よろめきながらも立ち上がった。
それから、数歩下がって剣の間合いからぬけでる。
王子の背に隠れていた顔が、鏡に映った。
義妹は凄惨な笑みを浮かべながら口を動かす。
今度はその動きをはっきりと見ることができた。
『私の家族は誰も殺させない!
お義姉様も、かわいい坊やも、ミレアだって!
みんな私が守って見せる!』
*
啖呵を切って戦闘再開。
これでもう後には引けなくなった。
周囲に使えるツタは片手で数えられる程。事前に用意した樹木ハンマーは使い切った。
新しく作ったところで、カリウスはそんな見え見えの罠にかかるような間抜けではもちろんない。
勝算なんてない。ただの破れかぶれだ。
それでも、家族を見捨てて逃げ出すなんてありえなかった。
森から出て次の戦闘に備えたところで、森の外では私が振るえる力は大きく減る。
まして平原での野戦となれば、私の戦力なんて十人力がいいところだろう。
私が、私の力で彼らを退けられる可能性があるのは、今この場をおいて他にないのだ。
ツタの無駄遣いはできない。
カリウスの鋭い斬り込みをギリギリで躱しながら隙を窺う。
しかし、彼とてこちらの手口はよく知っている。
そう簡単に隙を見せてはくれなかった。
私は少しずつ円陣の端へと追い込まれていく。
そしていよいよ下がる場所がなくなりかけたその時。
「これを使え!」
背後からの声と共に何かが光を反射しながら闘技場の中に投げ込まれ、音もたてずに地面に突き刺さった。
とっさにそれに向けてツタを伸ばす。
こちらの意図を察したカリウスが伸ばしたツタに斬りつけてきたが、僅かにこちらが早かった。
宝剣の斬撃を躱しつつ、地面にから引き抜いた何かを手元に引き寄せる。
それはドケナフのナイフだった。
ツタを斬り損ねたカリウスが、返す刃を私目掛けて振り下ろしてくる。
ツタを操ってその軌跡にナイフを差し入れる。
火花が散り、同じ霊鋼の刃が王子の剣を受け止めた。
カリウスが驚愕の表情を浮かべて後ろに飛び退った。
チャンスだ!
一気にツタを伸ばしてカリウスを追撃する。
カリウスは盾を前に出してその突きを受け止めたが、しかしドケナフ自慢のナイフは何の抵抗もなく盾を貫き、柄まで埋まった。
私はそのままナイフを押し下げ、持ち手目掛けて斬りおろす。
その刃が持ち手に到達する前にカリウスは盾を手放し、さらに後ろに跳んだ。
距離が確保できたことでこちらは気持ちに余裕が出てきた。
対するカリウスの顔には焦りが浮かんでいる。
攻守逆転だ。
ツタを操り、カリウス目掛けて連続で突きを入れる。
鋼の鎧も易々と貫く刃を前に、カリウスは防戦一方だ。
その隙に、彼の背後で静かにもう一本のツタを這わせる。
カリウスはこちらの攻撃をさばくのに精いっぱいで、背後のツタにはまったく気づいていない。
背後のツタが十分に近づいたところで、ナイフのツタをカリウスに向けて強引に突っ込ませる。
カリウスはこちらの雑な動きを見逃さず、ナイフのツタを横なぎに斬り払う。
こちらはその動きに合わせて背後のツタを伸ばし、彼の利き腕を絡め捕った。
「しまった!」
カリウスが驚愕の声を上げた。
それでも彼は手首を使ってツタを斬ろうとしたが、絡めたツタでもってその手首を固定して阻止。
そのまま彼の体を持ち上げて宙づりにする。
カリウスが右手を開いて剣を落とした。
諦めたのかしら、と思いきや彼の目はこちらをキッと見据えたままだ。
おっと危ない。
左手がその剣を受取る前に、ツタを絡ませて動きを止める。
地に落ちたドワーフの宝剣は柄まで土に埋まった。
「まだ続ける?」
カリウスの目からようやく闘志が消えた。
「……参った。降服する」
項垂れているカリウスを地面に降ろし、ツタをほどいた。
「お、おい。もう降ろしちまって大丈夫なのか?」
背後から仲間の声がかかる。
私は振り返って答えた。
「大丈夫よ。
彼は絶対に約束を守るから」
円陣のでは、大勢のホルニア兵が武器を手に決闘の行く末を見守っていた。
その中には弓を持った兵士も大勢いる。
カリウスがその気になれば、命令一つで私をハリネズミにすることだってできたのだ。
これまで幾度も繰り返されてきた決闘だってそうだった。
でも、彼がそんなやり方で決闘の結果を覆したことは一度もない。
カリウスはゆっくりとした動作で地面に突き刺さった剣を引き抜くと、私の前に跪いた。
それから、慎重に剣の切っ先に持ち替えて柄をこちらに差し出す。
「その剣は貴殿が持っていなさい」
私は作法通りに彼に帯剣を許した。
カリウスが「かたじけない」と言って剣を鞘に戻そうとしたその時、思わぬところから横やりが入った。
「ま、待て! その前にその剣を俺に見せてくれ!」
声を上げたのはドケナフだった。
随分と必死な様子だ。鍛冶師としてこの剣に興味があるらしい。
「いいかしら?」
「あ、ああ、それは構わないが……」
私が問うと、カリウスは躊躇いながらもドワーフの鍛冶師に宝剣を差し出した。
ドケナフは王子の前に片膝をつくと、それを押戴くように受け取った。
「こ、こりゃあ見事だ……」
宝剣の切っ先から柄まで眺めまわしていたドケナフが感嘆の声を漏らす。
いつの間にか円陣の中に入り込んでいたイェラナイフとイェルフも、興味深そうにドケナフの背後から首を伸ばして覗き込んでいた。
「さて、こいつは見覚えがあるぞ」
そう言いながらイェルフが首をひねった。
「だがどこで見たのかはさっぱり思い出せん」
イェラナイフがそれに答えて言う。
「おそらくこいつは〈ヴフンの宝剣〉だろう。
宝物殿の図録で見たことがある。
今から五百年ほど前にゴブリンとの大会戦の最中に喪われていたはずだ。
よもやこんなところでお目にかかろうとは」
どうやら、ドワーフたちの剣がゴブリンに奪われ、流れ流れてこんなところにまでたどり着いたらしい。
何とも奇遇なこともあるものだ。
ドケナフが興奮した様子でこちらに視線を向けて言った。
「な、なあ嬢ちゃん。決闘に勝ったんだろう?
こいつを戦利品として貰い受けるわけにはいかんか?」
「ダメよ」
私は却下した。
「それは決闘の条件に入っていないもの。
取り上げるわけにはいかないわ」
しょんぼりするドケナフを尻目に、イェラナイフが口を挟んできた。
「だが、この剣はお前にとって最大の脅威になるだろう。
敵の手に戻してしまってもいいのか?」
「それでもよ。
こいつとの決闘は私たちの命綱だもの。
だから決闘にかかわる約束事は、私も絶対に守る。
こいつがこれまでそうしてきたようにね」
それに、負けた上に剣までなくし、後には莫大な借金だけが残るなんてカリウスがあまりにも不憫だ。
「剣への対策はまあ、次までに考えておくわ」
正直なところ、何も思いつきそうにないけれど。
「お前がそう言うのなら何も言うまい。
おい、ドケナフ。さっさとその剣を返してやれ」
イェラナイフに促されて、ドケナフは名残惜しそうに剣を返した。
カリウスは今度こそ剣を鞘に納めると、駆け寄ってきた老騎士に向き直って言った。
「聞いての通りだ。全軍に撤退を指示しろ。
それから、国王陛下に急ぎ伝令を。
事の次第を報告せねばならん」
「し、しかし、殿下――」
「皆まで言うな。
だが、もううんざりなんだ。
これ以上俺を悩ませないでくれ」
「お気持ちはわかります。
ですが、此度の戦は――」
「黙れ!」
カリウスは再度老騎士の言葉を遮った。
「これはドワーフたちの温情でもあるのだぞ!
あれを見てみろ!」
そう言ってカリウスは、私たちを取り囲んでいる巨石人形を指した。
「お前はあれに勝てるのか?
無論、我らが総力を挙げて挑めば勝てないこともないだろう。
だが、そのためにどれだけの損害が出る?
残余の兵の士気は維持できるのか?
最初から我らに勝ち目などなかったのだ。
これ以上恥をさらすな!」
老騎士は聳え立つ石人形を見上げて、ゆっくりとため息をついた。
それから肩を落とすと「仰せのままに」と言って、主の命令を伝えるべく兵士たちの方へ去っていった。
まもなくしてブオーという角笛の間の抜けた音が森に響き渡り、ホルニアの軍勢はぞろぞろと森の街道を引き返していく。
カリウスは先ほどの老騎士とともに最後まで残っていたが、最後尾の兵たちが十分に離れるのを見届けた後、こちらに向き直って言った。
「〈茨の魔女〉よ。礼を言う」
「いいのよ。貴方を生かしておいたのだってこちらの都合なんだから。
ホルニア人でちゃんと約束を守るのなんて貴方だけなんだもの」
「いや、そういう意味では……まあいい、好意からの発言と受け取っておこう。
さらばだ」
別れを告げる彼の顔つきはとてもさっぱりしていた。
一体何があったのかしら?
負けた奴にあんな顔をされると少しばかり癪に障る。
「そんなこと言わずに何度でもいらっしゃい。次に勝つのもやっぱり私だから」
カリウスは私の憎まれ口に苦笑いを浮かべたが、何も言い返すことなく白馬にまたがると、こちらに背を向けてから手を振った。
その時、私はふと気になることを思い出し、立ち去ろうとする彼の背に声をかけた。
「あ、ちょっと待って。
聞きたいことがあるんだけれど」
「なんだ」
カリウスが馬の足を止めて振り返った。
「貴方、なんで私が死んだなんて思っていたの?」
私の問いにカリウスは顔をしかめた。
「陛下が――いや、父上がお前に向けて刺客を放ったのだ」
「あぁ!
あれ、貴方たちの仕業だったのね」
「そうだ。おい、何をそんなに喜んでるんだ?」
顔に出てしまっていたらしい。
カリウスは不思議そうに首をかしげている。
「貴方には関係のない話よ」
ともあれ嬉しい知らせだ。どうやら、お義姉さまが私を殺そうとしていたわけではなかったらしい。
だけど妙な話だ。
「でも、刺客なら私が一人残らず返り討ちにしてやったわ。
なんで私が死んだなんて思いこんでたの?」
あの黒ずくめの男たちは、オッターがヘマをしたんでなければ今頃地下牢か墓場かのどちらかにいるはずだ。
成功報告なんてもちろんできるはずがない。
「詳しくは知らん。
だが、父上はそちらの城にいる内通者から確度の高い情報を得たと言っていた」
どうやらお城では私は死んだことになっているらしい。
ということは〈長腕〉は約束通りあの荷物を届けてくれたのだろう。
カリウスが自嘲するようにつづけた。
「だが、どうやら父は偽情報を掴まされていたらしいな。
てっきり、そちらの策にかかったのだとばかり思っていたのだが」
「知らないわよ。
そんな嘘をついたところで、こっちには何の得もないんだし」
私はしらばっくれた。
「もっともだ」
カリウスはそう言って首をひねりながら去っていった。
カリウス達が立ち去ってすぐ、ケィルフがよろよろとイェラナイフのそばに寄ってきた。
見ればもう息も絶え絶えの様子だ。
「ナ、ナイフ……もういい?」
「おっと、すまんな。もういいぞ」
イェラナイフの答えを聞いた途端、ケィルフはその場にへたり込んだ。
同時に石人形たちが音を立てて崩れる。
「ふう。
それにしても危ないところだったな」
「ええ、本当に。
まさかあいつがあんな凄い剣を手に入れてるなんて、思ってもみなかったわ。
ドケナフがこれを貸してくれなかったら、間違いなく負けていたわね」
私は手元のナイフに目を落とす。
その刃は、鋼の剣を易々と切り裂いたあの宝剣の斬撃を受けてなお、傷一つついていなかった。
「それもあるがな。俺が言いたいのはこっちの話だ」
イェラナイフが石人形だった岩塊の山を見ながら言った。
「ケィルフが思った以上に消耗していた。
石人形を全力で暴れさせた場合、霊気を使い果たしていたかもしれん。
リリーに賭けて正解だったな」
なるほど。
魔法の力は、時間の経過や月光浴である程度回復させることができるけれど、いずれにせよ大きく消耗した後では回復までに時間がかかる。
ことによっては地龍の到着までに掘削作業が間に合わなくなる可能性もあるのだ。
「……迷惑かけちゃったみたいね。ごめんなさい」
「構わんさ。前にも言ったように、この戦いは俺たちの都合でもある。
まあ、どうしても気になるって言うんなら報酬の前払いとでも思っておくがいい。
いずれ地龍がきたならば、お前さんにも命を張って貰うわけだからな」
「任せてちょうだい。きっと損はさせないわ」
私の頼もしい答えに満足したのか、イェラナイフはニッといつもの人の悪い笑みを浮かべた。
「ああ、期待しているぞ」
そして皆の方に向き直って言った。
「それじゃあ凱旋といこうか。
戻ったら酒樽を開けよう! 勝利の宴だ!」
*
広間ではドワーフ達の宴会が続いている。
空になった樽は既に四樽を超え、前回の宴会の記録を大きく超える見通しだ。
なにしろ、今回は村で補給をした直後なので酒も食料もたっぷりある。
彼らの気持ちにも余裕があるのだろう。
ドワーフならぬ私はさすがに彼らのペースにはついていけず、宴会場を抜け出して滝の前で涼んでいた。
適切な酒量を見極めるのも淑女の嗜みだと前回の宴で学んだのだ。
月は高く上り、滝が飛び散らせた水しぶきが靄となって銀色に光っている。
轟々と鳴り続ける単調な水音が耳に心地よい。
ごろりと仰向けになって、月を見上げた。
先日、樹の上から同じように一人で月を見上げた時にはひどく孤独に感じたものだけど、今日は不思議とそれを感じない。
なぜだろう?
そんなことを考えていたら、イェラナイフが洞窟から出てきた。
背中にはケィルフを背負っている。
彼は私を見つけると、私の隣にケィルフを転がしてそのまま腰を下ろした。
「どうしたの?」
「こいつが酔い潰れちまったんだ。
ただ転がしとくのももったいないし、せっかくだから月光に晒しておこうかと思ってな」
なんとも合理的なことだ。
彼の言う通り、ケィルフは真っ赤な顔でスウスウと寝息を立てている。
イェラナイフは滝の両脇の大彫像に視線を移すと、「見事なもんだなあ」と呟いた。
その隣で私はまた月を見上げた。
青白く輝くお月様は、今日も私に優しかった。
それから私たちは何も言わずにそのままぼんやりと過ごした。
しばらくして、イェラナイフが再び口を開いた。
「そうだ、リリー。お前に謝っておかなきゃいけないことがある」
はて?
私には心当たりがまるでなかった。
こちらが感謝こそすれ、謝罪されなきゃいけないことなんてあったかしら?
「なんのこと?」
「一つ、お前に敢えて教えていなかった事があるんだ」
「隠し事?」
イェラナイフが頷いた。
「貴方が王子様だったって話かしら?」
先の決闘の前に、たしか『先王の庶子』とか名乗っていたはずだ。
たとえ庶子だろうが王子は王子だろう。
「いいや、違う。
そっちは別に隠していたわけじゃない。
聞かれなかっただけだ」
「分かるわけないでしょう。
『貴方は王子様?』なんて普通は訊ねたりしないもの」
「ははは、そりゃごもっとも」
楽しそうに表情を緩めたイェラナイフだったが、すぐに顔を引き締めなおして続けた。
「我々が知る伝承の通りなら、この森の東に宙に浮いた島があるはずだ」
「もちろん知ってるわ。今は私たちのお城が立っているもの。
私はそこで生まれ育ったんだから」
「〈浮遊城〉の話は俺達も旅の途中で聞き及んでいる。
お前が王女だと名乗った時からそこの住人だろうと見当をつけてはいたが、やはりそうか。
実はあれも古代の遺跡でな。
ここと同様、かつては我々の祖先が住み着いていたのだ」
なるほど。道理で。
どうやって浮いているのかと思っていたけれど、あれも古代人の魔法だったらしい。
「それが何だっていうのよ。
もしかして、あの城も請求するつもり?」
さすがのお兄様も、〈浮遊城〉をよこせなんて要求には応じられないだろう。
何しろ、あのお城はマノアの王権の象徴なんだから。
私にとっても沢山の思い出がある大切な場所だ。
「まさか。問題はそこじゃない。
おい、あの島はどうやって浮いていると思う?」
「そりゃ、古代人の遺跡だっていうなら、古代人の魔法で浮いているんでしょう?」
現に、古代人とやらはこの森にも迷いの魔法をかけている。
彼らなら島を宙に浮かせるぐらいできたに違いない。
「うむ。では、その魔法の力の源泉はどこにあるか、知っているか?」
そんなことを言われても、古代人の魔法のことなんて私に分かるわけがない。
そういえば、ドワーフたちは青白く光る魔法のランプを持っていたっけ。
あれは霊気結晶で光を補充すると言っていた気がする。
霊鋼も霊気を浴びせるとかなんとか。
ということは、古代人の魔法も霊気結晶の力を使っているのだろうか?
そこまで考えて、気づいた。
「……あそこにも霊気結晶があるの?」
「そうだ。正確にはその真下の地下遺跡にな。
ここの霊気結晶程大きくはないが、確かに存在する。
島が浮き続けているということは、その霊気結晶は今でも力を保っているはずだ」
ここまで聞けば、それが何を意味するかぐらい私にだってわかる。
「つまり、ここで貴方たちが地龍に負ければ、
次に狙われるのは私達のお城ってことね?」
イェラナイフが頷く。
「霊気結晶が喰われてしまえば島を浮かせていた力は消滅し、地に落ちることになるだろう」
「ね、ねえ。
地龍の目標はここで間違いないんでしょうね?
ここを素通りして、あっちに向かうようなことは――」
「大丈夫だ。
こちらの遺跡の霊気結晶のほうが遥かに大きく、強力な霊気を放っているからな。
どちらに惹き寄せられるかなんて聞くまでもない。
奴が、まっすぐにこの遺跡を目指して地盤を掘り進めているのは方位盤の動きから見ても明らかだ」
方位盤というのは、時々彼が見ていた魔法の道具のことだ。
あれで地龍のいる方向と、大まかな距離がわかるのだという。
ひとまず、ここが無事な間は私達のお城に差し迫った危険はないらしい。
私は大きく息を吸って、気持ちを落ち着かせた。
そうして心に余裕ができると、今度はその空いた部分に怒りがわいてきた。
「それで、いまさらそんな話をしてどうしようっていうの?
もしかして、人質でもいなければ、私が本気で戦わないとでも思ったのかしら?」
「いや、そうじゃないんだ。そうではないんだが……」
イェラナイフは何か言いにくいことがあるらしく、口をもごもごさせた。
もちろん、私も本気でイェラナイフがそんなことを考えているなんて思っていない。
だから聞き方を変えることにした。
「じゃあ、質問を変えましょう。
今まではどうして隠していたの?」
イェラナイフが観念したかのようにため息をついた。
「正直なところ、お前さんの人となりをつかみかねていた。
義姉君が大好きだという言葉に偽りはなさそうに思えた。
だが、大好きなはずの義姉君に執拗に嫌がらせをしてもいる。
この矛盾について、俺はお前が倒錯的な嗜虐癖の持ち主なのだろうと推測した」
ひどい誤解だ。
私だって別に喜んでお義姉様をいじめていたわけじゃない。
私はただ、お義姉様に構ってほしくて――まあ、これでは誤解されても仕方ない。
自分の幼稚さに嫌気がさす。
自己嫌悪に陥る私を尻目に、イェラナイフが説明を続ける。
「その場合、義姉君を困らせるために、お前がわざと地龍を取り逃がす可能性があると考えていたんだ」
「ちょ、ちょっと待って!
それはいくらなんでも酷すぎないかしら!」
「もちろん、これも数ある予想の一つに過ぎない。
強く疑っていたわけでないんだ。
だが、僅かでも可能性があるならば、無用のリスクを冒す必要はないと判断した」
いろいろ言いたいことはあるけれど、私はぐっと飲みこんだ。
ある意味、これも身から出た錆だろう。
「じゃあ、元の質問に戻るわよ。
なぜ今になってその危険を冒す気になったの?」
「逆だ。懸念が払拭されたから話すことにしたんだ。
先の決闘だ。
お前さんは勝ち目がなくなってもなお、逃げずに戦いを継続しただろう。
万に一つもない可能性にかけて命を張る姿を見れば、お前が魂の重心をどこに置いているかは明白だ。
まあ、嗜虐癖の有無はともかく、お前が家族を意図的に危険に晒すことはないだろう。
そうであれば、お前が大事に思っている者達に危険が迫っていることを知らさずにおくのは、あまりに不誠実だ。
だから、お前に謝罪し、その上で打ち明けることにしたのだ。
つまらぬ疑いをかけて本当にすまなかった。
どうか許してほしい」
「……まあいいわ。戦う前に知らせてもらえたんだから、許してあげる」
手を抜くつもりなんて元からないけれど、知っているのといないのとじゃ、やっぱり心構えが違ってくる。
万が一にも、失敗した後なんかに知らされていたら、きっと私は彼のことを許せなくなっていただろう。
「ありがたい」
そう言って心なしか表情を緩めた彼に向って、私は手を差し出した。
「なんだ?」
怪訝そうな顔をするイェラナイフに、私は言った。
「地龍の討伐は、もう貴方達だけの戦いじゃないわ。
私にとっても、自分自身の戦いになったの。お手伝いなんかじゃなくてね。
だから、改めて手を組みましょう」
「……なるほどな」
イェラナイフがちょっとの間、躊躇うように私の手を見つめる。
それから意を決したように握り返してきた。
なんだか少しだけ難しい顔をしている。
「なによ。せっかく私が本気になったんだから素直に喜びなさい」
私が文句を言うと、イェラナイフは思いのほか真剣な目で見返してきた。
そして、私の手を握ったまま口を開いた。
「正直なところ、どうしても勝てそうになければ撤退すればいいと思っていたんだ。
地上人がどうなろうと俺達には関係のない話だからな。
仲間の命のほうが大切だ」
彼の立場からすれば当然の判断だろう。
私だって、見知らぬ人達のために命をかけようなんて思わない。
「だが、お前の手を握ってしまえばそうも行かなくなる。
地上の民についても、責任が生じてしまう」
「なんだか、負担ばかりかけてしまっているわね」
「構わんさ」
彼はいつも通りの笑みを浮かべた。
「元より、そんな中途半端な覚悟で勝てる相手じゃなかったんだ。
おかげで覚悟が決まった。
なにより――」
彼の手に、一層力がこもった。
「この手は俺が自分の意志で握ったんだ。
俺たちはいつだって仲間のために戦う時にこそ最も力を発揮する。
お前も俺たちの仲間だ。そうだろう、リリー?」
*
ホルニア軍を追い払ってから二日後、地下深くから待ちに待った朗報が舞い上がって来た。
地下遺跡への通路が、ついに開いたのだ。
知らせを受けた私たちは大急ぎで荷物をまとめると、地下の遺跡を目指して地下道を下り始めた。
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