第1話 七人の屈強なドワーフたち

 どうやら少しばかりオイタが過ぎたらしい。

 ツタでぐるぐる巻きになった男たちを見下ろしながら私は反省した。


 出産でスタイルが崩れたことを揶揄ったら、ガチギレしたお義姉様に暗殺者を送り込まれたのだ。

 銀貨の一枚や二枚で雇えるチンピラたちとはわけが違う。

 怪しげな黒装束に不思議な薬品の香りを漂わせた、本格派の皆さまだ。

 高い高いお城の塔の最上階にあるこの部屋まで侵入してきたのだからその実力は推して知るべし。

 お義姉様は本気で私を殺しにかかっている。


 どうかお義姉様のことを心の狭い奴だなんて思わないであげてほしい。

 私とお義姉様の間には、それはもう色々なことがあったのだ。

 今回のことはその総仕上げに過ぎない。

 まあ、お産の直後でお義姉様の気が立っていたことも無関係ではないとは思うけど。


 これまでは私とお義姉様のじゃれ合いをニコニコと見守ってくださっていた――時には知恵も貸してくれた――宮廷の奥方たちも、もう庇ってはくれないだろう。

 私の迂闊な発言は、ついでに彼女たちも怒らせてしまった。

 うちの宮廷で力を持つ奥方たちはみんな経産婦だ。


 なにより、お義姉様が産んだのはかわいらしく元気な男の子だったのだ。

 念願の嫡男。

 それはつまり、お義姉様が真の意味で宮廷の奥方たちの支配者になったことを意味していた。

 そんなことは分かっていたはずだった。

 分ってはいたけれど、人間急には止まれない。

 それでついやってしまった。

 後悔してももう遅い。


 お義姉様は聡明なお方だ。

 殺ると決めたからには中途半端なことをなさるはずもない。

 必ずや私を仕留めにかかってくる。


 そうなるとまずい。

 お父様もお母様もずっと前にお亡くなりになっている。

 お兄様は蛮族に対処するため軍を率いて北進中。城にはしばらくは戻らない。

 今現在、宮廷にお義姉様を止められる人は一人もいないのだ。


 きっと食事の度に罪もない毒見役が命を落とすことになる。

 となれば最初の犠牲になるのは侍女のミレアだ。

 私がまだおしめをしていた頃から誠実に仕えてくれている、善良なおばあちゃんだ。

 こんなことで死なせるのはあまりに忍びない。


 城を出よう。私はそう決めた。

 ひとまず、国境に近い〈闇夜の森〉に身を隠す。

 あそこならお義姉様もそうそう手は出せないはずだ。

 森に潜んで遠征が終わるのを待ち、お兄様にとりなしてもらうのだ。


 そうと決まれば話は早い。

 いつかこんな日が来るだろうと、家出の準備はすっかり整えてある。

 簡単な置手紙を書き上げ、かねてから用意していた荷物袋を行李の中から引っ張り出す。

 ガサゴソと身支度を整えていたら、部屋の戸を叩く音がした。


「姫様。こんな夜中に何をしておいでですか。

 扉を開けてください」


 この優しいしわがれ声はミレアだろう。

 どうやら物音を聞きつけて様子を見にきたらしい。


「ちょうどよかったわ。鍵は開いてるから入ってきてちょうだい」


 ちなみに部屋の鍵を開けたのは暗殺者の皆さんだ。

 彼らは塔の階段を上って私の部屋までやってきた。

 さすがの一流暗殺者でも、〈浮遊城〉の異名を持つこの城――どうやってかは知らないけれど本当に宙に浮いている――の外壁を登ることはできなかったらしい。


「おやまあ!」


 戸を開けるなりミレアは叫んだ。

 それはそうだろう。大問題だ。

 深夜、未婚の乙女の部屋に男たちが寝そべっているんだから。


「いったいどうしたことでしょう!

 姫様、この殿方たちはどこから来たのですか!」


「知らないわよ。

 知りたいならお義姉様に聞いて」


 ミレアはそれでおおよその事情を察したらしい。

 彼女は額に手を当てて大げさに嘆いた。


「ああ、ああ、もうもう!

 だからお妃様に意地悪をするのはおやめなさいって、何度も申し上げたではないですか!

 それなのに姫様ときたら、宮廷の奥方たちと一緒になって悪だくみばかり!

 大体ですね――」


 さっそくミレアのお説教が始まった。

 彼女のお説教は長い。

 まじめに聞いていたら夜が明けてしまう。


「わかってる! わかってるわよ!

 私が全部悪かった! 反省してる!

 もう二度とお義姉様に悪さはしないわ!」


 彼女の気持ちはありがたいけど、今は無駄話をしている時間はない。


「またそんな心にもないことを!

 わたくしももうごまかされませんよ!

 このミレア、同じセリフをそのお口から百篇は聞かされております!

 今日という今日は最後まで言わせていただきますからね!

 いいですか、お妃様は貴女と同じ魔女なのですよ!

 本当なら姫様の一番の理解者となってくださるはずのお方なのに、姫様ときたら――」


「ええ、ええ、分ってるってば!

 貴女が正しいってことも、私のことを心から思って忠告してくれていることも、本当によくわかってる!

 だけど今は時間がないの!

 話ならあとで聞くから! 城に戻ってきた後に全部聞かせてもらうから!

 だからお願い、今だけはその口を閉じて!」


「後で聞くですって!

 この間もそうおっしゃったじゃないですか!

 そうはいきませんよ。後でとはいつですか!

 それをはっきりさせてもらわない事には決して黙りませんからね!」


「だから、城に戻ったらよ」


「城に戻ったら?

 いったいいつお戻りになるって言うん……城に戻ったら・・・・ですって⁉」


 ここにきてミレアはようやく私が家出の支度をしていることに気づいたらしい。


「ええ、そうよ。

 私、ここを出ることにしたの」


 彼女は「どうして――」と言いかけたところで、床に転がる暗殺者たちを見回し、それからまた額に手を当てて嘆息した。


「ああ、もう……。

 それで、行く当てはあるのですか?」


「ひとまず、〈闇夜の森〉に身を隠すつもりよ。

 あそこなら私もよく知っているし、お義姉様も簡単には手を出せないと思うの。

 そこでお兄様が戻るのを待つわ」


「森にですか?

 何方かのお館に匿って頂けばいいじゃないですか」


「それはダメ。

 誰にも余計な借りを作りたくないの。

 それに誰だって私よりもお義姉様に貸しを作りたくなるに決まってるわ」


「なるほど。それは確かにそうですが……。

 ならば、陛下のところに身を寄せるのはどうでしょう?」


「ダメ! それだけは絶対にダメ!

 これ以上お兄様に迷惑をかけるわけにはいかないもの」


 今回の戦は、隣国ホルニアとの初めての共同作戦だ。

 太陽教が盛んなあの国では魔女は大変に嫌われている。

 私がお兄様のところへ行けばきっと彼らと一悶着起きるだろう。

 この重大な局面で、お兄様に余計な負担をかけるわけにはいかないのだ。


「何をいまさら。

 だったら最初からお妃様とも仲良くなさってくださいな」


 ミレアの正論に反論の余地はなく、私は呻くことしかできない。


「と、とにかく! お兄様のところには絶対いきません!

 それにお兄様のところにだって、お義姉様の手の者が潜んでいないとも限らないもの。

 だったら、誰にも知られず身一つで隠れているのが一番安全よ。

 いくらお義姉様だって、私の居場所がわからなければ手は出せないわ」


 仮に森にいるとバレたって、あの森の中で私を見つけ出すだけでも随分苦労するだろう。


「それはそうかもしれませんが……」


 ひとまず納得はして貰えたらしい。

 ところが。


「ではしばしお待ちください。

 私も支度を整えてまいりますので」


「えぇっ!?」


 安心したのも束の間。ミレアがとんでもないことを言い始めた。


「あなた、私についてくるつもりなの⁉」


「当たり前です。

 身の回りのお世話をする者が必要でしょう?」


 当然とばかりにミレアが言う。

 冗談じゃない。

 そんなことになったが最後、城に戻るまでの間ずっと彼女のお小言を聞き続ける羽目になる。

 それに、森で暮らすというのは大変なことなのだ。

 野宿だってしなきゃならないし、食べ物だって自分で集めなきゃいけない。

 いつぞやのようにお兄様の軍幕の中で過ごすのとはわけが違う。

 なんだかんだ言って育ちのいいミレアがそんな暮らしに耐えられるとは思えない。

 そうでなくても彼女もいい歳なのだ。あまり無理はさせたくなかった。


「だめよミレア。あなたを連れてはいけないわ」


「どうしてですか!」


 あなたが心配なの、とは口が裂けても言えない。

 言いたくない。

 だからこう言うことにした。


「足手まといだからよ。

 あなたが歩くのに合わせてたら追手に捕まっちゃうわ。

 それともあなたが私のやり方に合せてくれる?」


 そう言われて、ミレアはブンブンと首を振る。


「それに、あなたまで城を出てしまったら、誰がお兄様が戻ってきたことを私に報せてくれるの?

 お兄様だって私の行方が分らなければ使者の出しようもないわ。

 お願い、ここに残って。私が心から信頼できるのはあなただけなの」


 彼女はもう一度わざとらしいため息をついた。


「分かりましたよ、私のかわいいお姫様。

 でも、決して無理はなさらないでくださいね。

 〈闇夜の森〉はとても危険なところなんですから」


 そう言ってミレアは渋々といった様子で私の外套を取りにクローゼットへ向かう。


「大丈夫、草も木もみんな私の味方よ。

 森の中でなら誰にも負けないわ」


 私が鉢植えに指示を出すと、鉢から伸びたツタがうねうねと動いてグルグル巻きの暗殺者をクローゼットの前からどかした。


「そりゃまあ、ここよりは味方が多いかもしれませんけどね」


 外套を取り出す間もミレアの口は止まらない。


「でも、草や木はお喋りの相手にはならないし、着替えだって手伝ってはくれませんよ。

 それにあの森の奥には恐ろしい人喰い鬼やら、悪魔やらがいるそうじゃないですか。

 それからたくさんの亡霊だって……本当についていかなくても大丈夫ですか?」


 私はミレアが差し出してくれた白い外套に袖を通しながら答える。


「ただのお伽噺よ。

 私は見たことないわ」


 森にいるのは獣や無法者だけだ。

 どちらが襲ってきても私なら返り討ちにできる。

 私は外套のフードを深めに被り、首元から引っ張り出した覆い布で口元をしっかりと隠した。

 フードの縁からは黒い薄布が垂れているから、これで私の顔は外からはまったく見えなくなる。

 まるで床に転がっている暗殺者たちみたいだ。

 外套は厚手のなめし革を縫い合わせ作られた、決して光を通さない優れモノだ。

 暑苦しいことこの上ないけれど、私はこの外套がないと太陽の下を歩けない。

 私の雪のように白い肌は、太陽の光を長く浴びると火ぶくれしてしまうからだ。

 魔法の力を持って生まれた者は、必ず何かが欠けているらしい。

 私の場合は、たぶん「色」だ。


「でも、お母上は妖精を見たことがあるとおっしゃっていましたよ」


 ミレアは外套の前紐を留めながら喋りつづける。

 これは私が生まれる前に、お母様が妖精に祝福されたとかいう話のことを言っているのだろう。

 彼女は懐かしそうに口にするけれど、噂の当事者にしてみれば懐かしいじゃすまない。


「あんなのデタラメよ。

 お母様もあんな軽口を叩く前に、もう少し物事を考えてくださればよかったのに」


 その与太話のおかげで、私は随分と苦労させられている。

 やれ妖精の落とし子だとか、とりかえっ子だとか、そんな噂がいくつも流れている。

 私は正真正銘お父様とお母様の間に生まれた人間の子供だ。

 妖精の子なんかじゃない。

 だけど少しトゲのある私の返事にミレアは悲しそうな顔をした。


「あまりお母上のことを悪く言わないであげてくださいな」


「分かってる」


 ミレアの言う通り、お母様を責めても仕方がないのだ。

 お母様だってなにも自分の子供を苦しめるためにこんな話をしたわけじゃない。

 あれは魔女として生まれた私を慰めるための、ちょっとしたお伽噺。

 両親が健在であれば他愛もない冗談で済んだ話。

 お父様もお母様も自分たちがあんなにも早死にするなんて思ってもみなかったのだろうし、もちろん望んでいたはずもない。


「はい、終わりましたよ」


「ありがとう、ミレア」


 これに先ほどの荷物袋を背負えばもう準備は万端だ。

 私は窓に駆け寄ると、重たい鎧戸をぐっと押し開ける。

 窓の隙間から夜風がフードの縁を揺らした。

 外套の隙間から忍び込んでくる冷たい空気が心地良い。

 空にはいつも通りの真ん丸な月が明るく輝いていて、世界を銀色に照らしている。

 月の光はいつだって私に優しい。

 家出するには最高の夜だ。


 私は窓からグッと身を乗り出して下界の草木に呼びかけた。

 ところが草木も眠るとはよく言ったもので、誰も私の呼びかけに応えてくれない。

 困った。日が昇る前にできるだけ距離を稼いでおきたかったのに。

 諦めきれずに二度三度と念じていると、ようやく応えが返ってきた。

 応えてくれたのはお城の外の茨だ。

 うわあ、茨かあ。

 あれ、チクチクするのよねえ。

 もっと強く呼びかけてみようかとも思ったけれど、それはそれで大きな力を使うことになる。

 要するにしんどい。

 月明かりの下とはいえ、後のことを考えれば力はなるべく残しておいたほうがいいだろう。


 私が応えてくれた茨に念じると、茨はこちらに向かってスルスルと枝を伸ばしてきて、みるみるうちに立派な茨の梯子が出来上がった。

 私は窓の縁に腰掛けると、グッと足を延ばして梯子の強度を確かめた。

 うん、問題なし。


「姫様、こちらをお使いください」


 ミレアが私に手袋を投げてよこした。

 受け止めてみると妙に重い。そして硬い。

 こんなの持ってたかしら?


「なにこれ。

 どこで見つけたの?」


「そちらの殿方にお借りいたしました」


 なるほど。

 手の甲に金属板の入ったそれは、手袋というより手甲に近い代物だった。

 手のひら側も分厚い革で補強されていて、これなら茨のトゲも大丈夫そうだ。


「じゃあ、あとはよろしく。

 衛士長を呼ぶのは私が降りきってからにしてね」


「心得ております」


 元気でね、と心の中で呟いて私は茨の梯子を降り始める。

 少し降りたところで見上げてみると、ミレアが頭だけ出してこちらを心配そうに見つめていた。

 怖がりのミレアにしては上出来だ。普段は窓にすら近づかないのに。

 そんな彼女の気持ちに応えて、軽く手を振ってあげる。

 ところが、私が片手を離しただけでミレアは卒倒しそうな顔つきになった。

 可哀そうなので、これ以上からかうのはやめて梯子を下りることに専念する。


 お城自体が浮いているため、降りるだけでも酷く時間がかかる。

 ようやく地面が足につくと、頭上からわざとらしい悲鳴がかすかに落ちてきた。

 同時にお城の方々で慌ただしい気配が起こり始める。

 さあ、逃げ出そう。


 森に駆け込んだ私はずんずん奥へと進む。

 夜の散歩には慣れている。

 月の明かりがあれば歩くのに不自由はない。

 目指すはいつもお世話になっているイチイの樹。


 目的地に到着した私は、方角をよく確かめてから樹に呼びかける。

 反応がない。寝ているらしい。

 樹に直に触れながらもう一度強く呼びかけると今度は応えてくれた。

 イチイの樹が眠たげな気配を振りまきながら、枝を震わせる。

 まるで「用があるならさっさとしろ」とでも言いいたげな様子だ。


 私はもう一度方角を確かめて、それからイチイの樹にお辞儀をした。

 樹の方も、ミシミシと音をたててお辞儀を返してくれる。

 もう少し、あともう一息!

 私がさらに深く頭を下げると、イチイの樹もミシミシと軋みながらさらに深くお辞儀する。

 樹のてっぺんに手が届きそうな高さまで下がったところで、私はお辞儀をやめた。

 おっと、あなたはそのままでいてね。

 私はよいしょと飛び跳ねて、イチイの樹の先っぽを掴んだ。

 それから、樹にかけていた魔法を解く。

 無理やり幹を押し曲げていた魔法の力がなくなり、お辞儀をしていた樹は唸りを上げながら背筋を伸ばした。

 その先っぽを掴んでいた私はものすごい勢いで打ち上がった。



 城の警備責任者である衛士長のオッターは、王妹付きの侍女であり妻でもあるミレアから事のあらましを聞かされて思わずため息を漏らした。


 ここに至った経緯については、彼自身色々と思うところはある。

 だが女どもの争いに口を出せば碌でもないことになるということを、この老兵はよくわきまえていた。

 実際、彼の祖父はそれで命を落としたと伝え聞いている。

 だから彼は王妃陛下や王妹殿下、それから宮廷の奥方たちへの感情に厳重な封を施して、全てを事務的に処理することにした。


「まずはこの狼藉者どもを地下牢に放り込め。

 ツタを解く前に、手枷と足枷がきちんとはまっているかしっかり確認しろ。

 こいつらは本物だ。油断するな。

 牢に放り込む前に必ず服をひん剥いておけ。

 口はもちろん、尻の中まで徹底的に検査しろ。

 どこに何を隠しているかわからんからな。

 なに、手枷が邪魔で服を脱がせられない?

 構わん、服なぞ切り裂いてしまえ」


 オッターは矢継ぎ早に指示を出しながら、同時に次にとるべき行動に考えを巡らせる。

 結論はすぐに出た。

 何よりも重要なのは、安全の確保であろう。


「全衛士の非常呼集はすんでいるな?

 まだ他に侵入者が残っていないとも限らん。

 警戒を厳にしつつ徹底的に捜索をかけろ」


 女の争いには手を出さずとも、侵入者への対処は彼の領分だ。

 それが誰の指示によるものであれ、賊の侵入を許したことは重大な問題である。

 標的が白百合の姫であったのは不幸中の幸いだった。

 かの姫君はそうそう殺せるものではない。

 例えば、もしこれが他国が国王陛下を狙って放った刺客であったなら大惨事になっていただろう。


「奴らの侵入ルートも徹底的に洗いだすのだ。

 二度とこのような事態を引き起こしてはならん」


 警備体制の見直しが必要だろう。

 国王陛下に増員を要請するべきだろうか?

 信頼に値するものを雇い入れるのは骨が折れる。

 陛下がお戻りになる前に候補を挙げておかなくては。


「衛士長、ナハマン妃への報告はいかがいたしましょう」


 衛士の当直長がオッターに訊ねてきた。


 ナハマンとはお妃の名である。

 彼女ははるか南、遠い異教の地からやってきた。

 正式な名乗りは「ボルレアケ族の王ボルレの娘、マノア王ジリノスの妃にして〈鏡の魔女〉たる慈愛の淑女、〈漆黒〉のナハマン」となる。


 なるほど、この騒動の顛末について一番知りたがっているのはお妃に違いない。

 おそらく、一睡もせずに警備の者から上がるであろう報告を――暗殺の成否の報せを――待ち構えているはずだ。

 オッターはまじめ腐って当直長に答えた。


「無暗に御婦人方を怖がらせるものではない。

 明日の朝、ワシが自ら報告する。

 それまでは何もお知らせしてはならん」


 当直長はその意図を察してニヤリと笑うと、「皆にも徹底させます」と言って、己の職務を果たすべく立ち去っていった。


 これぐらいの意趣返しは許されるはずだ、と衛士長は思う。

 あの魔女のおかげで、こちらは当分寝ることもできないほど忙しくなるのだから。


 これだけでは到底割に合わない気もするが、まあいい。

 オッターはお妃の境遇に思いを巡らせた。

 動機については大分同情の余地があった。

 むしろよくこれまで耐えたものだ。その忍耐強さは驚嘆に値する。

 これが騎士同士であったならとうの昔に決闘騒ぎが起きていただろう。

 姫様もご無事であったようだし、残りはまあ、警備体制に不備があることを教えて頂いたわけであるから、こちらの授業料ということで収めておくとしようか。

 お妃の処遇は国王陛下がお考えになることであり、彼の領分の外の話だ。


 オッターはこのようにして己の中での折り合いをつけると、これに関する思考を打ち切った。

 なにしろ、彼には意趣返しを抜きにしてもやらねばならないことが山ほどあった。


 そうした訳で、お妃の下を衛士長が訪れたのは翌朝の、それも随分日が高くなった後だった。


 オッターは、お妃の部屋の扉にかけられた大きな鏡の前に立つと、徹夜仕事でよれ切っていた身だしなみを念入りに整えた。

 乱れた服装で御前に出ることはまかりならぬ、必ずこの鏡の前で服装を整えるようにと、お妃からお達しが出ているためである。

 廷臣たちの中にはこのお達しをバカにして、身嗜みを整えぬまま入室する者が少なからずいた。

 お妃は盲目なのだから服装が多少乱れていたとて気づくものか、というわけである。


 オッターは同輩たちのそうした態度を常から苦々しく思っていた。

 これは見える見えないの問題ではない。

 お妃の命に従うか従わぬか、つまりその権威を認め敬意を払うか否かの問題なのだ。


 彼のお妃への第一印象は『烈女』であった。

 細く、整ったその容貌は美しさと同時に傲慢さをも見る者に感じさせた。

 体の隅々まで神経の行き届いた、高貴で繊細で、緊張感のある所作がなおのことその印象を強めていた。

 その様を見たオッターは、風習はもちろん信じる神すらも違うこの土地で、果たしてこのような気性の持ち主がなじめるものかずいぶんと危ぶんだものだった。

 だが、彼女は確かに傲慢ではあったかもしれないが、それ以上に柔軟だった。

 この国の言葉や作法、風習を身に着けるために彼女はあらゆる努力と労苦を惜しまなかった。

 そして実際に、短期間でそれらを完璧に習得して見せたのだ。

 激しい気性を内に秘めながら高い知性と強靭な意志でそれを飼いならす、まさに女王と呼ぶにふさわしい、敬意を払うに値する人物。

 それがオッターの、ナハマン妃に対する評価だった。


 服を整え、扉に向かって名乗りを上げようと息を吸い込んだところで、内側から声がかかった。


「オッターか。入れ」


 お妃の美しい声と共に、部屋の扉が音もなく開かれた。

 お妃は、どういうわけか扉の前に立つ人物をいつも正確に言い当ててくる。

 どうしてそんなことができるのか、毎度のことではあるがオッターにはいくら考えてもわからなかった。

 盲人はその視力を補うように聴覚が鋭くなるとはいうが、この分厚い樫でできた扉を通して、外の僅かな物音を聞き分けることなどできるものだろうか?

 あるいは、これも魔女の力のなせる業かもしれなかった。


(まあいい)


 オッターはいつものようにその疑問を頭の片隅に押しのけると、部屋の中へと進む。

 間の悪いことに、部屋の奥ではお妃が椅子の背に体を預けながら、疲れ切った様子で王太子――国王陛下が出征した後に産まれたため名前はまだない――に乳房を含ませているところだった。

 

「し、失礼いたしました」


 オッターが大きくはだけられた黒い胸元から慌てて目をそらした。

 いまやこの国において『誰よりも完成された淑女』となりおおせた彼女であったが、当人がどれだけ努力しようと変えられないものがあった。

 その一つが、肌の色である。

 〈漆黒〉の二つ名が示す通り、その肌は遥か東方で作られる漆器の様に黒く、滑らかで、美しい。

 だがその色はこの国ではあまりに異質であるがゆえに、宮廷の奥方衆からの評判はすこぶる悪かった。


 急いで踵を返そうとしたオッターだったが、しかしお妃に引き留められてしまった。


「構わぬ。昨晩はずいぶんと騒がしかったではないか。

 おかげで坊やが寝付けず、わらわも一睡もできなんだわ。

 なんぞ、説明をしてくれるのであろうな?」


 そう言ってお妃が大きくあくびをすると、それに合わせて彼女の胸元の、鏡をあしらった首飾りが大きく上下した。

 オッターはお妃の顔色を窺った。

 彼女はいつも通りに黒地に煌びやかな金刺繍を施した目隠しをかけていた。

 そのため目元の様子を知ることはできなかったが、その声色には確かに疲れが滲んでいる。


(まあ、眠れなかったのは事実だろうな)


 そんな思いをおくびにも出さず、オッターは彼女の前に片膝をつき、事の次第を淡々と報告した。


「お騒がせして申し訳ありません。

 昨晩遅く、狼藉者どもが城内に侵入いたしました。

 幸いにも狼藉者どもは王妹殿下により捕縛されたため大事には至りませんでしたが、あるいは残党どもが残り潜んでおらぬとも限らず、衛士総動員の上、城内をくまなく捜索しておりました」


「おお、恐ろしい!」


 お妃はわざとらしい声を上げながら、赤ん坊を抱きよせるようにして身をすくませる。


「して、我が義妹いもうとは無事であるか?

 お手柄ではあったようだが、怪我なんぞはしておらぬか?」


「はい、お妃様。王妹殿下にもお怪我はありません。

 しかし――」


 オッターはそこで口ごもった。

 まさか当人を前にして「姫様は貴女を怖れて逃亡いたしました」とは言いづらい。


 オッターはお妃の表情を読もうと、微かに視線を上げた。

 だが大仰な目隠しに阻まれ、彼に見えるは口元ばかり。

 真っ黒な顔に白い歯のみがわずかに覗くさまに不気味さを覚えこそすれ、有益な情報は何も得られなかった。

 それ以上にオッターをして不安を感じさせたのが、目隠しに施された金刺繍だ。

 そこには異国の神の双眸が縫い取られており、お妃の閉じた眼に代わって彼を睨み下ろしていた。

 その視線に「決して嘘は許さぬ」という圧力を感じ、オッターはどことなく落ち着かない気分にせられた。

 しかし、いかに強力な神であろうと、遠く隔たったこの地にまでその力が及ぶものだろうか?


「どうした?」


 言いよどむオッターに、お妃は常と変わらぬ口調で続きを促した。


(えい、ままよ)


 オッターは口を開いた。


「王妹殿下は、此度の事件にお妃様が関与しているのではないかとお考えになり、身の安全のため出奔なされたとのこと。

 現時点では、城内にはおられません」


「なんとまあ!」


 お妃はひどく間の抜けた声を上げた。


「酷い誤解じゃな。

 わらわがそのようなことをするはずがないというのに。

 それで義妹の行方は分かっておるのか?」


「……分かりませぬ」


 金糸の神眼が気になりはしたが、こればかりは口を割るわけにはいかない。

 だが、お妃は聡明な女性である。

 神眼云々を抜きにしても、きっとこの嘘は見抜かれているだろうという確信がオッターにはあった。


 しばしの沈黙。

 オッターの頬を冷や汗が伝っていく。


「なるほど。

 行方が分からぬとは心配じゃが、無事であるのならまあよい。

 ご苦労であった。下がって良いぞ」


「はっ」


 だが、幸いにもお妃はそれ以上彼を追求する気はないらしかった。

 退出を促された彼は、お妃に一礼したのち扉へ向かう。

 その背にあるはずのないお妃の視線を感じたが、振り返る勇気は彼にはなかった。



 オッターが扉から出ていくのを見送ったあと、お妃はぽつりと呟いた。


「……本当に、何も知らんのじゃが」


 今にも泣きだしそうな声だった。

 あの老衛士長は明らかにお妃を疑っていた。


 お妃とて、幾分か年の離れたあの義妹に対しては腹に据えかねる思いを抱いてはいた。

 もし、事故か何かで彼女が命を落としたならば、一人でこっそり祝杯を挙げるぐらいはしただろう。

 だからといって、自ら殺害を手配する程お妃の理性は擦り切れていなかった。


 国王陛下の――彼女の夫の――妹に対する溺愛ぶりは広く臣民に知られているところである。

 あれに危害を加えようものなら、ただでさえ苦しいこの国での立場がさらに悪化するのは目に見えていた。

 まして殺してしまった日には。

 一体誰がそんなことをするものか。


 だが、この国の人々はそうは考えないらしい。

 なるほど、殊のほか面目を重んじる北の人間たちからすれば、とうの昔に血を見ていてもおかしくないということなのだろう。

 常から彼女に対して同情的な態度を示すオッターですらああなのだから、城中の他の者たちがどう考えるかなど聞かずとも分かり切っている。


 疑いがかかっているだけでも危険としては十分すぎるが、お妃にとってはそれ以上に大きな問題があった。

 お城の人々はお妃を疑い、彼女から白百合の姫を隠せばそれで安全だと考えている。

 だが違うのだ。

 いくら姫をお妃から隠したところで、何の解決にもなっていない。

 義妹は今も狙われている。

 万が一、本当の黒幕が事を成し遂げたならば、お妃は濡れ衣を纏って死ぬことになる。

 冗談ではない。


 一刻も早く義妹を呼び戻し、保護しなければならない。

 あの義妹がどれだけ強力な魔法を使えようと限度というものがある。

 例えば、より戦闘に向いた力を持った魔法使い、あるいは単純な数の暴力。

 相手方の力の使用が制限される分、城中で護衛に囲まれている方が安全なのだ。

 できれば直に話して誤解も解きたかった。

 だが、義妹を呼び戻そうにも、誰がお妃を信じてくれるだろうか。

 城中の者に使者を出せと命じたところでどうにもならないだろう。

 こうなっては自らを頼るほかない。


「ファラ! ファラはおるか!」


「はい、お妃。ファラはここに」


 女が一人、物陰から音もなく姿を現した。その肌の色はお妃と同じように黒い。

 ファラはお妃が国許から連れ出すことを許された只一人の侍女であり、この国で信用のおける唯一の女でもある。


「鏡をここへ。それから人払いを。

 しばらくの間、誰一人としてこの部屋に近づけてはならぬ」


「かしこまりました」


 お妃の前に、互いに尻尾を咥えあった二匹の金蛇の彫像に縁取られた鏡がおかれた。

 スウスウと可愛らしく眠る我が子をファラに託し、お妃は鏡に呼び掛けた。


「鏡よ鏡、己がおもてに映る景色をわらわにも見せておくれ……」


 お妃の脳裏に、鏡に向かって念を送る自身の姿が浮かんだ。


「鏡よ鏡、他の鏡を見せておくれ。お城の一番高い塔、そのてっぺんの部屋にある鏡、そこに映る景色を見せておくれ……」


 鏡に写る像がぐにゃりと歪み、波打つ。

 その揺れは時間と共にゆっくりとおさまっていき、やがて新たな像を結んだ。

 そこに映っていたのは紛れもなく、リリーの寝室の光景だった。

 同じ景色がお妃の脳裏にも浮かぶ。

 お妃は鏡への集中を一層高めながら次なる念を送る。


「鏡よ鏡、時を遡り、過去の景色を見せておくれ……昨日の夜、月明りの下で起きたことをわらわに教えておくれ……」


 鏡の中の像が再び揺らぐ。

 お妃は息を止め、その意識の一切を鏡に集中させる。

 グニャグニャと捻じ曲がる像をもう一度安定させるには、お妃の力をもってしてもなお、額に汗がにじむほどの努力を必要とした。

 やがて先ほどと同様に揺れは小さくなっていき、鏡の中にリリーとミレアが映し出された。

 その足元には黒尽くめの男たちが転がっている。

 物音一つ聞こえはしないが問題はない。

 唇の動きを読めばそれで事足りる。


 知るべきことを知ったお妃は、集中を解いて大きく息を吸い込んだ。

 途端に脳裏に浮かんでいた虚像が鏡の中のそれと同時に消え去った。

 額の汗をぬぐいながらつぶやく。


「……なるほど、〈闇夜の森〉か。

 しかし、さて、どうしたものか」


 厄介なところに逃げ込まれた。

 森の中で人を探すだけでも大変なのに、相手はあの白百合の姫、森の木々と草花に愛された魔女である。

 お妃はしばし黙考。自身の数少ない、秘密の友人たちを順に思い浮かべていく。

 いずれも、森の奥で時折催される宴で知り合った者たちだ。

 彼ら、あるいは彼女らはお妃の肌の色などまるで気しない。

 奇妙な外見など、魔法の力を持つ者の間では珍しくもないからだ。

 すぐに妙案が浮かんだ。

 森での失せもの探しであれば、狩人が適任である。

 丁度良い事に彼女の知り合いには一人、腕の良い狩人がいた。


「ファラ、言伝を頼みたい。

 そうじゃ、あの男じゃ。

 なんとしても我が義妹を連れ戻すように、と。

 なに、多少強引でも構わん。褒美も相応に出す。

 ただし必ず無傷で。

 それからくれぐれも秘密は漏らさぬように。

 では頼んだぞ……」



 〈闇夜の森〉は、鬱蒼と生い茂る樹々に陽の光を遮られ、その名の通りいつも薄暗い。

 おかげでいろいろと不気味な噂が流れてはいるけれど、私にとっては過ごしやすい場所だ。


 イチイの樹を何本も乗り継ぎながらどうにか日が高くなる前に森にたどり着いた私は、積もり積もった枯葉の上に身を投げ出した。

 結局、昨晩は一睡もできなかった。

 その上、飛んでは降りて次の樹まで歩き、次の樹まで歩いたらまた飛んでと、それを一晩中繰り返したのだから流石の私ももうクタクタだった。

 こんなにハードに魔法を使ったのは随分と久しぶりだ。

 うつ伏せに寝転がったまま、大きく息を吸い込むと胸いっぱいに森の匂いが広がった。

 この香りを嗅ぐといつも心が満たされる。

 どうしてだろう?

 私の魔法が森の力を使うから?

 それともここが、陽の当らない、薄暗い世界だから?


 耳をすませば森の奥から鳥たちがチチチと互いを呼び合う声が聞こえる。

 そよ風に吹かれた草の葉が触れ合ってたてるカサカサという音。

 どこかで森ウサギが聞き耳を立てている気配。


 私は仰向けになって空を見上げた。

 そこには青空も太陽もない。

 分厚い葉っぱが幾重にも重なった隙間から、微かな木漏れ陽が星のように瞬いているだけ。

 世界中がこうだったらいいのに。

 そんな思いが脳裏をよぎる。


 昔、一度だけ陽の光をたっぷりと浴びたことがあった。

 あれはまだお父さまとお母さまが生きていた頃。

 冬も終わりかけのある日のことだった。

 私が薄暗い部屋の隅でカタカタと震えていると、お兄様がやってきて「日向ぼっこをしよう」と誘ってくれたのだ。

 お兄様は、お母さまとミレアの目を盗んで私を部屋から連れ出すと、お城の納屋の藁葺き屋根の上に引っ張り上げてくれた。

 太陽の光はポカポカと暖かくて、屋根の藁はフカフカで、時折吹いてくる冬の風はヒンヤリと冷たくて、とっても幸せな気持ちになれたのを今でもよく覚えている。

 ちょっとした冒険を成し遂げたのが嬉しくて、お兄様と一緒にクスクスと笑いあったっけ。

 もちろん代償は大きかった。

 私の顔は太陽の光を長時間浴びたおかげでパンパンに腫れあがり、しばらくは目を開くのにも苦労した程だ。

 そしてお兄様のお尻も、鞭で叩かれて同じように真っ赤に腫れあがってしまった。


 思い出から意識をはがし、寝転がったまま森の境界へと目をやる。

 森の外は太陽に明るく照らし出されていた。

 遠くに小さな藁ぶき屋根の農家が見えた。

 その屋根は太陽の光を浴びてキラキラと輝いている。

 あの藁もきっと、フカフカで暖かいに違いない。

 眩しすぎる。

 陽の光は私には毒だ。

 それでも、私はそれに浴する幸せを知っている。

 世界が暗ければいいなんてとんでもない我が儘だ。

 人間は、私が愛する人たちは、陽のあたる明るい世界で暮らした方がきっと幸せだろう。

 お兄様も、ミレアも、オッターも、あのかわいい坊やも。

 お義姉様だって、たとえ目が見えなくたって暖かいほうがいいにきまっている。

 私だけだ。私だけが――


 ……おっと、いけない、いけない。

 疲れていると良からぬ考えばかり浮かんでしまう。

 早くしっかりと体を休めないと。

 とはいえ、ここは〈闇夜の森〉。

 陽の当たる世界からあぶれた連中が跋扈する無法地帯だ。

 こんなところで無防備に眠るわけにはいかない。


 私は疲れた体に鞭打って、ノロノロと上体を起こした。

 それから大きく息を吸って気合を入れる。


「よっこらせ!」


 おばあちゃんのような掛け声で一息に立ち上がる。

 立ち上がってから、もう一度森の外に目を向けた。

 やっぱり、あそこは私には眩しすぎる。


 光に背を向けて、私は森の奥へと踏み出した。

 ついでに、口元の覆いとフードを外して頭部を空気にさらす。

 森の中でならこれができる。

 風が気持ちいい。

 たったそれだけのことでも、ずいぶんと開放的な気分になれた。



 〈闇夜の森〉は、多くの流民や犯罪者が住み着く無法地帯だ。

 大きな森はどこも多かれ少なかれそういう一面を持つものだけど、ここは群を抜いている。


 原因はその立地にある。

 この森は、お兄様が治めるマノアと、その西に位置する大国ホルニアとの国境をなしているのだ。

 両国はこの森の豊富な資源――材木は言うに及ばず、水源に良質な毛皮、さらには砂鉄、その他挙げればきりがない――を巡って長らく争ってきた。

 私も何度かこの森での戦いに参加している。

 お兄様は嫌そうな顔をしていたけれど、小国マノアがホルニアに抵抗するにはどうしても私の力が必要だったのだ。

 近年とみに激しくなった北からの蛮族侵攻に対処するため、ようやく和議が結ばれたのが去年の話。

 以来、両国は互いに〈闇夜の森〉へ進入しないことを条件に、同盟国として北方への共同戦線を張ることになった。


 さて、それでこの森が平和になったかといえばさにあらず。

 この森の帰属問題は一時的に棚上げされたに過ぎず、依然としてくすぶり続けている。

 支配者不在、権力の空白地となったこの森は、無法者どもの格好の隠れ家となり周辺領主たちの頭痛の種になっていた。

 盗賊どものねぐらを討伐しようにも、この森に兵士を送り込めば和議破りとして大変な問題になりかねないからだ。


 かくして〈闇夜の森〉は妖怪以上に厄介な奴らが住みつく無法地帯となり果てた。

 もっとも今の私にとってはそれがかえって都合がいい。

 少なくとも、お義姉様は追手として大勢の兵士を送り込むことができなくなる。

 そして、相手が少人数ならいくらでもやりようがあるのだ。

 軍隊が相手でもないかぎり、森の中で私は無敵だ。


 私はずんずんと森の奥へ進む。

 今でこそ無法者の跋扈するこの森だけれど、少し前までは近隣の農民たちも戦の合間を縫ってこの森に出入りしていた。

 猟だったり、あるいは山菜取りだったりと目的は色々だけど、森の奥にはそんな彼らが休憩や宿泊のために建てた山小屋がいくつもあるのだ。

 もちろん、そういう小屋には無法者たちが先に住み着いている可能性が高い。

 でも問題はなかった。きれいに掃除・・をすれば済む話だ。

 そういう奴らはきっと食料もため込んでいるに違いないから、むしろ好都合ですらある。


 それから四半日ほど歩いたところで、私は目的の山小屋にたどり着いた。

 記憶通りの場所にあって本当に良かった。

 ボロすぎもせず、大きすぎもしない適度な広さの小屋だ。

 ここなら無法者が住み着いていたとしてもせいぜい七人。

 どんなに頑張ったって、十人以上は無理だろう。

 つまり、私が一人で対処できる程度の人数だ。


 茂みや樹々に身を隠しながら慎重に小屋に近づいていく。

 切り株の上には薪割り用の小さな斧。周囲には真新しい断面の木片もチラホラ。

 誰かが住んでいるのは間違いない。

 念のため、事前に周囲の草木に声をかけておく。

 こうしておけば、何かあった時に彼らはすぐに応じてくれるのだ。


 さらに接近。

 壁際に身を寄せて、そっと中の気配を窺う。

 掘っ立て小屋の薄い壁板越しでも物音一つ聞こえない。

 どうやら、ここに住み着いている何者かは出払っているらしい。

 さもなければ、鼾もかかずに寝ているか。

 足音を立てないように、ゆっくりと表にまわる。


 表側には小さな井戸と、山リンゴの木が一本。

 どちらも元の持ち主が整えていたものだ。

 特に井戸が重要で、これがあるかないかで生活の便利さが全然違う。

 その幹には荷運び用と思われるロバに似た見慣れない生き物が三頭つながれていた。

 彼らのほうは暢気なもので、私が近づいても退屈そうにあくびをしただけだった。

 ひとまず危険はないらしい。


 そして小屋の入口は半開きで放置されていた。

 もっとも、この森では鍵なんてかけても無駄だろう。

 壁に張り付いたまま、付近の蔓草を呼び寄せて扉を開けさせる。

 罠が仕掛けられていた時の用心だったが、何もなし。

 あらあら不用心ですこと。

 ありがたく小屋に入らせていただく。


 最初の部屋には大きな丸机に、椅子が七脚。

 椅子は几帳面にも、等間隔できっちりと机の下に押し込まれている。

 壁際には色々な道具や荷物が並んでいるが、雑然とした印象は受けない。

 意外だった。

 戦争中、ついでに匪賊討伐なんかもしたから私は知っている。

 無法者の住処というのは、たいていはもっとしっちゃかめっちゃかに散らかっているものなのだ。

 それに、机も椅子も妙に低い。まるで子供用だ。

 部屋の隅には小さな竈。

 その上には不釣り合いに大きな鍋がかけられていて、かまどの熾火でコトコトと可愛らしい音を立てていた。


 そして奥にはもう一部屋。

 罠を警戒しつつ、そっと開ける。

 こちらも問題なし。

 覗き込んでみるとそこは寝室だった。

 藁の入った寝台が七つ、これまた等間隔できっちりと並んでいる。

 やっぱり人の気配はなし。

 だけどこの寝台も妙に丈が短い。

 子供が住んでいる?

 まさか。

 こんなところで、子供だけで暮らしていけるはずがない。

 まあいいか。会えばわかる。


 私は最初の部屋に戻ると、手近な椅子を一つひいて腰を下ろした。

 うーん、少し座りにくい。だけどもう足が限界だ。

 疲れているから贅沢は言わないけれど、私には座面が低すぎる。

 お行儀よく座るのは諦めて、足をポンと投げ出した。


 ピヨピヨと鳥の鳴く声が聞こえたので見上げてみると、部屋の隅、天井際に吊るされた鳥かごにカナリアの番いつがいが飼われていた。

 鳥かごは止まり木はもちろん餌箱や小さな水桶まで完備されており、羽毛の色つやからしても随分大切にされているらしいことが伺える。

 無法者にしてはずいぶんと可愛らしいことをする。

 これは本当にアタリを引いたのかもしれない。


 いったい誰が住んでいるかは知らないけれど、まずはご挨拶からだ。

 森の中に住んでいるからといって、それだけで悪い人とは限らない。

 元々森で暮らしていた人たちもいれば、悪党たちに村を焼かれて一時的に逃げ込んできた避難民だっているだろう。

 もし悪い人たちではなかったなら、頼み込んで一緒に住まわせてもらおう。

 その方が一人で寝るより安全だし、生活もきっと楽しくなる。


 ……それにしても遅い。

 鍋を火にかけたまま出かけているぐらいだから、すぐに戻ってくるものとばかり思っていたのだけれど、待てど暮らせど住人たちは帰ってこない。

 私のおなかがグーッと鳴った。

 無理もない。昨晩から動き通しなのに食事のほうは全くとっていないのだ。

 一度緊張が緩んでしまうともうだめだ。どうしたって空腹を意識してしまう。

 そうなると次に気になるのは部屋の隅。

 そこでは大きな鍋がクツクツと煮えている。


 この小屋の住人が悪党だったら別にいい。

 でも万が一、万が一善人だったら困ったことになる。

 これから友好的な関係を築き上げていこうというその時に、初手の印象が「ご飯泥棒」ではあまりに具合が悪い。

 私はヨイショと椅子の向きを変えて、鍋に背を向けた。

 これで良し。

 いや、良くなかった。

 背を向けたところで美味しそうな匂いがすでに部屋いっぱいに広がっているし、鍋の煮える単調で暖かな音はどうやったって耳に忍び込んでくる。


 ……そういえば、あの鍋の中身は何なのかしら?

 の、覗いてみるだけなら構わないわよね?

 見るだけなら中身が減るわけでもなし。

 何より、中身が食べ者じゃない可能性もある。

 そうなれば私はこの懊悩から解放されるのだ。

 鍋の蓋を開ける。中身は干し肉のシチュー。

 美味しそう……グゥ……またお腹が鳴ってしまった……。

 これだけたっぷりあるんだもの、一杯ぐらいならバレっこないわよね?

 机の上から器を一つ拝借して……あら、美味しい……もう一杯だけ……。


 気が付いたら鍋の中身が半分ぐらいに減っていた。

 どうしよう、これはちょっとごまかせそうにない。


 一般論として、私たち魔法の力の持ち主は普通の人たちよりも多くの食事を必要とするといわれている。

 昨晩はたくさん魔法を使ったからなおさらだ。

 元はと言えばお義姉様が雇った暗殺者のせいでこんなことになったのだ。

 全部お義姉様が悪い。私は悪くない。よし。


 それに、この小屋の住人が善良な人たちなら、きっと私のことも許してくれるはずだ。

 私の力を使えば、狩りの手伝いだってできるし美味しい果物も提供できる。

 彼らはお鍋半分のシチューと引き換えに、もっと沢山の食糧を手に入れることができるのだ。

 もし無法者の類であったなら……その場合でも、まあ、彼らは死ぬ前に施しの善行を一つ積めたことになる。

 地獄の刑期も少しだけ短くなるだろう。

 どちらに転んでも、お互いにとって有益な関係が結べるというわけね。


 心配事が片付いて、その上お腹が一杯になったものだから今度は眠たくなってきた。

 人間の体はそういう風にできているのだから仕方がない。

 住人達も一向に帰ってくる様子がないことだし、奥の部屋で少し休ませてもらおう。

 それにしても妙に小さなベッドだ。

 幅は十分だけれど、丈が足りていない。

 足を縮めて丸くなれば寝られなくもないけれど……そうだ、三つぐらい並べれば丁度いい感じになりそうだ。

 私は両隣のベッドを引っ張ってきて、隙間なく並べた。

 あとは、お城の部屋から持ち出した鉢植えを部屋の隅に置いて、と。

 うん、いい感じ!


 私はベッドの上にごろりと横になった。



「おい――……」


「わからん、……――だろう」


 気持ちよく寝ていたら、ぼそぼそとしたしゃべり声が聞こえてきた。


「――。……――じゃないか?」


「……なら、――だろう。これは……」


「これで髭が――……」


 野太い男たちの声だ。

 ここ、どこだっけ?

 ああ、そうだ、お義姉様が暗殺者を送り込んできたから、お城を逃げ出してきたんだった。

 それで、〈闇夜の森〉まで飛んできて、それから――。


 薄目を開けると、髭面の男たちが私を覗き込んでいるのが分かった。

 それほど屈んでいるわけでもないのに、妙に顔が近い。

 理由はすぐに分かった。よく見みれば彼らはみんな背が低いのだ。

 なるほど、道理で。


 そこまで考えたところで、視界の隅で何かがギラリと光を反射させた。

 槍の穂先だ。

 意識が急激に覚醒する。

 目を薄く開けたまま、見える範囲を見回す。

 戦斧を持った男が最低でも二人。

 まだ抜いてはいないが腰に剣を吊っている奴もいる。


「お、目が覚めたようだぞ」


 気付かれた!

 私は跳ね起きて戦闘態勢をとる。

 囲まれたままでは分が悪い。

 鉢植えのツタに命じて男の一人の足を巻き取り、隣の奴にぶつける。

 出来上がった隙間に飛び込んで、部屋の隅に陣取り敵と対峙した。


 仲間をぶつけられた男が、不意打ちにも関わらず少しよろめいただけで踏みとどまっている。

 相当に鍛えられている。素人ではない。

 敵は七人。

 殆どは戸惑っている様子だが、槍を持った男は既に盾を構えて――あ、突っ込んできた。


 とっさに男の足にツタを絡ませたものの勢いは止まらない。

 それでもバランスを崩すことに成功し、槍の狙いが少しだけそれた。

 それた穂先が、私の右耳をかすめて薄い板壁を粉砕。

 勢いそのままで槍の男は向こうの部屋に吹っ飛んでいった。


 その間に残りの男たちが戦闘態勢を整えていた。

 斧やら剣やらを手にしてこちらを油断なく取り囲んでいる。

 私は壁を背に逃げ場なし。

 やむを得ない。


 私はその場に伏せながら、あらかじめ呼び掛けておいた樹に合図を送った。

 凄まじい破壊音とともに、巨大な瘤付きの枝が唸りを上げて部屋に飛び込んでくる。

 見たか! これが私の切り札、樹木ハンマーだ!

 十分な溜めができなかったとはいえ、完全武装の騎士を馬ごと吹き飛ばせる程度の威力がある。


 って、嘘でしょ!?

 男の一人が私の樹木ハンマーを盾で受け止めていた。

 恐るべき反射神経。恐るべき踏ん張り。

 隣の斧男が、まだ十分なしなりを残していた枝を即座に両断し、盾男を圧力から解放する。

 恐るべき連携も追加だ。

 これは敵わない。


 そう判断した私は、できたばかりの壁の穴に飛び込んだ。

 一時撤退。こいつらに勝つには入念な準備が必要だ。


 小屋から飛び出ると同時に、そのまま一目散。

 恐らく彼らは足が遅い。瞬発力はあっても、長く走るのは苦手なはず。

 ミレアが話してくれたお伽噺の通りなら、多分、きっと。

 そうでなくとも脚が短ければその分走りにくいのが道理。

 だから、これで逃げ切れる!


 ゴンッ――「ウゲッ!」


 そう思ったとたん後頭部に衝撃を受け、私は乙女にあるまじき呻きを上げながら転倒した。

 何とか立ち上がろうと、うつ伏せに上体を起こすと、すぐ近くに丸い盾が転がっているのが見えた。

 あれを投げつけられたのか。飛んできたのが槍や戦斧じゃなくて本当によかった。

 だけどクラクラしてうまく立ち上がれない。

 直後、手斧が文字通り私の目と鼻の先に突き立った。

 一党のリーダーらしい奴の声が聞こえる。


「降伏しろ、精霊憑き。

 もはや勝ち目も逃げ道もない」


 まったくもってお説のとおり。万事休す。

 私は抵抗の意思がないことを示すため両手を上げながらゆっくりと立ち上がった。

 手を上げたまま、これまたゆっくりと振り返ってから言う。


「……降伏します。

 貴人に相応しい名誉ある扱いを要求するわ」



 私はロープでグルグル巻きにされた上、例の背の低い椅子に括り付けられてしまった。

 その私を、七人の屈強な――ただし背丈は平均して、小柄な私よりもさらに頭一つ分は低い――男たちが、到底友好的とは言えない目つきで取り囲んでいる。

 見た目から察するに、彼らは山の中に洞窟を掘って住んでいるというドワーフ族だろう。

 私もミレアのおとぎ話で聞いたことがあるだけだけれど、この体格、あの膂力、そしてもじゃもじゃの髭。

 おそらく間違いない。


 しかし、おかしい。

 私は降伏するにあたって、貴人に相応しい名誉ある扱いを要求したはずだ。

 なのにこの有様。一体これのどこが名誉ある扱いだというのか。


 不安になった私は彼らに訊ねてみることにした。


「ねえ、私は貴人に相応しい名誉ある扱いを要求したはずですけど」


 するとドワーフにしてはひょろりと背の高い、リーダー格らしき男が腕を組んだまま答えた。


「何が貴人だ。

 盗人にはこれで十分だろう」


 よかった。

 至極もっともな答えが返ってきたので私はほっと一息ついた。

 もしこれが、独自の文化に基づく彼らなりの高貴なもてなしであったなら、彼らの親切に期待するのは難しくなる。

 交渉だってまともにできるか分からない。

 でも、ひとまずそのような事態は避けられたらしい。


 思考の流れに余程の大きな違いがあるのでない限り、どんな相手であれ話し合いで解決することは不可能ではない、とお兄様はいつも言っていた。


 もっとも私はその言葉を疑っている。

 話し合いで解決できるというなら、お兄様は北の蛮族を抑えるのに、わざわざ大勢の騎士を引き連れていなくてもよかったはずだ。

 この森を戦場に私が戦う必要だってなかった。

 大体そのお兄様からして交渉よりは戦のほうが得意なお方だ。

 大方お父様からの受け売りだろう。


 とはいえ、そんな疑いも今はそっと脇へ寄せておかなければならない。

 最早戦うことができない以上、あの言葉だけが一縷の希望なのだ。


「それで地上人のお嬢さん。こんなところで何をしていたのかね」


 ひと際太ったドワーフが私にそう訊ねた。

 多分一行の中では一番の年かさだろう。

 他の男たちが飢えた眼つき――文字通りの意味だ――で睨みつけてくる中、彼だけは若干の好意をその態度に滲ませてくれている。


「なにが『お嬢さん』だ!

 俺たちの昼飯を半分以上食っちまったんだぞ!

 おまけに精霊憑きでひどく凶暴だ。生かしとく必要はねえ!

 すぐにでも吊るすべきだ!」


 そう叫んだのは、隣の赤ら顔のドワーフだ。

 どうも酔っぱらっているらしく、さっきから酒臭い息を吐いている。

 槍を担いでいて筋骨隆々。これは戦いを生業にしている男の顔だ。

 そういう連中については私も少しばかりなじみがある。


「まあまあ、そう言いなさんな。

 見てみろ、まだ髭も生えてない子供じゃないか」


 そういって太ったドワーフが赤ら顔を宥めると、今度は立派な鷲鼻のドワーフが口を挟んできた。

 これまたたくましい体つきをしているものの、こちらはどちらかというと職人風。


「だからと言って無罪放免とはいかんだろう。

 飯泥棒ならお仕置き棒十発あたりが相場だな」


 お仕置き棒とは、今彼が手にしているゴツゴツとしたぶっとい棍棒のことだろうか?

 とても人間用には見えない。熊を叩き殺すには丁度いいかもしれないけれど。


「壁を壊された分、五発追加な」


 と、これは酔っぱらいのドワーフ。

 追加も何も、三発もあれば私のようなか弱い乙女がぺしゃんこになるのに十分だ。

 魔法が使えるからって体が丈夫になるわけではない。


「彼女を叩いたところで鍋の中身は戻ってきませんよ。

 そんなことより、私たちのご飯をどうするかが問題です」


 これは眼鏡をかけた賢そうなドワーフの発言。

 その見た目に違わぬ理性的な提言に私は嬉しくなった。


「今朝の狩りも空振りだったしなあ。

 もう肉がないぞ」


 こちらはひどく鋭い眼をしたドワーフ。

 全身から陰気な気配を漂わせている。


「おで、はらへった。

 こいつ、くう」


「ダメだ。腹を壊すぞ」


 ぼんやりとした顔のドワーフがとんでもないことを言い出したのを、リーダー格のドワーフが妙ちきりんな理由で宥めている。

 まずい。話が妙な方向に流れ始めている。

 万が一、誰かが「いや、人間は無毒だ」などと言い出したら一大事だ。

 私は慌てて彼らの会話に割り込んだ。


「ちょ、ちょっと待って!

 食べ物ならちゃんと代わりのモノを返すから!

 だから酷いことはしないで!」


「なに言ってやがる。

 お前の持ち物は既に調べたが、食べ物なんてひとっ欠片も入ってなかったぞ。

 手前で持ってねえものを一体どうやって返すってんだ」


 鷲鼻のドワーフは私を信じてはくれないらしい。

 でもまあ、それは仕方がない。

 やって見せるのが一番だ。


「もちろんあてはあるわ。

 小屋の外に山リンゴの木があったでしょ。

 戸を開けて、その木が見えるようにしてくださらない?」


 私がそう言うと、鷲鼻が抗議の声を上げた。


「騙そうたってそうはいくか!

 リンゴの季節はまだ先だろうが。

 地底暮らしだってそれぐらいのことは知ってらあ。

 おい、隊長。

 こいつはやっぱり信用ならねえぞ」


「お、おい待て。

 子供をぶん殴ったって腹は膨れんよ。

 食い物をくれるっていうんなら、まずは試してみよう。な?」


 太ったドワーフが宥めても、鷲鼻は納得していない様子だ。

 隊長と呼ばれたドワーフは両者の言い分を聞き流した後、フンと小さく鼻を鳴らした。


「まあ、他ならぬ精霊憑きの言うことだ。

 何ができるのか見てやろうじゃないか。

 おい、イェルフ、槍をきちっと突きつけとけ。

 イェンコ、戸を開けるのはお前だ。

 残りは盾を出せ。油断するな」


 ドワーフ達はリーダー格の指示に従い、それぞれの配置についた。

 太ったドワーフが戸に手をかけながらリーダー格に確認する。


「よし、開けるぞ」


 リーダー格が頷いて見せると同時に、彼はエイやと戸を開けてすぐにその場に伏せた。

 もちろん何も起こるはずがない。

 小屋の外には平和な森と、山リンゴの木が一本みえるっきりだ。


「どうした、何もないぞ」


「これからやるのよ。

 いい、見てなさい?」


 正直しんどいのだけれど仕方がない。

 私は木に向かって呼びかけた後、念じる。

 すると、パッと花が咲いた。

 咲いた花はすぐに散り、見る見るうちに小ぶりな山リンゴの実が鈴生りに実っていく。


「ほう、これはこれは」


 ドワーフたちが驚きに目を見張っている。

 そうでしょうとも。さあ、もっと私を讃えてもいいのよ?


「リンゴ! リンゴだ!」


 何も考えていなさそうなドワーフが小屋から飛び出していく。


「ひゃー! すっぱい! でもうまい!」


 喜んで貰えたようで何より。


「でもなあ、俺はやっぱり肉が喰いたいよ」


 これは、さっきの鷲鼻のドワーフ。

 どうやらリンゴだけではご不満の様子。でも問題はない。


「さすがにお肉はすぐに用意できないけど、狩りのお手伝いならできるわよ?」


 私は隣の部屋から鉢植えのツタを伸ばして、フヨフヨと揺らして見せた。


「……それで狩りができるのか?」


「私の前に追い立ててくれさえすれば、鹿でも猪でも何だって捕まえて見せるわ。

 なんなら簡単な罠だって作れるし」


 罠と聞いてなぜか眼鏡のドワーフが目を輝かせる。


「魔法で罠も作れるのですか!

 それならば、私の罠と組み合わせれば素晴らしいものになるかもしれませんね!」


 よくわからないけど、眼鏡のドワーフは大喜びの様子。

 これならいけるかもしれない。


「そ、それで皆さん? モノは相談なんだけど……」


 全員の注目が私に戻ってくる。


「しばらくの間、私をここで一緒に住まわせて貰えないかしら?

 見ての通り、私は役に立つわよ」


 全員の視線が、今度はリーダー格のドワーフに移った。

 彼は腕を組んだまま、天井を見上げる。

 そのまま考えることしばし。


「……お前の言う通り、役に立ちそうではある」


 そして私に視線を戻して続ける。


「だが、素性も知れぬ者を仲間に引き入れるのはあまりに危険が大きい。

 まずは名乗られよ。話はそれからだ」


「その前に、このロープを解いてくれない?」


 そろそろこの姿勢もつらくなってきた。


「ダメだ。まだ信用できない」


 ダメか。まあ初手のコミュニケーションがこちらの先制攻撃だったんだからしかたがない。

 私は縛られたまま、できるだけ背筋を伸ばした。

 姿勢は重要だ。実際の人柄がどうであれ、背筋を伸ばし堂々と胸を張って見せればそれだけでずいぶんと真っ当な人間らしく見えるものなのだ。


「私はマノアの先王ジルケノの娘リリー。マノア王ジリノスの妹。〈白百合の魔女〉にして、王城の西塔を領するうら若き乙女、またの名を〈白百合姫〉と申すものでございます。どうかお見知りおきを」


 本来であればここで優雅にお辞儀をして見せるのだけど、この有様なので仕方がない。

 首だけをこくんと下げてお辞儀に代えた。


「ほう、お嬢さんは王族だったのかね。

 どうりでどうりで」


 太っちょが感心したように言うと、鷲鼻がそれに噛みついた。


「待て待て。王家のお姫様がどうしてこんなところに一人でいるんだよ。

 どう考えてもおかしいだろう」


「む、確かに言われてみれば妙な話だな」


「それだってちゃんと事情があるのよ!」


「どんな事情があるってんだ」


 私はここに至るまでの経緯を涙ながらに語って聞かせた。


 お義姉様に子供が生まれたこと……それが待望の世継ぎだったこと……それで宮廷の風向きが変わったこと……お義姉様が暗殺者(本格派)を送り込んできたこと……お城を抜け出して、どうにかこの森まで逃げてきたこと……食料も寝る場所もなかったこと……ようやく見つけたこの小屋で、あまりにも美味しそうな匂いがしたこと……せめてお詫びとお礼を言おうと皆さんを待っていたこと……だけど疲れ果てていたので、どうしても起きていられなかったこと……ところが、目を覚ましたら武器を持った男の人たちに囲まれていたこと……それでとっさに攻撃してしまったこと……


 そんな私の話を聞くうちに、鷲鼻がグスグスと鼻をすすりはじめた。


「そうか……ずいぶん苦労したんだな……!

 疑って悪かった!」


 ちょろい。


「だが、もう安心だ! ここで俺たちと一緒に暮らすといい。

 たとえ追手が来ても、きっと守ってやるからな。

 なあ、隊長!」


「待て、ドケナフ。

 決めるにはまだ早い。

 もう少し話を聞いてからだ」


 リーダー格のドワーフが腕を組んで私を睨みつけながら言った。


「なんだ、この嬢ちゃんが嘘をついてるっていうのか」


「そうは言わんさ。

 嘘つきを見分けるのは俺の得意技だ。

 今のところ嘘は言っている様子はない。

 だが、すべてを話してくれたわけでもなさそうだ」


 リーダー格のドワーフにそう言われて、鷲鼻は眉間にしわを寄せた。


「嘘をついてないなら十分だろう。

 こんな小さなお嬢ちゃんが命を狙われてるっていうんだ。

 見捨てるわけにゃいかねえよ」


 そういえば先ほどから随分と子供扱いされているけど、私は幾つぐらいだと思われているんだろう?

 都合がよさそうだから訂正はしないけど。


「まずはそこだな。

 地上の民は我々よりずいぶん早く成人すると聞く。

 その上女には髭が生えないそうじゃないか。

 立ち居振る舞いといい、案外年よりかもしれん。

 実際のところ、お前は今いくつなんだ」


 さて、どう答えようかしら?

 本当に嘘を見抜けるかは知らないけれど、こんな些細なことで心証を悪くするのは得策ではない。

 だから正直に答えることにした。


「……十六。冬に成人の儀を終えたところよ」


「なんとなんと。

 俺らでいうと三十を過ぎたぐらいか?

 とてもそうは見えないが……」


「森に入る前に出会った爺さんはもっと大きかったぞ」


「おい、ナイフ。

 こいつ嘘ついてるんじゃないか?」


 ドワーフたちが口々に好き勝手なことをいうが、リーダー格のドワーフは動じなかった。


「いや、嘘はついていない。

 ついて得になる嘘でもないだろうしな」


 彼がそう断言すると、他のドワーフたちはそれ以上何も言わなかった。

 ずいぶんと信用されているらしい。


「それで、お前のお義姉様とやらはどうしてお前を殺そうとしたんだ?」


 答えにくい質問が来てしまった。


「え、えっとぉ……」


「そこは関係ねえんじゃねえか?

 王族ともなりゃ、そら色々あるさ。

 権力争いに巻き込まれた哀れな女は守ってやらにゃ。

 それが正しい道ってもんだろう」


 私が言い淀んでいると鷲鼻が助け舟を出してくれた。

 案外いい人だ。


「そうはいってもな、こちらだってリスクを負うことになる。

 俺達にもやるべきことがあるんだ。

 大義だけでもしっかりしてなきゃやってられん。

 それにこいつが罪人だったなら、地上の者に引き渡すのがまさに正道だろう」


「なるほどな、それもそうだ」


 だけど彼はあっさり言いくるめられてしまった。

 多分、良くも悪くも根が単純なんだろう。


 リーダー格はこちらに向き直って改めて言った。


「それで、一体どうして命を狙われている?」


 彼の厳しい視線がまっすぐに私を射抜く。

 嘘は通じそうにない。

 理屈ではなく直観がそう告げてくる。

 そして、悪い直観というのは大抵外れない。

 ここは正直の一手だ。


「その、ええっとぉ……いたずらを少々……」


「どんなだ」


「その、フクロの実を加工して、お義姉様のクッションの下に置いたり……」


 フクロの実は、このあたりでよく採れる野草の一種だ。

 秋ごろに手のひらほど実をつけ、種を抜いて乾燥させるとまるで革袋のように使える。


「するとどうなるんだ」


「座った時に、おならみたいな音が鳴るわ」


 魔法で大きく育てたフクロの実に笛草をうまいこと組み合わせて私はそれを作り上げたのだ。

 ちなみに犯人は一瞬でばれた。

 あんなに大きなフクロの実を作れるのは私だけだからだ。

 私の答えを聞いてドワーフたちが一斉に豪快な笑い声をあげた。


「ガッハッハ! 他愛ないイタズラじゃないか。

 お義姉様とやらはずいぶん肝っ玉の小さい女なんだな」


 酔っ払いがそういうのを聞いて、私は少しだけカチンときた。

 コイツにいったいお義姉様の何がわかるというのか。

 それでつい言い足してしまった。


「……それを婚姻の儀の席に仕掛けました」


 ドワーフたちの笑い声が止まった。

 彼らはあんぐりと口を開けたまま、信じられないという目で私を見つめている。


「マジでか」


「……はい」


 気まずい沈黙が場を支配する。

 そんな空気を押しのけるようにリーダー格が口を開いた。


「それだけじゃなかろう。

 聞く限りでは、それはずいぶんと前の出来事のはずだ。

 まだ他にもあるなら聞かせてもらおうか」


「濃縮したニガ草の汁をお義姉様の飲み物に混ぜました」


 ほんの一滴でも舌が痺れる特濃ニガ草汁入りの飲み物を飲んだお義姉様は毒を盛られたと勘違いし、それはもう大変な騒ぎになった。

 ちなみにこれも一瞬でばれた。

 あれほど苦い汁を作り出せるのは私の魔法をおいてほかにないからだ。

 苦いだけで毒じゃないと言い訳したら、それを身をもって証明させられる羽目になった。

 お兄様はこういう時とても厳しい。


 リーダー格がこめかみをもみながらさらに聞く。


「それで、他には」


 リーダー格がそう言う度に私の罪状が積みあがっていく。

 ドワーフたちの視線が完全に怪物を見るそれに変わっていた。


「もういい。十分だ」


 私の罪状が両手両足の指でも足りなくなったあたりでリーダー格は尋問を打ち切った。

 これっぽっちでは、私とお義姉様の五年間を語り尽くすには到底足りないのだけど。


 彼は私に向かって厳かに判決を告げた。


「お前の義姉君あねぎみは大変寛大で忍耐強いお方だ。

 尊敬に値する人物である。

 おとなしく城に戻って裁きを受けろ」


「ま、待って! それじゃ私殺されちゃうわ!」


 なぜなら、お義姉様はすでに本気だから。

 裁きも何もお義姉様はとっくに内心で判決を下しているのだ。


「身から出た錆だろうが。

 大体お前みたいな奴、手元に置いておくだけでも危険だ。

 イタズラで殺されてはかなわん」


「失礼ね! 私だってお義姉様以外にはあんなことしないわよ!」


 少なくとも、お義姉様が来てからは他の人にはしていない。

 まあ……多少の例外はあるけれど。


 そんなやり取りを革袋から何か――多分酒だろう――を飲みながら見ていた酔っ払いが口を挟んできた。


「構うこたねえ。

 このまま城まで担いでいって、お妃さまに突き出しちまおうぜ。

 そうすりゃ、褒美に酒の一樽ぐらいはくれるかもしれないじゃないか」


 冗談じゃない。酒の一樽ぽっちと引き換えに殺されてたまるものですか。


「私はそんなに安くないし、お義姉様だってケチじゃないわ。

 お城で一番おいしいお酒を荷車に山積みで所望したって通るわよ!」


 私は言ってすぐに自分の失態に気づいた。

 さっきまで冗談めかしていた酔っ払いの目が、真剣なものに変わっている。

 今の彼は本当に私を酒樽と交換しかねない。


「馬鹿かお前は」


 その様子を見ていたリーダー格が呆れたように言う。

 反論できなかった。


「それじゃあ最後に一つだけ聞こうか。

 どうしてお前はお妃さまにあんな酷いことをしたんだ?」


「そ、それは……」


 一番聞かれたくなかった質問だ。

 適当な嘘をついてごまかしてしまおうかとも思ったが、リーダー格の厳しい眼がまっすぐに私を見据えている。

 目を逸らしてしまえば嘘を口にすることもできたかもしれないけれど、私はどうしてもそうすることができなかった。

 彼の目が、お父様のそれによく似ているような気がしたからだ。

 もちろんそんなわけはない。

 私の幼い記憶に残るお父様の目はもっとずっと優しかった。

 もっとよくこの目を見つめれば、あの優しさを見つけることができるのだろうか?


「その……とても言いにくいんだけど……」


「無理にとは言わん。

 だが、これはお前に許された最後の釈明の機会だ。

 よく考えて発言するように」


 私は意を決して、それを口にする。


「お、お義姉様のことが……その……大好き、だったから……」


 私に向けられたドワーフたちの視線が、形容しがたいものに変わっていた。



 お義姉様は私の憧れだ。

 すらりとした長い手足、尊大さと紙一重の強い意志、高い知性、そして日の光をものともしない黒い肌。

 どれもこれも、私にはない素晴らしい美点だ。

 しかも、お義姉様は魔女でありながら魔法を使わない。

 少なくとも、その力を目にはっきりと分かる形で行使したことはない。

 私は魔法の力を使ってようやくある種の敬意と畏れを勝ち取ったが、お義姉様はそんなものなしでも畏敬の念を向けられる。

 これがいかに凄いことかは、同じ魔女である私が一番よく知っている。


 そんな風にお義姉様の素晴らしさを力説したら、ますます変な目で見られた。


「どうにもわからん。

 そこまでお妃様を敬愛しているなら、どうしていたずらなんかしたんだ」


「……い、色々と不幸な行き違いがあったのよ」


 そう言うのが精いっぱいだった。


 初めて出会ったとき、私はまだお義姉様の素晴らしさに気づいていなかったのだ。

 それどころか、当時の私にとってはお兄様との間に割り込んできたいけ好かない女でしかなかった。

 それで宮廷の奥方たちに煽られてイタズラを仕掛けてしまった。


 当然、お義姉様には嫌われる。

 魅力に気付いたころにはもう手遅れだった。


 謝って許してもらえる時期はとっくに過ぎており、関係修復は既に困難。

 お義姉様はもはや私に話しかけてはくださらなかったし、こちらから近づこうにもファラにさりげなくブロックされてしまう始末。

 これまで私がしてきた仕打ちを考えれば、彼女が私を警戒するのは当然だろう。


 誰かに仲介を頼もうにも、宮廷の奥方たちは隙あらば対立を煽ろうとしてくる。

 今思えば、彼女たちは私のことを嫁いびりの道具ぐらいにしか思っていなかったのだ。

 自分たちでは手が出せないから、私をけしかけたにちがいない。


 お兄様はいつも忙しそうで、奥向きの厄介事を相談するのはためらわれた。

 何度も叱られた後でのことなので、今更頼みづらいというつまらない意地もある。


 そんなこんなで事態は八方塞がり。

 それでもお義姉様と関わりを持とうとすれば新たにイタズラを仕掛ける他はなく、仕掛ければますます関係が悪化する。

 そしてとうとう、今回の破局に至った。


 もっとも、こんな事情を話したところで何の言い訳にもならないだろう。

 私の愚かさの自白でしかない。


 黙り込んだ私を見て、リーダー格は大きなため息をついた。

 

「……善良とはいいがたい。が、かといって嘘をつける性格でもなさそうだ」


 これが、彼が私に下した評価らしい。


「先の戦いについては、確かに我々にも落ち度がなかったとは言えん。

 そしてなにより、お前の力は確かに役に立つ。

 俺たちに協力するなら、ここでしばらく匿ってやろう」


 ひとまず酒樽と交換に送り返されることはなくなったようで、私は胸をなでおろす。


「それって、食料の調達や家事をしろってこと?」


「それもあるがそれだけじゃない。

 俺たちは地龍を討伐するためこの地にやってきた。

 お前も共に戦ってもらう。それが条件だ」


 あら面白そう。

 お伽噺の中で、私たち魔女はどちらかというと竜と同じく討たれる側だ。

 それが竜を討伐する側に回れるなんて、滅多にない機会じゃないかしら?


「ま、待てよ隊長。

 こんな子供を戦わせるなんて、そりゃあんまりだ!」


 鷲鼻が割って入ってきた。

 しかしリーダー格は取り合わない。


「たった一人で、俺たちを相手に立ち回ったあの力と胆力。

 十分戦力になるだろう。

 たとえ子供に見えようが、地上人としては成人しているのだから何の問題もない」


 あの親切な太っちょも心配そうな顔で私にアドバイスしてくれる。


「なあ、お嬢さん、悪いことは言わない。

 隊長は本気でお前さんを戦わせようとしとる。

 大人しくお仕置き棒を受けて、さっさとここを立ち去ったがいい。

 なに、心配はいらない。ちゃんと手加減はするから、命までは取られんよ」


 そういえば、最初はそういう話だったわね。

 周りはと見回せば、他のドワーフたちも同意見らしい。

 リーダー格だけがじっと私に厳しい視線を注いでいる、


「ねえ、地龍ってどんな奴なの?」


「地中奥深くを彷徨う巨大な龍だ。

 六つの魔眼と六つの命を持っている。

 霊力を喰らって成長するため、古代人が遺した霊気結晶を求めて地の底を這いまわっているのだ。

 その性はいたって凶悪で、記録に残る限りでも三つの要塞が奴に滅ぼされたという。

 事実、我らが〈はがね山〉の要塞が襲われた折には、三百人の専業戦士に加えて、

 六百人もの一人前の男たち、さらには先代国王陛下までもが命を落とした」


 目が六個? 命も六個? 一体どんな感じなのかしら?

 リーダー格はこともなげに言うけれど、私にはさっぱりわからない。

 ともかく、王様が戦死したぐらいなんだからよほどの激戦だったのだろう。


「つまり、とんでもなく強くて悪い奴ってこと?」


「そうだ」


 あってた。とりあえず、悪事に加担させられるわけではないみたい。


「どうしてあなたはそんな危ない奴をわざわざ追いかけてるの?

 逃げたなら放っておけばいいじゃない」


「我ら〈はがね山〉の誇りの問題だ。

 かろうじて山を守り切ったとはいえ、奴を取り逃がしたのもまた事実。

 王の仇も討てぬとあっては、我ら〈はがね山〉戦士団の名折れとなろう。

 そこで新たな山の王、イェッテレルカ十三世は地龍討伐をこの俺にお命じになられたというわけだ」


 なるほど。

 よくわからないけど、そういうものなのだろう。

 お城でも決闘騒ぎで血が流れるのはさほど珍しい出来事ではなかった。

 男たちにとって、誇りとは命よりも重要なものらしい。


「それで、討伐隊の他の兵士たちはどこにいるの?」


「これで全員だ」


「え?」


 私は部屋の中のドワーフたちを見回した。

 何度数えても七人しかいない。


「これで?」


「ああ」


 地龍の追討は、彼らの一族の誇りをかけた事業ではなかったかしら?

 随分と小さな誇りもあったものだ。


 私の考えが顔に出てしまったのか、リーダー格が言い訳らしきものをごにょごにょと口にする。


「……無論、陛下とてこれが討伐に十分な兵力と考えておられるわけではない。

 しかしながら、我らが要塞が被った被害は甚大で、防衛力も労働力も不足している。

 そのような中で出せる限りの兵を出してくれたのだ」


「勝算はあるの?

 私の聞き間違いでなければ、最初の戦いではもっと大勢の兵士で挑んでも仕留められなかったみたいだけど」


「当然だ。

 そもそも、数がいればどうにかなる相手でもない。

 重要なのは戦い方だ。

 そのために少ないとはいえ最良の人材を連れてきた。

 だが……」


 そこまで言って、彼はどういうわけか私の前に両手両膝をついて、獣のように屈みこんだ。


「……それでも、決して勝率が高くないのもまた事実。

 だが、貴女の力があれば随分と勝ち目が増えるはず。

 だからこうして伏してお願い申し上げる。

 どうか、我らに力を貸していただきたい」


 そうして、そのまま彼は床に額を擦り付けた。

 その得体のしれない動作に私は戸惑った。

 周りのドワーフたちに目をやれば、彼らは悲痛な面持ちで私に視線を向けている。

 どうも、これがドワーフたちの最上級の哀願の仕草であるらしかった。

 私が何をしたわけでもないのに、いつの間にか立場が逆転している。

 答えはもうとっくに出ていたのだけれど、この優位を楽しむために私はわざと間を空けて、それから余裕たっぷりに言った。


「そこまでされたら断れないわね。

 いいわ、手伝ってあげる」


「本当か!」


 リーダー格がバッと顔を上げる。

 その額には血がにじんでいた。


「だけど、その前に叶えて欲しいお願いがあるんだけど」


「なんでも言ってくれ。

 可能な限り応じよう」


「早くこの縄を解いてくださらない?」


 長話の果てに、乙女の危機が迫っていた。



 縄を解いてもらい、諸々を済ませた後に私は改めてドワーフたちと向き合った。

 リーダー格が一歩前に出て、私に向けて一礼する。

 その仕草は私たちのそれとは少し違ったけれど、彼の厳つい外見に似合わず優雅でよどみがない。


「まずは自己紹介をさせてもらおうか。

 俺の名はイェラナイフ。

 この討伐隊の長として皆を束ねる役目を負っている。

 〈はがね山〉の王イェッテレルカ十三世の命を受け、地龍を討伐すべくこの地へやってきた」


 そう言って、また一礼。


「続いて」


 と言って、隣にいた酔っぱらいを視線で示す。


「こいつはイェルフ。戦士だ。

 またの名を〈酔っ払い〉。

 酒ばかり飲んでいたせいで、盾の壁から放り出された」


 ひどい二つ名だ。あまりにもストレートすぎる。

 イェルフは大きなゲップをしてから一礼。

 だけどその仕草は不思議と洗練されている。

 酔ってさえいなければ案外紳士なのかもしれない。


「こいつはディケルフ。罠技師だ。

 またの名を〈挽肉製造機〉」


 これまたひどい二つ名。

 誰のことかと思ったら、意外にもあの知的な雰囲気を漂わせた眼鏡のドワーフだった。


「あんまり危険な罠ばかり作りたがるものだから、工房から出入り禁止をくらっている」


 なるほど。

 まともそうに見えて、とんだ危険人物だった。


「それから、こいつがイェンコ。調理と食料の管理を担当している。

 またの名を〈泥棒豚〉。

 どうしてもつまみ食いがやめられず、厨房をたたき出された」


 これはあの親切な太っちょのことだ。

 いい人そうではあるけれど、食料の管理を任せるにはあまりに不安な経歴だ。


「こっちはドケナフ。鍛冶師だ。

 またの名を〈ヤボ金槌〉。

 独創的な美的センスの持ち主だ」


 鷲鼻が不満気に鼻を鳴らした。

 どうやら彼はこの評価に納得がいっていないらしい。


「こいつがケイルフ。

 壷いっぱいの蜂蜜につられてついてきた」


 イェラナイフがそう言いながら肩をたたいたのは、あの何も考えていなさそうなドワーフだった。

 どうやら、彼はイェラナイフに騙されてここに連れてこられたようだ。

 もっとも騙されたことにすら気付いていないみたいだけど。


「そして最後にネウラフ。攻城技師だ。

 またの名を〈王冠落とし〉。

 国王陛下に大弩を撃ち込んだ前科の持ち主だ」


 最後の一人、いやに目つきの鋭い神経質そうなドワーフがこれに抗議する。


「冤罪だ。俺が撃ったのはリンゴだ」


「陛下の頭の上の、な」


 詳しく聞いてみたところ、即位の宴会の際に余興と称して国王陛下の頭にリンゴを乗せ、それを攻城戦用の大弩で撃ち抜いたらしい。

 カンカンになった王様は、即座に彼を逮捕させると裁判抜きで投獄したのだとか。

 当然だろう。むしろ優しい部類なんじゃないかしら?


 それにしても、だ。


「なんというか……よくもまあ、これだけ問題児ばかり集めたものね」


 私がそう言うと、〈ヤボ金槌〉のドケナフがまたご自慢の鷲鼻を不満げにならした。


「言いたいことがあるなら言いなさいよ」


「いや……お前さんがそれを言うのかと思ってな。

 どう見ても一番の問題児はお前だろう」


 ドケナフの意見に、ドワーフたちがうんうんと頷いている。


「な、なに言ってるのよ。

 どう見たって私が一番まともよ!」


「だがなあ、イタズラのし過ぎで城を追い出された姫様なんざ、俺は初めて見たぞ。

 見たどころかそんな話はお伽噺ですら聞いたことがねえ」


「追い出されてなんていないわ。

 私が自分で出てきたのよ!」


「それは城にいられなくなったからだろう。

 だったらおんなじこった。

 俺たちだって、自分の足で地上に上ったんだ」


「なんなら、俺たちは山に戻ることだってできるぞ。

 まあ、冷や飯食らう羽目にはなるけどな。

 だが務めを果たした後なら、英雄として大歓迎されるはずさ」


 酔っ払いのイェルフが追い打ちをかけてくる。

 私が反論しようとしたところに、イェラナイフが割って入ってきた。


「お前ら落ち着け。

 確かにどいつもこいつも、脛に傷を持つ身ではあるがな。

 それでも、俺は地龍を討ち果たすために必要な、最良のメンバーを選んだつもりだ。

 多少の欠点があったとて、それぞれの領分において一流の人材であることは俺が保証する。

 無論、リリー嬢もその一人だ。

 彼女も、俺たちと目的を共有する仲間だ。

 我々は今や『一つ穴の兄弟』なのだ。

 だから、つまらないことでいがみ合うんじゃない」


 一つ穴の兄弟……。

 多分、地下に穴を掘って暮らしている彼ら特有の言い回しなのだろうけど、地上の人間にとっては違う意味にとられかねないと教えてあげるべきだろうか?


「まあ、隊長にそう言われちゃあしょうがねえな……。

 すまなかったな嬢ちゃん。もう文句は言わんよ。

 仲直りをしよう」


 ドケナフが、そう言いながらきまり悪そうに手を差し出してきた。

 何年も、ひょっとしたら何十年も金槌を握ってきたであろうその手は、見るからにゴツゴツしていた。


「こちらこそ、ごめんなさい」


 私がその手を取ると、ドケナフがニッと笑った。


「ありがとう、嬢ちゃん。

 これからは俺たちは兄弟だ。よろしく頼むぜ」


 ゴツイ手で痛い位に握りしめられるのかと思ったら、その手つきは思いのほか優しく、温かだった。

 まあ、『一つ穴の兄弟』はさておいて。

 家族以外の仲間を持てたのはこれが初めてで、私はなんだか嬉しくなった。

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