第3話 隠された遺跡


 翌日、私達は大急ぎで荷物をまとめて小屋を後にした。

 活躍したのは井戸の近くにつながれていたあのロバに似た生き物だ。

 パカパカというらしい。

 彼らはドワーフたちが荷運びに使う役畜で、姿形こそロバに似ているもののその膂力は段違いだった。

 なにしろ自分の体重の数倍の荷物を載せられても平然としているのだ。

 農耕用の大きな馬だってこれほど多くの荷物は運べないだろう。

 その上元々が小柄なので、荷物を満載すると遠目には荷物の山が自分で歩いているみたいに見える。


 小屋を出てから半日ほど、森の中をあっちに行ったりこっちに行ったり、もしかして道に迷ったんじゃないかと不安になり始めた頃、私たちは奇麗な水が流れる緩やかな沢についた。


「それ、後ひと踏ん張りだ。

 遺跡はこの先、この沢を少し上ったところにある」


 そのイェラナイフの言葉通り、そこからそう歩かないうちに私たちは目的の場所についた。


 視界が開けてまず目についたのは大きな滝だ。

 三方を崖に囲まれたその奥で、白い流れが轟々と滝壺に流れ込んでいる。


 大きく広がった滝壺はそこだけに差し込んだ光を浴びてキラキラと輝き、滝から飛び散る水しぶきが霧のように漂いながら陽光を乱反射させていた。

 

 でもどうして、と思いながら見上げると〈闇夜の森〉には珍しく樹々が途切れ、そこからさんさんと日の光が差し込んでいた。

 おっと、危ない。私は慌ててフードをかぶり、首元の覆い布を引き上げて顔を隠す。

 すぐにどうにかなるわけでもないけれど、長く無防備でいていいわけでもない。


 そんな輝く景色の先、流れ落ちる滝の向こう側に洞穴がぽっかりと口を開けていた。

 その両脇には、私の背丈の四、五倍はあるドワーフ像――随分と大きいけれどずんぐりむっくりの体形からたぶん間違いない――が二体、洞穴を守るかのように武器を携えたまま苔むしている。

 見事な出来栄えの彫像で、いまにも動き出しそうに見えた。

 片方は戦斧を肩に乗せ、もう一方は槍の石突をまっすぐに地面に突き立てながら、私達を睨み下ろしている。


 この像が建てられてから、一体どれだけの年月が経っているのだろう?

 幾百、ひょっとしたら幾千かもしれない風雪を経てもなお揺らがないその力強さに、私は思わずため息を漏らした。


「どうだ、大したものだろう」


 すっかり石像に意識を奪われてしまっていた私に、イェラナイフが声をかけてきた。


「俺も昨日初めてこの像を見たときには本当に驚いた。

 これだけのものを作れる職人は、ここ数百年、我らの王国のみならず西方諸国を見渡しても一人もいないだろう。

 もちろん、エルフたちを含めてもだ」


 そう言う彼の声にはどこか誇らしげな響きがあった。

 私は右側の像――槍を持っている方――に目を移した。

 こちらも左側の像に劣らず力強い存在感を放っている。

 その時ふと、像が手にしている槍に気づくことがあった。


「ねえ」


「どうした」


「あの槍だけど――」


 私が指さす先を目にしてイェラナイフは少しばかり嬉しそうに目を細めた。


「よく気付いたな。

 いかにもあの槍はイェルフの持つ霊槍〈深紅の槍〉だ。

 ここが確かに我々の祖先の地であることをあの槍が証明してくれた。

 あの槍も大きさ以外は完全に再現されているのだ。

 まあ、今の槍には当時はなかった傷や装飾がいくつか増えているがな。

 一番大きな違いは鉄巨神と槍祖の戦いを描いた金の象嵌だ。

 あれも古の職人の手による作品でな。

 我々の祖先がこの地を離れ、〈はがね山〉にたどり着いた折に地下遺跡を占拠していた鉄巨人を討ち取ったことを記念して追加されたんだ」


 なるほど。美しい槍だとは思っていたけれど、随分と由緒がある品だったらしい。

 そのときイェンコが割り込んできた。


「ところで隊長。荷物はどうするね」


「フム、ひとまず洞窟の中に運び込もうか。

 灯りの準備を頼む」


「はいよ、隊長」


 イェンコは愛想よく返事をしてパカパカのところに戻っていく。


「それにしても、こんな場所があったのね。

 全然知らなかったわ」


 戦争中にずいぶんと歩き回ったので、この森についてはそれなりに詳しいつもりでいた。

 だというのに、こんな石像は一度も見かけなかった。

 狩人たちからも聞いたことがない。

 これだけ立派なのだから、一度ぐらいは話題に上ってもよさそうなものなのに。


「地上の連中が知らないのも無理はない。

 ここに来る途中、石の門をいくつかくぐっただろう?」


「門って、あの石柱のこと?」


「そうだ」


 たしかに、二本一組の石の間を何か所か通ったのは覚えている。

 門と呼ぶにはあまりに粗末な気がするけれど。


「この遺跡には人除けの魔法がかけられていてな。

 あれを正しい順番でくぐらなければ、ここにはたどり着けないようになっているんだ」


 なるほど、途中で行ったり戻ったりしていたのはそのためだったらしい。

 道に迷っていたわけじゃなかったのだ。

 あの粗末……じゃない、質素な佇まいも、見つかりにくくするためと思えば納得できる。


「すごい魔法ね。これもあなた達の技術なの?」


 おとぎ話では、彼らは色々な魔法の品を作り出すことができることになっていた。

 これもそんなドワーフの魔法の一種なのかしら?


「いいや。

 流石の我々もこんな大規模な魔法は使えない」


「あら残念」


 この魔法をこの森全体にかけたらちょっと面白いことになりそうだと思ったのに。


「そもそも、この魔法をかけたのは我々じゃないんだ」


「そうなの?

 あんな像があるから、てっきりあなた達が造った遺跡なのかと思っていたわ」


「太古の昔、我々の祖先がこの世界に来た時には既にこの遺跡は存在していた。

 とまあ、そう伝わっている。

 ご先祖はその遺構と霊気結晶を利用して一時期この辺りに王国を築き上げたのだ」


「じゃあやっぱり、半分は貴方たちの遺跡でもあるわけね。

 でも、どうしてここを出て行ってしまったの?」 


 ドワーフとの交易は大変な利益をもたらすと聞いている。

 実際、たまに西方から流れてくる彼らの工芸品は、この辺りではとんでもない高値で取引されているのだ。

 もしドワーフたちがここに残ってくれていたら、私たちの国はもっと豊かになっていたに違いない。


「さあな。

 そのあたりの詳細は記録が散逸していてよくわからんのだ。

 何らかの異変があってご先祖様たちはこの地を放棄し、西へ――今の〈はがね山〉へ移住した。

 だが、いずれこの地に戻るつもりはあったらしい。

 そのためにこの遺跡の大まかな所在と、進入方法についての断片的な情報を残してくれた。

 おかげで俺たちはこうしてここに戻ってくることが、そうとも、我々はついに父祖の地に戻ってきたのだ!.」


 なるほど。

 聞けば、彼らはずっと石の門の所在確認と、くぐる順番の正解パターンの検証をしていたのだという。

 そんな話をしているところに、ケィルフが何か筒のようなものを持ってやってきた。


「ナイフ、これ、イェンコがあかりわたしてこいって」


 ちなみに、ナイフというのはイェラナイフの愛称であるらしい。

 彼のことをその名で呼ぶのはイェルフとケィルフの二人だけだけど。


「おお、ありがとう」


 イェラナイフはそういってその筒状の物体を受け取ると、ケィルフの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。

 撫でられたケィルフが髭もじゃの相好を崩してデヘヘと笑う。

 あの小柄なドワーフ、見たところは成人しているようだけれど、どうにも子供っぽいところがある。

 というより、振舞だけ見れば子供そのものだ。


「はい、リリーもこれ」


 彼はそう言って私にも同じ筒を手渡してきた。


「ありがとう。これはなあに?」


「あかり」


 灯り。つまりランタンや松明の代わりになるもの、ということかしら?

 だけど、見たところは持ち手付きの只の筒だ。

 一体これのどこが光るというのだろう?


「ねじるとひかる」


 ケィルフが教えてくれた。

 なるほど、捻じればいいのね。

 上下を持ってグイっとやると思いのほか抵抗なく筒が回り、開いた筒の隙間から青白い光が漏れてきた。

 思わず手を放しそうになったけど、不思議なことに熱は感じない。

 隙間を覗き込もうとしたらイェラナイフに止められた。


「あまり近くで直視しないほうがい。

 目が灼けることがある」


 私はあわてて筒を顔から離す。


「この光は何?

 魔法なの?」


 こんな色の火は今まで見たことがなかった。

 その上熱くもないのだから、本当に火なのかも怪しい。


「そうか、地上では殆ど見ることもないか。

 まあ、魔法というほど大げさなものではないんだ。

 霊気を利用した光源さ。

 明りの強さは隙間の開き加減で調整できる」


 さらにねじって隙間を広げると、言われた通り光が一層強くなった。


「使わないときは閉じておいてくれ。

 霊気結晶にたどり着くまでは霊気の補充ができないんでな。

 地下ではどうしたって火の利用は制限を受けるから、こいつが必要なんだ」


 なるほど。

 よくわからないけれど、地面の下にはいろいろと苦労が多いらしい。


「皆明りは持ったな?

 カナリアの籠は誰が持っている?」


「俺だ」


 イェラナイフの問いかけに、鷲鼻のドケナフが鳥籠を掲げて答えた。


「それじゃあ先頭を頼む。

 さあ出発だ」


 ドケナフの後に続いて、巨石像の後ろ側に回り込む。

 そこには狭い通路が崖を削るように掘りこまれており、そのまま滝の裏側へ通じていた。

 轟々と響く滝の音を聞きながら、私達は洞穴の奥へと進み始めた。


 洞窟に入ってしばらくは緩い上り坂が続いた。

 通路の幅は大人五人が並んで歩ける程。

 天井も私の背より倍は高い。

 洞窟の白っぽい石質のおかげで、さほど照明を強くせずとも十分に明るくなる。

 床は石畳で舗装されており魔法のランタンがあれば足元には何の不安も感じなかった。


 坂を上り切った先はちょっとした広間になっていた。

 壁は八面。それぞれの角に配された柱はアーチを描いて、広間の中央、その真上で交わっている。

 正面の壁には私たちが入ってきたのと同じような入口がぽっかりと空いていて、どうやらその先は下り坂になっているらしい。


「ひとまずここまでだ。

 荷物を降ろして仮キャンプを作るとしようか」


 イェラナイフの指示で、皆はやれやれといった様子で背の荷物を降ろし始めた。


「ねえ、ここがあなた達が言っていた古代の遺跡なの?」


 私は広間を見回しながらイェラナイフに尋ねた。

 そうだとしたらがっかりだ、

 見たところ、この広間には装飾一つない。

 入口の石像がとても立派だったから、中はもっとすごいんじゃないかと期待していたのだ。 


「まさか。

 遺跡の本体はそこの入り口をもっと下った先にある。

 残念ながらその通路が途中で崩落してしまっていてな。

 どうにかして開削してやらにゃならんのだ」


 それからイェラナイフは、すぐそばでフウフウと荒い息をつきながら休んでいるイェンコに声をかけた。


「イェンコ、キャンプ設営の指揮を頼む。

 そういうわけだから、荷解きは最低限でいい。

 通路が開けたらまた奥に移動させるからな」


「了解。隊長はどうするのかね?」


「一足先に開削作業を開始する。

 ケィルフとドケナフは連れて行くぞ。

 塩の樽はどこにある?」


「そう言うだろうと思ってな。

 すぐに取り出せるよう一番上に積んでおいたよ」


 イェンコはそう言いながら、パカパカに積まれた荷物の山の天辺を見上げた。


「さすがだ。気が利くな」


 それからイェラナイフは私に向きなおって言った。


「リリー、悪いが樽を降ろしてもらえるか?」


「任せて。パカパカは座らせておいて貰える?」


「おうよ」


 私は背嚢を背から降ろすといつもの鉢植えを取り出した。

 その蔓草をフヨフヨと伸ばして樽を固定していたロープをほどき、ゆっくりと床に降ろす。


「お嬢さんの力は本当に便利じゃのう」


「そうでしょうとも。もっと褒めてもいいわよ。

 ところで塩なんて何に使うの?」


 話の流れからすると穴を掘るのに使うらしいけど……どうやって塩で穴を掘るのか想像もつかない。

 そういえば石工たちは石を割るのに火を使うと聞いたことがあるし、何かドワーフ流の面白いやり方があるのかしら?

 首を傾げていたら、イェラナイフが声をかけてきた。


「そうか、リリーはまだ見たことがなかったか。

 丁度いい。面白いものを見せてやるからついてこい」


「ついて来いって、穴掘りに?」


「そうだ」


 答えを教えてくれるらしい。


「役には立たないわよ?」


 念のため、力仕事はしないとあらかじめ宣言しておこう。


「必要ない。掘削はアイツがやる」


 イェラナイフの視線の先にいたのはケィルフだった。

 もう一頭のパカパカの前に座りこんだ彼は、そいつに顔をベロリと舐められてケタケタと無邪気な笑い声をあげているところだった。

 一行で一番小柄な彼だけど、意外と力持ちだったりするのかしら?


「ケィルフ! ちょっと手伝ってくれ!」


「あーい!」


 元気な返事。

 やってきた彼の愛嬌のある髭面はパカパカの涎でべったりと濡れていた。


「それから、ドケナフ。塩の樽を頼む」


「おう」


 ドケナフがやってきて塩の樽を軽々と持ち上げた。

 本業は鍛冶師だという彼の体は筋骨隆々、いかにも力自慢といった感じだ。

 どうみても力仕事は彼の方が向いていそうにみえるけど。



 私達は連れ立って暗い坂道を下って行った。

 先頭はイェラナイフ。

 それに付きまとうようにしてケィルフ。

 それから樽を担いだドケナフ。

 最後に私。


「ねえ、さっきから気になってたんだけど」


 私はイェラナイフに声をかけた。


「なんだ」


「どうしてカナリアを連れてきたの?」


 イェラナイフは片手に例の魔法のランプ、反対の手にはなぜか鳥籠を下げて歩いている。

 どう見ても不要な荷物だ。そんなにカナリアが好きなのだろうか?

 だけど彼が殊更にこの鳥を可愛がっていたという記憶はない。

 カナリアの世話はもっぱらイェンコの仕事だった。


「ああ、これか。

 安全確認のためだ」


 安全確認?


「空気が悪くなると、真っ先にコイツが死ぬんだ。

 そうなったら一時撤退だ。

 作業に入ったら、お前もこの鳥のことを気にしておいてくれ。

 俺たちは作業に集中しすぎて鳥が死んでいるのを見落とすかもしれないからな」


 思っていたより酷い理由だった。

 この屈強なドワーフたちに小鳥を愛でるような可愛げなんてあるわけなかったのだ。


「さて、ここだ」


 そう長く歩かないうちに目的の場所に到着した。


「これは見事に塞がっているわね」


 地下への通路は大小様々な大きさの石で完全に埋まってしまっている。


「滅多なことじゃ崩れないはずなんだがな。

 岩モグラでも通ったのかもしれん」


 岩モグラなんて聞いたことはないけれど、大きなモグラみたいなやつだろうか?


「それだって滅多にあることじゃないけどな」


 ドケナフがそういって、何が面白いのかガハハと笑った。


「ま、原因はどうあれ、実際に塞がっているんだ。

 さあ作業を始めるぞ。ドケナフ、塩をまいてくれ」


「おう」


 ドケナフが樽の蓋を開け、塩を一掬い手に取ると崩れた石の上に振りまいた。


「よし、ケィルフ。頼んだぞ」


「あい」


 ケィルフはその場に屈みこみ、何やらムニャムニャと念じ始める。

 すると、ケィルフの手元に転がっていた小石がカタカタと揺れだした。

 それに共振するように周囲の石も揺れ始め、やがて崩落個所全体がカタカタガチガチと音を立てる。


「ね、ねえ、これって大丈夫なの?」


 私はゆっくりと後ずさりしながら訊ねた。

 目の前の石の山は、今にも崩れだしそうだ。 

 ところがイェラナイフもドケナフも、それからもちろんケィルフも逃げ出す様子はない。


「さて、ここからが見ものだぞ」


 イェラナイフがそういってニヤリと笑う。

 その直後、震えていた石のいくつかがゴロゴロと転がり始めた。

 そして、転がった石は一か所に寄り集まり……なんと、人の形をとった!

 大きさはケィルフより頭一つ分小さいくらいか。

 そいつはむくりと起き上がり、命令を待つかのようにその場に立ち尽くしている。


「よし、運び出せ」


「あい」


 ケィルフが答えると、雑に人の形をとった石の塊がゴリゴリと音をたてながら出口に向かって歩き出す。

 今までに見たことのない不思議な光景だった。

 命を持たないはずの石ころが、まるで命を持っているかのように振る舞っている。


「ケィルフは大地の精霊憑きなんだ。

 お前が植物を操れるように、こいつは土や岩を操ることができる。

 対価として塩を必要としてはいるがな」


 ああ、やっぱり。

 そうじゃないかとは思っていた。

 いかに問題児ばかりの一行とはいえ、何の役にも立たない者をわざわざ連れてくるはずがないのだ。

 私たちが魔女や魔法使いと呼んでいる存在を、ドワーフたちは精霊憑きと呼ぶ。

 ということは、ケィルフもこの力と引き換えに何かが欠けているというわけで、つまりはまあ、そういうことなのだろう。


「本当に凄いわね……。

 この石人形は何でもできるの?」


「流石に何でも、とまではいえないな。

 不器用だし、あまり複雑な命令は理解できない」


「具体的には?」


「まあ、ケィルフが理解できるところまでだ。

 そこは指示を出す方が適切にやらなきゃならん。

 だが力は中々のものだぞ。

 大きく作ればそれだけ大きな力が出せるようになる。

 いままでで一番大きな石人形は、大型のトロールと取っ組み合いができた。

 やろうと思えばもっと大きいものも作れただろうが、まあ、ケィルフの負担も大きくなるからな。

 いろいろな大きさを試して見たが、このサイズが一番経済的なんだ」


 イェラナイフが説明してくれている間にも次々と石の人形が立ち上がり、外に向かって行進していく。

 形も大きさもバラバラな石礫でできた不格好な人形だ。

 にもかかわらず、その行列は乱れることなくまっすぐに続いている。


 崩落地点へと目をやると、行列に並ぶのとは別に小さな石人形たちが十体ばかり並んでいた。

 何をするのかと思ってみていると、イェラナイフがケィルフに何やら指示を出した。

 それにケィルフが頷くと、小さな石人形たちが崩落した石の山をカタカタと登り始める。

 やがて天井付近まで登ると、自身の体を石の隙間にねじ込むようにして入り込んだ。

 どうやら、彼らは掘った箇所が崩れないように支える役目をしているらしい。

 そうやって減った分だけ、新たな石人形が生まれ、また隙間に潜り込んでゆく。


 ドケナフが塩をまくたびに新たな石人形たちが次々と立ち上がり、ふさがっていたはずの地下通路が見る見るうちに掘り進められていった。


 それにしてもなんと便利な魔法だろう。

 この力があれば、おとぎ話のように一夜で城を立てることもできるんじゃないかしら?

 そして地下に穴を掘って暮らしているというドワーフたちにしてみれば、この力の重要さは地上とは比べ物にならないはずだ。


 私はイェラナイフの傍によって小声で呼びかけた。


「ねえ、イェラナイフ」


「なんだ」


「ケィルフって、いったい何をしでかしたの?」


 彼らの王様がまともなら、こんな強力な魔法の持ち主をそう簡単に手放すはずがない。

 イェンコによれば、今回の地龍退治は成功の見込みの少ない危険な任務だという。

 そんな仕事に放り込まれるなんて、余程のことがあったに違いなかった。

 だけどイェラナイフは首を横に振った。


「あいつは悪さなんぞせんよ。

 少しばかり年に比べて幼いところはあるが善悪の区別はちゃんとつく。

 甘いものさえあれば満足で、他にはとんと興味がない。

 素直で善良な、気のいい男さ」


 それならなおのこと不可解だ。


「じゃあ、どうしてこんなところにいるのよ。

 連れ出すにはよっぽど苦労したんじゃない?」


「まあな。

 宰相閣下には猛烈に反対されたとも。

 勝手に連れ出したら追討部隊を送って、断固たる処置をとるとまでいわれたな。

 とはいえ、他はともかくこいつだけはどうしても外せない。

 方々を駆け回って、どうにか陛下の御前でこいつ自身に選択させようって話に持ってったのさ」


 そういいながら、イェラナイフはニヤリと人の悪い笑みを浮かべた。


「ありゃあ傑作だったな」


 と、塩をまきながらドケナフが笑う。

 ケィルフは魔法に集中しているのかじっとうつむいたままだ。

 イェラナイフが話を続けた。


「さて当日になり、俺たちは陛下の御前に進み出た。

 大勢のやじ馬が押しかけて事の次第を見守る中、

 宰相閣下は金銀宝石を大きな樽にどっさり詰めたのをケィルフの前に三つも並べた。

 ここに残るならこれをそっくりお前に与えようってな。

 それからケィルフのために参議会に特別な席を用意し、終身筆頭鉱夫の名誉も与えるとまで仰った。

 対する俺が用意したのは、小壺一杯の蜂蜜だけだ。

 ケィルフがどちらを選んだか?

 聞くまでもないだろう。

 ケィルフ自身に選ばせた時点でもう勝負はついていたのさ。

 まったく馬鹿な奴だよ。

 モノの本当の値打ちってもんがわかってないんだから」


 なるほど、蜂蜜と財宝じゃその価値は比較にならないだろう。

 イェラナイフはよい買い物をしたに違いない。

 だけど、それを自慢げに言う彼の態度は少しばかり不愉快だった。


「別に、蜂蜜を選んだっていいじゃない」


「もちろん構わないさ。

 おかげでこうして一緒に地龍退治ができるというわけだ。

 だがまあ、ケィルフが黄金を選ぶような奴だったら……どうしたリリー。

 またえらく不機嫌な顔して」


「仲間を馬鹿にされて喜ぶわけないでしょう?」


「仲間を?」


 どうやら彼はケィルフを仲間とは思っていないらしい。

 だったらケィルフは何なのか。

 ただの道具だとでもいうつもりだろうか。


「ケィルフよ!

 たしかに彼は少し頭の働きが遅いかもしれない。

 だからってそんな言い方しなくたっていいじゃない!」


「いや、待てリリー。

 誤解だ――」


「何が誤解よ!

 馬鹿だって言ったじゃない!

 誰だって、好きでこんな風に生まれたりしないわよ!

 私だって! きっとケィルフだって!

 それなのに! それなのに――!」


 うまく頭が回らない。言葉が出てこない。


「まずは落ち着け。俺の話を聞け」


「聞きたくないわ!」


 こういう時の言い訳を聞いたところで、ますますそいつを嫌いになるのが関の山だ。


「行きましょう、ケィルフ。

 穴掘りなんてあいつが自分でやればいいんだわ!」


 そう言って私はケィルフに向かって手を伸ばした。

 ところが彼はピクリとも動かずに言った。


「ちがう。 こで、おでのしごと」


 そう言う彼の瞳はどこまでもまっすぐで、梃子でも動きそうにない。

 彼はイェラナイフのことを信じていて、その気持ちは決して揺らがないのだろう。

 あるいは、彼は彼なりの信念をもってここにいるのだ。


 私はますます居た堪れない気持ちになり、彼らに背を向けてその場から逃げ出した。



 石人形達を追い越しながら、私はずんずんと歩く。

 行きと同様、戻りの道もあっという間。すぐに元の広間に帰り着いてしまった。


 誰かに話を聞いて欲しくて、私は広間を見回した。

 パカパカの背の荷物はすっかり降ろされていて、ディケルフ達が忙しそうにその整理をしている。

 広間の真ん中で火を熾していたイェンコがふと顔を上げてこちらを見た。目が合う。


「やあ、お嬢さん。ケィルフの石人形は見ものだったろう?

 ――おや、えらく不機嫌じゃないか。一体どうしたね」


 イェンコはこちらを見て笑みを浮かべたが、私が不機嫌そうにしていることに気づくとすぐにそれをひっこめた。


「大方、隊長かドケナフのどっちかが余計なことを言ったんじゃろう。

 どれわしが聞いてやろうじゃないか」


 彼は火をおこす手を止めて私に手招きをする。

 私が隣に腰を下ろすと、イェンコは「それで、どっちだ」と話を促した。


「イェラナイフよ」


 私が答えると、彼は苦笑いを浮かべた。


「隊長はたまに口が悪くなるからのう。まったく悪い癖だな。

 それで、何を言われたのかね」


「私のことじゃないの。

 あいつがケィルフのことを悪く言うものだから、それで腹が立っちゃって」


「隊長が? ケィルフのことを?」


「そうなのよ!

 あいつはバカだっていうの!

 そりゃ確かにケィルフは……まあ、子供みたいな人だけど、でもそれは仕方がないことじゃない!

 彼が自分でそうなることを選んだわけじゃないのに、あんまりだと思わない?」


 ところが、イェンコは私の話を聞いても困惑した様子で首を傾げるばかりだった。


「隊長がケィルフをそんな風に言うとはちょっと考えづらいのう……」


「嘘じゃないわ! 本当なんだから!

 後でドケナフにでも聞いてみればいいわ」


「わしもお嬢さんが嘘をついているとは思わんがね、何か誤解があったんじゃないかのう」


「おい、面白そうな話をしてるじゃないか」


 そう言って割って入ってきたのは、〈酔っ払い〉のイェルフだ。


「あなたには関係ないでしょ」


 今日も彼は酒臭い。

 素面の時ならいざしらず、今は酔っている彼を相手にしたい気分じゃない。

 だけど彼は私の正面にどっかりと腰を下ろしてしまった。

 立ち去る気はないらしい。


「まあそう言うなよ。

 あの二人についてなら、俺は〈はがね山〉一の専門家さ。

 ほれ、詳しく話してみろ」


 本当かしら?

 酒袋を片手にそんなことを言われても、てんで説得力がない。


「まあ、イェルフが二人と長い付き合いなのは本当じゃよ。

 わしも詳しいところを聞きたいのう。

 せっかくだから話してくれんかね」


 イェンコがそういうので、私は事の次第を二人に詳しく話して聞かせた。

 ところが、宰相がケィルフに財宝を差し出す下りまで話したところでイェルフがゲラゲラと笑い出した。

 酔っ払っている時のイェルフは嫌いだ。全然紳士じゃない。


「なによ。私が一生懸命話してるんだから、あなたも真面目に聞きなさいよ」


 私が抗議すると、イェルフはヒィヒィと笑いを抑えながら言った。


「いや、もういい。大体わかった。

 そりゃ嬢ちゃんの勘違いだ」


「何がわかったっていうのよ。

 それでね、ケィルフが蜂蜜を――」


「大丈夫、大丈夫。ちゃんとわかったとも。

 『モノの本当の値打ちが分からない大バカ野郎』とでも言ったんだろ――なに驚いてやがるんだ。

 俺だってその場にいたんだから事の顛末は知ってるぜ。

 そうでなくとも、旅の間にみんな百ぺんはその話を聞かされてるよ。

 まあ、何度聞いても面白いからそれはいいんだけどな。

 その馬鹿野郎ってのはケィルフのことを言ってるんじゃない。

 宰相閣下のことさ」


「え……」


「その宰相閣下ってのが実にいけ好かない野郎でな。

 俺達の仕事をなんでも黄金に置き換えて測ろうとしやがるのさ。

 その挙句に金貨を振り回しながらあれは無駄だ、これをやれだなんて言い始め、

 とうとう行き着いた先がケィルフの一件だ。

 モノの価値を金の重さで比較するのは、まあ管理する側にゃ便利だったろうがな。

 それが全てに通用すると思っちまったのが奴の敗因だ。

 まったくケィルフの奴に黄金を見せびらかしてなんの役に立つと思ったんだか。

 実に胸のすく見世物だった」


 彼の話を聞きながら、私はイェラナイフの話を振り返ってみた。

 なるほど、落ち着いて考えてみればどう考えてもイェルフの解釈が正しい。

 私は丸まるように膝を抱えると、その間に顔をうずめた。

 どうしよう、とんだ早とちりだ。このまま消えてなくなってしまいたい。


「酷いこと言っちゃったかも。

 彼に謝らないと……」


「まあ気にすんなよ。ナイフの奴も別段気にしないだろうしな。

 むしろ喜んでるんじゃないか?」


「なんでよ」


「さあな。自分で聞いてみろよ」


 イェラナイフに『私に罵られて嬉しかった?』とでも聞けばいいんだろうか?

 冗談じゃない。


「そんなこと聞けるわけないでしょ!」


「ガハハ。

 ま、ナイフの話し方にも問題があったんだろう。

 許してやってくれよ。悪ぶって見せるのはあいつの悪い癖でな。

 だが誰だって悪癖の一つぐらいあるもんさ。

 見たところ、嬢ちゃんも似たような口じゃないか?」


「わ、私は違うわ!」


「さて、どうだか。

 おっと、仕事に戻らにゃ」


 イェルフはそう言うと笑いながら去っていった。


「うぅ……」


 追いかけて問い詰める気にもなれず、私は小さく呻きを漏らした。

 すると、イェンコが慰めるように声をかけてくれた。


「お嬢さんは顔に出やすいからのう。

 イェルフもからかいがいがあったんじゃろう」


 なんの慰めにもならなかった。



 イェラナイフたちが戻ってきたのは丁度晩御飯の支度が整った頃だった。

 広間の入り口に彼が姿を現したのを見て、私はすぐに駆け寄った。


「あの……少し話があるんだけど」


「いいとも」


 イェラナイフはそう言ってドケナフに目で合図をした。

 ドケナフは小さくうなずくと、ケィルフを抱えて皆のところに去っていった。

 背後を少しだけ振り返ってみると、皆黙々と食事の準備を進めているようだった。

 どうやら、一応気を使ってくれているらしい。


「……さっきはごめんなさい」


 どうにか絞り出した私の言葉に、イェラナイフはにっこりと笑った。


「いいさ。こちらはまるで気にしていないからな。

 それどころか嬉しく思っていたぐらいだ」


「え……」


 まさか、本当に私に罵られて喜んでいたなんて!


「いや待て。その顔は何か誤解しているだろう」


「い、いいのよ。

 お詫びと言っては何だけど、後でまた好きなだけ罵ってあげるから……」


「おい、目を逸らすな。

 話をちゃんと聞け」


 そうだった。さっきはそれで失敗したのだった。

 私は背筋をしっかりと伸ばし、彼の目を見据えた。

 これで聞く態勢はばっちりだ。


「いや……そんなに畏まられると却って話しづらいな……」


「別に照れなくたっていいじゃない。

 ちゃんと言い訳を聞かせてごらんなさい。

 今度は最後まで聞いてあげるから」


「なんでお前が偉そうにしてるんだよ……。

 だが、まあそうだな。こういうことはきちんと言葉にしておくべきだろう」


 そう言って彼も私と同じように居住まいをただした。


「俺が嬉しかったのは、お前がケィルフのために怒ってくれたからだ。

 礼を言う。俺の友達のために怒ってくれて、本当にありがとう」


 想像していたよりもまっすぐな言葉をぶつけられて、思わず私は目を逸らしてしまった。


「た、ただの勘違いよ」


「たとえ原因が勘違いだとしても、その気持ちは本物だったんだろう?

 だったら、それは感謝に値する」


 多分、イェラナイフは少しだけ勘違いをしている。

 正直なところ、私とケィルフはまだ数日の付き合いでしかない。

 もちろん寝食を共にしてきたのだから、相応の親しみを感じてはいる。

 でもそれだけだ。

 あの時私が感じた怒りは、ケィルフとの絆に由来するものじゃなかった。

 どちらかといえば、あの怒りは私の個人的な経験からくるものだ。

 魔女として生まれ、陰ながら蔑みの視線を受けてきた記憶が、同じ魔法使いであるケィルフに重なってしまっただけ。

 それなのに彼は、そんな明後日の方向から湧いてきた私の怒りを、仲間を思う気持ちから生まれたと勘違いして無邪気に喜んでいるのだ。

 勝手に勘違いさせておけばいいじゃない、と私の心の中の悪い魔女が囁いている。

 きっと、それが一番きれいに収まるのだろう。

 本当のことを話したところで、お互いに少しばかり気まずい思いをするだけだ。

 それでも、彼が珍しく見せる手放しの笑顔がチクチクと私の胸の奥を刺してくる。


「あ、あの……」


「なんだ?」


「違うの。別に、ケィルフが仲間だから怒ったわけじゃなくて……」


「ふむ」


 彼の眼がじっと私の瞳の奥を覗き込んでくる。

 でもそれは以前に向けられたような厳しい視線ではなかった。


「だからその……同じ魔ほ……じゃなくて、えっと、精霊憑き、だから、それで……私が馬鹿にされたように感じて、それで……」


「大丈夫だ。ちゃんと分ってる。

 だがそうだとしても、またケィルフが馬鹿にされるようなことがあれば、

 その時もお前は同じように怒ってくれるだろう。

 そうであれば、後は俺にとっては些細な違いさ。

 精霊憑きにまつわるケィルフの孤独は、おそらく俺は本質的には理解してやれない。

 それができるのは、多分お前だけだ。

 これからもあいつのことをよろしく頼むよ」


「ま、任せてちょうだい」


 私の答えを聞いて、イェラナイフは満足げな笑みを浮かべた。


「さあ、行こう。みんな待ってる」


 彼はそう言って二三歩踏み出した後、こちらを振り返っていった。


「ああ、そうだ。

 あいつの名誉のために、一つだけ言っておくことがある」


「なに?」


「あいつは蜂蜜を選んだんじゃない。

 仮に俺が手ぶらだったとしても、黄金には目もくれなかっただろう」


「そうでしょうね」


 きっと、彼らは私には想像もつかないような深い絆で結ばれているのだ。

 だけどそれならそれで気になることがある。


「ねえ、一つ聞いていい?」


「なんだ?」


「だったら、なんでわざわざ蜂蜜を差し出したの?」


 イェラナイフがいつもの人の悪い笑みを浮かべた。


「宰相閣下をコケにするためさ。

 友情が黄金に勝ったのならただの美談でおしまいだ。

 潔く俺たちの絆を讃えればまあ、宰相閣下の面目も立っただろう。

 だが、蜂蜜ならどうだろうな?」


 そういって彼は高笑いを上げながら皆のところへ戻っていった。



 マノアの王城、〈浮遊城〉と呼ばれるその城の門は他とは一風変わっている。

 何しろ宙に浮く巨大な岩塊の上に建てられた城であるから、他の城のように城壁に穴をあけ、扉や落とし格子をつければ済むわけでもない。

 この〈浮遊城〉において『門』と呼称されているそれは、むしろ塔と呼ぶのがふさわしい代物だった。


 この地上と城とを結ぶ五層からなる木製の構造物は、中央が吹き抜けになっている。

 巻き上げ式の荷台を通すためだ。

 食料や燃料、飲水といった物資はこの荷台に乗せられて城に運び込まれる。

 鎖の巻き上げは人力で行われており、当然のことながらおいそれと使えるものではない。

 だから荷台に乗れるのは荷運び人夫を除けば、高貴な身分を持つ者に限られていた。

 そのため、城に用のある者はこの塔の吹き抜けの外周に設けられた階段を登らなければならなかった。


 この門が木製なのには訳がある。

 いざ籠城となった時、防衛側はここを焼き落として敵の侵入を防ぐのだ。


 ではこの城が堅城であるかと問われれば、答えは否だ。

 もし寄せ手が外城壁を突破し、城の真下に入り込んでしまえば城からはもう手が出せない。

 敵は容易に城の補給を断ててしまう。


 事実、この城は過去に幾度か降伏の憂き目を見ている。

 その堅牢な外観とは裏腹に、籠城には酷く不向きな城なのだった。

 それでもこの地の王が皆ここを居城と定めてきたのは、巨大な城が宙に浮くというその奇観がもたらす象徴性ゆえだ。

 逆に言えば、脆弱なこの城を保持できるだけの力を持つことがマノアの王たる者の条件であり、また資格でもあった。


 さて、その城門の前を一人の不審な大男が行っては過ぎ、また行っては過ぎてと、繰り返していた。

 身なりからして狩人であろう。

 なにやら思いつめた表情を浮かべており、良からぬことを企んでいるというよりは、何か重要なことを決めかねているといった様子だった。


 あまりにも長くそうしているので、門を守る衛士の一人が見かねて男に声をかけた。


「おい、そこのお前。

 先ほどから何やらうろついているようだが、何の用だ。

 無下にはせぬから、まずは用件を申してみよ。

 事と次第によっては、しかるべき者のところへ取り次いでやろう」


 これはまったくの親切心からのことであった。

 領民が王への直訴に及ぶことは、決してよくあることではなかったが、かといってまったく前例のないことでもない。

 そして現国王はそうした訴えを決して粗略には扱わず、臣下の者にもその意向に沿うよう努めさせていた。


 だが、大男は声をかけられてひどく狼狽えた様子を見せた。

 衛士は、さては悪心を抱くものであったかと警戒を強める。

 その様子に大男が慌てて口を開いた。


「い、いえ! 決して怪しいものでは……!

 ひ、姫さまの――じゃなかった、お妃さまの、い、依頼で……これを……」


 そう言いながら、懐から革袋を取り出すと、衛士にぐいと押し付けてきた。


「ふむ、そうであったか。

 念のため、中身を聞いておこうか」


「へ、へえ。猪の心臓でさあ」


「猪の心臓?」


 衛士は首を傾げる。

 お妃様はなぜそんなものをお求めになったのだろうか?


 衛士は大男の様子をじっと伺った。

 ひどく怯えてはいるが、嘘を言っている様子はない。


「念のため、検めるぞ」


 そう言って袋を開ける。

 果たして大男の言う通り、袋の中には油布で包まれた動物の心臓が収まっていた。


 おそらくは、と衛士は考えた。

 異国のまじないか何かであろう。

 北の蛮族たちは熊の心臓を食べることで熊のように強くなれると信じている、という話を聞いたこともある。

 お妃様も猪の心臓に何かしら神秘の力が宿っていると考えているのかもしれない。


「うむ、確かに受け取った。

 これはしかとお妃様のもとへ届けておく。

 ご苦労だったな」


「あ、ああ、お待ちを」


「なんだ」


「荷物はファラ様にお取次ぎ願います。

 くれぐれも他の侍女たちにはお渡しにならぬよう」


 ファラというのは王妃が唯一信を置いている侍女の名である。

 それをわざわざ指名してきたということは、この大男どうやら宮廷内の事情にも通じているらしい。


「なるほど。必ず」


 衛士が頷くのを確認して、大男は足早に去っていった。

 彼が門に戻ると、先ほどのやり取りを見ていた同僚が声をかけてきた。


「おい、今の」


「ん?」


「あの男、噂に名高い〈長腕〉じゃないか?」


 彼もその名は耳にしたことがあった。

 方々で穴無し熊やら大狼やらといった、並の者では歯が立たぬ厄介な獣を退治してまわる一流の狩人で、十人力の大弓を引く剛腕の持ち主という。

 その手足には魔法の力が宿っているとかなんとか。


 言われてみれば確かに尋常ならざる風貌の持ち主であった。

 お妃様の依頼というのも、ますます間違いないだろう。


「では、早速小姓を呼んで――」


 そこまで言ってすぐに考え直す。

 そのような男が狩ってきたというならば、この袋の中身もただの獣のモノではないはずだ。

 あるいは、本当に魔法の力が宿っているのかもしれない。


「ああ、いやこれは俺が直に届けよう。

 すまんが後は頼む」


「おう、任せておけ」


 革袋は直ちに衛士の手によってファラに預けられ、ナハマン王妃の元に渡った。


 人払いがなされた部屋で、〈長腕〉のボノから届いたというその袋を受け取った王妃は酷く不気味な予感に襲われた。

 確かにあの男に頼み事をしてはいる。

 だが、それはあくまで人探しである。

 このような届け物を頼んだ記憶はない。


「中身は? 何か聞いておるか?」


 ナハマンの問いに、ファラは首を振った。


「いいえ、お妃様。

 ただ、重要な品と伺っております」


 王妃はゆっくりと袋を開く。

 胸元の鏡を越しに中身を見た彼女はかろうじて悲鳴を飲み込んだ。

 かわいい坊やは先ほどようやく寝付いたところだ。

 今は起こしたくない。


 出てきたのは、赤黒い臓物。

 それはどう見ても心臓だった。


「なんじゃ、これは」


 ファラが顔色一つ変えずに答えた。


「……おそらく、心臓かと」


「そんなことは分かっておる!」


 嫌な予感がますます強くなる。

 お妃は脳裏に浮かぶ最悪の予想から目をそらそうと虚勢を張った。


「ボ、ボノの奴め。一体何のつもりじゃ!

 嫌がらせかのう? まったく趣味の悪い――」


「お妃様。袋の奥にもう一つ何かの包みが……」


 ファラの言う通りだった。

 油布の包みがもう一つ、目立たぬように袋の底に隠されている。

 再び心臓がバクバクと音を立て始める。

 恐る恐る袋の奥に手を伸ばす。何か柔らかい感触が油布越しに伝わってきた。

 開けてはならぬと、本能が警告する。

 だが、確かめなくてはならない。確かめずにはおられない。


 震える指でどうにかその包みを取り出し、開いた。

 それは髪の毛であった。

 絹のように柔らかく透き通った、銀色に輝く長い髪。

 このような美しい髪の持ち主は、世界にただ一人――


 今度こそお妃は悲鳴を上げた。


 城中に響き渡ったその悲鳴により、城内はちょっとした騒ぎになった。

 なにしろ、先だって王妹暗殺未遂事件が起きたばかりである。

 寝床で休んでいた夜番の衛士達も残らず叩き起こされ、総員警戒配置につけられた。


 王妃の部屋には間髪入れずに衛士たちがなだれ込み安全を確認。

 衛士長のオッターはお妃から事情――「袋に手を入れたところ、何か不気味なものに触れたため思わず声を上げてしまった」――を聞いて安堵したものの、これが陽動である可能性を考慮して警戒態勢を継続した。


 非番になるはずだった衛士達による警邏隊が編成され、城内の人が潜めそうな場所はくまなく捜索された。

 警戒態勢が解除されたのは、翌朝になってからだった。

 その間、王妃のかわいい坊やは殺気立った男たちの気配に怯えて一向に泣き止まず、王妃は一睡もできなかった。

 もっとも彼女の精神状態からして、坊やが寝付いたところで結果は変わらなかったろう。


 さて、そのような大騒ぎの中、城の人気のない窓から一羽の鳥が放たれた。

 城の衛士たちはきわめて厳重な警戒態勢を敷いてはいたが、しかしその眼は外からの侵入者に向けられており、城から飛び去る鳥には何の注意も払われなかった。



 開削作業の開始から数日たったというのに、未だに通路は開通していない。

 どうやらイェラナイフにとっても誤算だったらしく、休憩の間も一人で円盤状の物体を持ってうろつき回っては何やらブツブツ言っている。

 手にしているその丸いものは何かと聞いてみると、どうやら地龍との距離を測るための魔法の道具であるらしい。

 マーカーがどうとか角度がどうとか言われたけれど、私には何を言っているのかさっぱりわからなかった。


 掘削作業に必要なのはイェラナイフとケィルフ、それから塩まき係の三人。

 塩まき係はドワーフたちが交代で務めていて、今日の担当は〈王冠落とし〉のネウラフだ。


 私はすることもないので、座り込んで石人形の行列をぼんやりと見学している。

 最初のうちは見ているだけでもずいぶんと楽しかったものだけれど、さすがにもう見飽きてしまった。

 あまりにも退屈だったので石人形をつついて遊んでいたら、上がってきたイェラナイフに「ケィルフの集中が乱れるからやめろ」と叱られた。


 ため息を一つついて周りを見回す。

 広間では残りのメンバーが空いた時間を思い思いに過ごしている。


 イェルフは酒を飲んでお昼寝中。当然話し相手にはなってくれそうにない。


 ディケルフは何かの図面を睨みながら考え事。多分、地龍とやらを殺すための罠を考えているんだろう。

 イェンコは昨日私が仕留めた鹿を調理中。ひっきりなしにスープの味見をしては味の調整に余念がない。

 この二人はダメだ。彼らは何かに夢中になると他のことは考えられなくなるタイプだ。

 それにしても、イェンコは大丈夫だろうか。

 あの調子で味見をしていてはスープができる前に鍋が空になってしまうんじゃないかしら?


 そして最後にドケナフ。

 彼は部屋の隅っこでナイフを片手に何やら小石を削っている。

 その顔つきはいかにも退屈そうで、身を入れてやっているという感じじゃない。

 あれなら話しかけても邪魔にはならないだろう。


「ねえ、何をしているの?」


 ドケナフは面倒くさそうに顔を上げた。


「これか? 見ての通りだ」


 そういいながら、彫りかけの石をこちらに放ってよこす。

 親指ほどの大きさの白い小石に彫られていたのは、精悍な顔つきの馬の頭部だった。

 多分チェスに使う騎士の駒だろう。

 どう見ても素人が暇つぶしに彫ったという風ではない。

 これは年季の入った職人の仕事だ。

 彼の太くてごつい指は、見た目の割に随分と器用に働くらしい。


「案外上手なのね」


「この程度は鍛冶師の嗜みだ。

 ほれ、早く返せ。まだ作りかけなんだ」


 言われて駒を返すとドケナフは作業を再開した。

 彼のナイフが石を撫でるたびに、馬の表情がより精緻に、より生き生きとしたものに変わっていく。

 もちろん彼の腕前も大したものだけど、何よりその手に持つナイフがすごい。

 鉄より硬いはずの石を易々と削り取っていくのだ。

 それでいて刃を痛めた様子が全くない。


「そのナイフ凄いわね」


 私がそう言うと、ドケナフは今度は嬉しそうにニヤリと笑った。


「おお、嬢ちゃんはこいつの美しさが分かるのか。

 そうともこいつは俺の最高傑作だ。

 遠慮はいらねえ、じっくり見てやってくれ」


 彼は彫刻の手を止めると、右手のナイフを私に差し出してきた。

 そういう意味で言ったのではないけれど、まあいいか。

 ドワーフが鍛えた刃物はこの辺りではとても貴重で、手に取ってじっくり見る機会なんてそうそうない。

 嘘か本当かは知らないけれど、私たちのご先祖はドワーフの宝剣と引き換えにあの浮遊城を手に入れた、なんて話もあるぐらいだ。


 私はナイフを受け取り、じっくりと鑑賞する。

 峰は切っ先までまっすぐで、全体にふっくらとしたハマグリ刃。

 柄は樫の木。握りやすいようにか、緩やかに波打っている。

 私の手には少し余るけれど、多分ドケナフの手にはぴったり合うのだろう。


 ぱっと見は何の変哲もない、ごく普通のナイフだ。 

 でも、間近でみればそれだけではないことがすぐに分かった。

 これといって特徴がないはずなのに、その形状は端正で隙が無い。

 徹底的に整えられ、研ぎ澄まされ、磨き抜かれている。


「奇麗……」


 ため息とともに、思わずそんな言葉を漏らしてしまう。

 これでも王族のはしくれだから、装飾品の類はそれなりに目にしているし、持ってもいる。

 どれもこれも華やかに、煌びやかに飾られていた。

 だけど、このナイフの美しさはそれらとは真逆のものだ。

 一切の無駄が削ぎ落とされた先に初めて生じる美もあるのだと、今知った。


 私がナイフに見とれているとドケナフはますます嬉しそうに相貌を崩した。


「そうだろう、そうだろう。

 もちろん奇麗なだけじゃない。

 こいつは〈はがね山〉にある刃物のうちでもっとも鋭い」


「石を木か何かみたいに削ってたわよね。

 これもあなた達の魔法なの?」


「魔法か。まあ、そうとも言えるか。

 霊気なんて魔法みたいなもんだからな。

 こいつは、霊鋼でできたナイフなんだ。

 霊鋼ってのは鋼を霊気結晶のすぐそばでその光に晒し、霊気を浸透させたものでな。

 そいつで作った刃はどんなに鋭くしても決して欠けず、曲がることもない」


「魔法の鉄で作ったってわけね。

 でも、それって貴重なモノじゃないの?」


「もちろん、貴重だとも。

 なにしろ剣一振り分の鋼に霊気を浸透させるには百年かかると言われている。

 だから誰にでも使わせるってわけにはいかねえ。

 技を極め、選び抜かれた鍛冶師だけが生涯にたった一度、霊鋼で武器を打つことを許されるのさ。

 だが、その前にこうして霊鋼のナイフを一本打って霊鋼も自在に扱えることを証明せにゃならん。

 それが長老たちのお眼に適えば合格よ。

 これはその時に作ったものだ」


 そう語る彼の口ぶりはずいぶんと自慢げだ。


「意外ね。

 〈ヤボ金槌〉なんて呼ばれているぐらいだから、

 鍛冶はあまりうまくないんだと思ってたわ」


 私がそういうと、ドケナフは不機嫌そうに鷲鼻を鳴らした。


「自分で言うのもなんだがな、刃物を打つことにかけちゃ間違いなく山で一番だ」


「じゃあ、なんでそんな変な二つ名で呼ばれてるの?」


「それだよ。今、嬢ちゃんが持ってるそのナイフのせいだ」


「これ?」


「そう、まさにそいつが原因なんだ」


 私は手元のナイフをもう一度じっくり観察してみた。

 何度見ても奇麗としか言いようがない。

 その上、石を易々と削るのだから切れ味に問題があるわけでもないだろう。


「俺達の社会で一番尊敬されるのは、もちろん美しいモノを作る職人だ。

 この点、武器鍛冶も例外じゃねえ。

 武器ってのは強く、そして美しくなくちゃならん。

 だから見ろ」


 ドケナフは広間の壁に立てかけられた、イェンコの戦斧を顎で指した。

 その斧腹にはモグラと豚を掛け合わせた様な不細工な生き物が誇らしげに彫り込まれている。

 おそらく、イェンコの功績に因んでのことなのだろう。

 モチーフの奇妙さはさておいて、それが技巧を凝らした逸品であることは私みたいな素人にも一目でわかる。


「あんなふうにお奇麗に飾り立てて、ようやく武器は完成品として認められるわけだ。

 だが、俺はどうにも納得がいかなかった。

 剣だろうが槍だろうが、飾りなんかいらねえ。

 その成すべきことだけを徹底して追求すれば、その先に必ず美と力が宿るはずなんだ」


 そこまで言ってドケナフはため息をつき、項垂れた。


「だが、誰もわかっちゃくれなかった。

 例えば、ある戦士から剣を打ってくれと頼まれたとする。

 俺はいつも飾りのない渾身の一振りを造り上げ、依頼人に見せる。

 すると一目見てそいつは叫ぶ。『なんてすばらしい剣だ!』ってな。

 剣を手に取り夢中になって振り回した後こう付け加える。

 『あとは飾りをつけるだけだな!』

 それから、いろいろと飾りの注文を述べ立てる。

 そいつが崇めている神だとか、好きな動物だとか、奥方の姿だとかを彫り付けろといわれるわけだ」


「そりゃあ仕方がねえだろう」


 いつの間に起きてきたのか、イェルフが割り込んできた。


「どんなに美しかろうが、それだけじゃ気分が上がらねえんだよ。

 愛する奥方、大変結構じゃないか。

 大事な何かを守ろうと思えば力が湧いてくる。

 神や獣は、武器を通じて戦士にその力を宿らせる。

 見ろこの槍を」


 そういって彼はいつも抱えている槍の穂先から覆いを取り払う。

 そこには金銀の象嵌で、鉄巨神を突き殺すドワーフが描かれている。


「ここに彫り込まれているのは、我が祖先の勲だ。

 その最初にして最大の功績、鉄巨神の討伐に始まり――」


 言いながら、今度は柄のほうを指さす。

 そこにも様々な怪物やら何やらが、柄の半ばまでびっしりと彫り込まれている。


「ゴブリンの怪将軍ゴルヌン、火吹き竜ミケドラス、大トロールのヌメラノメラ。

 どれもこれも、この槍が討ち取った怪物どもだ。

 こういう先祖の物語が俺に勇気を与えてくれる。

 先祖の名に恥じぬ戦士であらねばならぬと、気合を入れてくれるんだ。

 本や知識だけじゃこうはいかねえ。

 戦場にあって、常に握りしめている武器でないと。

 そこから生じる最後の一踏ん張りが生死を分ける。

 それこそが俺たちの求めるものなんだ」


「……まあ、その点はお前さんの言う通りだ。

 その剣を手に命を懸けるのはそいつ自身だからな。

 言われた通りにはしてやるが、すっかり醜くなっちまった剣で大喜びされると俺としちゃあどうにも空しい。

 これは俺の美意識の問題だ。仕方ねえだろう」


「まあなあ」


 そういってイェルフは穂先に元通り覆いをかけると、その場に座り込んでまたお酒を飲み始めた。

 一段落ついたようなので、私は話の方向を元に戻そうと試みた。


「それで、結局このナイフがどうしたっていうの?」


「おお、そうだったそうだった。

 すっかり脱線しちまったな」


 ドケナフはこちらに向きなおると話の続きを始めた。


「まあなんだ。

 俺の理想には程遠いとはいえ、出来る限りの努力はしてきた。

 依頼人からの評判は上々だ。

 そうしている内に、とうとう霊鋼の武器を作ってみないかとお声がかりがあったわけだ。

 さっきも言ったが、誰にでも回ってくる話じゃねえ。

 試し打ちに挑めるだけでも二十年に一人いるかいないかってところだ。

 お声がかりだけでも名誉な話よ。

 もちろん二つ返事で引き受けた。

 そうして出来上がったのが、そいつだ。俺の理想をありったけぶち込んだ、最高傑作だ。

 だがまあ、ここまでの話を聞いてりゃどうなったかはわかるだろう」


「受け入れて貰えなかったのね」


「そうだ。

 霊鋼で作られた武具は、神々に捧げられた後、その時々の英雄的な戦士に貸し与えられる。

 長老衆はこのナイフが美しいということは渋々認めたが、しかし神々に捧げるには相応しくないと判断した。

 英雄は神々の代行者としてその武器を振るうのであるから、一目でわかる程に華麗で威厳がなくてはならないと言うんだ。

 悔しいが、そう言われちまえば仕方がない。

 俺は涙を呑んで引き下がった。おそらくこうなるだろうとは思っていたんだ。

 ありがたいことに、長老衆はこのナイフをそのまま持っていてもよいと言ってくれた。

 貴重な霊鋼だからな、普通は試し打ちで落第すれば鋳つぶされるんだ。

 だが、それはあまりに忍びないってな」


 私はドケナフの手元の駒をもう一度見た。

 彼の生き方は、その手先に比べてずいぶんと不器用だ。


「飾り立てたナイフを作ればよかったじゃない。

 作ろうと思えば作れたんでしょ?」


 すると、私の言葉にドケナフは体をぶるりと震わせた。


「嬢ちゃんはとんでもないことを思いつくな。

 神々に納めるんだぞ。必ず自身の最高傑作でなきゃならん。 

 仮に俺が本心を隠してそんなものを作ったところで、神々には必ず見抜かれる。

 魂の偽証だ。死後に至るまで呪われちまうよ」


「そういうものなのかしら?」


「そっちの神がどうかは知らんが、俺達の神はそうなんだよ」


 どうやら私たちの神はずいぶんと寛大だったらしい。

 嘘をつく人には大勢出会ったけれど、それで天罰を受けたという人には会ったことがない。


「話を戻すぞ。

 試し打ちに通らなかったのはまあいい。

 問題はそれからだ。

 『飾りのない無骨な武器を神々に納めようとした』って話が独り歩きしちまってな。

 それでついた二つ名が〈ヤボ金槌〉ってわけだ」


 ドケナフはそう言ってこちらに手を差し出してきた。

 私がその手にナイフを返すと、愛おし気にその刃腹を撫でた後、彫刻を再開した。

 話はもう終わりだということなのだろう。



「ねえ、他にはないの?」


 私の問いに、ドケナフが顔も上げずぶっきらぼうに応える。


「なにがだ」


「それ、チェスの駒でしょ?

 完成してる駒はないの?」


「それならほれ、そこの袋ん中だ」


 そう言って彼は顎で足元の革袋をさした。


「みたけりゃ勝手にみていいぞ」


「ありがとう」


 早速袋を拾い上げ中を覗くと、言われた通りチェスの駒がゴチャゴチャと詰まっていた。

 中身を出して並べてみる。

 既に大体の駒は揃っているらしい。

 足りないのは、白の騎士とお城の駒が一つずつだろうか?


「ほれ、できた。

 これも入れといてくれ」


 ドケナフが先ほどまで彫っていた騎士の駒を投げてよこした。

 これで残りはお城だけ。完成まであと少しだ。


「これ、全部揃ったら譲ってもらえないかしら?

 もちろんタダでとは言わないわよ」


 お義姉さまはチェスが大好きだ。

 夕食の後によくお兄様を相手にチェスをさしていた。

 目が見えないはずなのに、ファラに棋譜を読み上げさせるだけで盤面を把握できるらしい。

 そしていつもお兄様をコテンパンにやっつけるのだ。

 ドワーフの作った工芸品はそれだけで価値があるし、なによりドケナフが彫った駒は見た目だけではなく手触りもいい。

 仲直りのしるしにこれを贈れば、きっと喜んでもらえるはずだ。


「構わんが、金は持ってるのか?」


「……後払いじゃダメ?」


 王族とはいえ所詮は小国。私が自由にできる財産はそれほど多くはない。

 家出に際していくらかの銀貨や宝飾品は持ちだしてきたけれど、ドワーフのチェスセットを買えるほどじゃない。


「それじゃあダメだな」


「お城に戻ればそれなりの財産はあるし、絶対踏み倒したりしないわ。

 ねえ、だからお願い……」


「そうじゃなくてだな。

 こいつは外の村に持っていって、食料と交換するために作ってるんだ。

 肉なら森の中でも手に入るが、酒や塩はそうもいかねえ。

 特に塩はな。ケィルフが大量に使う。

 だから現物払いならまあいいが、後払いじゃ困るんだよ」


 なるほど。

 それならば諦めるしかない。

 ドケナフは「よっこらせ」と言いながら立ち上がると、石人形の行列に向かっていく。

 それから、石人形の一体に手を伸ばし、手ごろな大きさの小石を一つ掴むと、人形の体からむしり取った。

 むしられた人形はよろめいたが、すぐに姿勢を立て直すと何事もなかったかのように歩き去っていく。


「そんなことして、イェラナイフに叱られるわよ」


「いいんだよ。遊んでるわけじゃないんだから」


 ドケナフは元の場所に腰を下ろし、新しい駒を削り始めた。

 そうして手を動かしながら彼は機嫌よく言う。


「しかし、この辺りの連中はまったく気前がいいな。

 こうして片手間に彫った駒を、たった一揃いでうまい果実酒十樽と交換してくれるっていうんだから。

 おかげで道中ずいぶんと助かった」


「えっ」


 私は耳を疑った。


「チェスの駒一揃いがお酒十樽ですって!?」


「そうともよ。

 〈はがね山〉であんなに美味い果実酒を地上人から買おうと思ったら、一樽ごとに金でできた駒一つと交換せにゃならん。

 それが石の駒一揃いで十樽と交換できるってんだからありがたい話だ。

 大方、みすぼらしい旅人を憐れんでくれたんだろう」


「逆よ! 安すぎるわ!」


 私は思わず叫んでしまった。

 ドワーフのお宝がそんなに安く買い叩かれていたなんて。

 道理で。

 ドワーフとの交易が儲かるっていうのはこういう仕掛けだったのね。


「ただの石だぞ?

 こんなもんだろう」


「あなた達が加工すればただの石じゃなくなるの!」


 なにしろ『ドワーフが作った』という触れ込みだけでも値段が跳ね上がるのだ。

 その上、ドケナフのこの腕前。高値がつかないはずがない。


「例えばもし私のお城にこれが持ち込まれたなら、少なくとも五倍の値段で取引されるはずよ。

 嘘だと思うなら今度村に行くときは倍の二十樽を要求してみなさいな。

 それも最上の樽でね!

 それだって彼らは喜んで取引に応じるから」


「本当か?」


 ドケナフは疑わし気に首を傾げた。


「本当よ。

 まあ、村にそれだけの在庫があればの話だけど」


 彼らとて倉庫の食料には限りがあり、それ以上は出したくても出せない。

 行き先が小さな村ならなおさらだ。

 そうなれば、こちらは譲歩せざるを得ないだろう。


「在庫に関しちゃ心配あるまい。

 森に入る前に立ち寄った村があってな。

 しばらくこの森に滞在すると話したら、

 『たっぷりと交換用の食料をかき集めておくから、次もぜひこの村で』

 って言われてんだ。

 俺たちが食う分を交換するぐらいなら問題なかろう」


 さて、それで済むかしら?

 欲張った村人が、在庫を集め過ぎていなければいいんだけど。


「それならもう少し吹っ掛けても大丈夫かもしれないわね。

 ねえ、他には交換用に作ったものはないの?」


 チェスの駒は諦めるにせよ、やっぱり何かお土産が欲しい。

 手持ちのお金で交換できるものがあるなら、今のうちに交換しておきたい。


「それならあっちの箱の中だ。

 遺跡を見つけるまでに作ったやつが結構たまっててな」


 彼が差した小箱の中には布や藁で包まれた拳大の置物が無造作に放り込まれていた。

 数にして十個ばかりか。

 盾を構えたドワーフの戦士に、咆哮するドラゴン、泥棒豚、それから見たこともない怪物たち。

 どれもこれも今にも動き出しそうで、見ているだけでワクワクしてくる。

 ドケナフの作品を眺めていると、遺跡の奥へ通じる入り口にイェラナイフが姿を現した。

 イェルフとネウラフも一緒だ。今日はもう作業を切り上げてきたらしい。


「あら。今日は早いのね」


 私が声をかけると、イェラナイフは頭を掻きながら答えた。


「塩の減り具合が思ったよりも早くてな。

 ケィルフも疲れがたまってきたようだから、今日は切り上げることにしたんだ」


 イェラナイフの背後では、なるほどケィルフがぐったりとした顔で座り込んでいる。

 彼はここのところ魔法を使いっぱなしだ。当然疲れもするだろう。


「魔法疲れには月光浴が効くわよ」


 これは戦争中に狩人の一人から教えて貰ったやりかただ。

 彼のお婆様も魔女だったそうで、魔法をたくさん使った日の夜はいつも外に出て月の光を浴びていたのだという。

 私も月明かりが大好きなので、昔から雲のない夜はよく散歩をしていた。


「なるほど、今夜にでも早速試してみよう。

 ところでドケナフ。駒は揃いそうか?」


「おう、これで最後だ。

 もうじき出来上がるぜ」


「よし、丁度いいな」


 イェラナイフはそう言って大きく頷くと、イェンコに声をかけた。


「はいよ、隊長。何か用かね」


「ドケナフのこれが出来上がったらちょいと交易に出て欲しい。

 目的は塩と食料の入手。

 イェルフとドケナフを連れていけ。

 村までの道は覚えているか?」


「元の小屋までならどうにか。

 その先はちょっとうろ覚えだのう……」


 ちなみにこの辺りでは、遺跡にかけられた魔法のおかげで、少しコースを外れるとどこにいようがいつのまにか元の小屋の近くに出るようになっているらしい。

 要するにイェンコは全道程がうろ覚えということだ。


「私が道案内するわよ。

 どの村に行けばいいの?

 行きつけの交易相手がいるんでしょ?」


 私の申し出にイェラナイフの顔がほころんだ。


「リリーはこの森の地理に明るいんだったな。

 リモチグという村なんだが、わかるか?」


 やっぱりあちら側か。

 リモチグは森の西側、つまりホルニア人の住む村だ。

 マノアの王女としては、こちら側の村に連れて行きたいところだけれど、それでは買取できる量もたかが知れている。

 森の縁にある村々はどこも貧しい。

 悔しいけれど、約束があるというならそこで取引するのが一番だろう。


「もちろん。そこなら何度かお邪魔・・・したことがあるわ」


 まあ、歓迎はされたことは一度もないけれど。

 リモチグ村は森を東西に横断する交易路の入り口近くにあり、その立地から森で戦をする際にはホルニア軍の拠点になることが多い。

 私が訪問したのはいずれもその縁でのことだ。


「案内できるのは森の出口までよ。

 村の人に私の姿を見られると面倒なことになるでしょうから」


「それで十分だ」


 イェラナイフは何故とは聞いてこなかった。

 多分、イェンコ辺りを通じて既に事情を知っているのだろう。



 翌朝早く、私たちはパカパカを連れて出立した。

 聞いていた通り、遺跡に向かった時とは比べ物にならない早さで元の小屋についた。

 何より恐ろしいのは、移動中一度も違和感を覚えなかったことだ。

 本当に気がついたら今の場所にいたのだ。

 あらかじめ『魔法がかけられている』と知らされていなければ、異常が起きたことすら気づけなかっただろう。

 なるほど、これなら森の狩人たちが誰もあの場所を知らなかったのも頷ける。


 小屋の井戸で喉を潤し、移動を再開する。


「さあ、こっちよ」


 私が歩き出そうとしたところでイェンコが首を傾げた。


「お嬢さん、街道はあっちの方だったはずだが」


 イェンコもうろ覚えなりに方角ぐらいは覚えていたらしい。


「そうだけど、あの道沿いは盗賊が出るし、荷車なしならこっちの抜け道を通ったほうが早いわ」


 少人数で行動する私たちは、奴らから見れば格好の獲物に見えることだろう。

 もちろん私たちなら返り討ちにするのは簡単だ。

 それでも、不意に矢でも射られればパカパカまでは守り切れない。

 避けられる面倒は避けた方がいい。

 それにあの交易路は荷車を通すための物だ。

 パカパカは多少険しい道でも、人間が踏破できるなら同じように踏破できる。


「なるほど、それじゃあそっちの方がよさそうだの」


 私を先頭に再出発。

 この抜け道を通れば、陽が沈むよりも前に森を抜けられるだろう。



 特に何事もなく森の西縁にたどり着いた。

 陽はしばらく前に天頂を越しており、陰り始めの陽光が樹々の隙間を縫って森の中まで入り込んでいた。


「私が案内できるのはここまで。

 リモチグの村はそこの丘を越えればもう見えてくるはずよ」


「ありがとう、お嬢さん。

 陽が沈む前に森を出られるとは思わんかったよ。

 なるべく早く戻ってくるから、ここでしばらく待ってておくれ」


「それには及ばないわ」


 どんなに急いだところで、今から村に向かい、交渉を済ませて荷物を倉庫から運び出し、パカパカの背に全て積み終える頃にはもう完全に陽が沈んでいるはずだ。


「あまり急ぐ様子を見せると足元を見られるわよ。

 私のことは構わないから、じっくりと交渉してきなさいな。

 多分、今日は村に泊っていくように言われるでしょうから

 素直に泊めてもらってくるといいわ」


 私の言葉にドワーフたちは顔を見合わせた。


「確かに、以前訪れた時も随分と歓迎されたが……しかし、お嬢さんはどうするつもりかね」


「私なら木の上で寝るから大丈夫よ」


 それを聞いてドケナフが顔をしかめた。


「大丈夫じゃねえよ。

 嬢ちゃんが野宿してるってのに、俺達だけ屋根の下では寝られんよ」


「酒だってまずくなっちまう」


 と、これはイェルフ。


「お気遣いありがとう。

 でも、あなた達が戻ってきたとしても、どのみち野宿はしないといけないでしょ?」


 夜の闇の中、ただでさえ暗いこの森を迷わず歩くのは流石の私でも無理だ。

 灯りを使えば盗賊達を招き寄せることにもなる。

 視界が悪ければ待ち伏せへの警戒だって難しい。


「だけど野宿するなら私一人の方が楽なのよ。

 私だけなら木の上にベッドを作って眠れば安全だけど、

 あなた達やパカパカが一緒だとそうもいかないじゃない」


 さすがに四人と三匹分のベッドを一晩中木の上に維持し続けるのはちょっと大変だ。

 無理にやったところで、ドワーフやパカパカが慣れない樹上で眠るのは難しいだろう。

 かといって、地上で寝ようと思えば不寝番を立てて警戒しないといけなくなる。

 誰にとっても、何一ついいことがない。


「それに久しぶりに月の光も浴びたいし。

 あなた達だって、村の人たちと交流しておいたほうが

 後々役に立つんじゃないかしら?」


 ドワーフたちはもう一度顔を見合わせると、揃ってうなり声をあげた。


「……お嬢さんや。

 ワシらと一緒に来るわけにはいかんのだろうね?」


「ええ。こっち側の人たちには憎まれているから」


 ついでに言えば顔も割れているので、こっそり混ざりこむこともできない。


「そうそう、もし〈茨の魔女〉の話をされても知らないふりをしておいてね。

 それは私のことだから。

 くれぐれも私と一緒にいるなんて言わないように。

 魔女の仲間と知れたら、食べ物を売って貰えなくなるだけじゃすまないわよ」


 ドワーフ達が顔をこわばらせた。

 イェルフが眉間に皺を寄せながら言う。


「嬢ちゃんは一体何をやらかしたんだ……」


「戦争中の話はしたくないわ」


 誰かを傷つけたり、誰かに傷つけられたり、そんな話ばっかりだ。

 お兄様は誇ってよいと言ってくださるけど、私にとってはあまり嬉しい記憶ではない。

 楽しい思い出もないではないけれど、戦争中でなければもっと楽しかったに違いない。


「すまねえ……無神経なことを聞いちまったな」


「いいわよ、別に。

 全部が全部私がやったわけじゃないけれど、ほら、私って目立つでしょ?

 だから森の中での被害は、全て私の仕業ってことになってるの」


 実際のところ、私が直接手にかけたのは二割もいかないはずだ。

 それだって兵隊さんや、狩人さん達の援護や支援があればこその戦果なのだ。

 私一人でホルニア軍を撃退したわけじゃない。


 少しの沈黙の後、イェルフが口を開いた。


「……イェンコ、嬢ちゃんの言うとおりにしよう。

 それが最善だろうからな」


 だけどイェンコは渋い顔のままだ。


「しかしのう……」


「ナイフだって同じ判断をするだろうぜ」


「隊長か……確かにそうだろうが……」


 イェンコは難しい顔をして、髭をしごきながらもう一度うなり声をあげた。


「早く決めないと日が暮れちゃうわよ。

 流石に夜の訪問者は歓迎されないんじゃないかしら?」


 日没後に森から現れるのは、幽霊や魔物の類と昔から相場が決まっている。

 たとえ見知った顔でも警戒されてしまうだろう。

 私に促されて、イェンコは渋々といった様子で決断した。


「分かった。お嬢さんの言う通りにしよう。

 だが、くれぐれも気を付けておくれ」


「もちろん。だけど心配はいらないわ。

 私は〈白百合の魔女〉。

 森の木々と草花に愛された魔法の使い手よ。

 森の中でなら誰にも負けないわ」


 もっとも、最近はちょっと自信を失いつつあるけれど。

 イェンコも少しばかり疑わしそうにこちらを見ている。


「イェンコ、決めたんならさっさといこうぜ」


「あ、ああ、そうだな。

 ……それじゃあお嬢さん、また明日の朝に」


「ええ、また明日」


 自身の背丈より少しばかり長くなった影を引きずるようにして、ドワーフ達が遠ざかっていく。

 イェンコはまだ気が咎めるのか、ちらちらと、何度もこちらを振り返っていた。


 彼らの姿が見えなくなるまで見送り、ふうと息をつく。

 森の様子はいつもと変わらないのに、急にこの場が空虚になってしまったように感じた。

 思えば彼らと出会ってからというもの、ほとんどずっと誰かと一緒だったような気がする。


 もう少し陽が陰ったら、木の上に寝床を作りに行くことにしよう。

 月が上ってきたら、この厚ぼったい外套を脱いで思い切り月の光を浴びるのだ。

 夜は誰にも邪魔されない、私だけの時間だ。

 ずっと夜が続けばいいと思ったこともある。


 だけど今日ばかりは、少しだけ夜明けが待ち遠しかった。



 目が覚めて葉っぱの隙間から外を覗くと、東の空が白み始めていた。

 しっかりと周囲を葉で覆ってから眠りについたので、もう少し寝ていても問題はない。

 だけど何となく寝直す気にはなれなかった。


 木を降りて朝の諸々を済ませ、身支度を整える。

 出来れば顔も洗いたいところだけど、あいにくとこの辺りに水場はない。

 仕方がないので水筒の水でハンカチを湿らせ、軽く拭くだけで済ませた。


 再び木の上に上がり、西側にあけた窓からじっと森の外をうかがう。

 陽はまだ上り始めたばかりで、森の木々が長い長い影を地に這わせていた。

 こんなに朝早くから見張ったところで、彼らが来るわけがないのは分かっているけれど、他にすることもなかった。


 彼らが再び姿を現したのは、森の影の長さが木の高さとさほど変わらなくなったころだった。

 小柄な人影が三つと、パカパカが三頭。

 行きと違うのは、パカパカの背に文字通り山のような荷物が積まれていることだ。

 どうやら交渉はうまくいったらしい。


 葉っぱの覆いを開いて手を振りたくなったけれど、すんでの所で思いとどまる。

 万が一誰かに見られでもしたら事だ。

 周囲に彼ら以外がいないことをよく確認して、急いで木を降り――ようとしたところで、ふとイタズラを思いついた。

 程よい高さの枝に移動し、隠れてじっと待ち構える。


「おーい! じょーちゃーん!」


 ドワーフたちがキョロキョロと辺りを見回しながら私を呼んでいる。

 そんな彼らに気づかれないよう細心の注意を払いながら、ツタを使って振り子の要領で移動。

 枝から枝へ。死角から死角へ。着地の際には音もなく静かに。

 まずは背後に回り込み、それから接近。

 彼らの頭上を取ったが、まだ気づかれている様子はない。

 上からツタを垂らして、蜘蛛のように静かに彼らに忍び寄る。

 そうして大声を出そうと息を吸い込んだところで、イェルフがさっと振り返り、私の首元に槍を突き付けた。

 もちろん穂先の覆いはついたままだ。


「中々の隠密術だが、エルフども程じゃねえな。

 奴らなら、葉の擦れる音すら立てやがらねえ」


 槍を構えたまま彼はニヤリと笑う。

 とっさの動き、というわけではないだろう。

 あらかじめタイミングを計っていたかのような余裕が感じられた。


「……いつから気づいてたのよ」


「後ろに回り込んできた辺りからかな。

 そう拗ねた顔すんなよ。

 俺様の後ろをとれただけでも大したもんさ」


 イェルフはそう言って慰めてくれるが、不意打ちには自信があっただけに少しショックだった。


「それにしても、交渉はずいぶんうまくいったみたいね」


 ドケナフが上機嫌で答える。


「おうとも! 嬢ちゃんの言った通りだった。

 最初の時よりずいぶんと高く買ってくれたぜ!」


 やっぱりね。

 彼らもボッタクっている自覚はあったのだろう。


「〈茨の魔女〉については何も聞かれなかった?」


「話には上ったがの。

 一度もあっていないと答えたら、それ以上は何も言われんかったよ」


 そう答えたイェンコは少しばかり浮かない顔をしていた。

 食料調達の首尾は上々。彼はもっと上機嫌でもいいはずだ。


「何かあったの?」


「実は隊長宛てに手紙を預かっておるのだよ」


 そう言って彼は封蝋を施された羊皮紙を一巻き、懐から取り出した。


「差出人が誰か聞いてる?」


「それがよくわからんのだ。

 ずいぶんとお偉い方かららしいのだが」


 どうやらドワーフがこの森にやってきているという噂をどこかの偉い人が聞きつけたらしい。

 まあ当然だろう。

 ドワーフが作った彫刻を買い取れる相手なんて限られている。

 となれば、その出所が貴族の間に知れるのは時間の問題だ。

 それにしても面倒なことになった。何しろドワーフとの交易は大変な利益を生み出す。

 ことと次第によってはこの森の帰属問題が再燃しかねない。

 さて、いったい誰がこの手紙を送ってきたのだろうか?


「封を見せてもらってもいい?」


「構わんよ」


 手紙を受け取り、封蝋の印章を確認する。

 押されていたのは〈王冠をかぶった大角牛〉――つまりこれは、ホルニア王直筆のお手紙ということだ。

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