第11話 紅い珊瑚礁②

「浜の方まで引き付けるのは?この巨体だから水深浅いところではまともに動けないかも」

「たぶん無理。陸でも呼吸できるみたいなことサッチも言ってたし」

「逆に沖に逃げて逃げ切れる?」

「この漁船じゃ無理、移動速度が違いすぎる」

「………重火器?」

「持ってきたやつはまだ弾残ってるけどマグナムきかないならたぶん全部無理」

「レイの体ってくっつきそう?」

「あと三十分は無理だろーな」

 思いつくことを矢継ぎ早に出しあって今できることを確認する。うーん、万事休す。別に言葉に出したからと言って状況が好転するわけではないんだけど、追いつめられた時はこうやって全員で認識をそろえるのが意外と侮れない。

「一瞬見えたけど、あのサメの大きさだったらたぶんこの漁船丸呑みできる………と思うよ。感覚だけど」

「巻奈、もう気持ち悪いの大丈夫?」

「レイの方見なければなんとか」

「じゃあ二度と見んな………嫌いだ巻奈なんて………」

「もうレイ、拗ねないでよ」

「ごめんねごめんね………」

 すん、とした表情で甲板に転がるレイと、彼女の方を見ないようにしながらも両手を合わせて謝罪する巻奈。サメに飲み込まれそうな割に、普段自宅で言い争っている時と全然雰囲気が変わらないのはどうしたものだろうか。

「こんなの核兵器より処理に困るよ………」

「でもサメでしょ?」

「ここまでいったらバイオ兵器じゃん」

 生物兵器と言ってもサメはサメ。生き物だ。確かにそれはその通りだけど、ミアみたいにすぱりと割り切ることはできない。不発弾を処理してるような気持ちになりながら泣き言を漏らしたのだけど、どうやらミアの考えは違うみたいで。

「生き物は武器とは違うよ、ユウリ」

 暗がりの中、役に立たないと言いながらもライフルを構えたミアが海からは視線を外さずに呟く。怖くなるくらい静かな海で、声は思いのほかよく響いた。

「本能がある。食欲がある。血も流すし、痛いことからは逃げたくなる」

「食欲………本能………」

 頭の中でその言葉がきらきらと光る。あれ、何か掴めそうな。

「それ以外何かある?」

「え?それ以外で武器と違うところ?うーん、なんだろ………あっ」

 振り返って、へらりと笑うミア。漁船の明かりに照らされて、ブロンドの髪が輝いて見えた。

「—————私を愛してくれないところ?」

 それはかつて戦場で嫌になるほど見た、美しい軍人の凄惨な笑顔だった。



 マキナが急拵えで作ったソナーは特定の周波数の音を海底に放ち、その反響で対象を発見する仕組みだと説明していた。それなら。

「動物が嫌がる電波を出したりできる?」

「モスキート音みたいな?」

「そうそう」

「できると思うよ、サメに効くかは分かんないけど」

 軍事用に改造されたサメならそのあたりへの耐性もあるかもしれないけれど、やってみる価値はありそうだ。

「それって流せる?」

「うん、わかった!任せて!」

 胃の中身は空っぽになったみたいで、若干足元のふらつく巻菜が操舵室に飛び込んでいく。ソナーで水中からサメを引き摺り出したい、そしてその後のことは。

「ミア、合図で撃って」

「はーい」

「で、レイは早く動けるようになって」

「鬼教官だ………」

 はぁ、と息を吐いたレイが「アイアイ、サー」と棒読みで呟く。敬意の欠片もない言葉だけどまあ良しとしよう。彼女はできる軍人だ。あれ、そういえば。

「今私が何をしたいかって伝わってる?」

「始まればわかるかなって」

「右に同じく」

「じゃあもうそれで!」

 詳細もわからない作戦に「それでいいかな」と命を賭けてくれるのは、彼女たちが軍人だからではなく私を信じてくれてるからだ。その期待を絶対に裏切らないなんて言えないけど、できるだけのことはしてやろう。

「こんなとこでくたばってたまるか!」

 まだ行きたい場所も食べたい物も山ほどある。決意を叫んだ瞬間、海面が大きく波打って口の中に海水が飛び込んできた。風もない海で海面が揺らぐ理由は一つしかない。持ち上げた視線の先に、海面から勢いよく頭を出したサメの姿を見た。

「なるほどね、嫌な音があったら発生源を叩くタイプだったんだ」

 さっきは事故で漁船を破壊したけれど、今回目の前に現れたのは明確な敵意だ。そうだね、力があれば破壊した方がいいって話にはなる。サメという生物にとって背鰭は武器でもなんでもない、明確に外敵を排除するために使用するのは牙………口だ。それなら一度は海面に顔を出さなきゃいけない、そこまでは読み通り。

「ユウリっ!今!」

「分かった!」

 巻奈の声で鎖で繋いでいた酸素ボンベを放り投げる。観光漁船に最初から備え付けられていた、ダイビング用の酸素ボンベだ。どれだけ人間が改造をしたといっても、形がサメである以上動けばエネルギーは消費するしお腹も減る。そもそも研究施設から抜け出してメキシコの海まで泳いできた時点で疲弊しているはず。ここに至るまで誰かが襲われた情報だってなかった、それなら腹ペコでも不思議じゃない。

「たくさん食べるといいよっ………!」

 私はミアみたいな武器使いじゃないけど、それでも訓練を重ねたプロだ。酸素ボンベを投げてサメの口に投げ込むくらい、当たり前みたいに成功させないと世界なんて救えなかった。果たして、投げた酸素ボンベはぽかりと開いたサメの口の中に吸い込まれる。

「いっけー!ミア!」

 返事ない。それでも確かな信頼があった。ミアは絶対に弾を外さない。彼女が撃ったらあたるのだ。だから。

「—————猫舌だといいんだけど」

 酸素と銃弾。火薬と火の粉が反応して、サメの口の中で火柱が上がる。

「どれだけ外皮が強くても内臓まではカバー範囲外だろ!」

 生物という形をしている以上、生命維持をするための器官はその機能を残さなくちゃいけない。口の中や胃腸まで鋼鉄の生物なんで生物じゃない—————それはもうただの武器なのだ。

「で、口の中が燃えてたら当然口も閉じれないよなぁ!」

 口から火柱を上げてのたうつサメの口に向かって、漁船から持ち出した魚の解体用のナイフを構えたレイが飛び込む。文字通り、火の中に飛び込む。

「虎穴に入らずんば虎子を得ずの極みみたいな作戦だよね」

「何それ、ことわざ?」

「うん」

 日本のことわざはまだわからないなぁ、と呟いてミサイルよろしく頭から一直線にサメの口の中に突っ込んでいくレイを見守る。燃えるサメの口の中に突っ込むなんて芸当はゾンビ女のレイにしかできない。ここまでは計画通り、後は。

「レイがちゃんとサメを三枚おろしにしてくれればいいんだけど」

「なんかキャンプファイアーみたいだね」

「こんな物騒なキャンプファイアー嫌だよ」

 私の良識的な意見は「そう?」とミアが首を傾げたことで封殺されてしまったけれど、そのわずか数秒後、火柱が止まってサメがゆっくりと海面に倒れ。

「獲ったぞー!」

 頭の位置をぶち抜いて、血まみれのレイが外に飛び出してきた。生物である以上、脳が破壊されれば動きは止まる。当たり前の話だけど、どうにもグロいのは仕方がない………のかな。

「う、おぇ」

「あー、また巻菜が吐くわ」

「ほんとに耐性ないなー、戦場で生きてけないだろ」

「巻菜はデスクワークだからさ」

 ぷかりと海面に浮かぶ巨大サメの上にしゃがみ込んで、血が滴る髪をかきあげるレイ。

「生臭いからホテルの大理石風呂入りたいな」

「うん、お疲れ様」

 こうして私たちの任務は一応、色々とぐちゃぐちゃになりながらも完遂されたのだ。おしまい。


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