第2話 狩人


 こうして私はドワーフたちの地龍討伐隊に加わった。

 その日は何者かに無残に破壊された壁の修復を皆で行い、ついでに私用の寝台と椅子まで作ってもらってそのまま就寝した。


 翌日、私に最初に割り当てられた任務は食料の調達だった。

 この任務を申し渡す際に、イェラナイフは私にこう言っていた。


「リリー。さっそくお前の力を見せてもらうぞ。

 俺たちはどうしても肉が喰いたい。

 そこで、お前には狩りの手伝いをしてもらう。

 現在の食料調達担当はそこの二人、イェンコとディケルフだ。

 イェンコは腕のいい料理人だが、狩りの方はさっぱりだ。

 ディケルフは一流の罠技師だが……まあ、見た方が早かろう。

 頼みの綱はお前だけだ。くれぐれも頼んだぞ」


 料理人が狩りは不得手だというのはまあ分かるとして、罠技師が使い物にならないとはどういう意味だろう。

 疑問に思いつつも、朝食代わりの山リンゴを口の中に押し込んで、私は二人の下へ向かった。



「まずは昨日仕掛けた罠を見て回りましょう。

 なにか獲物がかかっているかもしれません」


 そういって先頭に立った眼鏡のディケルフの後について私たちは森に入った。


「いや、お嬢さんが加わってくれて本当に助かるよ」


 太っちょドワーフのイェンコは、ふうふうと荒い息をつきながらも山リンゴを片手に上機嫌だ。

 反対側の肩には見事な装飾が施された大きな戦斧を担いでいる。


「隊長には猟師もつれていくように進言したんだが、なんせ危険な旅だからの。

 誰もついてきてくれなんだのよ。

 おかげで、わしらは狩りについては素人ばかりだ」


 それはもう彼らの恰好を見れば一目で分かる。

 得物が戦斧なのはまあいい。

 弓か、せめて槍を持ってきて欲しいところではあるけれど、なんだかんだ言って手になじんだ武器が一番だ。

 だけど身に着けている防具ときたら。

 頭にはとんがり兜、背負った大きな丸盾は鉄張りで、鎖帷子の上から鋼鉄製の胸甲、肩までカバーできる腕当てに脛当てまでつけて一分の隙も無く武装している。

 まるで戦支度だ。

 ついでに言えば、彼らの具足はうちの騎士たちのそれよりも三倍は厚い。

 馬に乗って戦う騎士よりも分厚い装甲をまとって、彼らは一体何と戦うつもりなんだろう?


 案の定、いくらも歩かないうちに彼らはバテてしまった。


 ドワーフだから長く歩くのが苦手とかそういう問題じゃない。

 どう見てもこの無駄な重装備のせいだ。

 平地を歩くならいざ知らず、起伏にとんだ森の中を歩くには全く向いていない。

 倒木一つまたぎ越すだけでもヒイヒイ言いながらの大仕事だ。

 何より甲冑というのは熱がこもりやすい。

 比較的涼しい森の中とはいえ、激しい運動を続ければどうなるかなんてわかりきったことだ。 


「……皆さん。そろそろ休憩にしましょう」


 ディケルフが息も絶え絶えにそう提案してきた。


「別にいいけど……あなた達、なんでそんなに重装備なの?」


「なぜって……なあ?」


 私の指摘に二人のドワーフが顔を見合わせた。


「この森にはとてもとても恐ろしい怪物がいるんだとか。

 森に入る前に、親切な地上人が教えてくれたんですよ。

 あなたもこの森に詳しいなら一度ぐらいは聞いたことがあるんじゃないですか?」


「心当たりがないわねえ……」


 確かに不気味な噂話の絶えない森ではあるけれど、私が聞いたことがあるのはどれもお伽話や怪談の類だ。

 現実的な脅威かといわれるとずいぶん怪しい。


「あなたたち、いったいどんな話を聞いてきたの?」


「なんでも、この森には人喰い鬼が棲んでいるそうです」


「人食い鬼」


「森に足を踏み入れた者をことごとく殺しちまうらしい」


「邪智奸計に長け、亡者の軍勢を率いて奇襲伏撃の類を好み、

 数々の怪しい妖術を使った卑劣な戦い方で屈強な騎士すら討ち取ってしまうそうです」


「見た目からしてこの世の者とは思えないほど恐ろしく、幽霊みたいに全身真っ白なのに眼だけが爛々と赤く輝いて、赤ん坊を攫って喰っちまうとか何とか――」


「でたらめよ!」


 あんまりにも酷い言われようなので思わず彼らの話を遮ってしまった。

 その怪物とやらはどう考えても私のことだ。

 いったい誰がこんな悪意のある噂を流しているのやら。

 

「私、この森には何度も出入りしているけど、そんな奴は見かけたことすらないわ」


「だけど、この話をしてくれたお爺さんは嘘をつくような方には見えませんでしたよ」


「なんでも、その爺さんは実際にその化け物に一人息子を殺されたそうでな。

 わしらが森に入るつもりだと言ったら、それはもう心配そうに引き留められたよ。

 やっぱり、いるんじゃないかのう」


 なるほど。事情は分かった。


「いいえ、いないわ。

 少なくともあなたたちが襲われることはないわね」


「どうして断言できるんですか」


「だって多分、その森の怪物って私のことだもの」


 そう言ったとたん、ディケルフがギョッとした表情を浮かべて私から距離をとった。


「全身真っ白で、目が真っ赤……言われてみれば確かにその通りですね……」


「お、お嬢さん、本当に赤ん坊を攫って喰うのかい?」


「食べるわけないでしょ!」


 ひどい誤解だ。

 私は一度大きく深呼吸して気持ちを落ち着ける。


「あなた達、西の方からこの森に入ったでしょう?」


「おお、よくわかったな。

 ワシらの〈はがね山〉はずっと北西に行ったところにあってな。

 ここから行くには、大きな山を三つ、大河を二つ、狭い海を一つ越え、

 それからゴブリンとトロルどもが巣食う黒い森と火吹き竜の谷を――」


 話が長くなりそうだ。


「そんなことはどうでもいいの。

 ともかく、この森の西に住む人達が私のことを何と言ってても信じちゃだめ。

 あの人たちはみんな私のことが嫌いなのよ。

 だからそんな風に私のことをひどく言うの」


「どうしてですか?

 あ、さてはあの魔法の力でイタズラを――」


「違う!」


 ディケルフはいったい私を何だと思ってるのかしら?

 まあ、まったく心当たりがないと言えば嘘になるけど。

 でも直接の原因は別なところにある。


「……戦争をしてたのよ。

 だから、お爺さんの息子が私に殺されたっていうのは、たぶん本当。

 でも、戦争中のことはお互い様よ。

 私だって、殺されてあげるわけにはいかないもの」


 戦争と聞いて彼らもおおよその事情を察してくれたらしい。


「なんともまあ、お嬢さんのようなかわいらしい子が戦とは……痛ましいことだ」


 太っちょのイェンコが悲しげにため息をついた。


「すると、やっぱりこのクソ重たい防具は無駄だったということかのう……」


「そういうことになるわね。

 それでどうするの?

 私としては、防具を置きに戻って身軽になることをお勧めするけど」


 どうせまだ大した距離は歩いてはいないのだ。

 ディケルフもがっくりと肩を落としながら言う。


「そうさせてもらいましょう。

 罠のあるところはまだ先ですからね。

 正直、戻るだけでもしんどいですけど……」


 余計な防具を小屋に置いて再出発。

 今度は戦斧と盾だけを背負い、投擲用の手斧を二本ずつ腰に吊るした格好だ。

 身軽になったドワーフたちは足取りも軽く、程なくして罠を仕掛けた地点にたどり着いた。

 

「おや、獲物がかかったようですね。

 どうです、すごいでしょう」


 そういって眼鏡のディケルフが自慢げに指した先に獲物はいない。

 あるのは凄惨な血飛沫の跡と、肉塊と呼ぶのもはばかられるような断片だけ。

 それらが辺り一面にまき散らされていて、とんでもなく酷い臭いがただよっている。

 ボロボロにちぎれた毛皮の破片から、かろうじて獲物が鹿だったらしいことだけは分かった。


「たしかにすごい威力ね」


 その点は同意せざるをえない。


「だけど、私たちのお肉はどこに消えてしまったのかしら?」


「森の動物たちが持って行ってしまったんじゃないですかね」


 なるほど。


「わざわざ小分けに切り刻んでくれてあったんだから、動物たちもさぞ持ち帰りやすかったことでしょうね」


 私が皮肉を言ってみても、眼鏡のディケルフはまるで動じた様子がない。


「フフン、計算通りです。

 あ、お二人はそれ以上近づかないでください」


 言われなくても、あんな汚い場所にわざわざ近づきたいとは思わない。

 だけど、彼の言葉は思っていた以上に実際的なものだった。


「見ててください、ほら」


 彼が足元の小枝を拾って投げると、ドワーフ達が使う大きな戦斧がどこからか回転しながら飛んできて、反対側の木を七本ばかりなぎ倒して止まった。

 いったいあれは何を狩るための罠だったのだろう?

 鹿や猪じゃないのは確かだ。

 熊を狩るにしたって過剰な威力だろう。

 そんな罠が、他にもまだいくつか仕掛けられているらしい。

 喜々として罠の解除作業をはじめたディケルフを横目に、太っちょのイェンコにきいてみた。


「あなたたちの国では、狩りってああいうモノなの?」


「いいや、お嬢さん。

 猟師連中は、くくり罠や落とし穴を使うことが多いよ。

 あとはまあ、トラバサミやカゴ罠かのう。

 うちの罠技師殿も腕はいいんだが、まあ、見ての通りの奴でなあ……」


 確かに罠技師としての腕は本物に違いない。

 あれだけ大掛かりな仕掛けなのに、私も罠の存在にまったく気づけなかった程だ。

 だけど、どうしてこうなるのかしら?

 私たちの会話が耳に入ってしまったのだろう。

 罠の解除にいそしんでいたディケルフが会話に加わってきた。 


「一つ言い訳させてくださいよ。

 私の本業は、狩猟用ではなく戦争時の防衛用の罠なんです。

 捕獲ではなく殺傷が主目的なんですね。

 誰だって手負いのトロルなんて相手にしたくないでしょう?

 だから、タフな怪物を確実に殺しきるだけの威力が必要なんです」


 トロル。これも今となってはお伽話にしか出てこない名前だ。

 はるか西には、今でもそういう不思議な生き物がたくさん生き残っているのだろうか。


「だからって限度っちゅうものがある。

 何年か前の戦の後だったか、お前さんの担当場所を戦場掃除しに行った奴らが

 げっそりやつれて戻ってきたうえ、わしが用意した晩飯を全部吐き戻した事があっただろう。

 全員がだぞ!

 一体何をしたらあんなことになるんだ」


「あれは貴方にも責任があると思いますよ。

 よりによって晩の献立にモツ煮込みを選ぶなんて。

 あとはまあ、相手がエルフだったのも関係してたんじゃないかと」


「他の場所を担当しとった奴らは平気だったぞ!

 あの日のスープはわしの人生でも五本の指に入る出来だったというのに

 まったくもったいないことをしてくれたものだわい」


 二人は私を置いてけぼりで昔話に興じているけれど、何が起きたかは大体わかった。


「それで〈挽肉製造機〉ってわけね」


「そうなんですよ。

 私の戦区の掃除担当たちが罠の威力にちなんでつけてくれたんです。

 ひどい綽名のようにも聞こえるでしょうが、誉ある名だと私は思っています」


 経緯を聞く限り、かなり怨みのこもった二つ名にしか思えないけれど……。

 まあ、本人が満足しているならいいのかしら。


「皆さん口を揃えて無駄な威力だといいますけどね、

 それでも、もし私がもっと威力のある罠の開発に成功していたら

 あるいは地龍の襲撃もずっと少ない犠牲で撃退できたんじゃないかと思うんですよ」


「それはどうだろうなあ……」


 首をひねるイェンコに対してディケルフは自信満々だ。


「間違いありません。

 だから隊長も私に声をかけたのでしょうしね」


「あら、罠を使って倒すつもりなの?」


「この人数であれを倒そうと思ったら、他に手段はありません。

 もっとも、どんな罠で倒すつもりかまでは知らないですが」


「そんなんで大丈夫なの?

 そもそも、どうやって罠におびき寄せるつもりなのかしら」


「地龍は古代の遺跡に眠る霊気結晶に惹きつけられると言われておっての。

 隊長は次の目標がこのあたりの地下遺跡ではないかと睨んでおる。

 そこでこうして先回りをして、準備を整えた上で迎え撃とうとしとるわけだ」


「でも、肝心の遺跡がまだ見つかってないんです。

 戦い方は、遺跡の地形と状況次第といったところですね」


 なるほど。


「あなたたち、結構行き当たりばったりなのね」


「無茶は最初から承知ですよ。でもまあ、普通なら分の悪い賭けでも、

 私達のように失うものが少ない身からすれば割のいい賭けになるわけです。

 うまくいけば『歴史の間』に私たちの像が建ちますよ!」


 行き当たりばったりどころか破れかぶれだった。


「それでも、たった一つの命でしょう?」


 私がそう言うとイェンコの目がスッと細まった。


「そう、たった一つだ。

 だからこそ、その使い道が重要なのだよ」


 普段の好々爺然としたそれとはまるで違う、抑制され覚悟の決まった声だった。


「わしは飯を作る以外に能がない。今更ほかの技能を学べるほど若くもない。

 厨房を追い出された以上、〈はがね山〉には無駄飯喰らいとしての余生しか残っとらん。

 だが、ここでは違う。

 英雄達のために飯を作り、英雄達と共に戦うことができる。

 たとえ地龍相手に命を落とすことになるとても、ただただ余命を持てあますよりよほどましな使い道だろうて」


「死に場所を求めているってこと?

 私にはわからない考え方ね」


 なにせ、命大事で恥も外聞もなく逃げ出してきた身だ。

 戦場に出たこともあるけれど、あれは自分と家族の命を守るための戦いだった。


「死に方の話なんぞしとらん。

 生き方の話をしとるんだ」


「違いがわからないわ」


 死地に赴くことを良しとするなら、それは死に方を選んでいるのと同じなんじゃないかしら。


「そんなに深刻な話でもないですけどね。

 勝率は意外と高いんじゃないかと私は踏んでいます。

 なんといっても、我らを率いるはあの〈間違い種のイェラナイフ〉なんですから」


「間違い種?」


 一体何のことかしら?


「お嬢さんは知らんでええ。

 おい、ディケルフ。お前さんもその名をだすな。

 隊長がその二つ名を嫌がってるのは知っとろうが」


「すみません、軽率でした。

 リリーさん、この件はどうか忘れてください。

 それじゃあ私は罠を片付ける作業に戻りますね」


 そういってディケルフは気まずそうに藪の中に戻っていった。


「お嬢さんや」


 ディケルフが消えていった先をぼんやりと見つめているとイェンコが話しかけてきた。


「なあに?」


「お嬢さんこそ、なんでこの戦いに加わったのかね。

 ディケルフはああいったが、やはり勝算の低い危険な戦いだ。

 わざわざ関わる必要もなかったろう」


 話の流れ的に、なんだか面白そうだったから、とは言いにくい。


「生き残るためよ。

 あのままじゃ、お城に送り返されそうだったんだもの」


「さすがにそんなことはせんよ」


 イェンコは苦笑しながらそう言うけれど、さてどうだろう?

 少なくとも〈酔っ払い〉のイェルフは本気で私を酒樽と交換しそうに見えた。


「それに、この森で暮らすならあなた達と一緒のほうが安全だし、

 いざとなったら逃げればいいんだから」


「ハッハッハッ!

 お嬢さんはなかなか狡猾だな。

 だがまあ、土壇場で逃げるのはなしにしてもらいたいのう。

 怖くなったなら戦いが始まる前に言っておくれ。

 そうしてくれれば、まだやりようはある。

 それにお嬢さんには義のない戦だ。誰も咎めはせんだろうて」


 こんな風に言われてしまうと、私のように善良な人間はかえって逃げづらくなってしまう。

 でもきっと、この年かさのドワーフはそんなことまでは考えていないだろう。

 純粋に親切心からこう言ってくれているのだ。

 うちの宮廷もこんな人たちばかりだったらよかったのに。


「それに、痛快じゃないかと思ったのよ」


「なにがかね」


「私たち魔女はおとぎ話ではいつも悪役じゃない?

 それが今度は、竜を退治する側になるのよ。

 英雄みたいに!」


 これを聞いてイェンコの眉尻が少し下がった。


「お嬢さんの国では精霊憑きの扱いはそんなにひどいかの」


「精霊憑きって、この前もそう呼ばれたけどなんのことかしら?」


「お嬢さんの様に特別な力を授かった者のことだよ。

 わしらの間では、精霊がその身に宿って力を与えているのだと考えられておる」


「私たちの国では、魔女、あるいは魔法使いと呼ばれているわ」


「あまりいい意味ではなさそうだの」


「まあ、よくはないわね。

 特に西隣の国では悪魔の手先として火炙りにされるみたいよ」


 西のホルニアでは太陽教が盛んだ。

 彼らの教えでは、魔法とは夜の闇から生じる邪悪な力であり、その使い手は焼き滅ぼさねばならないとされている。

 魔法使いたちに何かしら欠けた箇所があるのは、その身が闇に呪われている証拠である、とも。


 その点、この国に王族として生まれた私は非常に幸運だったといえる。

 私が生まれてからこっち、宮廷で大っぴらに魔女の悪口をいう人はいない。

 お兄様が即位してからは特にだ。

 だけど、この国では元から魔女の扱いが良かったのかといえばそうではない。

 大人、特に老人たちの態度を見ていればわかる。

 私とすれ違った後、彼らがこっそり魔よけの印を結んでいるのを見ることが時々あった。

 あちらの国のように即火炙りとまではいかずとも、やはり彼らにとって魔女は不吉な存在なのだ。


「あなたたちの国では違うの?」


「能力と、当人の振る舞い次第じゃな。

 その力を皆のために振るえば尊敬されるし、悪意のために振るえば嫌われる。

 とは言え何かが欠けている者というのはそれだけで見下されやすい。

 力によってはそれだけで危険な存在とされることもある。

 そういう立場の弱さに付け込もうとする輩もおるのだ。嘆かわしいことにな」


 そう言ってイェンコは溜息をついた。

 ようするに私たち異能者の扱いはどこも大きくは変わらないのだろう。


 そんな話をしているとディケルフがひょっこりと戻ってきた。


「お待たせしました。

 罠の解除が終わりましたよ」


 その腕には斧やら刺付き鉄球やら円盤鋸やら、物騒なものをどっさりと抱えている。

 一体どこにこんなにたくさんの凶器を仕込んでいたんだろうか?


「残った端肉だけでも集めれば結構な量になるはずです。

 持ち帰って肉団子スープでも作りましょう」


 ディケルフの提案にイェンコが顔をしかめた。


「いやダメだろう。腹を壊すぞ」


 私も老ドワーフに賛成だ。

 だってお腹の中身も一緒にまき散らされているんだもの。



 先ほどの場所はあまりにも血なまぐさくなってしまっていた。

 これでは当分獲物は近寄らないだろう。

 そこで少しばかり離れた場所に新しく罠を仕掛けることになった。


 獲物の通りそうな場所を探す道すがら、前から気になっていたことを聞いてみた。


「ねえ、イェンコ」


「何かねお嬢さん」


「あなたの〈泥棒豚〉っていう二つ名、やっぱりつまみ食いのせいでついたの?」


 私がそう訊ねたとたん、イェンコは盛大な笑い声をあげた。


「いやいや、そうじゃないんだよお嬢さん。

 これは正真正銘、先代の国王陛下より賜った誉ある二つ名だ」


 豚だけでも酷いのに、その上泥棒とは一体どんな誉れなのだろうか?


「まあ、お嬢さんが疑問に思うのも無理はない。

 泥棒豚っちゅうのは、洞窟の奥に棲んどる豚に似た生き物のことでな。

 ほれ、こいつだ」


 そう言って彼は、担いでいた戦斧を私に見せてくれた。

 刃腹にモグラと豚を混ぜたような不細工な生き物が彫り込まれている。

 その精緻な彫り筋を見る限り、彫り手が下手というわけではないらしい。

 本当にこういう生き物なのだろう。


「これがわしらの地底キノコ農場を荒らすうえ、捕まえても毒があって食べられんものだから大変に嫌われておったのだよ」


 かわいくない上に厄介者。

 聞けば聞くほど誉れから遠ざかってゆく。


「それがある年に大量発生しおってな。

 あんまりたくさん押し寄せてくるものだから、死体の始末すら追いつかん始末だ。

 困った先代の国王陛下が、どうにかあれを食べる方法を見つけるようわしにお命じになったのよ。

 そうして、さんざんな苦労の末にようやく調理方法を見つけてみればこれがうまいのなんのって!

 その功績を讃えて陛下御自ら賜れた二つ名が〈泥棒豚のイェンコ〉というわけじゃ」


 イェンコの誇らしげな顔を見るに、王様から名を賜るというのはよほどの名誉であるらしい。

 そこまでの栄誉を与えられるからにはその泥棒豚とやらはよほどの美味だったのだろう。


「私もいつかその泥棒豚を食べてみたいわ」


「いいともいいとも。お嬢さんもいつか〈はがね山〉を訪ねてきておくれ。

 その時にはとっておきの泥棒豚料理をふるまってやろう。

 まあ、この討伐行を生き残れたらの話になるが」


 やった。戦いの後の楽しみが増えた。

 ドワーフたちの国は随分遠方にあるようだけど、いつか必ず訪ねてみよう。


「それにしても、あの時は驚きましたよ」


 前を行くディケルフが振り返りながら言う。


「イェンコさんは、毒抜きの成果を確かめるために、

 いちいち自分で食べて確かめてたんですから」


「えっ、毒を⁉」


「そうなんです。

 しまいには骨と皮ばかりにやせ細ってしまいましてね。

 陛下がもう止めるように言ってもさっぱり聞かないんです」


「何でそこまでするの⁉

 命令も取り消しになったんでしょう?」


「何でって……なあ?」


 私の問いにイェンコは不思議そうな顔をした。

 なぜここでそんな顔をするのかが私にはわからない。


「私はイェンコさんの気持ちもわかりますよ。

 一度始めてしまったらやっぱり気になるじゃないですか。

 そういうものでしょう?」


 二人して「どうしてわからないのかがわからない」とでも言いたげな顔だ。

 どうやら、種族の壁というのは思っていたよりも高くて厚いらしい。



 まだ真新しい動物の糞を見つけて私は足を止めた。

 多分猪だろう。

 その場に屈みこんで地面をじっくりと観察すると、幾筋かの足跡も見つけることができた。

 この糞の落とし主はどうやらここを頻繁に通っているらしい。


「この辺りがよさそうね」


 私がそう言うと、イェンコが感心したように言った。


「ほう、わかるものなのかね」


「多少はね。昔、狩人のおじさんに教えてもらったの」


 戦争に参加した時のことだ。

 お兄様の軍勢には道案内や斥候のために狩人が大勢雇われていた。

 森の中で遊撃を仕掛けるのが私の仕事だったから、自然と彼らとは親しくなっていた。


「それではさっそく罠を仕掛けることにしましょう」


 そう言ってディケルフは背負っていた荷物をガチャガチャと解き始めた。

 凶器の山だ。先ほど解除したあの凶悪な罠の部品たちだ。


「それはしまって!」


 また獲物をバラバラにされてはたまらない。


「ですが――」


「いいから! 魔法で罠を作るから、今回は見ていてくださらない?」


 魔法の罠と聞いて彼の目がとたんに輝いた。


「魔法の罠! 見せて貰えるんですか⁉」


「ええ。だからその荷物をしまっていただけるかしら?」


「もちろんですとも!」


 彼のあまりにキラキラした視線に何となく居心地の悪さを感じたものの、ひとまずは良しとする。

 おとなしくしてくれるのならそれが一番だ。


「いい? よく見ていて」


 私は手近な蔓草に呼び掛ける。

 するとその蔓草がフヨフヨと伸び始めた。

 ちょうどよい長さになったところでそれを止め、今度は強くなれと念じる。


「ねえ、ちょっとこの蔓草を切ってみてくれないかしら?」


「お安い御用です」


 ディケルフは背負っていた戦斧を構えると、一気に振り下ろした。

 ところが彼の気合の入った一撃を受けても、私が魔法で強化した蔓草はポヨンとその刃を押し返した。

 もちろん傷一つついていない。


「もちろん、引っ張っても簡単にはちぎれないわよ」


「これはなかなか大したものですね!

 それでこれをどうするんですか?」


「こうして、手近な枝に結び付けて、と」


 蔓草を結び付けた枝に魔法をかけて、同じように強化する。

 それから、枝を大きくしならせてそのまま軽く固定。

 続いて穴を掘る。ここに仕掛けを施して、この穴に足を踏み込むと先ほどの枝が解放されるようにしておく。

 最後に蔓草の先端を結んで輪を作り、穴を取り囲むように配置する。

 こうすることで、穴を踏み抜いた獲物は足をくくられて逃げられなくなるのだ。

 おっと、仕上げを忘れていた。穴と輪っかが見えないように周囲の落ち葉と枯れ枝を集めて覆い隠す。

 完全には隠せていないけど、まあこんなもので十分でしょう。


「これでよし!」


 罠を完成させて振り返ると、ディケルフがとても悲しそうな顔でこちらを見ていた。


「あの、リリーさん」


「なにかしら?」


「これってただのくくり罠ですよね?」


「そうね」


 基本的な構造としてはその通りだ。


「魔法の罠が見られると聞いて、とても楽しみにしていたんですが」


「魔法ならちゃんと使われてるじゃない。

 私のこの罠なら、熊だって捕まえておけるわよ」


 ただ蔓と枝を強化しただけというなかれ。

 私にくくり罠を教えてくれた狩人のおじさんは、私のこの魔法を見て大喜びしたものだった。


「いえ、ね。すごいっていうことはわかるんですよ?

 わかるんですけど……なんというか、こう、地味というか、その……」


「破壊力が足りない、かしら?」


「そう、それです! 破壊力です!

 やっぱり罠にはそれが必要だと思うんですよ!」


「これは狩猟用の罠よ。

 破壊力のことは、かんっぜんっにっ!

 忘れなさい!」


「で、ですが……」


 なおも言いすがろうとするディケルフの言葉を遮って、イェンコが口を挟んできた。


「お嬢さんの言うとおりだ。

 もう干し肉の一欠けらさえ残っておらんのだ。

 さすがにこれ以上挽肉ばかり作られたんじゃたまらん」


 私たち二人に言われてディケルフはしょんぼりと肩を落とした。

 それでも彼は未練ありげに罠を見ながら言う。


「じゃあ、せめて少しだけ手を加えさせてもらっていいですか?」


 少しばかり不安はあったけれど、彼があんまりしょげた様子なのでつい許してしまった。


「威力をあげるようなのはなしよ?」


「わかっていますよ」


 そういって彼は、四つん這いになったり、あるいは向きを変えたりしながら罠を眺めはじめた。


「何をしてるの?」


「動物の気持ちになって罠を眺めているんですよ」


 なるほど。

 それから彼はガサガサと藪の中に入っていく。

 戻ってきた彼は、その手に太めの枯れ枝やらコブシ大の石をいくつか抱えていた。

 そして周囲の獣の足跡をもう一度よく確認してから、慎重に手の中のものを罠の周囲に配置し始めた。


 しばらくして、ディケルフは腰を伸ばしながら満足げに言った。


「これでよし」


 どうやら終わったらしい。

 しかしどうしたことだろう? 罠に手を加えたいといいつつ、結局罠には手も触れていない。

 やったことといえば、木の枝や小石を周囲にばらまいた程度だ。


「一体何がしたかったの?」


「それじゃあ罠に向かって歩いてみてください。

 できれば、獣の気持ちになって」


 よくわからないけどやってみることにする。

 みたところ、小石や枝は障害物にすらなっていない。

 さほど大きくはないので、またぐか避ければそれで済む。

 だけど数歩歩いたところでピンときた。


「これ、さりげなく足運びが罠の位置に来るよう誘導してるのね」


 誰だってわざわざ小石や枝を踏んで歩いたりはしない。

 つまずく程の大きさでもなければ、意識もせずに避けてしまうだろう。

 そうなれば自然と足の置き所は定まってくる。

 しかし獲物はそのことに気づきもしないのだ。


「次は偽装を施してみましょうか」


 そう言って彼は枯葉やらなんやらを集め始めた。

 そして先ほどと同じように周囲にさり気なく配置し始める。

 程なくして罠は完全に消えてしまっていた。

 仕掛けた私ですらそこに罠があると気づけない程だ。

 変人ではあるけれど、彼が腕のたつ罠技師なのは間違いないらしい。


 さらに数か所、同じような罠を仕掛けて私たちは家に帰った。

 その途中、二羽の山鳥と、兎を一匹見つけて蔦で絡め捕った。

 これでひとまず、私が役に立つということはわかってもらえるはずだ。


 多少なりとも肉を持ち帰った私達を、仲間たちは大喜びで迎えてくれた。

 さっそく「肉を讃える宴」なるものが開かれて、ドワーフと私たちは大いに楽しくお酒を飲んだのだった。



 昨晩は本当に大騒ぎだった。

 よほどお肉が嬉しかったと見えて、ドワーフ達は入れ代わり立ち代わり私にお酒を注ぎに来た。

 お酒を飲んだのは初めてじゃない。お城の貯蔵庫には最上のワインだって納められていた。

 だけどこんなに楽しくお酒を飲んだのは初めてだった。

 皆に勧められるまま大いに飲み、最初の樽が空になったあたりで私の記憶は途絶えている。


 そして現在。朝。

 私はベッドの上で目を覚ました。

 自分で入ったのか、それとも誰かが運んでくれたのか、それすら定かではない。

 頭を少し動かすだけでも響くように痛む。これが二日酔いというものなのかしら。

 風邪をひいたときと似ているようで似ていない、生まれて始めての感覚だ。


 痛みをこらえながらどうにか上半身を起こすと、既に寝室は空っぽになっていた。

 ドワーフ達はもう働きに出ているのだろうか?

 彼らが酒に強いというのはどうやら本当だったらしい。

 そして、とても勤勉だという話も。


 それでも私だけは起こさずにおいてくれた彼らの優しさに感謝しつつ寝室の扉を開けると、ドワーフ達が空樽と一緒にだらしなく床に転がっていた。

 空き樽の数は三樽。

 お酒が好きなのは本当みたいだけど、勤勉かどうかはだいぶ怪しくなってきた。


 それにしても頭痛がひどい。

 こういう時はどうすればいいんだったかしら?

 確か、もう一杯お酒を飲めば痛みが和らぐとかなんとか……いや、これはたぶん間違いだ。

 それでは酔いが醒めかけるたびにお酒を飲む羽目になる。


 とにかく水を飲もう。口の中はもうカラカラで、全身が水を求めている。

 やっとの思いで水瓶を覗いてみたら、既に空っぽになっていた。

 水……水は……確か外に井戸があったはずだ。

 面倒だけれど、汲みたての新鮮な水の方がきっと美味しいだろう。


 カナリアたちが天井の隅からピーピーと餌を要求してきた。

 まだ誰も朝ご飯をあげていないらしい。

 この惨状では当然か。

 だけど、今は無理だ。いつもならかわいく聞こえるその囀りでさえ頭に響く。


「ごめんね。餌は後であげるから……」


 そう呟いて、フラフラと扉へと向かう。


 床にはドワーフ達が転がっているから、いちいちそれを避けて歩かないといけない。

 ドワーフにしてはひょろりと長いイェラナイフをまたぐのは簡単だった。

 太っちょのイェンコをまたぐのは一苦労。

 ようやくまたいだその先、椅子でできた死角に小柄なケィルフが転がっていて危うく踏みそうになる。

 おっとっと。

 ケィルフを避けようとしてバランスを崩しかけ、片足で跳ねながらかろうじて持ち直す。

 跳ねるたびに頭が痛むが、それでもどうにか持ちこたえた自分を褒めてやりたい。


 ようやく扉にたどりついた。

 そのまま、縋るようにして外につながる扉を開く。


 森の空気はひんやりとしていて心地よい。

 既に日は高く昇っているようで、見上げれば緑の天井の隙間から木漏れ日がキラキラと輝いている。

 冷えた空気を胸一杯に吸い込むと、少しだけ気持ちが落ち着いた。


 井戸のほうを見ると先客がいた。

 誰かと思えば〈酔っ払い〉のイェルフだ。

 井戸の縁に腰を掛け、棒砥石を手に一心不乱に槍の穂先を研いでいる。


「あら、――」


 おはよう、と言いかけて私は言葉を飲み込んだ。

 槍を研ぐ彼の目つきがあまりに真剣だったからだ。

 あれの邪魔をするのはさすがに気が引ける。

 とはいえ立っているのも辛いので、足音を立てないようそっと井戸の近くの切り株まで移動した。

 ここで彼の作業が一区切りつくのを待つことにしよう。


 シャッ、シャッ、シャッ……


 穂先が棒砥石の上を滑る単調な音が続く。

 しばらくしてその音が止まった。

 イェルフは研いだ穂先を布でそっとぬぐうと、しげしげと研ぎ具合を確認し始めた。

 もういいだろう。


「おはよう、イェルフ」


 私は切り株に座ったまま声をかけた。立つのも少ししんどかったからだ。

 彼は私の存在にまるで気が付いていなかったらしく、少し驚いた顔で振り返った。


「ああ、嬢ちゃんか。おはよう。

 他の連中はまだ寝てるのか?」


「ええ、ぐっすりと。

 ところで井戸を使いたいんだけど、いいかしら?」


「ああ、すまなかった。

 ……二日酔いか?」


「多分。初めてだからよくわからないけど」


「ならそこで座ってろ」


 彼はそう言って立ち上がると、水桶一杯に水を汲み上げて私のところまで持ってきてくれた。


「コップは持ってこなかったのか?」


「あ」


 イェルフに言われて初めて私は手ぶらで出てきてしまったことに気づいた。

 ひどい頭痛がする上に、あまりにも喉が渇いていたのでそこまで気が回らなかったのだ。 


「ならこれを使え」


 そう言って彼はベルトにつるしていた角盃つのさかずきをはずして私に差し出した。

 よく磨かれた牛の角に、繊細な幾何学模様の彫刻と銀の縁取りが施された上等な品だ。


「あ、ありがとう……」


 この人、こんなに親切だったかしら?

 知り合ってまだ二日ばかりしかたっていないけど、彼についてはその名のごとく〈酔っ払い〉のイメージしかない。

 この間だって、私のことを酒樽と交換したそうな目で見ていた。

 それが突然こんなに紳士的にふるまい始めたのだから戸惑わずにはいられない。

 私がおずおずと角盃に手を伸ばすと彼は不思議そうに言った。


「どうした?」


「いえ、いつもと全然雰囲気が違うものだから」


 私の答えに、彼は少しだけ顔をしかめた。


「素面だからだろう。

 寝起きなんでな。酒が抜けてるんだ」


 なるほど。


「あなた、お酒に強いのね」


 私の朧げな記憶によれば、彼は他のドワーフよりも一回り早いペースで飲みまくっていたはずだ。

 それでも一番早くに起きているのだから大したものだ。


「いいや弱いよ。

 だからいつも酒に飲まれている」


「お酒に? お酒を、じゃなくて?」


「そうとも。

 俺が酒を飲んでるんじゃない。

 俺が酒に飲まれてるんだ」


 意味が分からない。謎かけか何かだろうか?

 首を傾げたら、頭が揺れて痛みが響いた。


「分らんなら分らんままのほうが幸せだ。

 嬢ちゃんはそのままでいるがいい」


 また子ども扱いされているような気がする。

 どうもドワーフ達から見ると人間の女性は幼く見えるらしい。

 確か、この間も髭がどうとか言ってたっけ。


「私、もう子供じゃないんですけど」


 一応抗議してみた。


「そういう意味じゃない。

 嬢ちゃんに限らず、誰だってこんな惨めな気持ちを知る必要はないって話さ。

 それよりもほれ、水を飲みに来たんじゃなかったのか」


 すっかり忘れていた。

 私は角盃を桶に沈めて水で満たす。

 井戸から汲んだばかりの水はひんやりしていて気持ちがよかった。

 一気に飲み干す。

 こんなに美味しい水は初めてだ。昨晩飲んだお酒よりも美味しいかもしれない。

 もしかして、世の酒飲みたちはこの水が飲みたくてお酒を馬鹿飲みしているんだろうか?


「一杯じゃ足らんだろう。

 もっと飲んでおけ。腹がタプンタプンになるぐらいな。

 そうした方が早く楽になる」


 彼はそう言いながら少し離れたところに腰を下ろし、再び棒砥石を手に取った。

 槍研ぎを再開するつもりらしい。

 酒飲みの彼が言うからには、その助言は多分正しいのだろう。

 私は角盃を桶に沈め、それからまた飲み干した。

 美味しい。


 一息ついていると、カチカチと何かが金属にぶつかる音が聞こえてきた。

 イェルフのほうからだ。

 みれば、手が震えてうまく砥石に当てられない様子だ。

 彼は私の視線に気づくと、ふうとため息をついた。

 それから気まずそうな苦笑いを浮かべて言った。


「やれやれ、一度でも集中が途切れるともうダメだ。

 今日はここまでだな」


 集中が途切れたのは私が声をかけたせいだろう。


「悪いことをしたわね」


「嬢ちゃんは悪くない。俺が弱いせいだ。

 酒が抜けるといつもこうなんだ」


 彼はそういって棒砥石をしまうと、震える手で穂先を布でぬぐい始めた。


「かといって、こればっかりはな。

 大事な儀式だ。酔っぱらって研ぐわけにはいかん。

 本当はきちんと砥石でやらなきゃいかんのだが……」


「だったら最初から飲まなければいいじゃない。

 それに今のあなた、とっても素敵よ。いつもこうだったらいいのに」


 酔っぱらっている時な彼は、目がトロンとしていていかにもだらしがない。

 でも今は違う。目つきはキリッとしているし、物腰もとても紳士的だ。

 心なしか、ボサボサの髭までいつもより整って見える。

 だけど、私の心からの言葉を聞いた彼は酷く悲しそうな顔をした。


「わかっちゃいるんだ。

 わかっちゃいるんだがな……」


 そう言って彼は、手元の槍に視線を落とした。

 とても奇麗な槍だった。

 幅広の穂先にはドワーフらしき人物が怪物を突き殺す様が金銀の象嵌で精緻に描かれている。

 穂先の根本には大きな宝石が嵌め込まれていて、血のように赤い輝きを放っていた。

 先祖伝来ということならば、この宝石は実際に多くの血を吸ってきたのだろう。


 ややあって彼は言った。


「嬢ちゃん、水は十分飲んだか?」


「え、ええ。ありがとう」


 彼は私から角盃を受け取ると、腰の吊り輪にひっかけた。


「用が済んだなら、小屋に戻って皆を起こしてきてくれ」


「あなたは?」


「俺は」


 と、彼は震える手で反対の腰に吊った革袋を外しながら言った。


「そろそろ陽気な、〈酔っ払いのイェルフ〉に戻らにゃならん。

 さあ早くあっちに行ってくれ。

 あまり他人に見られたくないんだ」


 多分、彼を止めるべきなんだろう。

 だけど口を開こうとした瞬間、さっき彼が浮かべたあの悲しげな表情が脳裏に浮かんできて私は何も言えなくなってしまった。

 私の言葉ではきっと彼を止めることはできないし、そのことで彼はかえって惨めな思いをするに違いないのだ。


 どうしていいか分からず、私は彼に背を向けた。

 お兄様なら、こんな時どうしただろうか?

 あるいはお義姉様なら?


 多分私よりかは気の利いた言葉をかけることができたはずだ。

 そういう言葉を思いつけない私はやっぱりまだ子供なのだろう。

 私はそっと唇をかんだ。



 準備を整え、昨日のメンバーと一緒に小屋を出る。

 目的は食料の調達。

 ひとまず昨日仕掛けた罠を巡りつつ、食べられそうな植物があれば私の魔法で増やして回収する段取りだ。


 その道すがら、イェンコ達にイェルフのことを聞いてみた。


「あの人、昔っからああなの?」


「ああというのは、酒のことかね?」


「ええ」


「なにか不快なことでもされたかね」


「そうじゃないけど……ただ、何か訳がありそうだったから」


 イェンコは少し考えるようなそぶりを見せたが、「もう仲間だしなあ」と呟いてから答えてくれた。


「まあ、そう昔の話じゃない。

 今から一年前、地龍の襲撃を受けてからだ。

 あいつは〈はがね山〉の専業戦士の一人でな。

 代々戦士たちの長を務めてきた一族の惣領息子で、あいつ自身〈山〉でも五指に入る戦士だった。 

 だがあの戦いで、同じ隊の戦友を全員失ってな。

 それ以来ずっとあんな感じだ。

 そうして新しい隊にも馴染めず、とうとう盾の壁からも放り出されちまったのさ」


「盾の壁ってなに?」


「あんたらがどんなふうに戦をするかは知らんが、

 わしらは戦をするとき、ずらっと横に並んで盾でみっしりと壁を作るのよ。

 それが盾の壁だ。

 列の両隣の戦士達は常に互いを守りあいながら戦う。

 必然、隣のやつが死ねば自分も死ぬことになる。

 だから、盾を並べる仲間は互いに信頼しあっていなければならんのだ」


 なるほど。酔っ払いに自分や仲間の命を託したいと思える人は確かに少ないだろう。


「最初のうちは、壁の仲間達も必死で酒をやめさせようとしていたんだ。

 だが、どうしてもあいつは酒をやめられなかった。

 今ではもう皆諦めてしまっているよ」


「隊長を除いて、ですけどね」


 ここまで列の先頭で黙って話を聞いていたディケルフが口を挟んできた。


「あの人だけは、イェルフさんは自力で立ち上がれると信じてるんですよ」


「あの二人は長い付き合いだからのう……」


「厳しいように見えて、妙に甘いところありますよね。

 今回の遠征だってきっと――おや?」


 ふいにディケルフが足を止めた。


「何か聞こえませんか?」


 そういわれて耳を澄ませると、罠を仕掛けておいたほうからガサガサという物音が聞こえてくる。

 私達は顔を見合わせた。


「こりゃあ、大物がかかっておるようだの」


「そうみたいね」


 揃って自然と笑みがこぼれる。


「早くいきましょう!」


 今夜もごちそうが食べられそうだ。

 藪をかき分けて、いそいそと罠のもとへむかう。

 かかっていたのは通常より一回り体が大きい、立派な牙を持つ猪だった。

 足に絡まる蔓草を振りほどこうと必死で地面を掻いているが、私の魔法で強化されたそれはびくともしない。

 それどころか、弓よりもはるかに強くしなる枝によって数歩進んではズルズルと引きずり戻されている。


「それじゃあ、さっそくとどめを刺そうかの」


 そういってイェンコとディケルフが持参していた戦斧と盾を構えたのを私は引き留める。


「もう少しやりやすくするから、ちょっと待ってもらえる?」


「じゃあ、よろしくお願いします」


 ディケルフの目が好奇心で輝いている。

 残念だけど、それほど大したものを見せられるわけではない。


 私は改めて蔓と枝に念を送った。

 その瞬間、しなっていた枝が空に向かってピンと伸び、同時に蔦がシュッと縮む。

 結果、猪はピョンと持ち上げられて宙づりになった。

 これでもう逃げようがない。


 ついでに蔓を操作して後ろ足を縛り上げ、ぐるりと逆さ吊りにする。


「これでやりやすくなったでしょう?」


「なるほど、そのまま解体に移行できるってわけですか。

 魔法ってのはやっぱり便利ですね」


 そうでしょうそうでしょう。


「もっと褒め讃えてもいいのよ?」


「いやまったく、お嬢さんの力は素晴らしい!

 じゃあ、早速――」


 イェンコが踏み出しかけたその瞬間


 バンッ!


 私たちの背後で、大きな弓鳴りがしたかと思うと、猪にごく太の矢が突き刺さった。

 その反動でか、吊るされた猪がくるくると回る、

 矢は正確に猪の心臓を貫いて、その体の反対側に鏃を覗かせていた。



 ディケルフとイェンコの二人は背負っていた盾を素早く構えると、私をかばうように前に出た。

 射手の姿は見えない。

 おそらく木々の間に隠れているのだ。

 少し間をおいて森の奥から何者かが呼び掛けてきた。


「その姿、〈白百合の魔女〉に間違いないな?

 俺の名は〈長腕〉のボヌ!

 マノアのお妃に言いつけられて、お前を連れ戻しに来た!

 俺の矢は熊の頭骨も砕けるし、飛ぶ鳥の目玉だって撃ち抜ける!

 もう逃げられはせんぞ!

 おとなしくついてくるなら危害は加えねえ!

 諦めて俺に――うわ!」


 口上が長い。

 その間にしならせた木の枝で声がしたあたりの藪を薙ぎ払うと、その枝を避けるように人影がピョンと飛び上がった。

 かなりの長身、胴体が異常なほどひょろりと細長いけれど、それに輪をかけて手足が太くて長い異様なシルエットだ。


「待て! 誤解だ!

 戦うつもりなんて――おっと!」


 枝をもう一発お見舞いしたけど避けられた。

 自分からお義姉さまの刺客と名乗ったのだから誤解も何もない。

 危害を加えないなんて言ったところで、「大人しくついてくれば」の条件付きだ。

 帰らないと言えば力づくで連れ戻すつもりだろう。

 そうでなくても、帰ったらお義姉さまに殺されてしまうのだ。

 だったら同じこと。話し合いの余地なんて最初からない。


 私が次の手を準備している間に、男が再び跳びあがった。

 そして木の枝に跳び乗ると、その図体に見合わない機敏さで猿のように枝から枝へと飛び移り、瞬く間に姿を消した。

 常人の動きじゃない。

 イェンコとディケルフが盾を掲げながら私の背後を守るようにして立つ。


 再びバンという弓音。

 直後、私の斜め後ろからカンッという妙な音がきこえた。


 振り返ると、ディケルフが構えていた盾を呆然と見つめている。

 鉄張りの盾に穴が開いていた。


「お嬢さん、こりゃまずいぞ」


「分かってる」


 最初の一矢を見た時点で、相手は魔法の力の持ち主と見当をつけてはいた。

 おそらく、強力な弓を引ける異常な剛腕か、あるいは何かしらの力で矢を操る魔法の持ち主だろうと。

 魔法の力は一つしか持てないと言われている。

 だから、それ以外の部分は並の人間程度、あるいはそれ以下だろうと高をくくっていたのだ。


 だけど敵が予想以上に素早い。

 草木を操れたって、姿が見えないことには攻撃しようがないのだ。

 見えたところで、あの速度で動き続けられては攻撃が間に合わない。

 せめて一か所にとどまってくれればやりようはあるのに。


「何のこれしきです!」


 我に帰ったディケルフが、盾を放り捨てて投げ斧を手に取った。

 そして振りかぶったとたん、斧の刃がポロリと落ちた。

 狙撃で柄をへし折られたのだ。

 彼は慌てて盾を拾いなおすとその陰に隠れた。

 意味があるかは不明だ。


 再び敵の怒鳴り声が響く。


「もう勝ち目はねえ。大人しく降参しやがれ!

 魔女をこちらへ差し出せば、そっちのチビどもは見逃してやる!」


 正直言って、驕っていた。

 森の中でなら私が一番強いと思い込んでいた。

 だけどそうじゃなかった。

 あいつに対する勝ち筋が見えない。


 仕方がない、ここはいったん降参しよう。

 お城に戻る途中に隙を見て逃げ出すなりやっつけるなりすればいい。

 もちろんあいつが約束を守る保証はないから危険な賭けにはなるけれど、元はといえば私の身から出た錆だ。

 イェンコたちを巻き込むのは忍びない。


「分かったわ。降さ――」


 私がそう言いかけた瞬間、イェンコが大声で怒鳴り返した。


「命なんぞ惜しくはないわい! こいつはわしらの兄弟だ!

 見捨てたりするものか!」


 その途端、カンッという気持ちの良い音が響いてイェンコの盾に穴が開いた。


「盾はダメだ! 木の陰に隠れろ!」


 ドワーフたちが盾を放り捨てて手近な木の陰に転がり込む。

 私もそれに倣いながらイェンコに向かって叫んだ。


「どうしてくれるのよ!

 降参するふりして油断したところをやっつけるつもりだったのに!」


 それを聞いてイェンコは目を真ん丸にした。


「その手があったか!

 よし、降参しよう!」


「もう遅いわよ!」


 あんな啖呵を切った後じゃ不自然すぎる。

 信用されるわけがない。

 まあ、仲間だって言って貰えたのは嬉しかったけど。

 ディケルフが隣の樹から頭だけ出して言う。


「そんな手、最初から通用しませんよ。

 リリーさんみたいな危険な能力の持ち主を城まで連行できますか?

 私なら、首をだけ持ち帰りますね。

 荷物も軽くなります」


 なるほど、説得力がある。

 彼は既に日頃の冷静さを取り戻しているらしい。


「ねえ、何か手はないの?」


 私の問いに、彼は声を落とした。


「あります。

 少しだけ時間を稼いでください。

 その間に私が、昨日仕掛けたもう一つの罠のところで準備します。

 合図をしたら白い石を辿ってください。そこは安全です」


 白い石は彼がいつも持ち歩いている罠用の目印だ。

 私達が頷いて見せると、彼は両手を上げながらばっと立ち上がった。


「私は逃げます! 巻き添えなんて御免ですからね!」


 わざとらしいセリフを吐きながら一目散にかけていく。

 あんなので大丈夫かしら?

 と思っていると、刺客の叫び声が飛んできた。


「よし! お前は逃がしてやる!

 おい、太った方のチビ!

 お前もさっさと考え直せ!」


 大丈夫だったらしい。

 しかし、声がさっきとは違う方向から聞こえる。

 どうやらこまめに場所を変えているようだ。


「今から十数えるからな!

 その間に降参しなければお前ら二人とも串刺しだ!

 いいな? わかったな?

 それじゃあ数え始めるぞ!

 そら、い~ちっ!」


 敵は頼んでもいないのに数を数え始めた。

 こちらとしてはまったくもって好都合。

 枝から枝へ飛び移る微かな気配。


「に~いっ!」


 少し間を開けて、次の声が聞こえてきた。

 念のため、声が聞こえてくる方向に合わせて、こちらも身を隠す位置を変える。


「さ~んっ!」


 どうやら敵は右回りに回っているらしい。

 森の木々に呼び掛けて、次にあいつが来そうな方向の枝を弱くしてみる。


「し~――うわ!」


 バキリと音がして樹上から人影が落ちてきた。

 だが敵もさるもの。

 慌てることもなくその長い腕で違う枝をつかむと、くるりと回りながら再び樹上に姿を消した。

 残念。効果はなし。


「ご~おっ!」


 それにしてもすごい体力だ。

 これだけの勢いで枝から枝へ飛び回り続けるなんて常人にはとてもまねできない。

 やはり正面から戦うのは不利だろう。


「ろ~くっ!

 そ、そろそろ、降参してもいいんだぞ!」


 そうでもなかった。移動の間隔が長くなってきている。

 動きも最初に比べてだいぶ雑だ。

 息が上がってきているに違いない。


「し~ちっ!

 な、なんとか言え!

 せめて返事ぐらいしろ!」


 私はだんだんとこの刺客のことが憎めなくなってきてしまった。

 どうにかして、このまま自滅してくれないかしら?


「ねえ! 相談があるんだけど!」


「なんだ!」


「十じゃなくて二十まで待ってくれないかしら?」


「ダメだ! 十だってきついんだ!

 これ以上待てるか!」


 ダメだった。


「は~ちっ!

 おい、いい加減にしろ!

 ホントに、本当に串刺しだぞ!」


 その時、ビィイイイ!という笛の音が響いた。


「合図だ! 行くぞ!」


 イェンコが立ち上がって駆けだす。

 都合のいいことに音がしたのは刺客がいるのとは反対方向だ。

 私も急いで彼の後を追う。


「きゅ~――あ、おい! 待て!

 ちくしょう! 騙したな!?」


 気づくのが遅すぎるんじゃないかしら?

 ディケルフの白い石は藪や木の間を縫うようにジグザグと配置されていた。

 なるほど、進路をこまめに変えることで先回りされ難くなるわけね。


「二人とも! こっちです!」


 ディケルフが大岩を背にした藪の中から手招きしている。

 私は大急ぎでそこに飛び込む。


「危ない!」


 息つく暇もなくディケルフに抱き寄せられる。

 直後、イェンコの巨体がさっきまで私がいたところに転がり込んできた。

 本当に危ないところだった。

 それにしてもいい場所を選んだものだ。

 これなら背後から矢が飛んでくる心配はないし、左右もさりげなく配置された木の枝で視界を遮ってある。


「リリーさん、あの枝を弱くすることはできますか?」


 そういって彼が指さしたのは、唯一視界が開けている少し離れた正面の木の枝だ。


「もちろん!」


 彼の意図はすぐに分かった。

 私たちを射るには、あの枝が一番都合がいい。

 だけど周囲の枝が切り払われて孤立している。おそらく、ディケルフがやったのだ。

 そしてその真下には私たちが昨日仕掛けた罠がある。


 刺客が姿を現したのはその直後だった。

 こちらの位置を確認すると、彼は予想通り例の枝の上に着地した。


 バキッ!


 見事に転落。

 罠の枝バネが跳ね上がるのを確認した私は、そのまま枝と蔓草に命じて刺客を逆さ吊りにした。


 刺客は慌てながらも弓をその場に放り出して腰の短剣を引き抜く。

 蔓を切って逃げようというのだろう。

 だけど、私の魔法で強化した蔓を切れるわけがない。


「うおおおお!」


 イェンコが戦斧を横に構えながら突進。

 間合いに入るや横なぎに斬り払う。

 刺客の身体が真っ二つに斬り裂かれた。


 下半身と泣き別れた上半身から血が噴き出し、あたり一面血の海に――はならなかった。

 代わって私が見たのは、クルリと着地した上半身が落とした弓に向かって駆け出すという珍妙な光景だ。

 イェンコもあんぐりと口を開けて固まってしまっている。

 上半身はその隙にイェンコの脇を素早く駆け抜けると、弓を拾い上げて矢をつがえた。狙いはイェンコ。

 ようやく我に返った私が慌てて周囲の草木に呼びかけるも、これでは到底間に合わない。

 もうダメだと思った瞬間、クルクルと回りながら飛んできた投げ斧が男の異常に長くて太い腕に突き刺さった。

 そのよく発達した筋肉に阻まれて切断こそできなかったものの、刺客はウッと呻いて矢を取り落とす。


 動きの止まった上半身に向けてイェンコが斧を振りかぶった。

 その瞬間。


「待ってくれ! 降参する!」


 そう叫んだのは、私の蔓で逆さ吊りにされていた下半身だった。


「降参だ! 俺はどうなってもいい!

 頼むから兄者だけは殺さないでくれ!」


 いつの間にか下半身から頭と短い手が生えている。

 なるほど、そういうことだったのね。



「待て! 殺すなら俺にしろ。

 あんたらに矢を射ったのは俺だし、お妃さまの依頼を受けたのも俺だ。

 弟は俺を背負っていただけであんたらに危害を加えちゃいない」


 上半身はそういいながらヨタヨタと移動し、下半身の前に立った。

 イェンコに切り裂かれた服の下から、妙に小さな足がのぞいている。

 太さも長さも常人の半分ほどしかない。


「それで、お嬢さんどうするね」


 イェンコが斧を振りかぶったまま言う。


「あら、私が決めていいの?」


「当然だ。こいつらはお嬢さんの敵で、お嬢さんの捕虜だ。

 わしらはお嬢さんの判断に従うよ」


 よかった。

 彼らにはいくつか聞いておきたいことがあったのだ。


「じゃあ、好きにさせてもらうわね。

 確認しておかなきゃいけないことがあるんだけど、答えてもらえるかしら?」


「わ、分かった。俺が答える。

 だから弟のことは――」


「それはあなたの回答次第よ。

 弟さんを大事に思うなら、正直に答えることね」


 言いながら、私は新しく蔓を呼び寄せて上半身を縛った。


「イタタ……」


 上半身が痛みに顔をしかめたが気にしない。

 上腕に投げ斧が食い込んだままだけど、たいして出血もしていないようだしひとまず大丈夫だろう。


「まずは、名前から聞いておこうかしら」


 さっきも名乗っていたような気がするけれど、戦闘のどさくさで忘れてしまった。


「俺の名は〈長腕〉のボノ。

 見ての通り、強い腕を授かった魔法使いだ。

 代わりに足はこの通りだ」


 そういってボノは、腕とは対照的に短くて弱々しい足を動かして見せた。


「それから、こっちで逆さづりになっているのが弟のゴン。〈長脚〉と名乗ってる。

 俺とは逆に、強い足を授かった代わりに、腕は短くて弱い。

 ところで……弟を降ろしてやってくれないか」


 おっと、すっかり忘れてた。

 見ればゴンのほうは頭に血が上って顔が真っ赤になっている。


「いいけど、大人しくしていてね?」


「た、助かる……」


 私が蔓を伸ばして地面に降ろすと、兄のほうがズリズリと這いよって心配そうに弟の顔を覗き込んだ。


「おい、大丈夫か?」


「だ、大丈夫だ。兄者こそ大丈夫か?」


「ああ、問題ない。なんせ魔法の腕だからな」


 実に仲睦まじい様子。私はこういうのにとても弱い。

 私たち兄妹も、早くに両親を亡くして以来、こんな風にずっと助け合って生きてきたのだ。

 尋問の最中だというのに微笑ましい気持ちになってしまう。


「あなた達、仲がいいのね」


 声をかけられて彼らは私のことを思い出したらしい。


「ああ、まあ。

 お互いにこんななりだからな。

 俺は弓を引けても獲物は追えねえ。

 弟は獲物は追えても弓を引けねえ。

 一人で生きれば半人前にもなりゃしねえが、二人揃えば十人力だ」


「それは素敵なことね」


 これはお世辞ではない。心の底からそう思ったのだ。

 さて、尋問を再開しようかしら。


「お義姉様からの使いだと言っていたわね?

 貴方達はどうやって私の居場所を知ったの?」


「お妃様から使いが来て、姫さんが〈闇夜の森〉に逃げたから連れ戻すようにと言われたんだ」


「使いって、黒い肌の?」


「そうだ。ファラとかいう、いつもお妃様と一緒にいる女だ」


 なるほど。

 ファラが来たならお義姉様の指示というのは本当だろう。

 王妃付きの侍女は他にも何人かいるが、彼女達はいずれも宮廷の奥方衆の息がかかった人たちだ。

 だけどファラだけは違う。

 私にミレアがいるように、お義姉様にはファラがいる。


「それはいつ?」


「一昨日の昼過頃だ。

 大きな鹿がとれたんで城下町に皮を売りにいったら、お使いが来て」


 ということは、私が逃げ出した翌朝にはもう所在がばれていたことになる。

 さすがはお義姉様だ。

 だけどどこから漏れたのだろう?

 ミレアがひどい目に遭っていなければいいんだけど。


「でも、それにしては到着が早すぎない?

 どうやってここまで来たの?」


「弟は足が速い。

 二日もあればここまで来るのに十分だ。

 だが、さすがに無理をさせ過ぎたらしい」


 これについては予想通り。

 それにしても危なかった。

 ゴンが十分に休憩をとっていたら勝てなかったかもしれない。


「じゃあどうやって森の中で私を見つけたの?

 これもお義姉様から居場所を聞いていたのかしら?」


 これが一番の心配事だった。

 お義姉様の魔法が具体的にどのようなモノかは誰も――おそらくはお兄様とファラを除いて――知らない。

 もしお義姉様が私の詳細な所在を把握する力を持っているのなら、次の刺客もすぐに送られてくるだろう。

 そうなればもうドワーフ達とは一緒にいられない。


「いいや、こっちは偶然だ。

 獣が大騒ぎしているのが聞こえたから様子を見に来たら、猪が妙な罠にかかっていやがった。

 これが噂に聞く〈白百合の魔女〉の魔法だろうと踏んで待ち伏せしていたら、思った通りあんたらが姿を現した。

 まあ、そっちのチ――屈強な方々が一緒だったのは予想外だったが」


 つまり見つかったのは私の落ち度だったらしい。

 考えてみればあんな罠、私がここにいると宣伝している様なものだ。


 だけど、これはこれで少しばかり困ったことになる。

 もし、お義姉様が魔法か何かでこちらの所在を把握しているのなら彼らは解放してしまって構わない。

 既に情報が筒抜けならば、彼らを帰したところで何も変わらないからだ。

 だけど、そうでないなら彼らを解放するのは大きなリスクになる。

 私と遭遇した地点や、ドワーフたちと一緒にいたという情報を彼らが持ち帰ってしまうのだ。


 かといって戦闘中ならいざしらず、こうしていったん捕らえた後に無抵抗な人を殺すのも気が引ける。

 そんなことは戦争中ですらしたことがない。

 あんなふうに兄弟仲の良さを見せつけられた後ではなおさらだ。

 私は決断を引き延ばすため、雑談に興じることにした。


「お義姉様とはどこで知り合ったの?」


「森の宴だ」


「森の宴?」


「姫さんは知らないだろうが、俺たち魔法使いは時々森の奥に集まって情報を交換するんだ。

 どこそこに太陽教の宣教師が現れたとか、領主の何某が力のある者を密かに求めているとか、そういうのだ。

 特に太陽教はな。この国はまだいいが、場合によっちゃもっと東に逃げなきゃならん。

 それはまあともかく、どこで聞きつけたかお妃様も数年前からその集会に姿を見せるようになってな。

 そこで知り合った」


 まあ、お義姉様ったら!

 私に内緒でそんな楽しそうな集会に出ていたなんて。


「それにしてもあなた達もたいがいよね。

 最初の一矢で私を仕留めておけば、こんな目には遭わなかったのに」


「気軽に言ってくれるがな。

 憎くもないのに簡単に人を殺せるものか」


「そんなんでよく暗殺者なんてやってられるわね」


 私が呆れながらそう言うと彼はブンブンと首を横に振った。


「暗殺者だなんてとんでもねえ!

 俺たちゃただの狩人だ」


「あら、そうなの?」


「そうだよ。悪いか。

 熊やら狼やらならたくさん仕留めてきたが、あいにくと人殺しだけは一度もしたことがねえ。

 今回だって、姫さんを連れ帰るよう頼まれただけだ」


 なるほど。


「それは覚悟が足りてなかったわね。

 どうせ『無傷で』とは言われてなかったんでしょ?」


「……確かに『手段を選ばず、なにがなんでも連れ帰れ』と言われた」


「だったら、殺せと言われたのと同じじゃない。

 この私が素直に帰るわけないんだから」


「だ、だからよお。

 最初にああやって脅かせば言うこと聞いてくれると……」


 なんだ、やっぱり『降参したふりをしてやっつける』が正解だったんじゃない。


「まあいいわ。それであなた達、この後はどうするの?

 私に解放されたとして、まさか手ぶらでお義姉様のところに戻るつもり?」


「そりゃあ、そうするしかねえが……」


 せっかくだから、少し脅かしてみようかしら?


「無理ね。

 そんなことしてみなさい。殺されるわよ」


「え……」


「当然じゃない。

 自覚はなかったみたいだけど王族暗殺の片棒を担いだのよ?

 ただの狩りとはわけが違うの。

 やっぱりダメでしたなんて、そんなの通るわけないでしょう。

 逃げたところで、お義姉様は草の根わけてもあなたたちを探し出すでしょうね」


 そう言われて彼らの顔が一層暗くなった。


「そこでモノは相談なんだけれど……私のお願いを聞いてくれるなら、一つお土産を持たせてあげる」


「土産?」


 私は腰に下げていたナイフを引き抜いた。


「な、なにをするんだ!?」


「こうするのよ」


 私は髪を後ろで束ねると、手にしたナイフでぶっつりと切った。

 ふう、すっきり。

 少し惜しい気もするけど、森で暮らすなら長い髪は邪魔になることのほうが多い。

 そのうち切ろうと思っていた所なのでちょうどよかった。


「これをお義姉様のところに届けてちょうだい。

 全身を連れ帰れとは言われてないんでしょ?

 だったら髪だけ連れ帰ってもいいじゃない。

 首だけ持ち帰るのと似たようなものよ」


「いや、首と髪とじゃ全然違うだろ」


「細かい男ね。

 だったら、猪の心臓もつけてあげる。

 ほら最初にあなたが射ち抜いたあの猪、覚えてるでしょ?

 セットにすれば、お義姉様もきっと満足してくれるんじゃないかしら」


「待て待て、まさかお妃様を騙そうっていうのか?」


「騙すなんて人聞きが悪いわね。

 お義姉様が、私の髪と猪の心臓を見て勝手に勘違いするだけよ」


「いや、姫さん、さすがにそれは無理だろう!

 お妃様の神眼は嘘を見抜くって話だ。

 とてもじゃないが、そんな危険なマネは――」


 私はボノを蔓でぎゅっと締め上げた。

 それから苦しそうに表情をゆがませた彼の耳元に、そっとささやく。


「だったらここで死ぬ?

 あなたが先か、弟さんが先かぐらいなら選ばせてあげるわよ?」


「わ、わかった……必ず、届ける……。

 だから弟だけは……!」


 それを聞いて蔓を苦しくない程度に緩める。


「そう言って貰えて嬉しいわ。

 なにも馬鹿正直にお義姉様の前に出なくたっていいのよ。

 お城の衛士に『お妃様からの依頼の品だ』とかなんとかいって押し付けちゃえばそれでおしまい。

 ああ、取次はファラを指名してね。そうすれば確実にお義姉様のところに届くわ。

 ほら、簡単でしょ?」


 ボノが化け物でも見るような目でこちらを見上げている。

 たまにこういう目で私を見る人がいるのよね。

 魔法を使えない人達ならともかく、同じ魔法使いにまでこんな風にみられるのは心外だけど。



 武器を取り上げた上で猪の解体を手伝わせた後、ボノとゴンの二人を森の縁まで連れて行った。

 森から去っていく彼らの背を見送りながら、イェンコが言った。


「これでよかったのかね、お嬢さん?

 どうせ荷物なんぞ捨てて逃げちまうだろうに」


「いいわ。ダメで元々だもの」


 ああやって脅しつけておけばもうお義姉様の前に顔を出しはしないだろう。

 それで十分目的は達成できる。

 彼らが荷物を放って逃げ出せば、お義姉様は何も知らずに彼らの報告を待ち続けることになる。

 お兄様が帰ってくるまでの時間稼ぎと思えばそのほうが好都合なぐらいだ。


 そんなことよりも、彼らを殺さずに済む口実が見つかったことに私はホッとしていた。



 バラした猪肉を持参していたずだ袋に詰めると、私達は意気揚々と帰還の途に就いた。

 目方でいえば普通の倍はあるだろう大猪の肉を担いで、イェンコはホクホク顔だ。 


「これなら五日は肉に困らんだろうて。

 今日明日の分だけ取りおいて残りは塩漬けにでもしようかの。

 お嬢さん、何か希望の食べ方はあるかね?」


「それならこの間のシチューがまた食べたいわね」


 お腹がペコペコだったのもあるだろうけど、あのシチューは本当に美味しかったのだ。

 おかげで食べ過ぎて、泥棒として捕まる羽目になったけど。


「あれなら、肉が塩に漬かるのを待ってからのほうがいいんじゃないかのう。

 おい、ディケルフ。お前さんはなにかあるかね」


「じゃあ、香草蒸しなんてどうです?」


「そういえばさっきヨモギが生えとったな。

 だが、少し季節外れかのう……」


「ヨモギぐらい私の魔法で若くできるわよ」


「そりゃええ。

 本当にお嬢さんの魔法は便利だの。

 じゃあ、肉を置いたら取りに戻ろうか」


 そんな話をしながら小屋につくと、今日はイェラナイフ達が先に帰ってきていた。

 遠目にも彼らがどこか浮ついているのが見て取れる。

 なにかいいことでもあったのだろうか?


 イェンコと一緒に今日の出来事を報告しに行く。


「隊長、いい報せと悪い報せがあるんだが……」


 イェラナイフがイェンコの袋から突き出た猪の爪にチラリと目をやって、ニヤリと笑う。


「いい報せはまあ、聞くまでもないな」


 そういったあと、彼は私の短くなった髪を見て少し顔をしかめた。


「しかし、リリー。その髪はどうした。

 悪い知らせと関係があるのか?」


 髪、そんなに変だったかしら?

 あとでイェンコにでも頼んで整えてもらわないと。


「ええ、そうよ」


「じゃあ、悪い報せを聞かせてもらおうか」


「お義姉様が刺客を送ってきたの。

 なんとか撃退できたけど」


 イェラナイフの眉間の皴が深くなる。


「ずいぶん早いな」


「彼らの話を聞く限りだと、お義姉様は私が逃げた次の朝にはこの森にいることを突き止めていたみたい」


 私はイェラナイフに詳しい状況を話して聞かせた。

 ディケルフの機転でどうにか刺客を捕らえたこと。

 刺客は暗殺者としては全くの素人だったこと。

 私の所在について、この森にいるという以上の詳しい情報は持っていないらしいこと。

 私の死を偽装するため、髪と猪の心臓を持たせて送り返したこと。


「フム」


 彼は腕を組んだまま、難しい顔で言った。


「まずは無事で何より。

 しかし、偽装がうまくいく見込みは殆どなさそうだな」


「迷惑をかけてごめんなさい。

 出ていけというなら大人しく従うわ」


 私はなるべくしおらしく見えるようにしながら言った。


「今更だな。

 その程度のリスクは最初から織り込み済みだ。

 だがまあ、ちょうどよかろう」


「ちょうどいい?

 私宛の追手が何か役に立つの?」


「そうじゃない」


 イェラナイフがニヤリと笑う。


「こちらも探し物――遺跡を見つけたのだ。

 今後は遺跡を中心に活動することになる。

 だから拠点をそちらに移そうと思っていたところでな。

 あそこなら、追手に見つかることもまずないはずだ」

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